モーセ3:忍耐が品性を生み出す

齢をとってきたからでしょうか。人の美しさというのは表向きだけの美しさではなく、その人がどれだけ忍耐をして生きてきたかというようなところからにじみ出てくるのではないかと思うようになりました。

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モーセ3:忍耐が品性を生み出す

2017年1月22日

40年間、ミデアンの地で、神の訓練を受けることになったモーセが80歳になった時、彼はイスラエルの民をエジプトから脱出させるリーダーになりました。神様はモーセが知力、体力共にピークの時にモーセを用いることなく、神様はモーセが80歳を過ぎてからお用いになりました。

なぜでしょうか。モーセが40歳の時、イスラエルの民を荒野で導くために彼にはまだ足りないものがありました。その時、モーセ本人はそんなことは何も知らずに、「今こそ!」という思いで、勇み立ちましたが挫折しました。神様の計画は彼のそれとは異なっていたからです。その時のことを使徒行伝は「彼は自分の手によって神が兄弟たちを救って下さることを、みんなが悟るものと思っていたが、実際はそれを悟らなかったのである」(使徒行伝7章23節―25節)と記していますが、この言葉はあたかも「神を自分の願いを実現するサーバント」のように考えているモーセの心が見えます。それは大きな間違いで、神こそがモーセの主であり、モーセは主の恵みとあわれみにより生かされている一人の弱い人間にすぎなかったのです。

こうしてモーセは40年間、ミデアンの荒野に暮らし、その齢80歳となりました時に、神は彼にイスラエルの民をエジプトから救い出すようにと声をかけ、いよいよ彼は民を荒野に導く、その先頭に立つリーダーとなりました。しかし、それは彼が完全な人間になったということではありませんでした。彼らがエジプトを出て、荒野を移動しながら生活をしていた時にこんなことが起こりました。

1イスラエルの人々の全会衆は正月になってチンの荒野にはいった。そして民はカデシにとどまったが、ミリアムがそこで死んだので、彼女をそこに葬った。2そのころ会衆は水が得られなかったため、相集まってモーセとアロンに迫った。3すなわち民はモーセと争って言った、「さきにわれわれの兄弟たちが主の前に死んだ時、われわれも死んでいたらよかったものを。4なぜ、あなたがたは主の会衆をこの荒野に導いて、われわれと、われわれの家畜とを、ここで死なせようとするのですか。5どうしてあなたがたはわれわれをエジプトから上らせて、この悪い所に導き入れたのですか。ここには種をまく所もなく、いちじくもなく、ぶどうもなく、ざくろもなく、また飲む水もありません」。6そこでモーセとアロンは会衆の前を去り、会見の幕屋の入口へ行ってひれ伏した。すると主の栄光が彼らに現れ、7主はモーセに言われた、8「あなたは、つえをとり、あなたの兄弟アロンと共に会衆を集め、その目の前で岩に命じて水を出させなさい。こうしてあなたは彼らのために岩から水を出して、会衆とその家畜に飲ませなさい」。9モーセは命じられたように主の前にあるつえを取った。10モーセはアロンと共に会衆を岩の前に集めて彼らに言った、「そむく人たちよ、聞きなさい。われわれがあなたがたのためにこの岩から水を出さなければならないのであろうか」。11モーセは手をあげ、つえで岩を二度打つと、水がたくさんわき出たので、会衆とその家畜はともに飲んだ。12そのとき主はモーセとアロンに言われた、「あなたがたはわたしを信じないで、イスラエルの人々の前にわたしの聖なることを現さなかったから、この会衆をわたしが彼らに与えた地に導き入れることができないであろう」。13これがメリバの水であって、イスラエルの人々はここで主と争ったが、主は自分の聖なることを彼らのうちに現された(民数記20章1節-13節)。

今日、開かれている民数記はモーセの失敗が書かれている箇所です。そして、その失敗がいつ起きたかといいますと、モーセの人生の後半、どちらかといいますと、その晩年に近い時に起きたことと思われます。

