こうして教会は(30):危機の中で熟睡している人の心

私は釣りが好きです。幼い時は毎日のように釣りに行っていました。皆さんはおそらくご存知ないと思うのですが、私が小学生の頃にのめり込んだ魚にヘラブナという魚がおりまして、それはフナなのですが、その胴体が平べったいのです。この釣りはかなり専門的でヘラウキという特別なウキを使い、特別なネリ餌を使って釣るのです。

ヘラブナは大きいものは40センチぐらいになりました。少年ながら時々、そのサイズのヘラブナを釣りますと思いました。「お前はこの沼でよくぞ、こんなに大きくなるまで生きてきたなー。たいしたもんだよ!」と。

皆さん、色々なところを通ってきましたでしょう。70年、80年を生きるということはなかなか大変なことだと思います。絶体絶命とか生死の境目を通ってきたという方もいますでしょう。

でもですよ、考えてみてください。あの時は「これで終わりだ」と思われたことがあったのに、今、皆さんはここにいて、日々の生活をしているのです。これは誰も否定できない事実なのです・・・。

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こうして教会は(30):危機の中で熟睡している人の心
2020年3月22日

今から約2000年前、この地上に最初の教会が建てられていきました時、教会は激しい迫害を受けるようになります。その中、12弟子の一人であったヨハネの兄弟、ヤコブは、ローマ帝国に公認されたユダヤの統治者ヘロデ・アグリッパに首をはねられ殺されました。

その直後に同じ12弟子のペテロも獄に捕らわれたのですが、神様の超自然的な介入により、その命が救われたと先週はお話ししました。その時にはペテロが救い出されていく詳細をお話ししませんでしたが、それはこのようなことでした。使徒行伝12章1節―11節。

そのころ、ヘロデ王は教会のある者たちに圧迫の手をのばし、2ヨハネの兄弟ヤコブをつるぎで切り殺した。3そして、それがユダヤ人たちの意にかなったのを見て、さらにペテロをも捕えにかかった。それは除酵祭の時のことであった。4ヘロデはペテロを捕えて獄に投じ、四人一組の兵卒四組に引き渡して、見張りをさせておいた。過越の祭のあとで、彼を民衆の前に引き出すつもりであったのである。5こうして、ペテロは獄に入れられていた。教会では、彼のために熱心な祈りが神にささげられた。6ヘロデが彼を引き出そうとしていたその夜、ペテロは二重の鎖につながれ、ふたりの兵卒の間に置かれて眠っていた。番兵たちは戸口で獄を見張っていた。7すると、突然、主の使がそばに立ち、光が獄内を照した。そして御使はペテロのわき腹をつついて起し、「早く起きあがりなさい」と言った。すると鎖が彼の両手から、はずれ落ちた。8御使が「帯をしめ、くつをはきなさい」と言ったので、彼はそのとおりにした。それから「上着を着て、ついてきなさい」と言われたので、9ペテロはついて出て行った。彼には御使のしわざが現実のこととは考えられず、ただ幻を見ているように思われた。10彼らは第一、第二の衛所を通りすぎて、町に抜ける鉄門のところに来ると、それがひとりでに開いたので、そこを出て一つの通路に進んだとたんに、御使は彼を離れ去った。11その時ペテロはわれにかえって言った、「今はじめて、ほんとうのことがわかった。主が御使をつかわして、ヘロデの手から、またユダヤ人たちの待ちもうけていたあらゆる災から、わたしを救い出して下さったのだ」。

その時、ペテロは二重の鎖につながれ、四人一組の兵卒が四組、すなわち16人の兵卒が6時間交代で24時間、彼を監視していました。四人のうちの二人はペテロの両側におり、他の二人は戸口で獄を見張っていたのです。言うまでもなくこの状況から彼が逃げられるはずはありません。

ヤコブの殺害をユダヤ人が好意的に受け止めていることを知ったアグリッパは、彼らの好意を得るためにペテロを捕らえました。言うまでもなくこのことは近いうちにペテロもヤコブのように殺されることを意味していました。

