こうして教会は(16):礼拝者の心にあるべきこと

アメリカと日本では事情が異なりますが、一般的に日本ではお葬式に列席する時には喪服という黒い服を着ます。そして、その時には一同、故人の死に対する悲しみと遺族に対する同情を言動によってあらわします。

その言動を通して、私達の心をあらわすのです。それを見た遺族は「この方々は私の家族の死を悼み、私達に寄り添っていてくれるのだな」と思うのです。そこには確かに彼らの心が目に見えるかたちとしてあるのです。

反対にもし、そのような時に場に合わないような装いや言動がありますと、それもまたその人の心のあらわれとして私達は受け止められるのです・・・。

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こうして教会は(16):礼拝者の心にあるべきこと
2019年10月20日

私達は「こうして教会は」というシリーズのもと、2000年前にこの地上に最初に生まれた教会の姿から、今日、あるべきサンディエゴ日本人教会に思いを寄せています。この初代教会の姿について記録している使徒行伝には当時のキリスト者のこんな日常が記されています。

46そして日々心を一つにして、絶えず宮もうでをなし、家ではパンをさき、よろこびと、まごころとをもって、食事を共にし、47神をさんびし、すべての人に好意を持たれていた。そして主は、救われる者を日々仲間に加えて下さったのである。(使徒行伝2章46節)

ここに「絶えず宮もうでをなし」という言葉があります。彼らは止むことなく宮にやってきました。これを現代にあてはめていえば、止むことなく教会に来続けるということになりましょう。そして私達が教会に来る、その中心には今、私達が捧げている日曜ごとの「礼拝」があるのです。

新約聖書の原語であるギリシア語によれば「礼拝」には「プロスキュネオー」という言葉が使われています。この単語を形成するプロスとは「-の方に向かって」という意味で、キュネオーは「キスする」という意味です。

すなわち礼拝とは「神様に口づけする」という意味なのです。使徒行伝の時代「口づけする」とは相手に対する最高の敬意を表すことを意味し、その中には「ひれ伏する」とか「拝む」という意味も含まれています。

すなわち私達は今「神様に口づけするほどの敬意を神に示し、またひれ伏して神を拝む」ためにこの礼拝に来ていると言えます。

マルコによる福音書12章28節―34節には律法学者がイエス様にたずねた質問が記録されています。

律法学者がたずねます。「すべての戒めの中でどれが第一のものですか」(28)それに対して「第一の戒めはこれである。イスラエルよ、聞け、主なる私たちの神は、ただひとりの主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、主なるあなたの神を愛せよ」(29,30)とイエス様は答えました。

律法学者はイエス様の言葉を受けてこう言いました「先生、仰せの通りです。神は一人であって、その他に神はないと言われたのは本当です。また、心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また自分を愛するように隣人を愛するということは、すべてのはん祭や犠牲よりも、はるかに大事なことです」(32,33)。

 イエス様は彼が適切な答えをしたのを聞き、言われました「あなたは神の国から遠くはない」(34)。

イエス様は私達にとって最も大切な第一の戒めは「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、主なるあなたの神を愛することなのだ」と言いました。

ここから私達は神様が私達に求められている礼拝の姿を知ることができます。そうです、神様に口づけするほどに、私たちの敬意を神に示し、またひれ伏して神を拝むという私達の礼拝は、すなわち心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、主なる私達の神を愛することなのです。

今日は、これらを踏まえて三つのことをお話したいと思います。まず最初に「心を尽くして捧げる礼拝」ということをお話ししましょう。

心を尽くして捧げる礼拝

心を尽くすということはどういうことなのでしょうか。そもそも心はどこにあるのでしょうか。手や足なら見ることができ、触れることができるのですが、私達は心を見て、手にとることはできません。

しかし、私達は「これが私の心です」という言葉を使うことがあります。言うま

でもなく、それは手や足のように「心」というものを指し出しているということではなくて、心は目には見えませんが、その心のあらわれとして今、それを私の言動としてあらわしていますということです。心が私達の前に見えるかたちとなっているということです。