先週、お話ししましたようにモーセはミデアンの荒野で神様の前に取り扱われて、主に自らを委ねることを学びました。それをもって、あのエジプトのパロを前に動ずることなく向かい合い、数百万ものイスラエルの民の先頭に立ち、幾度も民達のつぶやきと不満を受けながらも、己を捨てて彼らのために神に取り成し、ここまでやってきました。それはあのミデアンの40年間で培ったものでありましょう。

民数記12章3節に記されているように「モーセはその人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた」というモーセのキャラクターはそんなミデアンの荒野で培われたものだったのでしょう。しかし、そんなモーセがここで犯してしまった失敗は、彼が他の人よりも一番、秀でていたと言われた柔和さが揺り動かされることによって起きてしまったのです。

事の背景を簡単にご説明しましょう。イスラエルの民がチンの荒野、ガデシという所に来たということが一節には書かれています。そして、その所でモーセの姉のミリアムが死にました。ミリアムと言えば、モーセがまだ赤子だった頃に知恵を働かせて彼の命を救った人であり、その姉をそこに葬ったというのです。彼女はモーセにとっては命の恩人であり、荒野の旅路においても彼女はモーセを励ますとても大切な肉親だったと思います。愛する家族を失った者が誰しも感じるように、彼も当然、深い悲しみの中にいたと思います。そんな時はしばし静かな時を過ごしたいと誰もが思います。喪失の悲しみに対する向き合い方に民族や時代の違いはありませんでしょう。

しかし、イスラエルの民達にはそんなことは関係のないことでした。彼らはその場所で水を得られなかったために、モーセが直面している悲しみなどおかまないなし、いつものごとくモーセにけしかけるように言ったのです。「先にわれわれの兄弟たちが主の前に死んだ時、われわれも死んでいたらよかったものを。なぜ、あなたがたは主の会衆をこの荒野に導いて、われわれと、われわれの家畜とを、ここで死なせようとするのですか。どうしてあなたがたはわれわれをエジプトから上らせて、この悪い所に導きいれたのですか。ここには種をまく所もなく、いちじくもなく、ぶどうもなく、ざくろもなく、また飲む水もありません」(3-5)

彼らをエジプトの奴隷状態から救い出して、ここまで来たのに、また、ここにきて、なぜエジプトから我々を導いたのかと不平不満を聞かされる。ここには何もない!この荒野で俺たちを殺す気か!という言葉はモーセの心に突き刺さりました。モーセにとりましてこのような言葉は初めて聞く言葉ではありません。ここにいたるまで何度もモーセが聞いてきた言葉です。そして聖書が記しているように類まれな柔和さをもってモーセは忍耐をもってこの民に向き合ってきたのです。

皆さん、モーセの最初の挫折を覚えていますか。そうです、その時、同胞達は神が彼らを救うために自分を送られたのだと彼らは悟るだろうとモーセは思ったのです。しかし、その目論見は外れました。自分の目論見と彼らの考えは異なりました。この時もモーセは親愛なる姉が亡くなったのだから、今、自分が置かれている状況を民は理解し、少なくとも喪に服しているような時に、こんなことを言ってくることはないだろうと思っていたのかもしれません。しかし、彼らはそんなモーセの心に土足で踏み入り、いつものように不平、不満をぶちまけました。

いつも聞いている言葉であり、その度にそれを受け止めて対処できる人であっても、その時に同時進行でその身に起きていること次第で、心の余裕というものは失われます。モーセとて人間、例外ではありませんでした。しかし、そのような状況の中、彼はこんな時に、いつもそうしているように会衆の前を去り、神様のみ前にひれ伏したのです。そうです、そのまま会衆の前にいるのなら、モーセは何を言い出してしまうか、何をしでかしてしまうか分かりません。そんな時、あえて会衆の前から去るということはモーセがこれまでも同じような場面で会得した精一杯の自らを守る防御策だったのでしょう。

