こうして神は私達を用いる

母の恩師で米田豊という先生がいました。この先生は東京聖書学院の教授として重責を担われ、東京新宿にある西落合教会という教会の牧師として生涯を歩みました。米田先生の生涯は苦難に満ちていました。先生には8人も子供がいましたが、その内の6人を亡くすという生涯で、昭和のヨブと人は先生を呼びました。

ある時、ある牧師の子供がまだ、幼児なのに亡くなりました。周りのいかなる人の慰めも力がありませんでした。しかし、この米田先生が一言も言葉を言わず、ただ先生の方に手を置いたそうです。それだけでその先生は大きな慰めと励ましを受けたというのです。

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こうして神は私達を用いる

2018年7月29日

この度、私達は49人乗りのバスで修養会に行きました。帰りは    48人と定員ギリギリでしたが、それは嬉しい悲鳴でした。ところで皆さんの中でこの49人乗りのバスを乗用車としている人はいますか。

私が知る限り、教会にバスを運転して来られる方はいませんし、買い物に行くのにもバスを運転していくという方は聞いたことがありません。

大型バスを作る人は49人の人が乗るのを想定して作りました。それだけの人を乗せて、中にはトイレもつけて、多くの人たちが快適に移動できるようにと大型バスは作られています。

それでは私達が乗用車として使っている例えばトヨタのカローラはどうでしょうか。それは五人乗りですが、運転しやすく、小回りが聞いて、燃費がよく、街中を快適に運転できるように作られています。

ですから、私達はあの観光バスを乗用車とはしないのです。観光バスとカローラは明らかにその大きさ、かたち、機能が異なるのです。なぜなら、それらはその使用目的に沿って作られているからです。バスや車を設計し、製造する方達はこの機能や目的を踏まえて組み立て、ゆえにその販売方法も異なります。

なぜ、今朝このようなことをお話ししたかと言いますと、バスや車がその目的に沿って作られたように、私達もそれぞれの目的のために作られ、また何かに貢献するためにこの地上に置かれているということを、今日は見ていきたいと願っているからです。

どちらが優れているとか劣っているということではなく、観光バスとカローラがそれぞれ異なった目的を持っているように、私達もそれぞれ異なります。姿形はいうまでもなく、私たちの性格、私達ができる事、できない事、得意な事、不得意な事、私たちには互いに多くの違いがあります。

神様はそんな私達一人一人を通して、この世界に違いをもたらそうと考えておられるのです。そして、その違いとは、あなたを通して、この地上に神の栄光が現わされるということなのです。

このようなことを聞くと私たちは驚きます「私がこの世界に何かの違いをもたらす?」。「そんなことは夢にも思っていなかった」。「私は何のとりえもないし、年だから、若いから、体が弱いから・・・」と思われる方がいるかもしれません。これらの問いに対して、聖書は私達全ての者が神の栄光を表すために命が与えられているといいます。それなら、私たちはどのようにして神の栄光を表すことができるのか、そのことを今日は3つお話ししたいと思うのです

あなたの賜物によって

まず、先々週もお話ししましたが、神様は私たち一人一人に与えて下さっている賜物を用いて、この世界に違いをもたらそうとしているのです。賜物という言い方は難しいかもしれません。しかし、それは賜っている物、すなわち、私たちに与えられているギフト、贈物ということです。

私たちがどんなに否定しても、遠慮しても、私たちには誰しも神様からのギフトがあると聖書は言っています。アメリカでは何かに飛びぬけている子供を指して Gifted Childと言います。とてもいい言葉だと思います。贈り物を受けている子供という意味です。すなわち、それが数学の計算であっても、絵を描くことであっても、それらの才能は与えられているものなのだということです。そして、与えられているということは、与えてくださった存在がいるわけで、この言葉の背後には人間を超えた存在、すなわち神様がいるのです。

パウロはこの賜物についてローマ12章6節―8節においてこう言っています「このように、わたしたちは与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っているので、もし、それが預言であれば、信仰の程度に応じて預言をし、奉仕であれば奉仕をし、また教える者であれば教え、勧めをする者であれば勧め、寄附する者は惜しみなく寄附し、指導する者は熱心に指導し、慈善をする者は快く慈善をすべきである」

