こうして教会は(27):聖霊と信仰によって導かれる神の物語

『エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財宝全部を管理していた宦官であるエチオピヤ人が、礼拝のためエルサレムに上り、その帰途についていたところであった』(使徒行伝8章27節―28節)

今日のメッセージでとりあげましたエチオピアにはユダヤ教を信奉しながら数千年来、自らをユダヤ教徒として暮らしてきた「ファラシャ」と呼ばれる人達が10万人もいました。

1975年にはイスラエル政府が彼らをユダヤ教徒(人)と認め、イスラエルへの帰還が始まりました。1991年5月にはエチオピアのメンギスツ・ハイレ・マリアムの独裁主義政権が崩壊する直前に、時のイスラエル政府は「ソロモン作戦」と称して、彼らを短時間でイスラエルに大量輸送して脱出させました。

その時のイスラエル首相のイツハク・シャミルはエチオピアからイスラエルの軍用機と民間機(エル・アル航空)を計35機使って、5月24日の10時から翌25日の11時までの25時間の間に延べ41回、両国の間、2400キロを飛行させ、約1万4000人の人々をイスラエルに帰還させました。これらの帰還により現在、ほとんどのエチオピア系のユダヤ教徒はイスラエルに暮らしているといいます。

なぜエチオピアにそれだけのユダヤ教徒がいたのでしょうか。その諸説の中にエチオピアの対岸にあるシバ国(現在のイエメン)の女王が紀元前10世紀にイスラエルのソロモン王と出会うことにより、この一帯にユダヤ教が伝わったということが有力な説なようです・・・。

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こうして教会は(27):聖霊と信仰によって導かれる神の物語
2020年3月1日

 今から約3000年前、イスラエルは三代目の王、ソロモンが国を統治していました。彼はダビデの息子で、神様から類なき知恵と富が与えられた王として有名です(列王記3章12節―13節)。 そして、彼には700人の妻と300人の妾がいたと言われています(列王記上11章3節)

その女性達の中にはエジプトの王パロの娘がいたり、シバの国の女王がいたと言われています。「シバの国」に関しては色々な説がありまして、今日のエチオピア、あるいはイエメンであったのではないかと言われています。

エチオピアとイエメンは海峡を阻んでいて、両地域の深い関係を示す遺跡や碑文が多数残されているといいます。彼女はイエメンを拠点にエチオピオアも治めていたという説もあります。ということは仮に彼女が今日のイエメンから来た女王であったとしてもその影響というものがエチオピアに及んだ可能性は大いにあります。

このシバの女王ははソロモンの知恵と富の噂を伝え聞き、自分の目でそれを確かめるべく多くの贈り物と共にソロモンを訪ねました。彼女は難問をもってソロモンの知恵を計ろうとしたのですが、ソロモンは難なく全ての問題にこたえ、さらに彼女はその宮殿、食卓の料理、家来たちの立ち振る舞い、神殿の様子を目の当たりにして、全て自分が想像していたことをはるかに凌駕していたことに全く気が奪われてしまいます(列王記上10章1節―5節)

そこで彼女はソロモン言います。6 「わたしが国であなたの事と、あなたの知恵について聞いたことは真実でありました。7 しかしわたしがきて、目に見るまでは、その言葉を信じませんでしたが、今見るとその半分もわたしは知らされていなかったのです。あなたの知恵と繁栄はわたしが聞いたうわさにまさっています。8 あなたの奥方たちはさいわいです。常にあなたの前に立って、あなたの知恵を聞く家来たちはさいわいです。9 あなたの神、主はほむべきかな。主はあなたを喜び、あなたをイスラエルの位にのぼらせられました。主は永久にイスラエルを愛せられるゆえ、あなたを王として公道と正義とを行わせられるのです」(列王記下10章6節―9節)。

