こうして教会は(2):今、私達に何よりも必要なこと

20年前、私達夫婦に最初の子供が生まれる前に、私は日本の母に電話をして「出産」に関する本を送ってもらいました。一週間後に数冊の本を受け取って、事前の知識を得ました。そう、それは出産に対する本、数冊分の情報です。しかし、今はどうでしょうか。日本からこのような出産本を送ってもらう人はもはやいないのではないでしょうか。なぜ?インターネットがあるからです。

「出産」という言葉をグーグルで検索しましたら6億4700万件の関連記事が一秒で出てきました。「結婚」という言葉を検索しましたら16億6000万件、「子育て」に関しては2億5700万件、「うつ病」に関しては5980万件でてきました。これは日本語での検索です。他の言語を加えましたら膨大な数となることでしょう。

私達はこの中から何を選べばいいのでしょうか。この中には「怪しいもの」も多く含まれることでしょう。「本物」はどこにあるのでしょうか。

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こうして教会は(2):今、私達に何よりも必要なこと
2019年6月23日

私達は「地境を動かさず、幕を張り広げ、綱を長く!」という標語を掲げて新しい一年を歩み始めています。そして、先週からこの標語を掘り下げるために聖書、使徒行伝から「こうして教会は」というシリーズが始まりました。

この「こうして教会は」という言葉は使徒行伝9章31節のこうして教会はユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方にわたって平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増ていったからきています。

ここに記されている「こうして」という言葉は「出来事の経過」と「その出来事が起きた理由」を説明する接続詞です。すなわち、この9章の前になぜ教会が平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊に励まされ、信徒の数が次第に増えていったのか、その「経過」と「理由」が書かれています。

そして、その第一の理由として「聖霊のはたらき」があったということを先週、お話ししました。弟子たちが死んでよみがってイエスに出会うという圧倒的な経験をしながらも、イエス様は彼らの興奮と情熱に宣教を託したのではなくて、聖霊が彼らの上にのぞみ、力を得ることを待つようにと何度も言われたとお話ししました。

私達が掲げています「地境を動かさず、幕を張り広げ、綱を長く!」という言葉が成就していくために私達が第一に寄り頼まなければならないものは聖霊なのです。

 今日はイエス様が何度も約束なされ、その必要を説いた聖霊がなぜ、私達に必要なのか、二つのことをお話ししたいと願っています。1)聖霊は私達を教える、2)真理を見分ける聖霊

聖霊は私達を教える(ヨハネ14章26節)

 イエス様はかつて言われました。「しかし、助け主、すなわち、父がわたしの名によってつかわされる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、またわたしが話しておいたことを、ことごとく思い起こさせるであろう」

ここに記されているように聖霊は私達に全てのことを教えるというのです。「全てのこと」とは文字通り「全て」であります。生まれること、育つこと、結ばれること、産むこと、育むこと、働くこと、病床に伏すこと、死ぬこと、これら私達の人生、全ての事柄に対して聖霊は教えてくださるということです。

さらに聖霊はイエス様がかつて言われた言葉を思い起こさせるはたらきをしてくださるというのです。「ああ、このことはイエス様が言われていたあのことなのか」、「ああ、イエス様はこのことを言われていたのだな」と気がつかせてくださるのです。

これらは私達の積んだ経験とか知識という類のものではなくて、天来の教えであり、これらのことは私達が最も必要としていることなのです。

6月になりますとアメリカでは卒業シーズンとなります。また夏休み終了と共に新しい学びが始まります。ある者達は大学入学のために多くの努力をして、その願いが叶い、専門的な学びが始まります。

しかし、あえて言うまでもなく私達の人生は学校に入学することがゴールではありません。専門の学問を学び、卒業すれば、万事がオーケーというわけにはいかないのが私達の人生です。現実社会に出てから私達は人生の難問奇問に向き合っていくことになるからです。

夫婦の問題、子育ての問題、人間関係の問題、想定外の災難に私達は日夜、直面していくからです。そして、これらのことには自分以外の人間が関わってきます。その人達が助けと励ましとなる時もあれば、その人達ゆえに益々、困難に追い込まれていくこともあります。これらを前にして全くとは言いませんが、私達の卒業証書はほとんど役に立ちません。