モーセは会見の幕屋の入り口でひれ伏して神の前にでました。その時、主の栄光がモーセに現れ、主は言われました「あなたは、つえをとり、あなたの兄弟アロンと共に会衆を集め、その目の前で岩に命じて水を出させなさい。こうしてあなたは彼らのために、岩から水を出して、会衆とその家畜に飲ませなさい」(8)。

モーセは神の前に静まることによって、「そうだ冷静さを忘れてはならないのだ。神に言われたとおりにしよう」と決心したに違いありません。しかし、彼は実際に会衆を前にした時に、こう叫んだのです「そむく人達よ、聞きなさい。我々があなたがたのためにこの岩から水を出さなければならないのであろうか」(10)。そして、彼は手を挙げて持っていた杖で岩を二度打ったのです。すると、そこから水が湧き出ました。そして、結果的にその水により会衆と家畜は満たされたのです。

ここに大きな問題がありました。モーセらしからぬ問題です。神様はモーセに「岩に命じて水を出させなさい」と言ったのです。しかし、彼は岩を二度打ったのです。そして、それはどうやら岩をコンコンと軽くたたいたということではなく、「手をあげて」とあるように、思い切り杖を振り上げて、杖が折れんばかりに岩を叩いたようです。明らかに彼の感情は激しく荒れていました。

このことは神様がモーセに伝えたことと違います。なぜ、彼はこのような行動に出たのでしょうか。想像しますにモーセがアロンと共に会衆を岩の前に集めていた時に(10)、彼は再び会衆の不平不満の声をいくつも聞いたのでしょう。彼らの反抗的な態度というのを再度、間近に見たのでしょう。モーセ自身、敬愛する姉を亡くし、心身ともに疲労困憊している。そのような状況で自らの心を冷静に保つことは至難の業です。

岩に命じるべきだということはモーセも十分に知っていました。しかし、もはや彼は心の底から湧き上がってくる感情を抑えることはできませんでした。彼は叫んで言いました「そむく者達よ、聞け、なぜ我々がお前たちのような者のために、この岩から水を出さなければならないのか!!」。

彼の心にはこんな思いがありました「いいか、お前たち、またもやお前たちは、不平不満を言ってきた。そして、それは今日に始まったことではない!いつもいつも、お前たちはそうではないか。何も変わらないではないか。私はどれだけあなたたちのためにこれまで骨折ってきたのか分かっているのか。私には姉の死を静かに悲しむ時もないのか。お前たちのために何で私がこの岩から水を出さなければならないのか。もう真っ平御免だ!」。

そうです、彼は積もりに積もったものをぶちまけました。彼の冷めやらぬ怒りに対して、神様は厳粛に言われました「あなたがたは私を信じないで、イスラエルの人々の前に私の聖なることを現さなかったから、この会衆をわたしが彼らに与えた地に導き入れることができないであろう」(民数記20章12節)

この神様の一言はとても重いものです。モーセのこの一つの不信仰と怒りが、彼がここまで歩んできた目的であり、ゴールであり、彼の報いとして神様から与えられるはずだった約束の地に彼は入ることができないという結果を招いたのです。すなわち、彼は夢にまで見た約束の地に入る前にその生涯を閉じるということです。そして、実際に彼の生涯はそうなったと聖書は記録しています。

皆さん、この出来事を聞いてどう思われます「なんと厳しいのだろう」と思われますか。「いいじゃない、見逃してくれたって」と思われますか。この出来事は私たちにどんなメッセージを残しているのでしょうか。

この出来事について詩篇106篇32節―33節で、その記者はこんな視点でこう書いています「彼らはまたメリバの水のほとりで主を怒らせたので、モーセは彼らのために災いにあった。これは彼らが神の霊にそむいた時、彼がそのくちびるで軽率なことを言ったからである」ここには、今見てきた出来事は「モーセがその口で軽率なことを言ったからだ」と説明しています。すなわち、それは私たちの口から出る不用意な一言で人生全てがひっくりかえってしまうということです。

