こうして教会は(5):命の言葉を堅く持って

フランスの哲学者ヴィクトル・シェルブリエ(Victor Cherbuliez)によれば、紀元前1500年から紀元1860年までの3360年間に署名された平和条約は世界で約8000件もあったといいます。しかし、どれも平均2年しか続かなかったといいます。その条約が結ばれた時、彼らは恒久的な平和を願い、努力を誓い合いました。しかし、それらは2年で破棄されてしまったのです。

私達の言葉はたとえそれが誓約であっても、それは時と共に移り変わるものなのです。覆されるものなのです。

しかし、聖書の神の言葉、命の言葉は変わらず、私たちを真に生かします。このことに対してマタイは大胆なイエス様の言葉を記録しています「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることはない」(マタイ24章35節)

 昨日は正しいとされていた事柄が、今日は正しくないものとされる今日、いのちの言葉は決して代わることがない。たとえこの世界は滅びてしまっても、いのちの事は決して滅びないとイエス様は言われるのです。

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こうして教会は(5):命の言葉を堅く持って
2019年7月14日

私達は「地境を動かさず、幕を張り広げ、綱を長く!」という標語を掲げて新
しい一年を歩み始めています。

そして、この標語を掘り下げるために使徒行伝から「こうして教会は」という
テーマで毎週、メッセージでお話しをさせていただいております。この「こう
して教会は」は使徒行伝9章31節からきています。

こうして教会は、ユダヤ、ガリラヤ、サマリヤ全地方にわたって平安を保ち、
基礎がかたまり、主をおそれ聖霊にはげまされて歩み、次第に信徒の数を増
ていった

いつも説明していますように「こうして」という言葉は「出来事の経過」と「その出来事が起きた理由」を説明する接続詞です。すなわち、この9章の前になぜ初代の教会が平安を保ち、基礎がかたまり、主をおそれ聖霊に励まされ、信徒の数が次第に増えていったのか、その「経過」と「理由」が書かれています。

そして、これまでの四回のメッセージでは「聖霊が弟子達の上に注がれた」ということをお話ししてまいりました。なぜなら、聖霊こそが最初の教会が誕生する時に、絶対不可欠なものであり、それはそのまま私達の教会にもあてはまるからです。さらには人生においてもこの聖霊は私達が最も大切にすべきものです。

こうして聖霊を受けた者達はイエス様がただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう』(使徒行伝1章8節)と言われた通りに地の果てにまで証人となったのです。

聖霊が下る時、「力を受ける」と言われた主。その「力」の最たるものは「私達の心を砕く力」であり、その「心に届く言葉の力」だったと先週はお話ししました。

そしてこの「言葉」と「心砕かれた者達」とが出会うと何が起こるのかということを使徒行伝は記録しています。すなわち、イエスの弟子達の上に聖霊が臨んだ時(使徒行伝2章1節―4節)、人々は彼らが他国の言葉で話しているのを見て、「彼らは新しい酒に酔っているのだ」と言いました。それに対して弟子の一人、ペテロが立ちあがって、すかさずメッセージを語りました。

14そこで、ペテロが十一人の者と共に立ちあがり、声をあげて人々に語りかけた。「ユダヤの人たち、ならびにエルサレムに住むすべてのかたがた、どうか、この事を知っていただきたい。わたしの言うことに耳を傾けていただきたい。15今は朝の九時であるから、この人たちは、あなたがたが思っているように、酒に酔っているのではない。16そうではなく、これは預言者ヨエルが預言していたことに外ならないのである。すなわち、17『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。18その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう(使徒行伝2章14節-18節)。

ここでペテロは旧約聖書のヨエル書2章28節―32節の言葉を引用しています。そうです、旧約聖書はイエス・キリストの誕生前に書かれたものでありますが「その書には私達が今、体験したことが既に預言されていたではないか」とペテロは語ったのです。

それを聴いていた多くの人はユダヤ人で、彼らは自らの祖先に対するリスペクトと彼らと共に共におられた神に対する熱心な信仰を有する者達でした。特にイスラエルの二代目の王であるダビデに対する敬意は大きなもので、ペテロはヨエル書を取り上げた後にそのダビデが書いた詩篇16篇8節から11節(使徒行伝2章25節-28節)を引用し、彼らに語りかけるのです。

ペテロが「預言者ヨエル」や「先祖ダビデ」が書いたもの、すなわち聖書の言葉を語った時、その場にいた者達はどうしたでしょうか。

37人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った。38すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい。そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。39この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。40ペテロは、ほかになお多くの言葉であかしをなし、人々に「この曲った時代から救われよ」と言って勧めた。41そこで、彼の勧めの言葉を受けいれた者たちは、バプテスマを受けたが、その日、仲間に加わったものが三千人ほどあった。(使徒行伝2章37節―41節)

そこに居合わせた3000人あまりの人達は「強く心が刺され、悔い改めて」(使徒行伝2章37節、38節)、イエス・キリストを主と受け入れたと使徒行伝は記しています。まさしくそれは「神の言葉」と「砕かれた心」が出会った瞬間だったのです。