ここには色々なギフトが一人一人に与えられているということが書かれています。すなわち、教えるもの、奉仕するもの、勧める者、寄付するものというようにです。

そして、それは新しいものではなく、古くは出エジプト記31章1節-5節にもこの賜物について書かれています「主はモーセに言われた、見よ、わたしはユダの部族に属するホルの子なるウリの子ベザレルを名ざしで召し、これに神の霊を満たして、知恵と悟りと知識と諸種の工作に長ぜしめ、工夫を凝らして金、銀、青銅の細工をさせ、また宝石を切りはめ、木を彫刻するなど、諸種の工作をさせるであろう」というような言葉があります。これは、明らかに、神様がある特定の人達に上手に宝石や木を彫刻するギフトを与えておられたことを示しています。

そして、申命記8章18節などを見ますと、この賜物について、こんな御言葉すら発見できるのです「あなたはあなたの神、主を覚えなければならない。主はあなたの先祖たちに誓われた契約を今日のように行うために、あなたに富を得る力を与えられるからである

ここには「神があなたに富を得る力を与えられるからである」と書かれています。これは現代的に解釈するならば、ビジネスを成して富を得る賜物と言っていいのかもしれません。与えられたギフトによってビジネスを広げていく。そして、それによって富を得ていくということ。それも神から与えられたギフトだというのです。

アメリカ合衆国が他国の追随を許さない一つのことがあります。それは、この国の寄付金の多さです。アメリカでは年間、約2500億ドルの寄付金が様々な団体や個人に捧げられます。それに対して日本の総寄付金額は年間50億ドルで、アメリカの寄付金は日本の50倍以上になります。もちろん、この国では寄付をする者達に対して税金が優遇されるというようなシステムがしっかりしているということもあるのですが、それらを差し引いてもその寄付の多さは際立っています。特に際立っているのは自分の卒業した母校に対する寄付金の多さです。アメリカの大学において卒業生のドネーションは大きな財源となっています。

これらの背景には神が自分に与えてくださったギフトを用いて得たものは、まさしく神の恵みと祝福により与えられたものであるゆえに、それは社会に還元されるべきものなのだというような意識が根底にあると言われています。

そして、それはまさしく聖書が言っていることなのです。聖書において賜物が触れられてる時には必ずと言っていいほどに、それらは自分のために用いるのではなく、誰かのために用いるということが書かれています。そして、それは今、お話したようなギフトだけではなくて、私達自身が神から与えられているギフトを神のために用いるのです。そして、それはイコール人のために用いるのです。お互いのために役立てるのです。

パウロはコリント第一の手紙12章4節から7節において「霊の賜物は種々あるが、御霊は同じである。 務は種々あるが、主は同じである。働きは種々あるが、すべてのものの中に働いてすべてのことをなさる神は、同じである。各自が御霊の現れを賜わっているのは、全体の益になるためである

 第一ペテロ4章10節には「あなたがたは、それぞれ賜物をいただいているのだから、神のさまざまな恵みの良き管理人として、それをお互のために役立てるべきであるとあります。

この二つの御言葉が私達に語りかけることは与えられている賜物は管理されるべきものであり、全体の益、お互いのために役立てるべきであるということです。

そして、先々週タラントのたとえ話でもお話ししましたように、私達が神様から与えられている賜物を用いるのなら、神様はその賜物をさらに増してくださり、私達はますますその賜物を豊かに主のために用いることができるのです。

あなたの個性によって

二つ目のこと、それは自分の個性を生かすということです。私たちは誰もが個性というものを持っています。

私たちは自分がどれほどユニークな存在であるのかを理解していません。私たちの体の中にある“私”というものを作りあげるDNA遺伝子の組み合わせは10の24億乗あるといいます。これは10の2乗というのは10×10、すなわち100のことで、10の三乗とは10×10×10、すなわち1000のことです。 10の 24億乗というのは、こんな計算を24億回することです。こんな数字を言われても私たちは何も分かりません。

そこで、このゼロを一センチごとに書いていくと、23680キロ(14800マイル)に達する紙が必要となるということです。これはニューヨークとロサンゼルスの三倍の距離です。この数字は、私達のような人をこの地球上に見つけることは決してないということを示しています。そして、それは過去の歴史においてもそうですし、これからの未来においても私達と同じ人間がこの地球に誕生することはないのです。

この教会に集まっている人を見回してみても、皆、バラエティに富んでいます。物静かな人もいます。いつも動き回っている人もいます。論理的な人もいれば、感受性豊かな人もいます。人前で話すのが好きな人、絶対にイヤだという人。私たちは皆、それぞれが違うのです。

