ご存知ですか、あの人のこと、あなたのこと

私は子供に「宿題をしなさい!」と怒鳴りつけることがあります。早くやっておけばこんな苦労はしないと仁王立ちして彼らに言うのです。しかし、その時に私はあることを忘れているのです。どこの誰でしょうか、明日、人前で話さなければならないメッセージがあるのに、その前の晩になってあわてて準備しているのは。そのセミナーがあるのは半年も前から分かっていたのにもかかわらずです!。子供をしかりつけている時、私はそんな自分のことは微塵も考えずにシャウトしているのです。この程度なら「まったくしょうがないな」と笑い話ですむかもしれない。しかし、実際のところ、この類の勘違いは私達の間に満ち溢れていますし、これらがとても深刻な問題となり、私達の関係をことごとく壊しているのです。

マック

今日、礼拝でお話したメッセージです↓  

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 ご存知ですか、あの人のこと、あなたのこと

ルカ7章36節―50節

2010年10月24日

36あるパリサイ人がイエスに、食事を共にしたいと申し出たので、そのパリサイ人の家にはいって食卓に着かれた。37するとその時、その町で罪の女であったものが、パリサイ人の家で食卓に着いておられることを聞いて、香油が入れてある石膏の壷を持ってきて、38泣きながらイエスのうしろでその足もとに寄り、まず涙でイエスの足をぬらし、自分の髪の毛でぬぐい、そして、その足に接吻して、香油を塗った。39イエスを招いたパリサイ人がそれを見て、心の中で言った、「もしこの人が預言者であるなら、自分にさわっている女が誰だか、どんな女か分かるはずだ。それは罪の女なのだから」。40そこでイエスは彼に向かって言われた、「シモン、あなたに言うことがある」。彼は「先生、おっしゃってください」と言った。41 イエスが言われた、「ある金貸しに金をかりた人がふたりいたが、ひとりは五百デナリ、もうひとりは五十デナリを借りていた。42 ところが、返すことができなかったので、彼はふたり共ゆるしてやった。このふたりのうちで、どちらが彼を多く愛するだろうか」。43 シモンが答えて言った、「多くゆるしてもらったほうだと思います」。イエスが言われた、「あなたの判断は正しい」。44 それから女の方に振り向いて、シモンに言われた、「この女を見ないか。わたしがあなたの家にはいってきた時に、あなたは足を洗う水をくれなかった。ところが、この女は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でふいてくれた。45 あなたはわたしに接吻をしてくれなかったが、彼女はわたしが家にはいった時から、わたしの足に接吻をしてやまなかった。46 あなたはわたしの頭に油を塗ってくれなかったが、彼女はわたしの足に香油を塗ってくれた。47 それであなたに言うが、この女は多く愛したから、その多くの罪はゆるされているのである。少しだけゆるされた者は、少しだけしか愛さない」。48 そして女に、「あなたの罪はゆるされた」と言われた。49 すると同席の者たちが心の中で言いはじめた、「罪をゆるすことさえするこの人は、いったい、何者だろう」。50 しかし、イエスは女にむかって言われた、「あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい」。

宗教改革をなしたマルチンルターは、今日読みましたこの聖書箇所をとても愛したと言われています。そして、彼は自分が愛するだけではなく、人々に毎年一回はこの記事を読み、ここからのメッセージをしなくてはいけないと言いました。それはキリスト者、あるいは教会が毎年一回はこの物語に戻り、この物語を思い巡らし、そこからやり直すことが大切だということです。今日で7月から見てきました「耐震補強」をテーマとしたメッセージ・シリーズが終わりますが、私達はこの物語を通して、しっかりと最後の土台補強をしたく願っております。このところから今日は二つのことをお話したいと思います。まず第一に「あなたは彼女のことを知っているのか」ということです。

 あなたは彼女のことを知っているのか。 

さあ、ルターがそれほどまで言うこの物語はどんな話なのでしょうか。一人の登場人物が現れます。彼女は女性であり、ここにはその名前すら記されていません。ただ、こう記されています。「彼女はその町で罪の女であった」。彼女はなぜ罪の女だと言われていたのでしょうか。このように彼女が呼ばれていたということに対して、その細かなことは書かれていませんが、注解書や当時の時代背景から分かることは、おそらく彼女が自らの体を売りながら生きていたということではないかと思われます。そして、その彼女の様は人が彼女を一目見て「あの女は罪の女だ」と分かるような女性であったということです。