皆さん、これらからお分かりになりますように、聖霊を受けた弟子達がその後、何をしたかといいますと、彼らはこのペテロのように「聖書の言葉」を語り続けたのです。

こうして、教会は神の言葉を伝えることによりその基礎ができ、その言葉は地の果てにまでおよんでいくのです・・・。

このことゆえに現在、アメリカには幾千の教会があります。そして、このアメリカのクリスチャニティーはどこから来たかといいますと、イギリスのピューリタンによってこの大陸に種が蒔かれました。

そのイギリスがあるヨーロッパで一番最初に生まれた教会は現在のギリシアにあるピリピの教会なのです。パウロが第二回目の伝道旅行の時にピリピの町を訪れ、紫布の商人であったルデヤという女性とその家族が救われて、ヨーロッパ最初の教会が生まれました(使徒行伝16章12節―15節)。

その時にルデヤに何が起きたのか。聖書は『主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた』(15節)と聖書は記しています。そうです、ピリピで起きたことも「神の言葉」と「彼女の砕けた心」との出会いだったのです。

こうして始まったピリピの教会にパウロは手紙を書きました。この時、彼はローマの牢屋に捕えられていました。そこからパウロはピリピの教会にこんな言葉を送りました。

ピリピ2章15節『それは、あなたがたが責められるところのない純真な者となり、曲った邪悪な時代のただ中にあって、傷のない神の子となるためである。あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている』

 パウロはここでピリピの教会は「曲がった邪悪な時代のただ中にある」と言っています。そうです、ピリピの教会が置かれている所は楽観できるような場所ではないのです。

しかし、その中であなたたちはいのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いているのだと言うのです。そうです、この「いのちの言葉」こそ、初代の教会が手放すことなくと堅く保ち続けたものであり、彼らはこのいのちの言葉を伝えていったのです。

今日はこの「いのちの言葉」について、すなわち「聖書のみ言葉」について二つのことをお話しします。まず最初に「私達を活かす言葉」ということです。

私達を活かす言葉

創世記において、最初の人間、アダムとエバは神様の「食べてはいけない」(創世記2章16節-17節)という言葉に背き、善悪を知る実を食べました。彼らは神の言葉をないがしろにしたのです。そこから人間の心に罪が宿り、人は死ななければならなくなりました。これがパウロが言うところの「曲がった邪悪な時代」の幕開けです。

それではこの邪悪な時代に生きる者達は何をすべきなのでしょうか。その邪悪な時代の原因が「神の言葉にそむいた」ことであるのなら、そこからの解放は「神の言葉に立ちかえる」ことなのです。

私達は日々、言葉を話しています。しかし、それらの言葉を「いのちの言葉」とは呼びません。しかし、神様が私達に語りかけている言葉、すなわち聖書の言葉をパウロは「いのちの言葉」と呼び、それを「堅く持て!」と言いました。

それではこの「いのちの言葉」が人の心に届くと何が起きるのでしょうか。ヤクザから回心してクリスチャンになった方に信田和富(Shinada Kazutomi)さんという方がおりますが、彼のお証に耳を傾けてみましょう。

信田和富さんのお証

https://vimeo.com/47214741

いのちの言葉にはその名の通り命があります。命は新しい命を生み出すのです。信田さんは刑務所で聖書の言葉によって内なる平安と新しい命がが与えられました。

彼は聖書を開きました。それはペテロ第一の手紙5章7節の言葉でした。そこにはこう書かれていました。神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから、自分の思いわずらいを、いっさい神にゆだねるがよい』(ペテロ第一の手紙5章7節)

信田さんは刑務所で恐れを感じていました。やくざである彼の人生にはいつも恐れがあったことでしょう。それが「刺せば監獄、刺されれば地獄」という稼業にいる者の宿命でした。しかし、彼が聖書の言葉と出会った時に、そこに聖霊が注がれた時に全てが変わりました。

その時、彼は強盗を犯して8年の懲役についていました。信田さんは2000年前にイエス・キリストと共に十字架にはりつけにされた強盗の男の姿を自分に重ねました。死ぬ間際の強盗に語りかけたイエス様の命の言葉はそのまま信田さんへの語りかけとなりました。その時、強盗はイエス様に向かって、話しかけました。

 42「イエスよ、あなたが御国の権威をもっておいでになる時には、わたしを思い出してください」。43イエスは言われた、「よく言っておくが、あなたはきょう、わたしと一緒にパラダイスにいるであろう」。(ルカ23章42節-43節)。

信田さんにとって、今まで聞いたことがない言葉です。しかし、その言葉は彼に新しい力をお与えになったのです。

イエス・キリストはかつて言いました「人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である」(ヨハネ6章63節)。

私達を生かすのは霊であり、肉は何の役にもたちません。イエス様の霊なる、命の言葉は信田さんの人生を変えたのです。彼はいのちの言葉と共に新しい人生を歩み始めたのです。

