モハメド・アリ | コメディアン、ビリー・クリスタルの弔辞

▶︎ 主を思う・・

<ビリー・クリスタルのパーフェクトなスピーチ>

どういう訳か、4年前に亡くなった、世界ヘビーウェイトチャンピオンのモハメド・アリについて書いてみたいと思いました。そうこうしているうちに、YouTube でこのクリップを見つけたのです。コメディアンのビリー・クリスタル(Bily Crystal)の弔辞です。

このスピーチは、面白いだけではなく、見事に構成された論文でした。モハメド・アリがどんな人だったかをそのまま私たちに教えてくれるものでした。

私も教会で話をしている者として、彼の話術を少しでも盗もうと何度も聞きましたが、もう嫌だ、もう飽きたと思うことがないのです。

例えば、日本の古典落語ですが、筋はみな同じでも演じる人によって、その人の味が出てきます。円生は、自分の話を完成した名人です。

その話は、最初から最後まで変わりませんが、聴くたびにその話の世界引き込まれていくのです。話術というのは実に不思議なものです。

ビリー・クリスタルのこの弔辞は、モハメド・アリと彼の個人的な関係を浮き彫りにするものでした。ビリーは、厳格なユダヤ人の家庭に生まれたユダヤ教信者です。

そして、モハメッドは、イスラム教に改宗したムスリム(イスラム教徒)です。でも、二人の間には、そういう宗教の違いを(はるかに)超えた友情があったのです。

そして、ビリー・は、かのモハメッド・アリーが世界チャンピオンであるばかりでなく静寂な平和の使者だったと告げたのです。

<モハメッド・アリの歴史的な役割>

モハメッド・アリの現役時代、私は、彼のことをあまり評価していませんでした。確かに、素晴らしいボクサーだけど、正直、うるさい(自己顕示欲の強い)無教養の人だと思っていました。

しかし、その後、モハメッド・アリは、彼の生涯を通して、彼がいかに偉大な真の世界チャンピオンであったか、いかに素晴らしい世界平和のモデルであったかを証明しました。

私は(韓国人であったために)日本でまともに就職できなかったので、大学で知り合った妻と共にアメリカに留学しました。1968年7月でした。

マーチン・ルーサー。キング牧師、ロバート・ケネディ上院議員が暗殺された年です。時は、ベトナム戦争の末期。戦争から帰ってきた青年たちがこの戦争の真相を語ってくれました。

モハメッド・アリーは、彼が軍に徴集されたとき、宗教的な良心にもとづいて、徴集を拒否したのです。これは、私のモハメッドに対する見方を変えるものでした。

彼は、世界チャンピオンです。軍隊に入っても優遇されて、実際には戦場には行かなくて済む可能性が強かったのに、あえて、徴兵を拒否して、タイトルを失い、ボクシングをする事ができなくなりました。彼は、すべてを失っても彼の信仰を守ったのです。

ちなみに、イスラム教は、平和の宗教です。多分、この世の中の2人にひとりは、このことを知らないと思います。イスラム教とユダヤ教は、アブラハムの子供(イシュマイルとイサク)から生まれた民族の宗教です。

同じ神さまを信じ、同じ十戒を守っているのです。それもイスラム民族の方がもっと厳格に守っているのです。

例えば、イスラム教では、4人まで妻をもっていいというので、“いいな”と言う人がいるのですが、その背景は、彼らが「汝、殺すなかれ」という戒律を厳格に守っていたので、他国に侵略されても抵抗せず、多くの男子が殺害されたということがあるのです。

その結果、男子が極端に少なくなったので、生活の糧を得る手段をうしなった女性があふれました。この4人までというのは女性の救済策だったというのです。と同時に、攻められて逃げ回るだけではダメだ、戦えと言ったのです。

これがジハード(聖戦)です。最初、defensive(防衛的)なものが、次第にoffensive(攻撃的)にもなりますが、その基本は、“平和”なのです。

モハメッド・アリーは、その基本を守り通しました。彼が世界チャンピオンになった時、“俺が、世界チャンピオンだ!”と叫びました。

それは、アメリカで抑圧されている同胞に“希望”を与えるためでした。誰でも、黒人でも世界チャンピオンになれる。誰とでも対等に生活できるのだ、と叫んだのです。でも、反戦のために立ち上がった時は、静かでした。そして、人々は彼の声を聴いたのです。小さな犬はいつも吠えますが、大きな犬はめったに吠えません。

<イスラム教・ユダヤ教・キリスト教>

ビリー・クリスタルは、モハメッドとの42年間の友情を語りました。そこには、イスラム教徒とユダヤ教徒の確執を見つけることができません。お互いに何か必要なことがあったら、いつでも駆けつける関係だったのです。これが本当の友情です。

私は、聖書を読みながら、よくイスラム教・ユダヤ教・キリスト教について考えるのですが、もし私が10年若ければ、同じ唯一の神を信じるイスラム教、ユダヤ教、キリスト教の垣根を取り除く論文を(10巻ぐらい)書いただろうと思います。

それは、イスラム教+ユダヤ教=キリスト教という公式です。そんなものは、誰も読んでくれないかも知れませんが、神の人、アブラハムから生まれた、長男(イシマエル)と次男(イサク)です。共に神さまから大いなる民族が生まれると預言された兄弟です。それなのに、いつまでもいがみ合っている。

「 以上は、アブラハムの一生の年で、百七十五年であった。アブラハムは平安な老年を迎え、長寿を全うして息絶えて死に、自分の民に加えられた。彼の子らイサクとイシュマエルは、彼をマクペラのほら穴に葬った。・・・」(創世記25章7~9節)

イシマエルとイサクは、共に父アブラハムを葬った兄弟です。父の信仰を受け継いだ兄弟です。

ビリー・クリスタルとモハメッド・アリーの友情は、お互いに尊敬しあう友情です。ユダヤ教徒とイスラム教徒が両手を広げて抱き合う、そういう“愛”を神さまは祝福してくださるのです。

<for the one and only God(唯一の真の神のために)>

「イスラム教+ユダヤ教=キリスト教」とは、イエスキリストは、イスラム教徒のためにも、ユダヤ教徒のためにも死なれたということです。

この死は、すべての人の悲しみ・喜びを包み込むものです。そこには、イスラム教もユダヤ教もキリスト教もありません。同じ愛の神さまの下で生きる兄弟姉妹なのです。

イエスキリストの死は、私たちがまだ罪びとであった時に神さまにささげられた全焼の生贄(いけにえ)でした。その時、人は神さまと和解をしたのです(ロマ書5章8~10節)。それが贖いです。そして、その時、私たちは、神の民となりました。

イエスキリストのこの究極的な贖いによって、唯一の真の神さまを礼拝する者は、皆(胸をはって)今日を生きることが出きるのです。

「そこで、ペトロは口を開きこう言った。『神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。どんな国の人でも、神を畏れて正しいことを行う人は、神に受け入れられるのです。』」(新共同訳、使徒言行録 10章 34, 35節)  

ロバート・イー


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ
↑↑ キリスト教ブログランキングに参加しています。
よろしければ応援クリックをお願いします。


▶︎ 主を思う・・

Posted by SANBI.us