その時、イエス様はパリサイ人に招かれて、シモンという人の家の食卓についていました。私達はここ最近、幾度か取税人や罪人の食卓に招かれたイエス様のことを話してきましたが、イエス・キリストというお方は、招かれる食事にはそれが誰からのものであっても断ることなく、出来る限り出向いていったようです。私もかつて先輩牧師から「頼まれた説教と食事は極力、断るな」と言われたことがありますが、説教のみならず、食事を共にするということはとても聖書的なことなのかもしれません。イエス様は時に政府の役人のような者と食事もとれば、今回のようにパリサイ派の人というような宗教家、またこれまで何度もお話してきましたように、取税人や罪人というようないわゆる町のアウトサイダーとの食卓にも同席されていたのですから。

そしてこの度はこのパリサイ人の食卓につき、イエス様の前には美味しそうな食事が運ばれ始めた時なのかもしれません、足元に黒い影が近づいてきて、イエスの足元にひざまずきました。誰だろうかと思いきや、そこには涙を流した女性がおり、彼女はその目から流れる涙でイエスの足を濡らし、その髪の毛でそれをぬぐい、その足に口づけをして、香油を塗り始めたというのです。

当時の家は比較的オープンで家の扉を開け放して食事をすることは一般的であったといいます。故に彼女は家の中に入ることができたようです。給仕する女性たちにまぎれ混んでいたのかもしれません。パリサイ人はとても厳格な律法主義者で彼らは昼間でも女性と町で話しをすることはありませんでしたし、ましてや食事を共にするということはありえませんでした。彼らの信条は汚れたもの、罪ある者と自らを隔離することによって、自らのきよさを保つというものでしたから、この女性が自宅の、しかも食事の席に近づいているということは許しがたいことでした。

この女性も、もちろんそんなことは知っていたでしょう。自分は今、居てはいけない場所にいるということを。そして、そのことによって、どんな罵声と非難を浴びるかということを。実際に「どこから入ってきたんだ!ここは、お前みたいな汚れた女が来る所じゃない!律法の書にはお前のような人間は、その人だけではなくて、三代、四代まで罰が下されると書かれているぞ」というような言葉を受けたということは十分、考えられます。このように浴びせられた言葉は彼女が初めて聞く言葉ではなかったことでしょう。そんな言葉を彼女は常に受け止めてこれまで生きてきたのでしょう。

おそらく彼女はこの出来事の前に何度かイエス様にお会いしていたのではないかと思われます。何度かイエス様の話を聞き、好奇心と侮辱で満ちた眼差しを彼女に送っていた人達とは異なるイエス様のお心というものを感じ取っていたのかもしれません。もしかしたらイエスが言われた「私のもとに来なさい、あなたがたを休ませてあげます」(マタイ11章)というような言葉も聞いていたのかもしれません。彼女はこの人なら自分の今の現状を変えてくださるかもしれないと、勇気を振り絞ってそこにやってきたのです。

この一部始終を見ていたこの家の主人、シモンは心の中でこう言いました。「もしこの人が預言者であるなら、自分にさわっている女が誰だか、どんな女か分かるはずだ。それは罪の女なのだから」。この言葉は言い方を変えれば「俺はこの女がどんな女だかよく分かっている」ということを意味します。そして、じゃーどんな女なのかといえば、「彼女は罪の女なのだ」ということになります。私達はこの箇所を「へぇーそうなのか。そうだろうな。彼女は一目見て罪人と分かる女性だったんだろうな」とそのまま読み進めていきがちです。しかし、よくよくこのシモンが心の中で思っていたことを考えますと一つの疑問がわきます。

それは「はたしてシモンは本当にこの女がどんな女なのか分かっていたのか」ということです。確かに彼女は「罪の女」であったということは事実でしょう。そのことに対しては自他共に認める言動というものが目撃されていたことでしょう。しかし、そのことだけで、わたしたちは本当にこの女性がどんな人なのか分かっているのか。なぜ、この女が自らを売るようになったのか。彼女はどのように今日まで生きてきたのか。なぜ、そのような人生になったのか、そのことをシモンは本当に知っているのかということです。「わたしはあなたのことは良く良く分かっているよ。そうだ、あなたは罪の女だ」って、はたして私達は人の一生をそんなに短くまとめることができるのでしょうか。

確かに彼女がもし自らの体を売って日々を過ごしていたのであるならば、モーセに与えられた十戒の一つである「姦淫してはならない」という律法を破っているのです。彼女はこの律法に照らし合わせれば、彼女はアウトなのです。そう言われれば何も言い返すことはできないのです。それはイエス様の側から見てもそうなのです。このお方こそ、そのことを裁くことができたお方なのです。