それはペテロが自分でどうすることもできるないことでした。彼の命は自分の人気取りのために簡単に人の首をはねるヘロデ・アグリッパの手の中にあったのです。

さて、皆さん、もし皆さんがペテロならこの状況でどうしていますか。ガタガタ震えながら過ごしているでしょうか。これまでの自分の人生を振り返り、こんなことになってしまって、そもそもイエスの弟子になんかならなかったらよかったと後悔しながら頭を抱えているでしょうか。

ペテロはどうしていたのでしょうか。使徒行伝12章6節ヘロデが彼を引き出そうとしていたその夜、ペテロは二重の鎖につながれ、ふたりの兵卒の間に置かれて眠っていた

ふ・た・り・の・兵・卒・の・間・に・置・か・れ・て・眠・っ・て・い・た。

普通、この状況で眠ります?というか眠れます?二人の武装した屈強な男の間で、自分の首に後日、降り落とされるかもしれない彼らが腰に帯びている剣を見ながら睡魔がやってきますか?

若い時はよく眠るものです。私も高校生の時は「タモリの時間」までよく眠っていました。あの年頃は眠っても眠っても眠いのです。しかし、この年になり朝の目覚めがよくなりました。目覚ましよりも早く目が覚めるのです。噂には聞いていたのですが、本当でした。

子供達が10時、11時まで眠っています。私は「いいかげんに起きろ」と声をかけます。時には毛布をはがします。

ペテロが眠っています。二人の剣をたずさえてローマ兵の間で。そのペテロは起こされたのです。御使いに脇を突かれて・・・(7節)

彼は熟睡していたのです・・・。

かつてのペテロを皆さん、ご存知でしょう。イエス様が十字架にかかる数時間前、大祭司の中庭で女中さんが「この人はイエスと一緒にいた。この人の方言で分かる」と言われたら、怖れと共に完全に心が動揺してしまって、「イ、イエスなど知らんわい」と激しく誓ったのがペテロなのです・・・。

実はペテロはこの投獄の前にも留置所に入れられていたことがあるのです。使徒行伝5章はこう記しています。

18使徒たちに手をかけて捕え、公共の留置場に入れた。19ところが夜、主の使が獄の戸を開き、彼らを連れ出して言った、20「さあ行きなさい。そして、宮の庭に立ち、この命の言葉を漏れなく、人々に語りなさい」(使徒行伝5章18節―20節)。

この使徒たちの中にはペテロもいました。その時にもやはり御使いが彼を獄屋から救い出したのです。下役は後にこう報告しています。23「獄には、しっかりと錠がかけてあり、戸口には、番人が立っていました。ところが、あけて見たら、中にはだれもいませんでした」(使徒行伝5章23節)。

自分の力ではなく御使いから救い出されたペテロはこの後、すぐに宮の庭に行き、そこで民衆に教え始めました。彼は「この命の言葉を漏れなく、人々に語りなさい」という御使いの言葉に従ったのです。そうしている間にこの二度目の投獄が起きたのです。

彼がこの度の投獄で二人の兵卒に挟まれて眠ることができたこと。なぜ彼は眠ることができたのでしょうか。

そこにいたる前の獄中生活を経験していたことが大きいのではないでしょうか。その経験はきっと彼に「あの時、主は私を救われた。だから、この度も主は私のために最善を成してくださるであろう」という彼の経験を通して培われた主に対する確固たる信頼を与えたのではないでしょうか。

私は釣りが好きです。幼い時は毎日のように釣りに行っていました。当時「釣りキチ三平」という漫画があり、その中に魚神さんという人がいて、彼は日本一周釣り行脚をしていました。私の将来の夢も日本一周釣り行脚をすることで、それほど釣りにのめり込んでいました。