三浦綾子さんがある一人の女性について書いています。彼女は目を見張るような学歴と輝かしい仕事の実績をもち、結婚し、子供が与えられ、仕事をやめて育児に専念したというのです。それまでは何事もテキパキとこなしていた彼女は目の前にいる我が子を前に、なんと自分は無力なのかということをしみじみと感じだというのです。

自分の分身のような我が子でありながら、子育てが自分の思い描いたようにいかない。育児書はたくさん読んだけれど書かれているような理想にはほど遠い・・・。自分が学んだこと、経験したことでは立ち向かえない現実がそこにはありました。

そのような私達の日々の生活の中で聖霊は私達がどうあるべきかということを教えてくださるというのです。イエス様はその約束を私達にしていてくださるのです。しかし、皆さんは思うかもしれません。イエス・キリストは私に何を教えてくれるのだろうかと。

このヨハネ14章26節の言葉の直後にイエス様は何と言われたかご存知ですか。『わたしは平安をあなたがたに残していく。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは、世が与えるようなものとは異なる』(ヨハネ14章27節)。聖霊を通して私達が教え示されることは、この世が与えるものとは異なるのです。

以前、お話ししましたようにあの富と名声を得た歌手のマドンナが「今、一番、欲しいものは?」と問われ「Peace of Mind」と答えたように、イエス様が私達に教え、与えて下さるものは、世が与えることができないものなのです。そして、その神からいただく教えだけが私達の学問や経験ではどうすることもできないことに光を照らすものなのです。

しかしながら、私達に約束されているこのことに対して私達には一つの課題があります。それは神様の課題ではなく、私達の側の課題です。この課題に私達が気がつかないのなら、私達は主の教えのほとんどを取りこぼしてしまうことになります。そう、その課題は「私達は教えられやすい人間なのか」ということです。

以前、私達の教団に加入する牧師の面接をしたことがありました。その方は神学校を出たばかりで、まだ経験がなく、年も若い方でした。面接は終始、和やかになされ、最後に彼には席を外していただき、その場にいた方達と彼について話し合いがなされました。その時に一番、年長であり、リタイヤされていた英語部の牧師がこう私達に尋ねたのです。

「彼は教えられやすい人ですか?」。言い方を変えれば「彼は教えを素直に受けられる人なのか?」ということです。さすが人生経験豊富な先生です。先生は彼の受け答えの中に、まだ未熟な部分を見たのでしょう(これは仕方のないことです。まだ経験がないのですから。誰しも始まりはそうです)。

この先生は今の彼の現状を受け止め、これからの彼にとって一番大切なことは、その彼は教えられやすい心をもっているかということだと見極めたのです。そして、それがあるのなら、私は彼を受け入れるというのです。そうです、彼がTeachable(教えられやすい)なら、彼には可能性と希望があるからです。

私達が一目、置く人、魅力的だなと思う人というのは大抵、謙虚な人で、十分に人生経験をしていながらもさらに学ぼうとする人です。このような人達が何かを学ぼうとする時、そこに制約はありません。彼らはそれが子供であっても、その子が自分のないものを持っているのなら、膝をかがめてその子から学びます。

そのような方達は常に心が開かれていますから、どんどん大切なものを吸収し、それを自分の生き方に反映することができます。それゆえに、ますますその人達は魅力的になります。

主にある皆さん、この心をもって私達が主の教えに心を開いていくのなら、私達の人生に何が起こるかお分かりになりますでしょう。栄養学の専門家が「あなたが日常、食べているものを教えてください。そうしたら私はあなたがどんな人間なのかを説明できます」と言ったと言いますが、私達の心が常に神の無尽蔵の教えに開かれていて、それを吸収していたら私達の人生はどうなりますか。

私達に与えようと約束されていることはこの世が提供する処世訓ではなく、私達の誕生に関わり、私達が歩むべき道を全て知っていてくださる神様の直々の教えなのですから、このことが私達の人生に与える祝福は計り知れないものなのです。

二つ目のこと、それは「真理を見分ける聖霊」ということです。

2)真理を見分ける聖霊(ヨハネ16章13節―15節)

「けれども真理の御霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分から語るのではなく、その聞くところを語り、きたるべき事をあなたがたに知らせるであろう。御霊は私に栄光を得させるであろう。わたしのものを受けて、それをあなたがたに知らせるからである」(ヨハネ16章13節―15節)