こうして彼女はソロモンの神に対する称賛と共に帰国します。その時から約1000年を経て、今日、使徒行伝に記録されていることが起こります。

時は先週、お話ししましたようにステパノが石に打たれ殺された後、キリスト教徒に対する迫害が激しくなった時でした。このことゆえにキリスト者たちは皆、各地に散らされていったのですが、彼らは落胆することなく、その道々で、散らされていった先々で御言葉を伝えました。

その中にかつて「やもめの日々の配給」のためにステパノと共に選ばれた七人のリーダーの一人であったピリポという人がいました。そのピリポに対して主の使いが語りかけます。

26しかし、主の使がピリポにむかって言った、「立って南方に行き、エルサレムからガザへ下る道に出なさい」(このガザは、今は荒れはてている)。27そこで、彼は立って出かけた。すると、ちょうど、エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財宝全部を管理していた宦官であるエチオピヤ人が、礼拝のためエルサレムに上り、28その帰途についていたところであった。彼は自分の馬車に乗って、預言者イザヤの書を読んでいた。29御霊がピリポに「進み寄って、あの馬車に並んで行きなさい」と言った。30そこでピリポが駆けて行くと、預言者イザヤの書を読んでいるその人の声が聞えたので、「あなたは、読んでいることが、おわかりですか」と尋ねた。31彼は「だれかが、手びきをしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と答えた。そして、馬車に乗って一緒にすわるようにと、ピリポにすすめた。32彼が読んでいた聖書の箇所は、これであった、「彼は、ほふり場に引かれて行く羊のように、また、黙々として、毛を刈る者の前に立つ小羊のように、口を開かない。33彼は、いやしめられて、そのさばきも行われなかった。だれが、彼の子孫のことを語ることができようか、彼の命が地上から取り去られているからには」。34宦官はピリポにむかって言った、「お尋ねしますが、ここで預言者はだれのことを言っているのですか。自分のことですか、それとも、だれかほかの人のことですか」。35そこでピリポは口を開き、この聖句から説き起して、イエスのことを宣べ伝えた。36道を進んで行くうちに、水のある所にきたので、宦官が言った、「ここに水があります。わたしがバプテスマを受けるのに、なんのさしつかえがありますか」。37これに対して、ピリポは、「あなたがまごころから信じるなら、受けてさしつかえはありません」と言った。すると、彼は「わたしは、イエス・キリストを神の子と信じます」と答えた。38そこで車をとめさせ、ピリポと宦官と、ふたりとも、水の中に降りて行き、ピリポが宦官にバプテスマを授けた。39ふたりが水から上がると、主の霊がピリポをさらって行ったので、宦官はもう彼を見ることができなかった。宦官はよろこびながら旅をつづけた。40その後、ピリポはアゾトに姿をあらわして、町々をめぐり歩き、いたるところで福音を宣べ伝えて、ついにカイザリヤに着いた(使徒行伝8章26節―40節)

 このところに「エチオピヤ人の女王カンダケの高官で、女王の財宝全部を管理していた宦官であるエチオピヤ人が、礼拝のためエルサレムに上り、28その帰途についていたところであった」(使徒行伝8章27節―28節)と書かれています。

今でこそエチオピアからイスラエルは数時間のフライトで行き、2泊3日の旅行も可能でしょうが、エチオピアからエルサレムへは約2000キロ(地図をいれます)ありますから、この高官の旅はまさしく命懸けで数か月におよぶ旅であったに違いありません。

そこまでして彼がエルサレムにやってきたということは、この宦官は異邦人でありながら、その時、既にユダヤの民の神を信じる者であったということは言うまでもありません。

すなわち彼は異邦人でありながらユダヤ教に改宗した者で、それゆえにエルサレムの神殿の内庭に入ることはゆるされず、ただ外側の庭での礼拝だけが許され、そこで礼拝を捧げたのでしょう。

さらに彼はエチオピアの高官であり、女王の財産を全て任せられていたのですから、女王から信頼され、数か月のエチオピアでの任務が解かれ、その巡礼の承認とサポートを女王から得て、エルサレムにやってきたに違いありません。