ここから分かることは神様は少なくとも私達が考える以上に、私達の口から出る言葉に注目しておられるということではないでしょうか。その言葉がどんなにその人を引き下げ、それを聞く者達の害となり、その状況に悪しき影響を与えるかということを神様はよく知っておられるのです。

モーセの失敗は確かに私たちに大きな教訓を与えてくれるものです。私達自身のことを思えば、諸々の日常の心配事やストレス、日々なすべきことに忙殺される時、私達は心の余裕を失います。その時こそ私達が自らの感情をあらわにし、それを実際に口に出してしまう時です。モーセがそうであったようにそれは誰よりも柔和であると言われるような人であっても例外ではないのです。誰しもその可能性をもって生きています。

私達は彼の気持ちを理解します。彼に深く同情します。私達もモーセと何ら変わらない者だからです。しかし、神様はこのことをしてモーセが約束の地に入るという扉を閉じられたのです。その時にモーセに必要なことは何だったのか、考えてみました。そう、ひとつの言葉だけが思い浮かびます。そうです。「忍耐」です。モーセの気持ちは本当に分かります。誰しも堪忍袋の緒が切れる時があるのですから。しかし、それであっても神様のモーセに対する対応を見る時に、神様は私達に忍耐を求めておられるということを知るのです。忍耐という言葉は現在、死語となっているような言葉です。耐えるのではなく、言いたいことは言えばいいという、言わなきゃ損という風潮に私達は生きています。しかし、聖書はこの「忍耐」を私達にとりまして特別なものとして、そこに光をあて続けています。

35だから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。36神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐である。37「もうしばらくすれば、きたるべきかたがお見えになる。遅くなることはない。38わが義人は、信仰によって生きる。もし信仰を捨てるなら、わたしのたましいはこれを喜ばない」。39しかしわたしたちは、信仰を捨てて滅びる者ではなく、信仰に立って、いのちを得る者である。(へブル10:35-39)

このへブル書の記者は大変な試練に会っていたようです。そんな自分に降りかかってくる度重なる試練に対して、私達に必要なのは忍耐だと言うのです。その忍耐はただ耐えて耐えて生きなさいというのではなくて、その忍耐を知っておられるお方がいて、そのことを耐えていく先にその方が備えておられる約束のものがあるのだから、その信仰の確信を放棄せずに忍耐をもって前に進みなさいというのです。

そもそも忍耐はなぜ私達に必要なのでしょうか。忍耐は何かが続いている時、継続されている時に用いるものです。野球の練習を始める。目標はレギュラーとなってゲームに勝つこと。そのためには長い年月の練習が不可欠です。目指すべきところがあり、そこにいたるためには厳しい練習が不可欠ですから、私達はその目標に達することを信じて、厳しい練習に忍耐して取り組むののです。すぐに手に入り、すぐに結果が分かることに忍耐は必要ありません。コインを自動販売機に入れて、ジュースが出てくる数秒間、私は忍耐してコーラを待ちましたとは言いません。数分おきに必ずやってくる山の手線を忍耐をもって待っていますという人はいません。どちらもすぐに手に届くからです。

何度も申し上げておりますように、人生は今、完結するものではなく、それは長いのです。ですから私達に必要なのは忍耐です。ストレスはいつ私達に降りかかってくるかご存知ですか。自分が願っているとおりに物事が進まない時に起こります。自分の願っていることの前に立ちはだかるものがある時に、その計画がとん挫したり、無効になった時に、私達はストレスを感じます。そう、モーセもそうでした。身内を失った悲しみの中、人は必ず死ぬものであるという現実を前にしばし静まりたい、そう願っているただ中に、それをぶち壊す者が侵入してくる。彼はそこにとてつもないストレスを感じたのです。

誰もがストレスを抱えて生きています。時にこのストレスは私達の口から苦々しい言葉となって辺りにまき散らされます。自分で心に貯めているストレスは嫌なものでしょう。その本人が嫌なものが言葉や態度となって外にまき散らされるのなら、それを見聞きする者も同じようにそのことを聞くのは、見るのは嫌なのです。それを見聞きする人達は時に、その人と全く関係のない人であることも多々あり、そう考えますのならその苦々しい言葉や態度が発散される場に居合わせている者たちは皆、犠牲者です。さらに困ったことは、我々は自分がまき散らしているものが、それを見聞きするものにとってどんなに不快な思いを与えているのかということにはなかなか気がつかないのです。