アメリカと日本では事情が異なりますが、一般的に日本ではお葬式に列席する時には喪服という黒い服を着ます。そして、その時には一同、故人の死に対する悲しみと遺族に対する同情を言動によってあらわします。

その言動を通して、私達の心をあらわすのです。それを見た遺族は「この方々は私の家族の死を悼み、私達に寄り添っていてくれるのだな」と思うのです。そこには確かに彼らの心が目に見えるかたちとしてあるのです。

反対にもし、そのような時に場に合わないような装いや言動がありますと、それもまたその人の心のあらわれとして私達は受け止められるのです。

イエス様は言われました。心を尽くして神を愛しなさい。心を尽くすとは、自分の真心を込めて、それを注ぎ込むようにして神を愛しなさいということです。この言葉は英語ではLove Him with all your heartと書かれています。

すなわち、文字通り受け取るなら、私たちの心すべてをもって神を愛するということです。私たちは、そのように“心を尽くして”神様に礼拝を捧げることが望まれています。このことが分かってくると私たちの礼拝に対する姿勢が変ってきます。

来年は東京オリンピックがあります。その時にメダルを目指している選手は、先のオリンピックが終わってからの四年間、自分の競技がなされる日と時間に焦点を合わせて四年間を備えます。その日、その時に最善のコンディションでいて、最高のパフォーマンスができるように四年間を備えの時とします。

牧師ですから当然と言えば、当然なのですが、私の一週間は日曜日を中心として動いています。この日曜日の朝九時に自分の心身が最もよい状態でいられることを常に念頭に置いて一週間を過ごします。

これから冬になり、もし人込みの中に行かなければならないのなら、風邪がうつらないように、声がちゃんと出るように最善の対応をしようとします。それでも時に最善とはいえない体調で講壇に立たなければならない時がありますが・・・。

私はかつて土曜日の晩は特に早めに床につくようにしているという方に会ったことがあります。聞くところによると、その人は、もし自分が土曜の晩、夜ふかしして、寝不足と疲れた体で礼拝に出るならば、自分の意識は神に向かうことなく、自分の最高の状態をその礼拝で捧げることができないということを考慮しているというのです。

その人にとりまして礼拝の備えは土曜日の晩から始まっていました。そうすることがその人なりの礼拝に対して「心を尽くす」という姿勢のあらわれなのだなと深く教えられました。

皆が右にならえと同じようになる必要はないと思います。しかし、私達は今一度、私達にとって心を尽くして礼拝を捧げるということはどういうことなのかということを考える者でありたいと思います。

それは律法的になることではありません。律法的になって誰かを裁くことではありません。そのような思いで礼拝に出ているのなら、それは本末転倒となりますでしょう。私達は自由な霊と共に私達の心を尽くして神を愛しましょう。神を愛し、敬意をあらわしましょう。

二つ目のこと、それは知恵を尽くして捧げる礼拝ということです。

「知恵を尽くして捧げる礼拝」

 このマルコによる福音書を見ます時に、イエス様の「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、主なるあなたの神を愛せよ」という言葉を受けて律法学者は「心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し・・・」(33)と答えています。

すなわち、彼は「精神を尽くし、思いを尽くし」という言葉を「知恵を尽くし」という言葉にまとめたのです。そして、イエスはそれを良しとされました。

世界を見渡せば「教会の礼拝」にも色々な特徴があることが分かります。今、この時、サンディエゴだけでも多くの礼拝が各地で捧げられていることでしょう。そして、それぞれの礼拝にはその礼拝の数だけ特徴があることでしょう。時にそのような礼拝に出席することにより教えられることが多々あります。

しかし、礼拝はなんでもかんでも人が集まって、好きなことをすればいいという場所ではありません。イエス様は「知恵を尽くして神を愛しなさい」と言われました。

時々、「霊的:Spiritual」であるということは知恵・知識を極力排除して、聖霊に導かれるまま自由に振る舞うことと思われてしまうことがあります。しかし、それは違います。