皆さんはおそらくご存知ないと思うのですが、私が小学生の頃にのめり込んだ魚にヘラブナという魚がおりまして、それはフナなのですが、その胴体が平べったいのです。この釣りはかなり専門的でヘラウキという特別なウキを使い、特別なネリ餌を使って釣るのです。この辺り、話そうと思ったら何時間でも話せます。

ヘラブナは大きいものは40センチぐらいになりました。少年ながら時々、そのサイズのヘラブナを釣りますと思いました。「お前はこの沼でよくぞ、こんなに大きくなるまで生きてきたなー。たいしたもんだよ!」と。

皆さん、色々なところを通ってきましたでしょう。70年、80年を生きるということはなかなか大変なことだと思います。絶体絶命とか生死の境目を通ってきたという方もいますでしょう。

そこでですよ、考えてみてください。あの時は「これで終わりだ」と思われたことがあったのに、今、皆さんはここにいて、日々の生活をしているのです。これは誰も否定できない事実なのです。

あの時のあのことも、この時のあのことも、皆さんはくぐりぬけて、今、ここにいるのです。そして、それらの事に対して、それが偶然だったとか、運がよかったということではなくて、あの時、神が私と共にいてくださって、私を守ってくれていたのだ、だからこの度も大丈夫だと信仰をもってそれらを受け止める時に、私達はこのペテロの心に近づくのです。

あの時も神は私をあそこから救い出してくれたのだ。あの時だけではない、この時も、あの時も・・・。これは過去の事実に基づいた私達の将来に対する神への信頼なのです・・・。

まず光が獄内を照らし(使徒行伝12章7節―9節)、眠っているペテロの脇腹を御使いは突きながら言います「早く起きあがりなさい」そうしましたら彼の両手から鎖が落ちます。御使いは次なる指示が出ます。「帯をしめ、くつをはきなさい」彼がその通りにしますと「上着を着て、ついてきなさい」と言われ、その通りにしますと彼はその獄を脱することができたのです。

神様はペテロが置かれている危機から一つ一つ、ステップバイステップ、指示を出し、そして、その指示に従った先に自由の扉が開かれていたのです。その指示に一つ一つ、従って彼は救われました。

私達は今、この状況の中、色々な指示を受けています。まさしくステップバイステップ、その指示を受け止め、それを実行しつつ、トンネルの出口に向かっています。

同時にこのような時に神様も私達に指示を出していると思います。主は私達に語りかけています。「これからこうするのだよ」。「こうして生きていくのだよ」。「ここから学びなさいよ」と・・・。

これまで色々なものを私達は見てきました。911の同時多発テロ、311の東日本大震災、これらは私達にとりまして前代未聞のことでした。このことでアメリカも日本も本当に大変なところを通りました。

この度のコロナウイルスの世界的蔓延に対してドイツのメルケル首相は「「第二次世界大戦以来の最大の問題に直面している」と言い、トランプ大統領は「自分は今、戦時下にいるようだ」と言いました。

この度のことは日本とかアメリカではなく、世界全体に影響があることなのです。リーマンショックも大変な時でした、しかし、あの時、行動の制限は出ませんでした。まさしく私達は子供も大人も世界中の人達が、その渦中にいるのです。

先週のサンディエゴは曇り空が続き雨が降りました。行動が制限され、シトシトと雨が降り、何人かの方達から「心が落ち込んでしまう」とお聞きしました。それは私自身も感じていたことでした。

そう、気持ちが塞がれる。塞がれるとはまさしく一つ所に追いやられ、閉じ込められてしまうということです。

ペテロの両手は鎖で固くつながれていました。彼は自力ではどうにもならない中に閉じ込められていました。しかし、彼の心は何にもつながれていませんでした。彼の心は閉ざされていませんでした。

私達も今、自由を失い、一つ所につながれているように感じています。しかし、主にある皆さん、私達の体はつながれていても、心までもが繋がれてはなりません。家のドアは閉ざしても、心を閉ざす必要はありません・・・。

