おはよう!

私が死んだとします。マウントホープセメタリーに埋葬されます。埋葬三日後、朝早く、墓参りに来た妻が涙を拭きながら、墓を後にします。

その時、復活した私が妻の前に現れ、開口一番、言います。「おはよう!」。

今、これを聞いている皆さん、皆さんの心はこの「おはよう」という挨拶にどう反応しましたか?わたしは思いました。普通、この状況で「おはよう」と言うかい?

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おはよう!
2020年4月9日

ある休日の我が家の朝の光景です。私は子供達よりも早く起きて、リビングにいます。子供が一人、また一人と目をこすりながら起きてきます。自ずと私の口から「おはよう」という言葉が出ます。彼らもその言葉に反応するかのように目をこすりながら「おはよう」と言います。

今日はイースターの朝です。今日、私は皆さんに「おはよう」という挨拶をします。なぜなら・・・。

マタイ28章1節―10節を新改訳聖書で拝読します。

1さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。 2すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。 3その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。 4番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。 5すると、御使いは女たちに言った。「恐れてはいけません。あなたがたが十字架につけられたイエスを捜しているのを、私は知っています。 6ここにはおられません。前から言っておられたように、よみがえられたからです。来て、納めてあった場所を見てごらんなさい。 7ですから急いで行って、お弟子たちにこのことを知らせなさい。イエスが死人の中からよみがえられたこと、そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれ、あなたがたは、そこで、お会いできるということです。では、これだけはお伝えしました。」 8そこで、彼女たちは、恐ろしくはあったが大喜びで、急いで墓を離れ、弟子たちに知らせに走って行った。 9すると、イエスが彼女たちに出会って、「おはよう」と言われた。彼女たちは近寄って御足を抱いてイエスを拝んだ。 10すると、イエスは言われた。「恐れてはいけません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです」(新改訳聖書:マタイ28章1節―10節)

私達が何度も聞いたことのある聖書箇所です。かつて七つの悪霊にとりつかれていたマグダラのマリアと他のマリアとがイエスの納められていた墓に行ってみますと、石が転がされ、そこに御使いがいて、イエスが復活されたことが告げられたというのです。

驚いた彼女たちは弟子たちにそのことを伝えるべく走り出すと、その当人のイエス・キリストに出会ったというのです。

その時にイエス様はマグダラのマリアに開口一番、何と言われたと思いますか。「その時」とはマリアがイエス様が十字架刑にされ、血まみれになって殺され、葬られてから三日後の時です。

イエス・キリストは「おはよう」と言われた・・・。

私が死んだとします。マウントホープセメタリーに埋葬されます。埋葬三日後、朝早く、墓参りに来た妻が涙を拭きながら、墓を後にします。その時、復活した私が妻の前に現れ、開口一番、言います。「おはよう!」。

今、これを聞いている皆さん、皆さんの心はこの「おはよう」という挨拶にどう反応しましたか?わたしは思いました。普通、この状況で「おはよう」と言うかい?

現代、生活や労働環境が変わりましたから、夜と昼が逆さまになって暮らしている方も大勢いると思います。しかし、大抵の場合、「おはよう」の前に私達は「一夜の睡眠」をとっています。

睡眠から目覚めて、すなわち起き上がって、誰かと会う時に私達は言います「オハヨウ、グッドモーニング、アンニョン、ブエノスディアス」と。

そう、「おはよう!」というのは大抵、しばしの夜の時間の睡眠の後に私達の口から出る言葉です。そうです、眠って起きた後の言葉なのです。

ということは、イエス様が槍で最後のひと突きをされた後のことを私達は「イエス様は死なれた」というのですが、イエス様の側からいえば、それは「イエス様が眠りにつかれた」ということになるのです。

このことをうかがい知ることができる出来事が生前のイエス様の身の回りにありました。

皆さんは会堂司の家の娘のことを聞いたことがありますでしょう。その娘が死にかかっており、彼はイエスのもとに「こちらに来て助けてやってください」と願いします。しかし、イエスがその家に着く前に一報がきます。「娘はなくなりました。もはや先生を煩わすには及びません」(マルコ5章35節―43節)

しかし、イエス様はそれでも会堂司の家に向かいます。そこでは人々が大声で泣いたり、叫んだり、騒いだりしています。その彼らに向かイエス様は言います「なぜ泣き騒いでいるのか。子供は死んだのではない。眠っているだけである」(39節)。

そして、彼女に言います。「少女よ、さぁ、起きなさい」(41節)。その言葉を受けて彼女はすぐに起き上がり、人々は非常に驚いたというのです。

ラザロの時のことを覚えていらっしゃいますか(ヨハネ11章11節―19節)。イエス様と親しくしておりましたマルタ、マリア、そしてラザロの兄弟姉妹。そのラザロが死んでしまった。その知らせを聞いた時にイエス様は「私達の友、ラザロが眠っている。彼を起こしに行く」(11節)と言いました。

以来、このイエスの死の受け止め方を彼らの弟子達も引き継ぎました。そう、彼らも死に対してイエスと同じ見方をしたのです。

使徒ステパノは石打ちに会い、命を絶たれました。彼は石に打たれながら、こう叫びました。「主よ、どうぞ、この罪を彼らに負わせないでください」。そして、彼は「眠りについた」とルカは使徒行伝は記しています(使徒行伝7章60節)