しかし、皆さん、イエス様とパリサイ人の違いの一つはここにありました。この時のみならずイエス様とパリサイ人は聖書の中で何度も衝突します。それはイエス様とパリサイ人との間にこの視点の違いがあったからです。その視点とは今、目の前に見えているその人の背後を見ようとする憐れみの眼差しです。マルコ12章41節‐44節にはこんな記事が書かれています。

イエスは、賽銭箱に向かって座り、群集がその箱に金を投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちは、たくさんの金を投げいれていた。ところが、ひとりの貧しいやもめがきて、レプタ二つを入れた。それは一コドラントにあたる。そこでイエスは弟子達を呼び寄せて言われた「よく聞きなさい。あの貧しいやもめは、賽銭箱に投げ入れている人達の中で、誰よりもたくさん入れたのだ。みんなの者はありあまる中から投げ入れたが、あの婦人はその乏しい中から、あらゆる持ち物、その生活費全部を入れたからである。 

このところに献金を投げ入れる金持ちの姿があります。当時の金は紙幣ではなく硬貨ですから、それを賽銭箱に投げ入れることによって、その人がおよそどれぐらいの額を入れたかが分かったのです。ですからその様を見ている人達は金持ちが確かに多くの献金をしていることが分かったでしょう。しかし、同じ所にいた貧しいやもめは金持ちに比べたら本当にわずかな献金を賽銭箱に入れたのです。誰が見てもその額は歴然としているのです。しかし、イエス様はその目に見える額を見たのではなく、そのやもめの日々の厳しい生活を思い、その厳しい生活の中から捧げたその献金をして、このやもめは誰よりもたくさん入れたのだと彼女を高く評価したのです。イエス様の視点には彼女がやもめとしてどんな生活をしているのかということを考慮する眼差しがあったのです。さらにマルコ5章25節‐34節にはこんな出来事が書かれています

25 さてここに、十二年間も長血をわずらっている女がいた。26 多くの医者にかかって、さんざん苦しめられ、その持ち物をみな費してしまったが、なんのかいもないばかりか、かえってますます悪くなる一方であった。27 この女がイエスのことを聞いて、群衆の中にまぎれ込み、うしろから、み衣にさわった。28 それは、せめて、み衣にでもさわれば、なおしていただけるだろうと、思っていたからである。29 すると、血の元がすぐにかわき、女は病気がなおったことを、その身に感じた。30 イエスはすぐ、自分の内から力が出て行ったことに気づかれて、群衆の中で振り向き、「わたしの着物にさわったのはだれか」と言われた。31 そこで弟子たちが言った、「ごらんのとおり、群衆があなたに押し迫っていますのに、だれがさわったかと、おっしゃるのですか」。

32 しかし、イエスはさわった者を見つけようとして、見まわしておられた。33 その女は自分の身に起ったことを知って、恐れおののきながら進み出て、みまえにひれ伏して、すべてありのままを申し上げた。34 イエスはその女に言われた、「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心して行きなさい。すっかりなおって、達者でいなさい」。

当時の女性の地位というのは低く、男性に付属する物のようにしか見られていませんでした。またさらにレビ記などを見ますと、女性の月のものが始まると、その女は汚れた者とされ、人々はそのような女性に近づくこと、触れることを嫌ったといいます(レビ15章19節―)。この女性は12年もの間、婦人病で悩み、医者にかかっても直らず、散々苦しめられて、財産を全て費やしてしまったていたのです。そしてその間、彼女は汚れた者とされていたのです。彼女の病状を悪化するばかりで、何をしても直らないということは、自分は神から見捨てられているのだということなのだろうか、神からの罰として私はこの汚れを生涯受けなければならないのだろうかと彼女は悩み続けていたに違いありません。そのことによって失ってしまったものは財産だけではなかったと思われます。その彼女がそっとイエス様の衣のすそに触ったのです。そして、その瞬間に彼女は自分が癒されたことに気がつくのです。

イエス様はその時、ご自身の内から力が出て行くのを感じました。そして、この女が自分の衣に触れたということを知るのです。33節によると、彼女はイエスの前にひれ伏して、全てありのままの自分の状態をイエス様に申し上げたのです。その全てありのままを聞いたイエスは彼女に向かい言いました「娘よ、あなたの信仰があなたを救ったのです。安心していきなさい。すっかり直って達者でいるんだよ」。この女が出血していたのは事実です。そしてレビ記はそのような女を汚れているとしていたことも事実です。しかし、イエス様はなぜこの女を咎めなかったのでしょうか。イエス様は自分で好きでなったのではない、しかし、そのことによって偏見に苦しみ、全てを失って人知れずに悲しみ苦しんできた彼女の12年間を見つめたからです。