主にある兄弟姉妹、私達に必要なのは忍耐です。このようなことを聞きますと私達は手のひらに「忍」という字を書いて、耐え難き時はそれを握り締めろというような処世訓としてこれを受け止めがちですが、聖書が言っていることはそのようなことではないのです。そうです、我々の「忍耐」は常に我々の「信仰」と同居しているのです。『ですから、あなたがたは自分の持っている確信を放棄してはいけない。その確信には大きな報いが伴っているのである。36神の御旨を行って約束のものを受けるため、あなたがたに必要なのは、忍耐なのです』(へブル10:35-36)信仰なくして忍耐は生まれないのです。忍耐する根拠は私達が信じている確信にあるのです。

先ほど読みましたへブル書を書いたのはパウロではありませんが、そのへブル書にそのまま続けても全く違和感のないような言葉をパウロはローマ書に残しています。

 1このように、わたしたちは、信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。2わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられ、そして、神の栄光にあずかる希望をもって喜んでいる。3それだけではなく、患難をも喜んでいる。なぜなら、患難は忍耐を生み出し、4忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。5そして、希望は失望に終ることはない。なぜなら、わたしたちに賜わっている聖霊によって、神の愛がわたしたちの心に注がれているからである(ローマ5章1節-5節)。

私達が諸々の患難に会う時に、そこから忍耐が生まれるとパウロは言います。そして、その忍耐が練達を生み、それが希望となると。このことを新改訳聖書はこう記しています「そればかりではなく患難さえも喜んでいます。それは患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからですそう、私達が主の作品としてその品性、すなわちその人格を完成させるものは忍耐なのだというのです。そしてその人格が希望を生み出すというのです。そうです、忍耐は私達に何層も何層も塗られる漆のようなものです。それはすぐに剝がれてしまうようなメッキではなく、私達の人格を作り上げるものだというのです。

齢をとってきたからでしょうか。人の美しさというのは表向きだけの美しさではなく、その人がどれだけ忍耐をして生きてきたかというようなところからにじみ出てくるのではないかと思うようになりました。

年末に日本の『のどじまんTHEワールド!2016春』というテレビ番組を見ました。これは毎年、もたれている外国人が日本の歌を日本語で歌うコンテストで、世界中から予選を勝ち抜いてきた人達が集まります。今回の大会ではその中にキルギス共和国からきたグルム・カシィムバエヴァさんという全盲の方がおりまして、予選で竹内まりやの「元気を出して」、決勝で夏川りみ「涙そうそう」を歌い、優勝しました。の歌番組のレベルは高く、その中から過去にはプロとなるような人が出ています。歌のみならず、ダンスなども取り入れて、彼らは熱唱します。それを日本のミュージシャンや音楽プロデューサーが採点をします。

このグルムさんは目が見えませんから、自らが歌う場所までも人に手を引かれて出てきます。そして、握っているマイクを口にあてて心を込めて歌います。彼女が生まれつきの盲人なのか、過去に目が見えなくなったのかは分かりません。ただ分かることは彼女は鏡の前に立ち、お化粧をしたり、身なりを自分で整えることはできないということです。

私はそんな彼女の姿を見ながら、自分をうまく見せようというような気負いが全くないということがすぐに分かりました。彼女は全くの自然体で歌いました。彼女がどんな生涯を歩んできたのかということは、彼女が二児の幼子の母親であり、全盲であるということ以外には分かりません。