以前にも紹介したことがありますが、リー・ストロベルという人が「ナザレのイエスは神の子か」という本を書いています。この方はイェール大学で法律を学んだ方で、長い間、シカゴ・トリビューン紙の記者として司法関係を専門として精力的かつ綿密な取材、調査をしたジャーナリストです。

彼は長い間、キリスト教に対して懐疑的な思いをもっており、先にクリスチャンになった妻を救わなければならないという使命から、キリスト教信仰を一つ一つ、ジャーナリストとしての視点をもって、すなわち客観的な知性をもって検証していきます。

そのような中、書かれた「イエスは神の子か」は、知性によってもイエスは神の子であるという考えに近づくことができるということを明らかにしています。

もちろん私達が向き合っているお方は全知全能であり、全てのことに超越したお方です。ですから、最後に神と私達の間にかける橋は「信仰という橋」以外にないのです。しかし、そこにいたるまで私達は神様が私達に与えてくださっている知性をもっても神に近づくことができるのです。

私は日々、確信します。この世界の複雑な情勢、私の身の回りで見聞きする諸々のこと、これらのことに対して聖書が私達に告げているメッセージは本当に理にかなっていると。この聖書の言葉に生きることこそが、さいわいな生涯を送ることなのだなと私は自分の知性で理解できます、jj納得できます。

パウロという人はコリント人への第一の手紙14章全体にわたって、もし、まだ信仰が確立していない方達が礼拝にやってきた時に、彼らの理解できない言葉で私達が騒ぎ立てるならば(この場合、パウロは異言のことを言っています)、その人達は私たちの気が変になっていると思うであろうと言っています。

そして、その人達はキリスト教に対して警戒することでしょう。彼らがそこで見聞きしていることは全く理解のできないことだからです。

彼はこの箇所において私たちの礼拝が信仰を持っていない人達に対しても理解できるものであるべきだということを強調して、こう言っています「わたしは霊で祈ると共に、知性でも祈ろう。霊で賛美を歌うと共に知性でも歌おう」(15)。

またパウロはこのコリント第一の手紙14章の最後にこう言いました「すべてのことを適宜に、かつ秩序正しく行うがよい」(40)。キリスト教信仰の土台は何にあるかというと、聖書にあります。聖書とはすなわち言葉です。言葉には文節があり、文節は秩序があって初めて相手に伝わるものです。まさしく言葉イコール、秩序なのです。

私達の礼拝の中心は聖書の御言葉にあります。この聖書の言葉に触れることもなく、ただ私達の感情が高揚するだけでの礼拝であるのなら、私達は知性をもって神を愛してはいません。

私たちは心から、神様が与えて下さった知性によっても礼拝を主に捧げようではありませんか。三つ目の事、それは「力を尽くして捧げる礼拝」です。

力を尽くして捧げる礼拝

力を尽くして神を愛しなさい」とイエス様が命じられた「この力を尽くす」と言う言葉にはどんな意味が込められているのでしょうか。

先に「心を尽くす」ということについて、私達の心は私達の言動を通してあらわされるとお話ししました。私達の小さな所作、一言が私達の心をあらわすのです。そこに私達の真心をこめるのです。

しかし、ここで言われていることは「力を尽くす」ということです。私達の真心をもって、そこに私達の最善なる力を尽くすのです。

人間関係の中に、このことをうかがい知ることができます。誰かを愛していると言いながら、その人のために何もせず、ただ「あなたを愛している」と言ってもそこには力もありません。

その人を愛しているのなら、私達はそのために何かをしようとするでしょう。私達の愛しいる人が風邪をひいて寝込んでいるのに「あなたを愛しているよ」と別室で言い続けませんでしょう。

その人が回復するために食べやすい料理をつくったり、薬を買うために出かけ、夜中であってもイマージェンシーに共に行くでしょう。病気で戦っている者の傍らで私達も力を尽くすでしょう。

