イースターから見える神の心

最近、韓国企業が「次世代の5Gの携帯電話を世界で一番、最初に発売したのは我々だ」と名乗り出ました。そうしましたら「いいや、そうじゃない、アメリカが最初だ」とアメリカがクレームを出し、最後には韓国の大統領まで出てきて「いや、わが国が世界最初なのだ」と主張しました。人はいつも「一番最初である」ということにこだわるのです。

神の子キリストが死を打ち破り、空間を超越したお方として復活なさるのなら、イエス様は世界のどこにも姿をあらわすことができました。もし天に広報担当なる御使いがいたのならイエス・キリストの復活をどのように世の中に伝えるか戦略を練ったことでしょう。そして、考えたに違いありません。その第一報は誰に託したらよかろうかと。

その候補者を選ぶ時の選考の基準はきっとこうなることでしょう。このニュースが全世界に伝わるという目標を達成するために、大きな影響力を持っている人物を選ばなければならないと・・・。

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イースターから見える神の心
2019年4月21日

来年はオリンピックが東京で開催されます。そのために日本では日夜、多くの工事がなされ、その日に備えています。オリンピックのロゴが作られ、テーマソングが作られ、オリンピック親善大使なる芸能人も出てきました。成田空港に行けば、あちこちにオリンピックを知らせるポスターがはられています。飛行機の機体にも宣伝が掲載され、これらの飛行機は行く先々の空港で東京オリンピックをアピールすることでしょう。

それが大きなイベントであればあるほど、私達はそのことを多くの人に知らせようと盛大にアピールします。

聖書には色々な出来事がありますが、その中で最も大きな出来事の一つはイエス・キリストの復活であるということに異論はないと思います。そして、この出来事が2000年来、人間に与え続けてきた意義はオリンピックの比ではありません。

私達は1992年のバルセロナオリンピックのことをほとんど何も覚えていませんが、キリスト教徒でなくともイースターを知らない人はいないでしょう。時代を二分したイエス・キリストの存在がなければ、この世界は全く異なったものとなります。そして、この2000年間のキリスト教会の存在は一重にイエス・キリストの復活にかかっているのです。

最近、韓国企業が「次世代の5Gの携帯電話を世界で一番、最初に発売したのは我々だ」と名乗り出ました。そうしましたら「いいや、そうじゃない、アメリカが最初だ」とアメリカがクレームを出し、最後には韓国の大統領まで出てきて「いや、わが国が世界最初なのだ」と主張しました。人はいつも「一番最初である」ということにこだわるのです。

神の子キリストが死を打ち破り、空間を超越したお方として復活なさるのなら、イエス様は世界のどこにも姿をあらわすことができました。もし天に広報担当なる御使いがいたのならイエス・キリストの復活をどのように世の中に伝えるか戦略を練ったことでしょう。そして、考えたに違いありません。その第一報は誰に託したらよかろうかと。

その候補者を選ぶ時の選考の基準はきっとこうなることでしょう。このニュースが全世界に伝わるという目標を達成するために、大きな影響力を持っている人物を選ばなければならないと。

その基準で考えますのなら、当時、おそらくイスラエルの周辺世界で一番、権力をもっていた人間として筆頭にくるのはローマの皇帝カエザルあたりとなることでしょう。

復活されたイエス様がカエザルの宮殿の食卓にあらわれたら、ローマ帝国はそれから400年を待たずしてキリスト教をすぐに国教としていたことでしょう(キリスト教は紀元392年にローマの国境となりました)。なんと効果的な戦略でしょうか。

あるいは参拝者が多い時間を見計らってエルサレムの神殿に姿をあらわすというのはどうでしょうか。つい数日前に十字架につけられ、わき腹を刺され、足の骨を折られ、多くの者達がその死を見届けたお方が生きて姿をあらわせば、そのインパクトたるやものすごいものがあるでしょう。

そして、その後、町の有力者を集めて晩餐会を開けば、あとは言うまでもありません、その日からイスラエルはイエス・キリストの前にひざまづくでしょう。

しかし、私達が思い浮かべるようなキリスト教宣教戦略は聖書のどこにも書かれていません。それではこの復活のイエスがどんな人達の前に現れたか、そのことを今日は見ていきたいと願っています。そして、これらの人達によって明らかになる神の心というものを知りたいと願っています。さぁ、それでは、イエス・キリストの復活に一番最初に出会った人についてお話ししましょう。