 今日の私達の暮らす世界は「あれも良し、これも良し、その人が良ければなんでも良し」とする世界となりました。私達は胸をはってそれが「寛容」であり、それが「自由」だというのです。しかし、それにしても今日の問題の多くはこのことが原因となっていると思うのは私だけでしょうか。

そんな時代ですから「真理」という言葉はほとんど使われなくなり、死語になりつつあります。かつて日本ではこの「真理」という言葉を掲げ、日本社会を震撼させたカルト宗教団体がありましたので、この真理という言葉に警戒している人たちもたくさんいるかと思います。

しかし、実に今の私達に必要なのはこの「真理」です。「真理」という言葉が分かりづらいようでしたら「本物」という言葉に置き換えてみましょう。この「本物」に対して「偽物」という言葉がありますが、本物よりも偽物を求める人はおりませんでしょう。

「いいのよ、あなたの好きにすればいいのよ。あれもこれもあなたがいいと思うようにすればいいのよ」と言う言葉には落とし穴があります。「あれもこれも」の中には「本物」と「偽物」が混在しているということです。それが「本物」ならいいのですが、それが「偽物」であるのなら、やがてそのメッキは剥がれ、真相が明らかになり、私達は問題を抱えることになります。

イエス様は言われたのです。「真理の御霊はあなたがたをあらゆる真理に導いてくださるであろう」(13)と。そう私達が見ております聖霊は「真理の御霊」なのです。すなわち、この聖霊は時に「それは違う」と私達に注意をうながし、私達を本物へと導いてくださるのです。そして、その本物とは人間の間で承認されている本物ではなく(なぜなら私達が本物だと思っているものは時に、その化けの皮がはげることがあるからです)、神に認められている「本物」です。

20年前、私達夫婦に最初の子供が生まれる前に、私は日本の母に電話をして「出産」に関する本を送ってもらいました。一週間後に数冊の本を受け取って、事前の知識を得ました。そう、それは出産に対する本、数冊分の情報です。しかし、今はどうでしょうか。日本からこのような出産本を送ってもらう人はもはやいないのではないでしょうか。なぜ?インターネットがあるからです。

「出産」という言葉をグーグルで検索しましたら6億4700万件の関連記事が一秒で出てきました。「結婚」という言葉を検索しましたら16億6000万件、「子育て」に関しては2億5700万件、「うつ病」に関しては5980万件でてきました。これは日本語での検索です。他の言語を加えましたら膨大な数となることでしょう。

パウロは今日、お話してきましたイエス様の言葉を心にとめながら書き記したのでしょう、こう言っています。御霊はすべてのものをきわめ、神の深みまでもきわめるのだからである。いったい、人間の思いは、その内にある人間の霊以外に、誰が知っていようか。それと同じように神の思いも、神の御霊以外には知るものはない(第一コリント2章10節、11節)。

30年前には「どれだけの情報を持っているのか」ということ、すなわち「人の知らないことを知っている人」が世をリードしていくだろうと言われました。しかし、今日、私達は簡単に情報を共有できる時代に生きているのです。そのような意味で情報の価値は暴落したと言ってもいいかもしれません。

しかし、これからも価値のある情報があります。それは「本物の情報」です。「真理と呼ばれる情報」です。私達の日常生活に起こる一つ一つの事象の背後にあるものの深さをどれだけ見極めることができるかということは、とても大切なことです。それを神の深みまで見極めることができる、それが御霊のはたらきだというのです。

もしかしたら、私がいつも繰り返し言っている言葉によって皆さんの耳にタコができているかもしれません。それは「今日の私は、昨日までに私が成してきた決断によって導かれてきた私」ということです。

その「決断」はどのようになされるのか。それは私達の心の中でなされます。その様をビジュアライズしますと、それは心の机の上に色々な情報が並べられ、それらを取捨選択(しゅしゃせんたく)して私達の決断は導かれるということです。

そのようにして下される私達の決断はどのようにして最善なるものとなるのでしょうか。それはその机の上にどれだけ多くの情報があるのかで決まるのではありません。その中に真理があるのか、本物があるのかということで決まります。

もし、私達がそこから真理を見出し、それに従い、日々の決断をしていくことができたら、私達は自ずと神が喜ばれるところへと導かれていくことでしょう。そして、そこに導かれることこそが私達にとって最善の道なのです。