私達の礼拝に私達は心をこめます。そして、さらにそこに私達の力を尽くすのです。牧師であるのなら、特に御言葉に関することに心を込め、またそこにできる限り、牧師が成し得る力を注ぐべきです。賛美や奏楽において、司会者においても、そうでありましょう。礼拝前の清掃においてもそうでありましょう。

礼拝に出席するということにも、私達の力を注がなければならない状況というものもありますでしょう。神を第一とすることには色々な葛藤があったり、チャレンジがあるでしょう。私達はそこに最善なる力を注ぐべきでありましょう。私たちの持ちうるあらゆる力を総動員して、私たちは神を愛するのです。

初代の教会で人々は絶えず宮もうでをしていました。これが彼らの日々の力の源でした。神の前に出、そこで自らを省み、主の力添えをいただき、また宮から、それぞれの生活に戻ります。彼らはそれを繰り返したのです。

私達も絶えず主を礼拝する者です。一回、一回の礼拝に私達の心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして、私達の礼拝は毎週、神様の前に捧げられます。

主と共に始める一週間、その主と共に歩み、そしてまためぐってくる日曜日、心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして私達は主を礼拝するのです。

このパターンを生活の中に不動のものとして、最優先なこととして確立している人はさいわいです。このパターンに私達の心身を委ねることにより、私達の生活は整えられ、ひいては私達の祝福はそのところから始まるからです。

 『まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えて与えられるであろう』(マタイ6章33節)。一度、この言葉は本当だと知った者は、この生き方から離れることはないでしょう。

お祈りしましょう。

Then the Church (16): The Heart of a True Worshiper
October 20, 2019

In the current message series titled “Then the Church”, we have been looking at the early church that began 2000 years ago and how we could follow their example here at SDJCC. In the book of Acts we find the following description of how the early Christians lived at that time:

“Every day they continued to meet together in the temple courts. They broke bread in their homes and ate together with glad and sincere hearts” (Acts 2:46).

Here it says “every day they continued to meet together in the temple courts”. They went to the temple every day, which is the equivalent to what coming to church is today. And the central purpose of coming to church every Sunday is to do what we are doing right now, to worship God.

In the original Greek New Testament, the word that is used for worship is “proskuneo”. The verb is made up of the prefix “pros” which means toward one direction, and the word “kuneo” which means to kiss.

So the word worship literally means to give a kiss to God. In those days, a kiss was an expression of utmost respect. The word also means to prostrate oneself in reverence.

So it could be said that we are here to give a kiss of reverence and to bow before God, to express our utmost reverence to Him through this worship service.

In Mark 12:28-34, we find the following conversation between a teacher of the law and Jesus.

The man asked Jesus, “Of all the commandments, which is the most important?” Jesus replied “The most important one…is this: ‘Hear, O Israel: The Lord our God, the Lord is one. Love the Lord your God with all your heart and with all your soul and with all your mind and with all your strength”. The man replied “Well said, teacher…You are right in saying that God is one and there is no other but him. To love him with all your heart, with all your understanding and with all your strength, and to love your neighbor as yourself is more important than all burnt offerings and sacrifices”. When Jesus saw that the man had answered wisely, he said to him, “You are not far from the kingdom of God”.

Jesus said that the most important commandment is to “Love the Lord your God with all your heart and with all your soul and with all your mind and with all your strength”.

This passage shows us the kind of worship that God truly desires. The way we are to express our utmost reverence toward God is by loving Him with all our heart, soul, mind, and strength.

From this passage, I would like to talk about three important aspects of worshiping God. The first is to worship God with all of our heart.

Worship with all of our heart

What does it mean to love God with all of our heart? What exactly is our heart? Our hands and feet are visible and could be touched, but we cannot see or touch our heart.

But we would say things like “I put my heart into this” to describe something that is important to us. Needless to say we’re not talking about our physical heart, but the phrase is used when we express our heart through our words and actions. In this way our heart is expressed in a way that is visible and tangible.