聖書は神があらゆるタイプの人を用いて下さるという数多くの例を示しています。ペテロは楽天家でした。パウロは情熱家でした。ルカは冷静でした。旧約のヨセフは沈思黙考する人でした。ヤコブは策略家でした。エレミヤは繊細な人でした。マルタとマリアは姉妹でありながら、その性格が全く違いました。これらの人たちは、それぞれの個性をもって神に仕えていきました。そして、神様はその個性を用いられたのです。

福音書を書いたマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネはそれぞれ違う人物です。そして、それぞれイエスを中心として起きた共通の出来事を多く記録していますが、それぞれの福音書には著者、それぞれ著者の個性が現れています。そして、その違いが、それぞれの書を際立たせています。それは福音書以外の著者、たとえばペテロやヤコブ、パウロと言った人達の個性もそれぞれ違います。その違いが聖書を立体的にし、神の存在というものを際立たせているのです。

「個性」は「賜物」とは区別されます。賜物は神様から与えられたものです。そして、その賜物に自分なりの磨きをかけていくと、それが個性となるのです。 神様は「あなたの個性」を用いられて主の栄光をあらわすお方です。

あなたの経験によって

3つ目のこと、それは私たちが自分の経験を生かすということです。私たちの人生に経験することは互いに違います。夫婦であっても違う。親子であっても、兄弟姉妹であっても違います。そして、その経験がその人をかたち造ります。

人生に世界で最も高い山のベスト10全てを登頂する人がいます。日本人であっても私のように富士山にすら登頂したこともない人もいます。世界80カ国を旅しましたという人もいれば、私は自分の生まれた町から出たことがないという人もいます。私たちはそれぞれ異なる経験をします。

そして、この経験を私たちは生かすことができるのです。パウロはコリント第二の手紙1章4節―5節においてパウロはこんなことを記しています 神は、いかなる患難の中にいる時でもわたしたちを慰めて下さり、また、わたしたち自身も、神に慰めていただくその慰めをもって、あらゆる患難の中にある人々を慰めることができるようにして下さるのである。それは、キリストの苦難がわたしたちに満ちあふれているように、わたしたちの受ける慰めもまた、キリストによって満ちあふれているからである」

このパウロは今、言った言葉をすぐにこの経験を用いています。この後、すぐの8節―10節を読んでみましょう。『兄弟たちよ。わたしたちがアジアで会った患難を、知らずにいてもらいたくない。わたしたちは極度に、耐えられないほど圧迫されて、生きる望みをさえ失ってしまい、心のうちで死を覚悟し、自分自身を頼みとしないで、死人をよみがえらせて下さる神を頼みとするに至った。神はこのような死の危険から、わたしたちを救い出して下さった、また救い出して下さるであろう。わたしたちは、神が今後も救い出して下さることを望んでいる』

ここにはパウロが経験した困難が書かれています。そして、同時にパウロはそんな困難の中にいる自分を神は私を救い出してくださったと、コリントの人達を慰め、希望を与えているのです。このようにパウロの困難と経験が神様によって用いられたのです。

ルカによる福音書22章32節においてイエス様が弟子ペテロに言われた言葉を私達は忘れてはなりません「シモン、シモン、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直った時には、兄弟たちを力づけてやりなさい」

シモンとはペテロが後にどうなるかということをイエス様は知っていました。彼はその時主よ、わたしは獄にでも、また死に至るまでも、あなたとご一緒に行く覚悟です」(ルカ22章33節)と言いましたが、その彼はこの直後に自分がイエス様の弟子であるということを自らの保身のために三度も否むのです。イエス様を裏切るのです。

しかし、イエス様はそのような、自己嫌悪に陥ってしまうような、大きな挫折を経験をしたペテロのために「あなたのことを祈っているぞ。そして、あなたが立ち直った時には兄弟達を力づけるのだぞ」と言われるのです。イエスは知っていました。彼の経験は必ず用いられるようになると。そして、この経験は実際にペテロにとって大きな力となったことでしょう。

私たちの経験は、私たちが他者を励ます、慰める力となります。これら励ます、慰めの源になる経験というものは当初、当人にとって辛い経験、悲しい経験であることが多いのです。しかし、主がそれらをも用いられるのだというこのことに目が開かれてくると、そのような経験の中にも神の希望の光が見えてくるのです。