今もイスラエルにありますガリラヤ湖の湖畔にはイエス様の時代、いくつかの集落が点在していました。その一つにミグダルという村落があり(地図を見せる)、今も同じ地名で呼ばれ、そこに住む住人がいます。そのミグダルでは今、イエス様の時代の集落跡が発掘されています。

このミグダル、日本語の聖書はマグダラと呼んでいます。そして、そこにはかつてマグダラのマリヤという女性がいました。聖書は彼女の人となりについて「かつて七つの悪霊に憑かれていた女」であったと記しています(ルカ8章2節、マルコ16章9節)。

「悪霊に憑かれる」ということを私達は時々、口にしますが、彼女の場合、七つの悪霊に取りつかれていたのです。聖書で七とは完全数です。この数字は彼女がどんな私生活を送っていたのかを明らかにしています。

ガリラヤ湖は琵琶湖の五分の一ほどの大きさで、南北に13マイル、東西には8マイルしかありません。イエス様がガリラヤ伝道の拠点としていたカペナウムまで、このマリヤの住むミグダルから歩いて30分ほどですから、この湖畔に住んでいた住民でこのマリヤのことを知らない人はいなかったことでしょう。

おそらく子供達は夕暮れにミグダルを通過しなければならない時は恐れおののき、「今日はミグダルの港で意味不明なことを叫びながら歩いているマリヤを見たぞ」というような住民の会話は日常的であったと思われます。

主にある皆さん、人類史上、後にも先にもない、人類に最も大きな影響を与えたキリストの復活は皇帝カイザルではなく、このマグダラのマリヤに一番最初にその復活の姿を現したのです。マルコ16章9節に記されているとおりです。

週の初めの日の朝早く、イエスはよみがえって、まずマグダラのマリヤに御自身をあらわされた。イエスは以前に、この女から七つの悪霊を追い出されたことがある

当時、女の証言は裁判で有効とはなりませんでした。ましてやマリヤは七つの悪霊につかれていた女なのですから、誰がその証言に耳を傾けるでしょうか。「まだ悪霊に憑かれているのか」と追い返されてもおかしくなかったことでしょう。

すなわち、先の宣教戦略に照らし合わせればこのような女にイエス様の復活が一番先に伝えられたということには何の意味もないのです。いいえ、それどころか、このことが足かせとなってしまうかもしれないのです。しかし、神はそんなことを全く意に介さず、この女をあえて選ばれたのです。

この七つの悪霊にとりつかれていたマリヤを思う時に、この女性がどんな人であったのか、私達は容易に想像できます。すなわち、マグダラのマリヤとは;

人に恐怖を与えていた人。自らの言動を制することができなかった人。友人をもつことができなかった人。家族との関係が完全に壊れていた人。怒りを心の中にもっていた人。誰も信じることができなかった人。自分を尊いとなんて考えることもなかった人。捨てられたという思いを持っていた人。明日に希望など絶対に持てなかった人。それがこのマグダラのマリアでした。

しかし、このような人には一つの傾向があります。それはこのような人達は誰から指摘されなくても自分にはどうしようもできない問題があるということが分かっていたということです。

すなわち、そのような意味において彼女の心は砕かれていました。神の前に備えられていたのです。イエスはそのはたらきを始めた初期、有名な山上の教えを話されましたが、その時に彼女のような女を「心の貧しい人」と呼びました。

『心の貧しい人達は幸いである。天国は彼らのものである』マタイ5章3節。

日本のいわゆる識者と呼ばれている人が、このイエスの言葉を「人間は貧困の中に生きた方がいいのだ」と解釈しているのを読んで、驚いたことがありますが、イエスはそのようなことを言われたのではなく、自らの心の惨めさ、自ら救いようのない自分の心の実態を嘆く人に向けて、イエスは天国というものはそんなあなたたちのものなのだと言われたのです。

そして、この言葉の通り、死んで甦ったキリスト、すなわち天の扉から差し込む光のようなお方が一番最初に照らした光はこの心の貧しいマリアの上に注がれたのです。

ですから、もし、あなたが自分の心の貧しさを知っているなら、その心をどうしたらいいのかと嘆き悲しんでいるのなら、あなたのような人にイエス・キリストは誰よりもお会いしたいと願っているのだということを知っていただきたいのです。