このようなことが許されたということは、女王もユダヤの神に対する敬意、もしくは信仰を持っていた可能性は大いにあります。はたしてどうして、アフリカ大陸に暮らすエチオピア人がイスラエルの神と関係を持ったのでしょうか。言うまでもありません、

そこで考えられるのが、先にお話ししましたように、この時からさかのぼるところ1000年前のあのシバの女王がソロモンを訪ね、その神に対する敬意、もしくは信仰を国に持ち帰ったということが考えられ、その影響によりエチオピアにおいてユダヤの神を信じる者達が起こされたということは大いにありうることなのです。

さて、話を戻しますが、主の使いはピリポに南方に行き、「エルサレムからガザに下る荒れ果てた道に向かいなさい」と言われ、彼はそうお命じになった聖霊に従い、すぐに「立って出かけます」。「すると、ちょうど、そこに(使徒行伝8章27節)ユダヤのものとは思われない異国の馬車が目にとまります。

ピリポはそれを見た時「どの外国から来た馬車なのだろうか?」と思っていたことでしょう。そうしますと御霊がピリポに「進み寄って、あの馬車に並んで行きなさい」とうながしたというのです(使徒行伝8章29節)

 彼がそこに駆けよってみると、なんとその馬車の中から預言者イザヤの書を読んでいる高官の声が聞えたというのです(使徒行伝8章30節)。

 「預言者イザヤの書」とは、今、私達の手元にある旧約聖書のイザヤ書です。今でこそ聖書はいつでもどこでも購入することができますが、当時の聖書というのは全て手書きで写されたものであり、その数は少なく、とても高価なものであったことでしょう。

おそらく、その聖書をこの宦官はエルサレム巡礼の際に購入していたのではないかと言われています。しかし、それにしてもそれはポケットマネーで購入できるようなものではありませんでしょう。

おそらく彼は女王の許可を受けており、いいえ、もっと言いますと女王の要請を受けて、それを購入して帰路についていたのでしょう。

さらにそれは当然、エチオピアの言葉で書かれたものではなく、ユダヤ人であるピリポが理解できる言葉、すなわちヘブル語で記されており、高官はそのヘブル語の言葉を読んでいたと思われます。

そうです、この高官はヘブル語で聖書を読めるほどにその信仰に精通していたのです。それはすなわち彼の先祖が既にユダヤ教を信奉していたということであり、彼は幼い時から彼らの信仰の言語であるヘブル語を教えられていたのではないかと想像されます。

今でこそ日本語を話す外国人はたくさんいます。しかし、今から2000年前に日本のさびれた田舎町で肌の色の全く異なる外国人が流暢な大和言葉で書物を読んでいたらそれはびっくりしますでしょう。

ピリポもこのことには驚いたに違いありません。しかも、彼が読んでいる聖書の箇所は、よりによって、この時からさかのぼること750年前に預言者イザヤによって書かれた旧約聖書のイザヤ書であったのです。

32「彼は、ほふり場に引かれて行く羊のように、また、黙々として、毛を刈る者の前に立つ小羊のように、口を開かない。33彼は、いやしめられて、そのさばきも行われなかった。だれが、彼の子孫のことを語ることができようか、彼の命が地上から取り去られているからには」(使徒行伝8章32節―33節)

 その馴染みの言葉を聞いたピリポはすかさず、こうたずねます。「あなたは、読んでいることが、おわかりですか」。高官は「だれかが、手びきをしてくれなければ、どうしてわかりましょう」と答えます。そして、馬車に乗って一緒にすわるようにと、ピリポはすすめられ、ピリポはこのイザヤ53章を彼に説き明かすのです(使徒行伝8章30節―31節)。

 この時までこのエチオピアの高官は熱心なユダヤ教徒でした。しかし、ピリポからこのイザヤ53章の意味を聞いた時に、すなわち、そこに記されている「ほふり場に引かれていく小羊」が誰をさしているのかと言うことを聞いた時から、彼の信仰の対象が変わったのです。