母の恩師で米田豊という先生がいました。この先生は東京聖書学院の教授として重責を担われ、東京新宿にある西落合教会という教会の牧師として生涯を歩みました。米田先生の生涯は苦難に満ちていました。先生には8人も子供がいましたが、その内の6人を亡くすという生涯で、昭和のヨブと人は先生を呼びました。

ある時、ある牧師の子供がまだ、幼児なのに亡くなりました。周りのいかなる人の慰めも力がありませんでした。しかし、この米田先生が一言も言葉を言わず、ただ先生の方に手を置いたそうです。それだけでその先生は大きな慰めと励ましを受けたというのです。

時々、お話しします牧師に藤巻充という私の恩師がいます。私達夫婦の母校である東京聖書学院の教授でもあり、院長もつとめた方です。その生涯はユニークでした。先生曰く、私はおそらく当時、まだそんな言葉も生まれていなかったであろう日本における「引きこもり」と「家庭内暴力」の先駆けとなるような青年時代を送りました。

色々なコンプレックスに悩み荒れに荒れ、学校は合計17回退学となりました。行く先々の学校で、先生や同級生とケンカして数日で退学させられてしまうのです。そして、とうとう行ける学校がなくなり、横浜にある中華中学(中国人の学校)にどうやらこうやら入れてもらいました。しかし、そこは中学校、先生はその時19歳であり、小学校を卒業したばかりの同級生と机を並べて学びました。

先生は学校が大嫌いで、人間が大嫌いでした。しかし、先にもお話ししたように自分の荒れ狂った過去を赦してくださるイエス・キリストに出会いました。そして、その生涯が変わりました。先生の言葉を借りて言うならば「あんなに嫌いだった学校と勉強が大好きになった。人は会う人が皆、いい人に思えるようになった」と言うのです。そんな先生が神学校の院長となったのです(主にある皆さん、主は時にこのように人を用いられます)。

現在、先生は哲学と神学における博士でもあり、10カ国の言葉を巧みに話す稀有の人です。あの中華中学で学んだ中国語の通訳をつとめていることを私も度々拝見しました。このような藤巻先生の経験を私達は挫折と言いますが、この藤巻先生の経験こそが藤巻先生たらしめるものであり、かつて荒れに荒れた先生の経験から語られる「神の恵み」にはほんとうに力がありました。

私達の経験はそれぞれ違います。ひとりの人が全ての人を励まし、慰めることはできません。でも、あなたが通ってきた経験が、あなたの隣人を勇気づけることがあるのです。私たちが一つの経験を通るということによって、私達は幾人もの人達を励ます力を神様からいただくのです。

私は最近、思うようになりました。生きていれば色々な経験をする。楽しい経験もあれば、試みを通らされるような経験もある。その経験が増えるということは、それだけ私自身の心の引き出しが増えるということなのではないかと。

もし、同じようなところを通っている方がいたら、そのひきだしから、その人が引き上げられるような、慰めとなるように、励ましとなるようなものを取り出して、それを用いさせていただこうと。そのように自分の経験を考えるのなら、私達の経験は無意味なものではないと・・・。

今日は賜物、個性、経験ということについてお話ししてきました。私の人生、色々な方々から、多くのことを教えられ、良き影響を受け、またこの方を通して主の栄光があらわれているというような方達と出会いましたが、それらの方々は普通の人達であり、テレビや雑誌の中に取り上げられているような人達ではありませんでした。私はそれらの方達の日常の言葉や行いに多くの事を教えられ、励まされ、希望をいただき、主の栄光を見させていただいたのです。そして、それは今も続いているのです。

神様は私たちの賜物を通して私たちを用いてくださいます。そして、その賜物から形成される私たちの個性をも主は用いてくださいます。さらには私達の経験をも思いがけない方法をもって神様は用いて下さって、それを益と変えて下さるのです。お祈りしましょう。

How God uses us
July 29, 2018

We went to Shuyokai on a 49 seat bus this year. We had 48 people on the ride back, and it was a great joy for us to almost completely fill the seats. By the way, is there anyone who owns a bus as a passenger vehicle?

As far as I know, I don’t know anyone who drives a bus to church, and I haven’t heard of anyone who drives a bus to go shopping.

The manufacturer of the charter bus manufactures the bus for 49 passengers. The bus was designed also with a restroom so that the passengers can travel comfortably.