復活のイエス様が出会われた二人目の人を見てみましょう。その人はイエスが復活をされた時間、人生のどん底にいました。その時の彼の心にあったであろうと思われることはこのようなことです。

償いきれない後悔。負け犬。自己嫌悪。できることならもう一度、やり直したい、でもそれはもはや叶わないという絶望。

この人は誰ですか。イエスの12弟子の一人、ぺテロです。もうあえて言うまでもありませんが、彼はイエスが十字架にかかる前にこんな大言壮語をしていました。

たとい、みんなの者がつまづいても、わたしは決してつまずきません」(マタイ26章33節)。「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは決して申しません」(マタイ26章35節)。

しかし、このぺテロはその口が渇く間もなく、かろうじて捕えられていったイエス様の後を追い、大祭司の中庭まで潜入した時にこんな出来事に遭うのです。実に先の大言壮語の数時間後の出来事です。

69ペテロは外で中庭にすわっていた。するとひとりの女中が彼のところにきて、「あなたもあのガリラヤ人イエスと一緒だった」と言った。70するとペテロは、みんなの前でそれを打ち消して言った、「あなたが何を言っているのか、わからない」。71そう言って入口の方に出て行くと、ほかの女中が彼を見て、そこにいる人々にむかって、「この人はナザレ人イエスと一緒だった」と言った。72そこで彼は再びそれを打ち消して、「そんな人は知らない」と誓って言った。73しばらくして、そこに立っていた人々が近寄ってきて、ペテロに言った、「確かにあなたも彼らの仲間だ。言葉づかいであなたのことがわかる」。74彼は「その人のことは何も知らない」と言って、激しく誓いはじめた。するとすぐ鶏が鳴いた。75ペテロは「鶏が鳴く前に、三度わたしを知らないと言うであろう」と言われたイエスの言葉を思い出し、外に出て激しく泣いた。(マタイ26章69節-75節)。

彼は確かに言っていたのです。「たとい、みんなの者がつまづいても、わたしは決してつまずきません」(マタイ26章33節)。「たといあなたと一緒に死なねばならなくなっても、あなたを知らないなどとは決して申しません」(マタイ26章35節)。

忘れるはずがありません。今さっき言っていた言葉なのですから。

イエス様はこの後、ムチ打たれ、そして十字架に磔にされ殺されます。もはやペテロはイエス様に謝罪することもできなくなりました。裏切ってしまったお方を失った今、彼はその生涯、後悔と自己嫌悪と共に生きていかなければならないはずでした。

しかし、イエス様はそんな彼にあえてその復活の姿を現し、親しく彼に語りかけ、それからの人生に力強く確固たる使命をお与えになりました。イエスは彼に言われたのです。「あなたは私を愛するか。私の小羊を飼いなさい」(ヨハネ21章15節‐17節)。

・・・イエス様は先ほどのマグダラのマリアのように山上の教えの中でかつてこう言われていました。

「悲しんでいる人たちは幸いである。彼らは慰められるであろう(マタイ5章4節)。

ペテロは悲しんでいました。自分の情けなさに打ちひしがれ、悲しんだのです。彼はどん底でした。しかし、イエス様はその彼を慰め、励まし、ペテロは再び立ち上がっていくのです。

かつてイエス様は自分を裏切るであろうペテロを見越してこのような預言的な言葉を語りかけていました。

『シモン(ペテロ)、シモン(ペテロ)、見よ、サタンはあなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って許された。しかし、わたしはあなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈った。それで、あなたが立ち直った時には、兄弟たちを力づけてやりなさい』(ルカ22章31節、32節)。

ペテロのように悲しみの淵を生きている方いませんか。自分の失敗をいつまでも引きずって後悔している方はいませんか。あの時に戻って、もう一度人生をやり直したいと思っている方はいませんか。

そんなあなたにもイエス様は語りかけます『あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈っている』と。そう、その信仰とは何か。それはたとえ自分がいかなる所に落ち込んでいても、主イエスの愛と恵みはそこから私達を引き上げてくださるという信仰です。

そして、私達がその所から引き揚げられたのなら、主イエスはその時に私達にも新しい使命を与えてくださるのです。それは私達が今度は他の兄弟姉妹を力づけるという使命です。