In Japan, people usually wear black to a funeral. Through their attire and by their words and actions, the attendants express their grief and sympathy towards the bereaved family.

Through their words and actions, they express their hearts. By this the bereaved family knows that others are grieving with them and are there to comfort them. People express their hearts in a way that could be seen and felt.

If on the other hand someone were to wear something inappropriate to the funeral or their words and actions were disrespectful, that too could be seen as an expression of that person’s heart.

Jesus said, we must love God with all our heart. Loving God with all your heart means to love Him wholeheartedly and with sincerity. The English translation reads, “Love Him with all your heart”.

This means that our heart must be fully committed to loving God. It is God’s desire that we worship Him with all our heart. And understanding this will affect our attitude toward worship.

Next year the Olympics will be held in Tokyo. Every athlete who is aiming for a medal has been training during the 4 years after the last Olympics. They train themselves so that they could perform in their best condition on the day and hour of their competition.

In a similar way, because I am a pastor, my week revolves around Sunday morning. I try to be mindful throughout the week so that I’m both physically and spiritually at my best at 9am on Sunday.

In the winter, if I have to go somewhere crowded, I will do everything I could to protect myself from catching a cold so that I won’t lose my voice. Still there are times when I would have to deliver a message when I’m not feeling my best.

One time someone told me that they always try to go to bed early on Saturday. The reason for this was that if they were to stay up too late on Saturday night and came to worship sleep-deprived and fatigued, they wouldn’t be able to focus their full attention on God or give Him the best worship they could give Him.

This person began preparing for the worship service on Saturday night. This person’s attitude toward worship taught me what it means to love and worship God with all your heart.

I’m not saying we should all do the same thing. But I would like all of us to reflect on what it means to truly worship God will all of our heart.

We must be careful not to become self-righteous. We are not to judge others for failing to do the same. We would be totally missing the point if we were to come to worship with that kind of self-righteous attitude. With the freedom we are given we should love God wholeheartedly. Let us love God and give Him reverence.

The second important point is to worship God with all our understanding.

Worship with all our understanding

In the passage we read from Mark, when Jesus said “Love the Lord your God with all your heart and with all your soul and with all your mind and with all your strength”, the teacher of the law rephrased these words and said “with all your heart, with all your understanding and with all your strength”.

He summarized the words “all your soul and all your mind” by saying “all your understanding”. And Jesus approved of this.

When we look at all the worship services being held around the world, we notice that each one has its own characteristic. In San Diego alone there are many worship services being held this morning, and each one is unique. Sometimes by attending these different services we are taught many things.

But a worship service is not just a gathering where people do whatever they feel like. Jesus said we must love God with “all your understanding”.

Sometimes, people misunderstand being spiritual as abandoning our intellect and acting impulsively while claiming to be led by the Holy Spirit. But this is far from the truth.

In previous messages I’ve mentioned about the book The Case for Christ written by author Lee Strobel. He studied law at Yale and was a long time legal editor of The Chicago Tribune, and as a journalist he backed his articles with extensive and meticulous research.

For a long time he has been suspicious of Christianity, so when his wife became a Christian, he felt the need to rescue her, and as an investigative journalist, he began to objectively examine the claims of Christianity.

His investigation led him to write the book “The Case for Christ”, which proved that Jesus’ claims about Himself are intellectually verifiable.

It is true that we worship an almighty God and His greatness surpasses our understanding. So the last step to having a personal relationship with God is to put our faith in Him. But we can also know God and come closer to Him through our intellect.

Each day I am convinced that the message of the Bible regarding the current state of the world and the things we experience day to day is practical and logical. Through our intellect we can verify that the best way to live our lives is to live by the Word of God.

In the 14th chapter of First Corinthians, Paul says that if we were to speak in tongues and utter unintelligible words in our worship service and nonbelievers came to the service, they would think we are out of our mind.

They would feel apprehensive toward Christianity, because what they would see and hear will be incomprehensible to them.

