イエスが読んだ聖書

IMG_20130917_200612_839「イエスが読んだ聖書」を久しぶりに再読していますが、あらためてフィリップヤンシーの感性といいましょうか、目のつけどころに脱帽です。例えば・・・

『聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです』(Ⅱテモテ3章16節-17節)。聖書が神の霊感による書物であることを概括的に語っているこの言葉が、聖書記者たちの持っていた唯一の聖書、すなわち「旧」約聖書についてであることを、私達は何と簡単に忘れてしまうことであろう(p15)。 

このテモテ書の言葉は何度も読み、ここからメッセージを語らせていただいたこともあるのですが、確かにパウロの心にあった聖書とは私達が難解でとっつきにくいと思っている旧約聖書のことなのです。

『それから、イエスはモーセおよびすべての預言者から始めて、聖書全体の中で、ご自身について書いてある事がらを彼らに説き明かされた』私達は今日、「エマオへの道」を逆向きに経験する必要がある。弟子達はモーセのことも預言者たちのことも知っていたが、キリストなるイエスとどのようなつながりがあるかを理解していなかった。一方、現代の教会はキリストなるイエスを知っているが、モーセや預言者たちを理解する力を急速に失いつつある(p31)。

そうなのです、ここでイエス様が説き明かしたことも旧約聖書の全体であり、その全体とご自身との関わりが語られたのです(この究極の講義をいつか御国で聞かせていただけることを楽しみにしています)。その旧約聖書、すなわち‟イエス様が読んだ聖書”なくして新約聖書を理解することなどできないのです。新約聖書を知るために旧約聖書を読み、旧約聖書を知るために新約聖書を読む必要があるのです。そして、その全体から語られるメッセージによって、世界を俯瞰し、私達の人生全体を見るように努めるのです。

新約聖書を読んでいると、旧約聖書の言葉や出来事があれもこれも脳裏をかすめるようになるまで(逆もしかり)、聖書を読みこみたいです。

マック

 

 

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