この使命が与えられる時、私達が失敗と思っていたこと、後悔していたこと、そこに光が照らされ、それらが豊かに用いられていくのです。そうです、私達は知っています。人間関係の不動の法則は、自分と同じ経験をしている者の慰めと励ましこそが一番力があるというなのです。

そう考えますのなら、先のマグダラのマリアもそうでしょう。さすがにマリア以上、すなわち七つ以上の悪霊に取りつかれているような人にマリアは生涯、出会うことはなかったのではないかと想像します。変な言い方ですが、言うなれば彼女は悪霊に取りつかれたということを極めた人です。この彼女の存在は悪霊に取りつかれている家族を持つ者達、そして、当の悪例につかれて苦しんでいる者達にとって慰めであり、励ましであり、そして希望なのです。

イエス・キリストの復活。その前代未聞の出来事、その渦中のお方、イエス・キリストに一番最初に出会ったのはかつて七つの悪霊にとりつかれていた女、そしてもはや自分では償いきれない失敗を犯した男でした。

この二人にご自身をあらわされることをよしとされた、そのところに神のお心があります。そのお心は私達が高く評価するものには向かわず、その御目は自らの心の貧しさを嘆く者、自らのいたらなさを悲しむ者に注がれているのです。そして、その神の愛にとらわれた者達はこの神と共に新しい人生を歩みだすのです。

このことを知ります時に、私達がどんな生き方をしてきた者であれ、神との出会いを拒まれてしまうような人はこの世界に誰一人いないということが分かります。私達が自らの胸を打ち、悲しみ嘆く時、途方に暮れる時、神は何よりも私達に出会うことを願っているのです。お祈りしましょう。

The Heart of God Revealed in Easter
April 21, 2019

In Tokyo, the Olympic Games will be held next year. Day and night, many facilities are being built or renovated in preparation for the Olympics. An official logo has been designed, a theme song has been composed, and famous people have been named as Olympic ambassadors. In Narita airport, you would find posters everywhere promoting the Olympics. There are even some aircrafts with Olympic artwork on the exterior, flying to different destinations while promoting the Tokyo Olympics.

The bigger an event is, the more we try to promote it and tell as many people as possible.

There are many events recorded in the Bible, but there is no doubt that one of the greatest events in the Bible is the resurrection of Jesus Christ. And the impact that Christ’s resurrection has had on the past 2000 years of human history is far beyond the Olympics.

Most of us don’t remember anything about the 1992 Barcelona Olympics, but even non-Christians have heard of Easter. Without the resurrection of Jesus Christ, the world would have been completely different. The 2000-year history of the church hangs on a single event, the resurrection of Jesus Christ.

Recently Korea announced that they have created the world’s first 5G network. But an American company disputed this claim saying they were the first, and the debate intensified to the point where the president of Korea came out with a statement saying that Korea was the first. In this way people have always been obsessed with being first at something.

After Jesus conquered death and was resurrected, He was not bound by time or space so He could have chosen to appear anywhere in the world. Imagine if there was an angel in heaven working as Jesus’ publicist, and this angel needed to think of the best way to announce Jesus’ resurrection to the world. And this angel would have had to decide the first person to break the news to.

In order to spread this news to the entire world, we would think that the angel would choose someone who has great power and influence.

If so, the first person to hear the news would have been the Roman emperor Caesar, who was the most powerful man in the region surrounding Israel.

If the resurrected Jesus appeared before Caesar in his palace, it wouldn’t have taken 400 years for Rome to make Christianity its state religion (in AD 392 Christianity became Rome’s official religion). This would have been an effective PR strategy.

Or Jesus could have gone to the temple in Jerusalem, appearing before worshippers during the busiest time of the day. If someone who was crucified, had His side pierced and His legs broken, and whose death was witnessed by many, suddenly appeared before them alive and well, it would have had a massive impact.

After this, Jesus could just invite all the leaders of Israel to a banquet, and the whole nation would have bowed before Him.

But this kind of evangelistic strategy is nowhere to be found in the Bible. Today we will look at the actual people who were met by the resurrected Jesus. And by looking at the stories of these individuals, I would like us to get a glimpse into God’s heart. Now let us see the story of the very first person to meet the resurrected Jesus.

During the days of Jesus, there were several small villages surrounding the Sea of Galilee. One of these villages was Migdal, which still exists today and is inhabited by people. In recent years archeologists have discovered settlements in Migdal from the time of Jesus.