Paul emphasized that our worship services must also make sense to those who are not yet believers and wrote “I will pray with my spirit, but I will also pray with my understanding; I will sing with my spirit, but I will also sing with my understanding” (1 Cor. 14:15).

At the end of the chapter he also tells us that “everything should be done in a fitting and orderly way”. The foundation of the Christian faith is the Bible. And the Bible is the Word of God. Every word that is written or spoken must be in a certain order for it to make sense to the other person. God’s word is the perfect embodiment of order.

The Word of God is at the center of our worship service. If we were to have a worship service where the Word of God is not taught but instead we are merely seeking an emotionally uplifting experience, then we are not worshipping God with all our understanding.

So let us worship God not only with our heart but also with the intellect He has given us.

The third and final point of today’s message is to worship God with all our strength.

Worship with all our strength

What did Jesus mean when He commanded us to love God “with all your strength”?

Earlier we saw that to love with all our heart is to express our hearts through our words and actions. We show our heart through our small gestures and the way we speak.

But what does it mean to love God with all our strength? It is to do everything within our strength to show our love for God.

If someone says to another “I love you”, but doesn’t do anything to show their love for that person, there is no strength in their words.

If we truly love someone, we will put our love into action. If someone we love was sick in bed, we don’t just call out to them from the other room and tell them “I love you”.

To help them recover we would cook them a meal that’s easy to eat, go to the pharmacy to buy medicine, or take them to the emergency room even if its midnight. We will do everything within our strength to take care of the sick person.

We must put our heart into our worship services. And we must also worship with all our strength. A pastor must especially focus on studying and teaching the Word of God with all his strength. In the same way the praise team and the worship MC’s must put all their strength into what they do. It is the same for those who cleanup in and around the church building every week before the service.

Sometimes the act of attending a worship service itself will require all our strength. When we try to put God first in our lives, we will face many challenges and obstacles. And we must use all our strength to put God first. We must love God with everything we got.

In the early church, the believers kept meeting together in the temple courts. This was the source of their strength. They reflected on themselves before God, received strength from the Lord, and returned back to where they lived. They faithfully repeated this pattern.

We too must continue to worship the Lord without ceasing. Every Sunday, we are here to worship God with all our heart, all our understanding, and all our strength.

We begin each week before the Lord, walk with Him each day of the week, and when Sunday comes, we worship Him with all our heart, understanding, and strength.

Blessed is the person who lives according to this pattern and have made worshiping God their number one priority in life. When we conform to this pattern physically and spiritually, our life will be renewed day by day and we will reap many blessings as a result.

“Seek first his kingdom and his righteousness, and all these things will be given to you as well” (Matthew 6:33). Once we know that this promise is true, we can never go back to living any other way.

Let us pray.

Translated by Keita Machida

本日のおもちかえり
2019年10月20日

1)使徒行伝2章46節を読みましょう。ここには「絶えず宮もうでをなし」と書かれています。このことを今日の教会にあてはめるとどういうことでしょうか。

 

2)新約聖書の原語であるギリシア語によれば「礼拝」には「プロスキュネオー」という言葉が使われており、その意味は「神様に口づけするほどの敬意を神に示し、またひれ伏して神を拝む」ということになります。ここから私達の礼拝に対する姿勢はどうあるべきかというメッセージを受け取りますか。

 

3)マルコによる福音書12章28節―34節を読みましょう。ここでイエス様は最も大切な第一の戒めは何だといっていますか。これらのことはどのようにしたら具体的に私達の生活に反映できますか。

 

4)あなたはどのようにしたら「心を尽くした礼拝」を神様に捧げることができますか。

 

5)「知性を尽くした礼拝」とはどのようなものでしょうか。Ⅰコリント14章15節、40節を読みましょう。知性で祈る、知性で歌うということはどういうことですか。なぜ礼拝の中に「秩序」が必要なのですか。

 

6)あなたはどのようにしたら「力を尽くした礼拝」を神様に捧げることができますか。

 

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