ここまで「罪の女」「貧しいやもめ」「長血で苦していた女」を見てまいりました。その時に人々の目に写っていた彼女達は「後ろ指をさされる女」「多くを捧げない女」「汚れた女」だったのです。しかし、イエス様は、そこに至るまでの彼女達の悲しみと苦労というものに目を注ぎました。

 私達の目の前にいる妻や夫、子供、親兄弟、そして友人達にしても彼らの今の言動は確かに彼らのものです。私達はそのような人に対して、私はこの人のことは全て分かっている。彼、彼女は罪に支配されているということができるでしょうか。人の一生を説明するのに、そんなに簡潔な言葉で片づけることは私達にはできません。

パリサイ人、シモンは言いました。「もしこの人が預言者であるなら、自分にさわっている女が誰だか、どんな女か分かるはずだ。それは罪の女なのだから」。40そこでイエスは彼に向かって言われた「シモン、あなたに言うことがある」。

イエス様はこのパリサイ人と同じような私達に対しても、この朝「あなたに言うことがある」と問いかけていないでしょうか。二つ目のことをお話します。それは「あなたも罪人ではないのか」ということです。

あなたも罪人ではないのか。

イエスを招いたシモンは心の中で言いました「もし、この人が預言者であるなら、自分にさわっている女がだれだか、どんな女か分かるはずだ。それは罪の女なのだから

ここまで、シモンは彼女のことを何も知らなかったということをお話しました。ここではもう一つ、彼が知らなかったことをお話しましょう。それは彼はこの女は「罪の女」だと言いながら、自分は「罪の男」だということには思いがいかなかったのです。ああなんたることか、周りには目を向けながら、自分のことは何も見えていなかったのです。

一つ、有名な箇所を読ませていただきます。ヨハネ8章1節‐11節:1 イエスはオリブ山に行かれた。2 朝早くまた宮にはいられると、人々が皆みもとに集まってきたので、イエスはすわって彼らを教えておられた。3 すると、律法学者たちやパリサイ人たちが、姦淫をしている時につかまえられた女をひっぱってきて、中に立たせた上、イエスに言った4 「先生、この女は姦淫の場でつかまえられました。5 モーセは律法の中で、こういう女を石で打ち殺せと命じましたが、あなたはどう思いますか」。6 彼らがそう言ったのは、イエスをためして、訴える口実を得るためであった。しかし、イエスは身をかがめて、指で地面に何か書いておられた。7 彼らが問い続けるので、イエスは身を起して彼らに言われた「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。8 そしてまた身をかがめて、地面に物を書きつづけられた。9 これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。10 そこでイエスは身を起して女に言われた「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。11 女は言った「主よ、だれもございません」。イエスは言われた「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。

今日はこれで四人目の女性です。このことだけでイエス・キリストが当時の世界では、ありえない人間であったということが分かります。女性が男の付属品、物のように考えられたその時代、こんなに多くの女性たちが書物に記録されることはないのです。イエス様が生きた時代はそんな時代なのです。しかし、神の子なるイエス様の視点で見れば、女性も男子も神の前には愛すべき人間であるゆえに、女性が多く出てくるのです。特にその社会において弱者であった女性に対するイエス様の姿というものはあちこちに記されているのです。

さて、今読みました出来事ですが、これも今日お話ししてきたパターンに当てはまるものです。すなわち、律法に照らし合わせればこの女性もアウトだということです。当時の律法が示すように姦淫の場で捕らえられたこのような女性は石で打ち殺されるべきとしていましたので、彼女に弁解の余地はありません。しかし、イエスは石を握って彼女に詰め寄る男達に向かい言ったのです「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」(7)。

この出来事を注意深く見ます時に、この出来事の中心にも「パリサイ人」の姿を見ます(3)。彼らの心の中にはさながら今日見ております出来事でパリサイ人シモンが言った言葉と同じような思いがあったに違いありません。「もしこの人が預言者であるなら、自分の前にいる女が誰だか、何をした女なのか分かるはずだ。それは罪の女なのだから」。彼らは石を握りながら、イエスに詰め寄りましたが、イエスの「あなたがたの中で罪のない者が・・・」という一言で、その興奮した激しい思いが萎えてしまったのです。彼らは否定できない問いかけをイエスから受けたからです。