パウロはテサロニケ第一の手紙(4章13節―15節)の中で何度も眠っている人々について語っています。言うまでもなく彼が言っている「眠っている人々」とは「既に死んだ者達」を意味しているのです。

彼らは神の目には眠っているだけなのです。そう、彼らはよみがえるからです(Ⅰテサロニケ4章16節―18節)。再び、起き上がるからです。パウロは言いました。「だから、あなたがたは、これらの言葉をもって互いに慰め合いなさい」

パウロは再度、言います。3わたしが最も大事なこととしてあなたがたに伝えたのは、わたし自身も受けたことであった。すなわちキリストが、聖書に書いてあるとおり、わたしたちの罪のために死んだこと、4そして葬られたこと、聖書に書いてあるとおり、三日目によみがえったこと、5ケパに現れ、次に、十二人に現れたことである。6そののち、五百人以上の兄弟たちに、同時に現れた。その中にはすでに眠った者たちもいるが、大多数はいまなお生存している』(1コリント15章3節―5節)

私達はコロナを恐れています。なぜ人々は今、サニタイザーやマスクに殺到しているのですか?言うまでもない、それらがないとコロナウイルスに感染してしまうかもしれない、もしかしたら「死」と向き合うかもしれないと恐れるからです。人の恐れは突き詰めていくと死にいきつくのです。

このサプリメントはいい、この栄養剤は疲れを癒してくれる、この入浴剤は体を温め、血行を促進し、この靴は足の疲れを減らし、このサングラスは紫外線をカットする、この食べ物は、鉄分を含んでいて貧血によく、この音楽は胎内の子供の成長を促すらしい。

私達の関心はいつも肉体に向けられます。日本のテレビ番組の多くは「健康番組」であり「料理番組」なのです。なぜ?言うまでもなく、私達はいつまでも健康でありたいからです。

別の言い方をすれば、一日でも長く元気に日々を過ごしたいからです。さらに踏み込んで言えば、一日でも長く「死」というものから距離を置いていたいからです。

主にある兄弟姉妹、イエス・キリストが死んでよみがえって最初に言われた言葉が「おはよう」であったということを今朝、心に刻みましょう。

私達もやがていつかは死にます。最後の息をして、私達の肉体機能は止まります。それは私達が眠りに着いた瞬間で、次の瞬間、私達は目が覚めるのです。

それはまさしく私達が互いに「おはよう」と言い合う朝の挨拶のようなものであり、その時に私達は確かに神の国におり、万軍の主のご愛に完璧に包まれた場所にいるのです。

私は昨年12月、母の枕元に居ました。彼女の唇を見つめていました。その唇だけが彼女の体の中で動く器官だったからです。その時に神聖な畏怖の思いを持ちました。その場所はもはや息子さえも立ち入ることもできない神と母の厳粛な時でした。

私はその時のことを「母の死を看取った」と言ってきました。しかし、これからは、その言い方を改めようと思います。その時、私は「母が眠りにつくのを見守った」と。

彼女は神の前に眠りについたのです。主にある兄弟姉妹、死をこのように呼ぶことができる。それがイースターの恵みです。

コロナで多くの方達が亡くなっている。どこかで私達は他人ごとのようにしているが、実際は紙一重なのかもしれません。しかし、もし、このコロナをパスすることができても、やがていつか私達は死にます。しかし、それは死ぬのではない。私達は眠りにつくのです。そして、神の力強い御手により、我々は再び目を覚まし、起き上がるのです。

ニュースを見れば、コロナに関するあらゆる情報を私達は知ることができます。しかし、一つだけどこを見ても知りえないことがある。それが今日、お話ししたことです。主にある皆さん、このような希望が私達に与えられていることを、しかと心に受け止めて、毎日を一歩一歩、歩んでいこうではありませんか。お祈りしましょう。

 

本日のおもちかえり
2020年4月12日

1)私達が「おはよう!」と朝のあいさつをする時、そこにはどんな意味があり、どんな気持ちが込められていますか。

 

2)マタイ28章1節―10節を読みましょう(9節を新改訳聖書は「すると、イエスが彼女たちに出会って「おはよう」と言われた」と記しています)。この時、イエス様はどんな状況で「おはよう」と言っていますか。このことになぜ私達は驚きますか?

 

3)マルコ5章35節―43節、ヨハネ11章5節―14節、使徒行伝7章60節、テサロニケ第一の手紙4章13節―18節、コリント第一の手紙15章3節―6節から分かることは何ですか。

 

4)「死ぬ」ということをイエス様が「眠る」と言われ、それゆえに「死んだ者」を「起こす」と言っていることに、あなたは何を思いますか。

 

5)私達の恐れを突き詰めていくと「死」に行きつくと言われます。なぜですか?

 

6)私達は誰しも死ぬ日がきます。これは100パーセント、確かなことです。しかし、それは眠ることなのだ、それゆえに私達は再び起きるのだということを知る時に私達の生き方はどう変わりますか。

 

7)私達はコロナウイルスとの戦いのただ中で今年のイースターを迎えました。あなたは今、どんな主のメッセージを受け止めていますか。


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