今の子供達はインターネットを通して、情報の洪水の中で溺れるかのようにして育ってきた子達です。ですから、これからもそのあふれる情報の中から自分の目にかなうものを選択していくことでしょう。そして、その一つ一つの選択が彼らの人生となります。

彼らの心のテーブルには膨大な情報が並べられるでしょう。そして、その中には偽物も多数、含まれます。あのエバが禁断の実を食べてしまった時のように、それらは彼らの心を惹くもので、もしそんな偽物を彼らが選び取ってしまったら、彼らは多くの問題を抱えていくことになるのです。

主にある皆さん、実に彼らに、そして私達に必要なのは真理の御霊なのです。1000の情報より一つの真理が勝るのです。私達が本当に必要とするものはこのことを可能にする聖霊のはたらきなのです。

しかし、実際いかがでしょうか。私達はこの聖霊をどれだけ求め、どれだけそのはたらきを意識しているでしょうか。イエス様は言われました。「わたしは父にお願いしよう。そうすれば、父は別に助け主を送って、いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。それは、真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない」(ヨハネ14章16節-17節)。

人間の心をよく知るイエス様は予め言われたのです。『この世はそれを見ようともせず、知ろうともしないので、それを受けることができない』と。

イエス様が言われたこの言葉は正しいと私は思います。あぁ、私達はなんという損失をこうむっているのでしょうか。これからも、今までと同じように目に見えることだけを頼りに生きていくのでしょうか。全ては自分の力量次第だと生きていくのでしょうか。私達は知っています。目に見えるものは全て過ぎ去り、私達の肉体と精神、すなわち私達の力量は年ごとに衰えていくということを。

「自分を信じてがんばります」という言葉は何かに臨もうとするアスリートの決まり文句となっています。確かに自分を信じるということは大切でしょう。しかし、私達はそのこと以上に聖霊のはたらきを信じ、そこから力を受けることの方がはるかに大切なのです。

今日は「私達を教える聖霊」と「私達を真理に導く聖霊」についてお話してきました。思えば初代教会が建て上げられていく時に必要なことは、そこに集う者たちがこの聖霊と共にまず各々の日々を確立することであったに違いありません。教会とは建物ではなくて、そこに集う人たちのことを指すからです。

そして、このように聖霊について見てきますと、あることに気がつきませんか。そうです、聖霊の存在はあたかも私達の目の前にいつもイエス様がいてくださることと等しいことなのだと。

まだ誰も踏み出したことのない明日に向かう時に、私達に必要なことは何でしょうか。私達の明日を誰が導いてくれるのでしょうか。今日、お話したことにより皆さんはその答えがお分かりになっていることでしょう。

そうです、聖霊です。聖霊が私達に教えてくださる、そのために開かれた心を保ち、その教えを賜い、あらゆる真理に私達を導いていて下さるお方を毎日、慕い求めること、これこそが私達が選び取るべきこれからの生き方なのです。そして、そのような者たちが一人、また二人と教会に加えられていく時に、自ずと教会の基礎も堅固にされていくのです。お祈りしましょう。

本日のおもちかえり
2019年6月23日

1)「地境を動かさず、幕を張り広げ、綱を長く!」という教会標語からあなたはサンディエゴ日本人教会のどんな姿を思い描きますか?

 

2)ヨハネ14章26節を読みましょう。聖霊が私達に全てのことを教え、またイエス様が話していたことをことごとく思い起こさせるということはどういうことですか。

 

3)学校で学んだことでは解決できない問題にはどんなことがありますか。あなたはこれらの難問に対してどのように向き合っていますか。

 

 4)ヨハネ14章26節の後に有名な27節がきていることにはどんな関連性があると思いますか?

 

5)あなたは教えられやすい人ですか?教えられることを拒む時に私達の心にはどんな思いがありますか。どうしたら教えられやすい人になることができますか。

 

6)「真理」という言葉からあなたは何を連想しますか。最近、どこでこの言葉を聞きましたか。

 

7)ヨハネ16章13節―14節、第一コリント2章10節-11節を読みましょう。溢れんばかりの情報が取り巻いている現代において、真理(本物)を知ることはなぜ大切なのですか?

 

8)「今日の私は、昨日までに私が成してきた決断によって導かれてきた私」ということなら、これからの私達にとって何が大切ですか。私達の決断はどのようになされてきましたか(なされていますか)。私達にとって最善の決断はどのようになされますか。

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