二つ目のことをお話しします。それは「生きる指針となる言葉」ということです。

生きる指針となる言葉

 定規というものがあります。よく言われます、私たちは誰しも自分専用の定規を心に持っている。そして、それで物事や人を計る。その定規は不思議なもので時間と状況が変われば、すなわち私達の都合により尺度が変わります。

しかし、本来、定規とはものを計る基準となるもので決してその目盛りが変わってはいけないのですが、私達の心の定規はいつも目盛りが変わるのです。

フランスの哲学者ヴィクトル・シェルブリエ(Victor Cherbuliez)によれば、紀元前1500年から紀元1860年までの3360年間に署名された平和条約は世界で約8000件もあったといいます。しかし、どれも平均2年しか続かなかったといいます。その条約が結ばれた時、彼らは恒久的な平和を願い、努力を誓い合いました。しかし、それらは2年で破棄されてしまったのです。

私達の言葉はたとえそれが誓約であっても、それは時と共に移り変わるものなのです。覆されるものなのです。

しかし、聖書の神の言葉、命の言葉は変わらず、私たちを真に生かします。このことに対してマタイは大胆なイエス様の言葉を記録しています「天地は滅びるであろう。しかしわたしの言葉は滅びることはない」(マタイ24章35節)

 昨日は正しいとされていた事柄が、今日は正しくないものとされる今日、いのちの言葉は決して代わることがない。たとえこの世界は滅びてしまっても、いのちの事は決して滅びないとイエス様は言われるのです。

私達は弟子達の上に聖霊が注がれたことを知っています。しかし、彼らはそれでも人間です。人間であるということは常に間違いを犯すかもしれない存在であるということです。

ですから彼らには聖書が必要でした。そう、いのちの言葉が彼らの不動のガイドラインとなったのです。そして、この聖書の言葉は今でも私達の人生を導くガイドラインなのです。その言葉を堅く持って生きる者達をパウロは星のように輝いていると言ったのです。

ここで今度は東日本大震災で被災された荒木英夫さんという方のお証を見ましょう。

荒木英夫さんのお証

https://vimeo.com/38275246

荒木さんは被災地でボランティアに来ている方達の姿を見て、不思議に思いました。この人たちは何者なのかと。そう、彼らは暗闇の中で輝いていたのです。そして、彼らはその町を祈り、廻ったのです。そうしました、この荒木さんの大好きな酒がまずくなったというのです。主にある皆さん、祈りには力があります。

まさしく彼らが成したことは2000年前にイエス様が言われたあの言葉の成就でした。

13あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。14あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。15また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。16そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい(マタイ5章13節―16節)

あの未曾有の震災の後、そこから逃れようとする者達が大勢いる中、キリストの名のもとに被災地にやってきた彼らは闇の中で輝きました。その輝きに人々は驚き、そして、人々は神をあがめたのです。

彼らは地の塩となりました。塩は腐敗をとどめます。彼らが神に祈り、町をめぐった時、彼らの祈りは天に届き、アルコールに人生を支配されていた荒木さんからアルコール依存を取り除けました。そして、なんとその時から彼もキリスト者となり、彼も輝きだしたのです。

彼らが放った光は彼らが自分で発電した光ではありません。それは主イエスという光の反射なのです。また一つまみの塩が食材の味に変化を与えるように、いのちの言葉は私達の腐敗をとどめ、私達の人生に素晴らしいフレイバーを残していきます。

主にある皆さん、初代教会は聖霊に満たされ、いのちの言葉に従い、そのいのちの言葉を伝え続けました。2019年を生きる私達が成すべきことも、まさしくこのことです。このことが成されていく時に私達はこの教会で、私達の私生活において、神のみわざを見ることができるのです。

『あなたがたは、いのちの言葉を堅く持って、彼らの間で星のようにこの世に輝いている』(ピリピ2章15節)

今週も主の言葉を堅く持って、ここから出ていきましょう。お祈りします。

 

本日のおもちかえり
2019年7月14日

1)イエス様の言われたとおりに弟子達はエルサレムに留まり、彼らの上に聖霊が注がれました。その後にペテロは何をしましたか。使徒行伝2章14節-18節を読みましょう。

 

2)使徒行伝2章37節―41節を読みましょう。何に反応して3000人もの人達は悔い改めてクリスチャンとなったのでしょうか。

 

3)使徒行伝16章12節―15節を読みましょう。ヨーロッパ最初のピリピの教会では何が起こりましたか。特に15節は何を語っていますか。

 

4)ピリピ2章15節を読みましょう。ここからパウロはピリピの教会の人々について何と語っていますか。何ゆえに邪悪な時代で輝くことができるのですか。

 

5)信田和富さん、荒木英夫さんのお証は私達に何を語りかけますか。信田さんが刑務所の中で出会ったものは何ですか。荒木さんが被災地で見た人たちはどんな人たちでしたか。

 

6)マタイ5章13節―16節を読みましょう。私達のこの世に対する使命は何ですか。世の光になるということはどういうことでしょうか。地の塩になるということはどういうことでしょうか。

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