Then how about the cars we drive? Let’s say for example the Toyota Corolla, it fits only 5 people but is easy to drive, fuel efficient, and can easily maneuver through town.

That is why we do not choose to drive the bus as our daily automobile. The charter bus and Corolla obviously vary in size, shape, and function. That is because these vehicles were made differently for different uses. They were designed and manufactured with different plans and are also marketed and sold in different ways as well.

The reason why I am talking about this is because like buses and cars, we are also created for a purpose, and are on this earth to make a unique contribution.

Much like a bus and car have different purposes, we also each have different purposes. It is not that one is better than the other but we all have a unique purpose. Our personalities, talents, flaws, skills, and weaknesses are what make us different from each other.

God intends to make change in this world through each one of us and our differences. And that change is to show God’s glory, through you, on this earth.

Hearing this we may think, “Me bringing change to this world?”. “I would have never even dreamed that”. “I have no talent, I’m too old, I’m too young, I’m weak…”. To these doubts, it is written in the bible that we are all given life to reveal the glory of God. How then can we bring glory to God in our lives? This morning would like to talk about three things on this topic.

By your gifts

Two weeks ago, I spoke about how God has gifted us to change the world. This is obvious, but an important thing to remember is that a gift is something that is given to us.

No matter how much we deny or refrain from accepting it, the bible says that we all have accepted gifts from God. In the U.S., a very talented child is called a “gifted child”. I think it is a great phrase. Gifted child, in other words means that whether it be mathematics, or an ability to draw, that talent is something that has been given. If we are given something, that means there is a giver, and in this case it points to a being beyond us, which is God.

Concerning gifts, Paul writes this in Romans 12:6-8.

We have different gifts, according to the grace given to each of us. If your gift is prophesying, then prophesy in accordance with your faith; if it is serving, then serve; if it is teaching, then teach; if it is to encourage, then give encouragement; if it is giving, then give generously; if it is to lead, do it diligently; if it is to show mercy, do it cheerfully (Romans 12:6-8)

Here, Paul writes about different gifts people are given. Those who teach, those who serve, those who encourage, and those who give.

This is not a new concept, but also something that is written in Exodus 31:1-5.

Then the Lord said to Moses, “See, I have chosen Bezalel son of Uri, the son of Hur, of the tribe of Judah, and I have filled him with the Spirit of God, with wisdom, with understanding, with knowledge and with all kinds of skills— to make artistic designs for work in gold, silver and bronze, to cut and set stones, to work in wood, and to engage in all kinds of crafts (Exodus 31:1-5) .

And in Deuteronomy 8:18, concerning gifts, it says this.

18 But remember the Lord your God, for it is he who gives you the ability to produce wealth, and so confirms his covenant, which he swore to your ancestors, as it is today (Deuternomy 8:18).

Here it says, “for it is he who gives you the ability to produce wealth”. In contemporary terms “the ability to produce wealth” may be talking about success in business. In this verse, it talks about how even succeeding financially and massing wealth is a gift.

There is one thing in the United States that is completely unrivaled by other countries. That is the amount of donations in this country. There is an estimated 250 billion dollars that are donated to various organizations every year. Compared to this amount, Japan’s total donation is 5 billion dollars every year. This makes the United States’ donation sum 50 times more than Japan. There are helpful things in this country like tax deductions on donations, but even then, this country’s amount of donations is unmatched. Especially things like university donations, that are a big part of a school’s funding.

The donation sum in the US is explained by a cultural background of viewing profits gained through gifted abilities as something that should be given back to society.

And that is what the Bible talks about. Whenever the topic of gifts is discussed in the Bible, it is almost always followed by the fact that these gifts should be used for others. And gifts are not limited to what I just spoke about, but every gift given by God should be used for God. Using our gifts for God equals using our gifts for each other.

In 1 Corinthians 12:4-7, Paul writes,

 There are different kinds of gifts, but the same Spirit distributes them.There are different kinds of service, but the same Lord. There are different kinds of working, but in all of them and in everyone it is the same God at work.Now to each one the manifestation of the Spirit is given for the common good (1 Corinthians 12:4-7).

In 1 Peter 4:10, it says,

10 Each of you should use whatever gift you have received to serve others, as faithful stewards of God’s grace in its various forms (1 Peter 4:10)

These two verses are telling that we should steward and use our gifts for the common good.