Back then, Migdal was called Magdala. And there was a woman who lived there named Mary Magdalene. The Bible describes her as a woman who was once controlled by seven demons (Mark 16:9, Luke 8:2).

Most of us have heard the term “demon possession” before, but it says that this woman was possessed by seven demons. In the Bible, seven is the number of completion. This indicates the extent to which these demons controlled her life.

The Sea of Galilee is a relatively small lake and only measures at about 13 miles long and 8 miles wide. Capernaum, which was a central location during Jesus’ ministry in Galilee, was only 30 minutes by foot from Magdala, so everyone who lived near the lake must have known about Mary.

We can picture people talking to each other about seeing Mary near the harbor screaming nonsensically, and children being scared of going through Magdala after dark because of her.

There is no other event in history that has had a greater impact than the resurrection of Jesus Christ, and the first person that the resurrected Jesus appeared before was not Caesar, but Mary Magdalene. This is recorded in Mark 16:9, where it says “When Jesus rose early on the first day of the week, he appeared first to Mary Magdalene, out of whom he had driven seven demons”.

Back then, a woman’s testimony in court was not considered to be valid. Mary was a woman who had been possessed by seven demons, so who would even lend an ear to her testimony? People would just turn her back saying “you are still under the influence of demons”.

If we look at it from a strategic point of view, there seems to be no good reason for this kind of woman to be the first one to know about Christ’s resurrection. In fact we would consider this to be a hindrance. But without any hesitation, God purposefully chose this woman.

When we consider the fact that Mary was possessed by seven demons, we can imagine the kind of person she was. Here are some characteristics that come to mind:

She was afraid of people. She had no control over her words and actions. She could not make friends. She had a broken relationship with her family. Her heart was filled with anger. She could not trust anyone. She has never considered herself as precious. She felt abandoned and forsaken. She had no hope for tomorrow. This was Mary Magdalene.

But this kind of person has a certain tendency. It is that they don’t need others to tell them that they have a problem they can’t fix on their own.

Mary’s heart was broken and contrite, and in this way she was ready for God to work in her life. At the beginning of Jesus’ public ministry, He delivered His famous Sermon on the Mount, and in it He referred to people like Mary as “the poor in spirit”:

“Blessed are the poor in spirit, for theirs is the kingdom of heaven” (Matthew 5:3).

I once read the words of a quote unquote intellectual in Japan, who shocked me by suggesting that these words are recommending us to live in literal poverty, but Jesus was actually speaking to people who are in anguish over their hopeless spiritual state, and said that the kingdom of heaven is for people like these.

And to prove this, after Jesus died and rose again, He appeared to Mary, and the light of heaven shined on this person who once lived in spiritual darkness.

If any of you here today recognize your own spiritual poverty, if you are feeling hopeless not knowing what to do with your heart, please know that it is people like you that Jesus wants to meet the most.

Now let’s take a look at the second person Jesus appeared to after His resurrection. This person was at the lowest point of his life at the time of Jesus’ resurrection. The following things could be said of his spiritual state at the time: he was overwhelmed by guilt. He felt like a loser. He was filled with self-hatred. He wanted to make amends, but was in despair thinking it was no longer possible for him to get another chance.

Who was this person? This person was Peter, one of Jesus’ twelve apostles. We all know him as the one who made the following bold statement before Jesus went to the cross: “Even if all fall away on account of you, I never will…Even if I have to die with you, I will never disown you” (Matthew 26:33,35).

Shortly after this, as Jesus was being dragged by the mob, Peter followed from a distance and went into the courtyard of the high priest. A few hours after Peter made his bold statement, the following event took place:

69 Now Peter was sitting out in the courtyard, and a servant girl came to him. “You also were with Jesus of Galilee,” she said.70 But he denied it before them all. “I don’t know what you’re talking about,” he said.71 Then he went out to the gateway, where another servant girl saw him and said to the people there, “This fellow was with Jesus of Nazareth.”72 He denied it again, with an oath: “I don’t know the man!”73 After a little while, those standing there went up to Peter and said, “Surely you are one of them; your accent gives you away.”74 Then he began to call down curses, and he swore to them, “I don’t know the man!”Immediately a rooster crowed. 75 Then Peter remembered the word Jesus had spoken: “Before the rooster crows, you will disown me three times.” And he went outside and wept bitterly. (Matthew 26:69-75)

In that moment, Peter surely would have remembered the statement he made a few moments ago, “Even if all fall away on account of you, I never will…Even if I have to die with you, I will never disown you” (Matthew 26:33,35).