そう、ピリポはそこに記されているお方こそが「イエス・キリスト」であるということを解き明かしたのです。彼は高官に説明したことでしょう。我々、ユダヤ民族は数えきれないほどの動物の犠牲を自らの罪の償いとして神に捧げてきた。あなたもそのことは聞いていることだろう。

しかし、我々の罪はそのような動物の血の犠牲によってはどうにもなるものではなかった。たとえ動物が我々の罪のために命を失っても、我々はその動物に対して、「自分の罪の身代わりになってくれた」というような感謝の感情をもつことはない。

なぜなら、それらはあくまでも動物であり、実際に彼らの間でそれらの動物は日々、彼らの胃袋に収まっていたようなものなのですから。

しかし、神はそんな私達に一人子イエス・キリストを送られ、そのキリストの血が我々の罪の身代わりとして流された。このキリストの血は明らかに動物の血とは異なるのだ。

我々の罪の身代わりのために捧げられた動物に彼らの愛を感じることはありません。しかし、神の子、イエス・キリストの十字架の死は私達に決して変わらない神の無条件の愛を明らかにしたのです。そのキリストの十字架による罪の贖いにより、神の完全なる愛が私達に注がれていることを我々は知るのです。

ピリポはこのキリストこそがイザヤ53章で預言されていた小羊なのだと言うことを高官に話します。はたして高官は既にその心が聖霊により整えられていたのでしょう。彼はすぐにこのことを信じ、受け入れ、それに応答してこう言います。「ここに水があります。わたしがバプテスマを受けるのに、なんのさしつかえがありますか」(使徒行伝8章36節)

 これに対して、ピリポは「あなたがまごころから信じるなら、受けてさしつかえはありません」と答え、高官は「わたしは、イエス・キリストを神の子と信じます」とその信仰を口で告白し、彼はすぐに洗礼をその場で受けたのです(使徒行伝8章37節)。

 こうしてこのエチオピアの高官は聖書の記録の中で、初めてユダヤ人以外の者として洗礼にあずかった人となったのです。

このエチオピアにはこれまでの2000年間、今日に至るまでユダヤ教徒がおり、彼らの国にはユダヤ教の礼拝場がありました。落穂にも書きましたが、かつてはエチオピアにはユダヤ教徒であるエチオピア人が約10万人もいたと言われています。

 1975年にはイスラエル政府は彼らをユダヤ教徒と認定し、ユダヤ人としてイスラエルへの帰還を認め、1991年にはエチオピアの政治的な危機の中から彼らを救うべく「ソロモン作戦」なるものが決行され、わずか25時間ほどの間になんと1万4000人ものエチオピア・ユダヤ人がイスラエルへ移送されたのです。こうしてエチオピア系ユダヤ人のほとんどは今日、イスラエルに移住しています。

この人達は言うなればかつてのエチオピアの宦官のような人達で、イエス・キリストについての解き明かしを聞いたことのない人達です。彼らはシバの女王の時代から先祖達が受け継いできた信仰共同代に生きてきた人達なのでしょう。

しかし、このようなエチオピアン・ユダヤ教徒と同時に、かつてはユダヤ教徒であった宦官のようなクリスチャンも今日、たくさんいるのです。現在、イスラム教徒が多いアフリカ諸国において、現在のエチオピア人の63パーセントはクリスチャンであるということはおよそ普通では考えられないことなのです。

このようなところに、今日、お話ししました王女に近いこの宦官がキリスト教信仰をエチオピアに持ち帰ったということの影響があるのかもしれません。

聖書は史実に基づいていない神話だと思われる方が時々おりますが、実際はその逆で聖書に記録されている出来事は史実に基づいていることなのです。今から 3000年前にシバの女王とソロモンの間に起きたことが、今日の「ソロモン作戦」であり、ピリポとエチオピアの宦官の間に取り交わされた会話が今日のクリスチャン国、エチオピアの背後にあることを知る時に、私達は神様の大いなる導きを感じずにはいられません。