And like the parable of the talents, if we use the gifts God has given us, then he will give us more, through which we are able to use more abundantly for God.

By your personality

The second thing is using our personality. We as individual beings, each have unique characteristics that define us.

We do not understand how unique our existence is. In our bodies are 10 to the 24th power of gene combinations. 10 to the second power is 10 times 10, which is 100. 10 to the third power is 10 times 10 times 10 which is 1000. To get 10 to the 24th power, 10 is multiplied 24 billion times. We cannot even fathom this number.

If we replaced every zero with a centimeter, the sum total is 23,680 kilometers or 14,800 miles. This is three times the distance between Los Angeles and New York. This number shows that there is no one like us on this earth. Not in the past, not in the future, there will never be anyone born who is exactly like us.

If you look around this church, there are various kinds of people. There are quiet people, there are people always moving about, there are people who are logical and people who are emotional. There are people who love talking in front of many people, and people who would never want to do that. We are all different.

The Bible provides many examples of how God uses different kinds of people. Peter was an optimist, Paul was very passionate, Luke was composed, Joseph was a deep thinker, Jacob was strategist, Jeremiah was delicate, Martha and Mary were sisters but had much different personalities. These people all used their unique characteristics to serve God, and God used these.

Matthew, Mark, Luke, and John who wrote the gospels are all different people. They all wrote about the same incidents of Jesus but each account is marked by the author’s unique style. And these differences make each gospel account stand out. This is shown in authors outside of the gospel like Peter, James, and Paul as well. Their differences make the Bible to be a multidimensional narrative that highlight God’s characteristics.

Characteristics and gifts are distinguishable. Gifts are things given by God, and if we refine these gifts it becomes our characteristic. God uses our characteristics to reveal his glory.

By your experience

The third thing is to make use of our experiences. We all experience different things in our lives. A husband has different experiences that his spouse, a parent than a child, and a sister than her brother. We each have different unique experiences. And these experiences shape us.

There are people who have climbed all of the top 10 highest mountains on earth. There are also people like me, who have not climbed Mt. Fuji even though they are Japanese. There are people who have traveled to 80 countries. There are also people who have never left their hometown. We all have varying experiences.

And we are able to use our unique experiences to our advantage. In 2 Corinthians 1:4-5, Paul writes,

who comforts us in all our troubles, so that we can comfort those in any trouble with the comfort we ourselves receive from God. For just as we share abundantly in the sufferings of Christ, so also our comfort abounds through Christ (2 Corinthians 1:4-5).

After Paul explains how we gain the ability to comfort through experiences, he does exactly this in the next verses.

We do not want you to be uninformed, brothers and sisters, about the troubles we experienced in the province of Asia. We were under great pressure, far beyond our ability to endure, so that we despaired of life itself. Indeed, we felt we had received the sentence of death. But this happened that we might not rely on ourselves but on God, who raises the dead. 10 He has delivered us from such a deadly peril, and he will deliver us again. On him we have set our hope that he will continue to deliver us, 11 as you help us by your prayers. (2 Corinthians 1:8-10)

Here Paul writes about the troubles he has experienced, and at the same time he writes about God who saved him in his trouble, and gave comfort and hope to the Corinthians. In this way Paul’s experience of hardship was used by God.

We cannot forget Jesus’s words to Peter in Luke 22:32,

32 But I have prayed for you, Simon, that your faith may not fail. And when you have turned back, strengthen your brothers (Luke 22:32).

Jesus knew what would happen to Peter afterwards. Peter said,

“Lord, I am ready to go with you to prison and to death.” (Luke 22:33)

However, right after, Peter denies that he was a disciple of Jesus three times for the sake of his own safety. He betrays Jesus.

Knowing that Peter would fall into this setback of guilt and self-hate, Jesus says, “I have prayed for you, and when you have turned back, strengthen your brothers”. Jesus knew that Peter’s experience would be used to help him. And that experience gave great power to Peter.

Our experiences become power to encourage and comfort others. The source of this ability is often an experience that is at first painful and sorrowful. But if our eyes are open to how God uses our experiences, we are able to see hope even in the painful times.

There was a teacher named Yutaka Yoneda who was my mother’s mentor. This teacher held big responsibilities as a professor at Tokyo Biblical Seminary and was a pastor of Nishiochiai church in Shinjuku, Tokyo.