彼女が出てくるまでに歌がうまい人がたくさんいました。しかし、その中で私は特に彼女の姿と歌に感動しました。もちろん彼女も歌がうまいのですが、何も聞かされずとも、その人自身の半生がその歌声から私に伝わってきたからだと思います。再度、申し上げますが、私は彼女の人生をほとんど何もしりません。しかし、思うに私はその彼女の人生において彼女が忍んできたこと、それを克服し、否、今もその直面していることに忍耐強く向き合っている姿を見出し、それが彼女からにじみ出てきているものに感動したのではないかと思ったのです。

大抵、人がどれだけの忍耐をもって生きているかということは私達には知り得ません。しかし、その人の中に美しい何かを見出すのなら、その根っこにはその人が人生の諸々のチャレンジにどれだけ忍耐し、神を信じ見上げ、それを乗り越えてきたのかというところにたどりつくのではないでしょうか。ゆえに聖書もあなたの「実力」がとか、あなたの「繁栄」があなたの「品性」を生み出すとは言わずに、あなたの「忍耐」が「品性」を生み出すと言ったのではないでしょうか。私達の心に感動を引き起こすものは、そのことの背後にある「忍耐」と「信仰」なのです。人格の集大成とは私達の人生の集大成であり、それは忍耐と信仰の集大成のことをいうのです。そして、人格こそが最後まで残るものであり、それだけは天国に携えていくことができるものなのです。

それであっても私達はこのことにおいて毎日、チャレンジを受ける者です。そして、モーセと同じように失敗を犯す者です。もし、私達が失敗を犯してしまったら、私達は主の前に自らを深く省みましょう。それをそのままにしたり、どうせ無理なのだというようにしてあきらめてしまうのではなくて、主の前に出ましょう。モーセはこの失敗でその人生が終わったのではありません。His life continues! 彼はここで再び神に取りあつかわれて、その器が整えられていったのです。価値あるものができあがるためには時間がかかります。主の御手の中、私達も日ごとに作り変えられてまいりましょう。お祈りしましょう。

 

“Moses 3: Our perseverance produces character”

Jan 22, 2017

For 40 years Moses was trained by God in the lands of Midian and when he was 80 years old he became the leader who led the people of Israeli out from Egypt. God used Moses after the age of 80, when he was not at his peak of his mind or physical ability.

How come?  Well, when Moses was 40, he was still lacking something that was needed in order for him to lead the Israelites into the wildness.  Without knowing where he was lacking, he stood up for Israel, but failed in Egypt.  Gods plan was not the same as his plan.  In Acts 7: 25, it says Moses thought that his own people would realize that God was using him to rescue them, but they did not.  From these words we kind of see into some of Moses’s thoughts, in which he thinks of God as his servant who grants him wishes, which is wrong. God is Moses’s Lord and Moses was just an imperfect human who needs God mercy and grace in order to live.

After this event Moses lived for 40 years in the wilderness of Midian. When he became 80 years old, God talked to Moses and told him to free the Israelites from Egypt.  After this he at last became the leader who would lead his people into the promised lands. However this does not mean that Moses became a perfect man.  There were many events which happened while they traveled from place to place in the wilderness.

In the first month the whole Israelite community arrived at the Desert of Zin, and they stayed at Kadesh. There Miriam died and was buried. Now there was no water for the community, and the people gathered in opposition to Moses and Aaron. They quarreled with Moses and said, “If only we had died when our brothers fell dead before the Lord! Why did you bring the Lord’s community into this wilderness, that we and our livestock should die here? Why did you bring us up out of Egypt to this terrible place? It has no grain or figs, grapevines or pomegranates. And there is no water to drink!” Moses and Aaron went from the assembly to the entrance to the tent of meeting and fell facedown, and the glory of the Lord appeared to them. The Lord said to Moses, “Take the staff, and you and your brother Aaron gather the assembly together. Speak to that rock before their eyes and it will pour out its water. You will bring water out of the rock for the community so they and their livestock can drink.” So Moses took the staff from the Lord’s presence, just as he commanded him. 10 He and Aaron gathered the assembly together in front of the rock and Moses said to them, “Listen, you rebels, must we bring you water out of this rock?” 11 Then Moses raised his arm and struck the rock twice with his staff. Water gushed out, and the community and their livestock drank. 12 But the Lord said to Moses and Aaron, “Because you did not trust in me enough to honor me as holy in the sight of the Israelites, you will not bring this community into the land I give them.” 13 These were the waters of Meribah,[a] where the Israelites quarreled with the Lord and where he was proved holy among them. ( Numbers 20:1-13 )

As it is written in Numbers even Moses made mistakes.  These mistakes happened to Moses’s in the closing years of his life.