After this, Jesus was scourged and brutally murdered on the cross. Now, Peter could no longer even make an apology to Jesus. The person he betrayed was now gone, and there seemed to be no other way for Peter but to live a life of regret and self-loathing.

But the resurrected Jesus appeared before Peter, and by asking “do you love me?” and telling him to “take care of [His] sheep” (John 21:15-17), Jesus restored Peter and gave him a renewed purpose for his life.

In the Sermon on the Mount, Jesus said, “Blessed are those who mourn, for they will be comforted” (Matthew 5:4).

Peter was indeed mourning. He was disgusted with himself. He had hit rock bottom. But Jesus reassured and encouraged Peter, and by this Peter was able to get back on his feet again.

Before Jesus was captured and betrayed, He knew what was about to take place and said the following words to Peter: “Simon, Simon, Satan has asked to sift all of you as wheat. But I have prayed for you, Simon, that your faith may not fail. And when you have turned back, strengthen your brothers” (Luke 22:31-32).

Is there anyone here today who is like Peter, living in despair? Are you being weighed down by the weight of past failures? Do you ever wish that you could go back in time and do things differently?

If you’re that person, Jesus says to you “I have prayed for you…that your faith may not fail”. What is this faith He speaks of? It is the faith which helps us see that through His love and grace, Jesus will lift us up out of any pit we find ourselves in.

And when Jesus lifts us out of that place, He also gives us a new calling. He calls us now to strengthen our brothers and sisters.

When Jesus calls to encourage others, we begin to see our past mistakes and regrets in a different light and realize that God can use these experiences for His glory. We know that when someone is going through a trial, the person that can encourage him or her the most is someone who has gone through the same experience.

This must have been true for Mary Magdalene. I imagine that during her lifetime, Mary didn’t meet anyone who was possessed by more demons than herself. This may be a strange thing to say, but she was an expert when it came to demon possession. For people with family members who were possessed and those who were under the control of demons themselves, Mary’s example was a sign of hope and encouragement.

The resurrection of Jesus Christ was the greatest event to ever take place, and the first people Jesus met after His resurrection was a woman who was once possessed by seven demons, and a man who has made a great mistake that he cannot atone by himself.

We can see God’s heart in the choice He made to appear to these two individuals. God is not seeking the type of people we humans consider to be worthy, but His eyes are on those who see the poverty of their spirit and mourn their own wretched state. And when a person is captured by God’s love, their new life and walk with God begins.

The stories of Mary and Peter remind us that no one is denied by God when they come before Him with a broken spirit, no matter what kind of life they have lived. When we are filled with grief and regret, when we are feeling hopeless, that is the time God wants to meet us and speak to us the most. Let’s pray.

本日のおもちかえり
2019年4月21日

1)通常、重要な情報をなるべく多くの人達に伝える場合、私達はどのような戦略をたてますか。

 

2)イエス様が一番最初に復活の姿をあらわしたのは誰ですか。これは偶然ですか。それとも神様が意図的になさったことですか。

 

3)マグダラのマリアとはどんな女性でしたか。彼女は何を抱えて生きていたと思いますか。イエス様がこの女性に一番最初にあらわれたということにどんな神の心がありますか。

 

4)『心の貧しい人達は幸いである。天国は彼らのものである』(マタイ5章3節)という言葉にはどんな意味があるのでしょうか(普通、心の貧しい人を幸いとは呼びません)。

 

5)ペテロがしてしまったことは何ですか。その時、ペテロの心はどんな状態だったと思いますか(マタイ26章31節-35節、69節-75節)。

 

6)このペテロにイエス様は予め励ましの言葉を語りかけてくださっていました「あなたが立ち直った時には兄弟達を力づけてあげなさい」(ルカ22章31節、32節)。という言葉は、私達にどんな思いを与えますか。

 

7)「悲しんでいる人たちは幸いである。彼らは慰められるであろう(マタイ5章4節)という言葉にはどんな意味があるのでしょうか(普通、悲しんでいる人を幸いとは呼びません)。

1 thought on “イースターから見える神の心

  1. 確かにオープンフィンガーグローブを最初に考え出したのが佐山聡なのかブルース・リーなのかというのは極めて重要な問題です。

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