エチオピアにクリスチャニティーの影響を残す、そのきっかけになったのは聖霊に導かれて、荒れ果てた道に向かったピリポの信仰と、それに答えてエチオピアから神を礼拝すべくエルサレムにやってきた宦官の信仰であったということは特筆すべきことです。

そうです、そこには伝える側の信仰があり、また聞く側の信仰があったのです。そして、これらの信仰をつなぎあわせてくださるお方こそが聖霊なのです。

このようなことは私達の目には不思議なことに思われます。しかし、それは全く不思議なことではなく、必然的なことだったのです。なぜなら、このようなことが起こるということは、全てこれらの事が起こる前からイエス・キリストによって言われていたからです。

「ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう」(使徒行伝1章8節)。

そして、これは昔の話に限定されることではありません。私達自身もどのように自分が信仰を持つに至ったかと、その過程を振り返ってみると、きっとそこに聖霊によるはたらきがあったことに気がつかされるに違いありません。

1928年、カシタニ牧師が田舎町エルカホンに御霊により導かれて、そこから一組の向井夫婦がクリスチャンとなることにより、この教会が始まったこと、それもカシタニ牧師と向井夫妻の信仰、そして、そこに聖霊が臨み起きたことなのです。

そして、彼らから今日のサンディエゴ日本人教会が始まったのです。それはまさしく今日、お話ししたエチオピアでの神の御業と全く同じプロセスではありませんか。

「使徒行伝」は別名、「聖霊行伝」と呼ばれます。使徒行伝は28章で終わりますが、今、私達は使徒行伝29章に生きているのです。今も私達は聖霊がはたらかれる時代を生きているのです。そのような意味で私達も、聖霊によって神の物語の中を生き、使徒行伝の中で成された神のみわざを継承する者達なのです。

ですから私達も、あのイエス・キリスト大宣教命令に今日も明日も従っていきます。「19それゆえに、あなたがたは行って、すべての国民を弟子として、父と子と聖霊との名によって、彼らにバプテスマを施し、20あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタイ28章19節、20節)。

我々の信仰の先駆者たちが福音を宣べ伝え、私たちに福音が届きました。それゆえに私達はこれからも、世の終わりまでもこの福音を届け続ける者達なのです。主よ、我らに信仰をお与えください。そして、私達がこの主の言葉を伝える方達の心にもあなたへの信仰が与えられますように。

お祈りしましょう。

本日のおもちかえり
2020年3月1日

 1)列王記上10章1節―9節を読みましょう。シバの女王はソロモンの栄華を見た時に何を感じましたか。彼女はソロモンの神についてどんな思いを持ちましたか。

 

2)使徒行伝8章26節―40節を読みましょう。ピリポとエチオピアの宦官の出会いは偶然でしたか。どこからこのことに関する神様の介入が分かりますか。

 

3)主の使いはピリポに南方に行き、「エルサレムからガザに下る荒れ果てた道に向かいなさい」と言われ、彼はすぐに「立って出かけます」。「すると、ちょうど、そこに」(使徒行伝8章27節)ユダヤのものとは思われない異国の馬車が目にとまります。あなたは「すぐに行動した時、ちょうど、そこに」という神様のはたらきを経験したことがありますか。

 

4)分厚い聖書の言葉の中でエチオピアの宦官が読んでいたのはイザヤ53章でした。これは偶然ですか。「だれかが、手びきをしてくれなければ、どうしてわかりましょう」という言葉は今日の教会のどんな責任を言い表していますか。

 

5)紀元前1000年頃のシバの女王とソロモンの出会いと紀元35年頃のピリポとエチオピアの宦官の出会いはどのように関連していますか。

 

6)エチオピアに10万人ものユダヤ教徒がいたということ、また今日のエチオピアの65%はキリスト教徒であるということはこの聖書の出来事とどのように関係していると思いますか。

 

7)ピリポとエチオピアの宦官の出会いは何によってうながされたのでしょうか。今日、伝道・宣教は私達の自力で成されることですか。私達に本当に必要なものはなんでしょうか(使徒行伝1章8節)。

 


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