ペテロの身が鎖につながれていた時に、教会ではあることがなされていました。5こうして、ペテロは獄に入れられていた。教会では、彼のために熱心な祈りが神にささげられた」(使徒行伝12章5節)

去る二月の90周年礼拝の時に私は申し上げました。第二次世界大戦において日系人が強制収容された時、この教会の玄関には鍵がかけられ、三年の間、人々はこの教会に来ることが許されなかった。

その時、信仰の先輩方はすごいところを通ったのだと思いました。しかし、その時、 2月9日、私達が同じような状況になるとはこれぽっちも思いませんでした。二週間前、会衆がこの会堂にはたくさんいました。しかし、今、ここには数人の者達しかいないのです。

私は既に水曜集会、木曜集会で皆で聖書を学び、祈っていた時のことをミスしています。礼拝で皆さんと共に主を拝することができたことをミスしています。コーヒーアワーのあの賑やかさをミスしています。と、同時に私達はなんとプレシャスな時間を共有していたのだろうかと今、思わされています。

ペテロが一つ部屋に閉じ込められていた時に、教会では彼の解放を祈っていたのです。あのように彼が熟睡できたこと、その背後にもこの教会の祈りがあったに違いありません。

私達もあの兄弟、この姉妹を覚えて祈ろうではありませんか。一人一人の顔を思い起こしながら、その人のために祈ろうではありませんか。彼、彼女が今日も主の平安のうちに心も体も健やかに過ごすことができるようにと。

私は今、こう思っています。私達が再び、この教会で礼拝を捧げる時、その時、私の心は私達が最後にこの教会で礼拝を捧げました3月8日の時の心とは異なるだろということを。

主はこのことを通してキリストのからだなる教会というものがどんなものであるのかということを、兄弟姉妹と共に礼拝を捧げるということはどういうことなのかということを教えてくださっています。もしかしたら聖書を読むだけでは一生、気がつかなかったかもしれない。しかし、このことを通して主はその大切なことを教えてくだっているのです。主にある皆さん、このチャンスを無駄にしないでください。

今、多くの方達がこのメッセージを見ていてくださると思います。それは嬉しいことなのですが、私達が目指すところは異なります。私達はこのオンライン視聴者がゼロとなり、今、このオンラインを見ている全ての方達と共に再び、ここで主に礼拝を捧げることです。皆さんのお帰りを心からお待ちしています!お祈りしましょう。

 

本日のおもちかえり
2020年3月22日

1)使徒行伝12章1節―11節を読みましょう。この時、ペテロはどんな状況に置かれていましたか。あなたがペテロであるのなら、その時、どんな気持ちでいると思いますか。

 

2)何とその時、ペテロは二人の兵卒の間に二重の鎖でつながれつつも、眠っていました。このことはなぜ驚きなのでしょうか。なぜペテロはこの状況で熟睡することができたのでしょうか。

 

3)この投獄の前にもペテロは獄につながれていたことがあり、その時も主の使いによって救い出されていました(使徒行伝5章17節―23節)。この過去の経験は今の彼にどのような影響を与えていますか。

 

4)「万事休す」というような所を通ってきた私達が今、ここにいるということは否定できない事実です。これらの過去の試みに対して主が私達をそこから救い出してくださったとそのことを信仰をもって受け止める時に、私達が今、直面している試練はどのように解釈されるようになりますか。

 

5)使徒行伝12章7節―9節を読みましょう。ここにはペテロが御使いの一つ一つの指示を得て、救われている様が描かれています。あなたはこの度のコロナウイルスに対してどんなプロセスを通っていますか。このことを通して、神様から語られていることがありますか。

 

6)ペテロの肉体は繋がれていました。しかし、彼の心は開かれていました。私達は今、制限を受けており、物理的な扉が閉じられています。このような中であなたの心開かれていますか。どうしたら心を開いて暮らすことができますか。

 

7)ペテロが獄にいた時に「教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられた」(使徒行伝12章5節)と書かれています。今、私達が互いのためにできることは何でしょうか。


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