とても身近なことをお話しましょう。先週もお話しました。私は子供に「宿題をしなさい!」と怒鳴りつけることがあります。早くやっておけばこんな苦労はしないと仁王立ちして彼らに言うのです。しかし、その時に私はあることを忘れているのです。どこの誰でしょうか、明日、人前で話さなければならないメッセージがあるのに、その前の晩になってあわてて準備しているのは。そのセミナーがあるのは半年も前から分かっていたのにもかかわらずです!。子供をしかりつけている時、私はそんな自分のことは微塵も考えずにシャウトしているのです。この程度なら「まったくしょうがないな」と笑い話ですむかもしれない。しかし、実際のところ、この類の勘違いは私達の間に満ち溢れていますし、これらがとても深刻な問題となり、私達の関係をことごとく壊しているのです。

イエス様はヨハネ9章40節においてパリサイ人に向かって「あなたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが見えると言い張るところに、あなたがたの罪がある」と言いました。パリサイ人達の問題はいつも自分だけは見えている、分かっているというところにあったのです。「この女のことは分かっている。彼女は罪人だ。私にはそれが見えている。だから彼女は罰せられるべきだ」しかし、彼らは見えていなかったのです、自分も罪人だということを。すなわち、彼らは全くの盲目だったのです。

今日の出来事において、イエス様はパリサイ人に向かい、「シモンよ、あなたに言うことがある」と言われて譬を話されました。その譬は「多く赦された者は多く愛する」ということを明らかにする譬話でした。私達が神様から赦されているということを自覚するには、私達は自分が神の前に罪人であるということを自覚しなければなりません。私達が神様の前に立てば、皆、等しく罪人なのです。そして、その中で私達がどれだけ多くのことを赦されているかということを自ら知ることが、私達が神をどれだけ愛することができるかということになるというのです。ですから、私達は自分が神の前に罪人であるということ、そして、そんな自分が神様の恵みによって、どれだけのことが赦されて、今あるのかということを知るべきなのです。

皆さん、今日お話してきました二つのことがイエス様とパリサイ人達との違いでした。この違いは結局最後まで解かれることなく、この真理に対して怒りをもったパリサイ人や彼らと同じような考えをもった律法学者の手によって、イエス様は十字架にかかることになるのです。

私達はどうでしょうか。私達はあの人、この人のことが分かっているのでしょうか。僭越ながら言わせていただきますと、おそらく私達は彼、彼女のことをほとんど知らないでしょう。そして、私達は自分自身のことすらもよく分かっていないのです。そうです、自分自身も彼ら、彼女らと同じ罪人であるということです。ですから、私達がイエス・キリストのように、その生涯を共に歩んでいくということを願うのであるならば、私達もこのイエス様と同じ視点を持たせていただけるようにと祈り求めようではありませんか。お祈りしましょう。

 

本日のお持ちかえり

2010年10月24日

 1)ルカ7章36節―40節を読みましょう。「その町で罪の女」であったという言葉からあなたはこの女性がどんな人であったかと想像しますか?そのような女性は律法の前ではどのように取り扱われる人なのでしょうか。あなたはこのような女性についてどのような思いを持ちますか?

 

  

2)なぜ、この女はイエス様の足に香油を塗ったのでしょうか。このような行動の背後にはこの女性のイエス様に対するどのような思いがあったと思いますか。

 

 3)イエスを招いたシモンが心の中で「もしこの人が預言者であるなら、自分にさわっている女が誰だか、どんな女か分かるはずだ。それは罪の女なのだから」と思ったことに対して、あなたはどう思いますか。なぜ、イエス様はその彼に対して「シモン、あなたに言うことがある」と言ったのでしょうか。

 

4)あなたは自身の身の回りにいる人のことをどれだけ知っていますか?もし、今、共にこの問いを考えている人がいるとしたら、その人のことをどれぐらい知っていますか。その人はあなた自身のことをどれぐらい知っていますか。人が人を完全に評価したり、裁くことは可能でしょうか?その理由は?

 

 5)マルコ12章41節‐44節、マルコ5章25節‐34節を読みましょう。あなたはここに出てくる「やもめ」や「12年間、長血で苦しんだ女性」がどんな生活をしていたかと想像しますか。彼らを「献金の少ない者」「汚れた者」と言い切ることができますか?

 

 6)ヨハネ8章1節-11節を読みましょう。もし、あなたがこの場面に立ち会っていたら何を考えていたでしょうか。イエス様は何を思いながら地面にもの書きをしていたと思いますか。「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」という言葉は何をあなたに語りかけますか。

 

 

 

 

 

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