One day, a pastor’s child who was still an infant, past away. None of his peers were able to comfort him. But Mr. Yoneda placing his hand on the pastor’s shoulder was enough to comfort and encourage him.

Sometimes I talk about Miura Fujimaki, a pastor who was my mentor. He taught at Tokyo Biblical Seminary and was also once the chancellor as well. His life was unique. According to his story, he lived a hikikomori lifestyle (someone who lives in isolation and confinement at home), and also committed domestic violence in his youth, much before these things were common in Japan.

He struggled through many worries and was expelled from 17 schools. He would get into fights with his peers and teachers and be expelled from schools only a couple days after enrolling. After a while, there were no more schools he could enroll in and after a while he was able to enroll in a Chinese school in Yokohama. However, it was a middle school, and at age 19, he sat in a classroom amongst children who just graduated elementary school.

He hated school and hated people. But he met Jesus Christ, who healed his uncontrolled past. And his life changed. He said, “I used to hate school and studying, but I began to love it. And everyone I met started to seem like good people”. And he eventually would become a director of a seminary.

In the present, this teacher has a doctorate in philosophy and divinity, and can speak 10 languages fluently. I have seen him do Chinese translation using the Chinese he learned at the Chinese middle school. We would call his experiences setbacks, but these experiences were what shaped him into who he is. His testament of God’s grace was more powerful than anyone else.

Our experiences are all different. One person cannot encourage and comfort everyone. But your experiences can encourage someone next to you. By experiencing an event, God gives us the power to encourage many people.

Recently I began to think about how we experience difference things in life. There are fun experiences and experiences of trials. The more we experience, the more we are able to relate to and comfort others.

And when I have experienced many things, I can use that experience to lift people up, to comfort people, and to encourage people. When I think about these opportunities, my experiences are not meaningless or in vain.

Today I talked about gifts, characteristics, and experiences. I have been taught many things, have been positively impacted, and have seen God’s glory revealed through many people I have been able to meet. But these people are ordinary and are not the kind of people to be interviewed on TV or written about in a magazine. I am taught many things, given hope, and see God’s glory through the daily words and actions of these people. And this continues even now.

God uses through gifts given to us. God also uses our characteristics that are formed through these gifts. Finally, God uses our experiences in ways unimaginable to us, and changes these things into good. Let us pray.

Translated by Kou Okura

 

本日のおもちかえり
2018年7月29日

1)ローマ12章6節―8節を読みましょう。神様があなたに与えておられる賜物は何だと思いますか。

 

2)出エジプト記31章1節-5節、申命記8章18節から分かることは何ですか。

 

3)コリント第一の手紙12章4節-7節と第一ペテロ4章10節は賜物をどのように用いるべきだと書いていますか。あなたはこのことを考え、実行していますか。

 

4)あなたはどんなユニークな個性を持っていますか。「賜物」と「個性」はどのように関係していますか。

 

5)私達と同じ人間は人類史上いませんでしたし、これからもいません。このところから神様は「個性」というものに対して何を期待していると思いますか。

 

6)コリント第二の手紙1章4節―5節を読みましょう。ここから私達の「経験」はどのように用いられると書かれていますか。

 

7)イエス様は大きな挫折と失敗を経験するであろうペテロに予め、ルカによる福音書22章32節を語りかけました。ペテロの経験は兄弟達を力づけるための力となりましたか。なぜですか?

 

8)なぜ「経験」には力があるのでしょうか。「経験」を用いる時に注意すべきことは何ですか?

 

9)あなたはどんな経験をもって、人を慰めたり、励ましたりすることができますか。そう考えると無駄な経験というものがあるでしょうか。

2 thoughts on “こうして神は私達を用いる

  1. 私達が結婚した時、教会の青年会からプレゼントを頂きました。それが米田豊師が書かれた「新約、旧約聖書講解」でした。時々開いています。今朝は、米田豊さんはどんな方なのか、知りたくなり検索しましたら、こちらにたどり着きました。
    これも神様の導きです。こちらで神様はどんな方にも賜物を与えてくださっていると知り、恵まれました。私をどんな風に用いてくださるのか楽しみです。
    日本宣教会代田教会

  2. 米田先生の「新旧約聖書講解」は名著ですね。幼いころ、何度か米田先生のお宅に行かせていただきましたが、いつもニコニコと迎えてくれました。神様の渡辺さんの賜物を豊かに用いてくださいますように。栄光在主!

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