Like I discussed last week, Moses had to learn to entrust himself to the Lord in the wilderness in Midian.  He had come this far by overcoming many trials as the leader of millions of people.  He was able to, unshakably, deal with the pharaoh, and even though his people complained and complained he still became the bridge between his people and God.  In his 40 years of training in Midian, he gained him the ability to deal with these problems.

As Number 12:3 says “Now Moses was a very humble man, more humble than anyone else on the face of the earth.”  Moses character was probably cultivated in the wilderness in Midian.  However Moses made a mistake, which had happened because his humbleness, which was the strongest of them all, was shaken.

Let me quickly explain the background of this event.  Numbers 20:1 says that the whole Israelite community arrived at the Desert of Zin, and they stayed at Kadesh. There Moses’s older sister, Miriam, died.  To tell a little bit about Miriam, she was a very smart girl who used her wit to save Moses’s life when he was just a baby.  Moses had to bury her body in the Deserts of Zin.  Miriam was Moses’s lifesaver and a big supporter of this long and tough journey.  I believe that Moses felt deep grief, as anyone would, having just lost a loved one.  Anyone would wish for a moment of quiet.  I don’t believe that there is much cultural difference when dealing with feelings of loss.

However the Israelites did not care for this.  Because they could not find water in the place they were resting, they threw their dissatisfaction and complaints toward Moses who had just lost his sister.  “If only we had died when our brothers fell dead before the Lord! Why did you bring the Lord’s community into this wilderness, that we and our livestock should die here? Why did you bring us up out of Egypt to this terrible place? It has no grain or figs, grapevines or pomegranates. And there is no water to drink!”

Even after he had led them to freedom from Egyptian slavery, Moses had to listen their complaints again and again.  The people ended up blaming Moses for leading them into the wildness.  Their words of “There is nothing!  Are you going to kill us all in this wildness!” pierced Moses’s heart.  This was not the first time that Moses had to listen to these complaints, he had listened to these same complaints many times before, and every time he did, he dealt with them with his unsurpassed humbleness and patience.  Do you remember Moses first mistake?  Moses thought his people would believe that God had sent Moses to save them from Egyptians.  But his plan didn’t work out.  His plan and their ideas didn’t match.  At this time, he might have thought that the people would have understood Moses’s circumstances, who had just lost a loving sister and was mourning.  That they would leave him alone and would silence their complaints for a little while. However his people did not care, they just wanted to vent their dissatisfactions and complaints.

Even to those who listen to constant complaining about the same things, all the time, and know how to deal with it, will slip up when multiple things come crashing down on them at the same time.  Moses was also human and was no exception to this. Moses left his people without any word and went to God and fell down to worship.  If Moses had stayed among his people, he did not know what mistakes he would make.  At that time what Moses did was his defense, which he had learned from similar situations before.

Moses fell down at the entrance of the tent of meetings, and the glory of the Lord appeared before him.  God told him “Take the staff, and you and your brother Aaron gather the assembly together. Speak to that rock before their eyes and it will pour out its water. You will bring water out of the rock for the community so they and their livestock can drink.”

In God’s presence Moses began to calm down and he probably thought “I must preserve my calm and follow Gods words,” but once he came before the assembly he shouted like this “Listen, you rebels, must we bring you water out of this rock?”(10)  And he raised his hands and hit the rock twice with his cane; and water began to flow out.  The assembly and their livestock were satisfied from with these results.

However this was unlike Moses, this was not how he would normally deal with this situation.  God told Moses, “Speak to that rock and it will pour out its water.” However Moses did not just tap the rock, but he raised his hands (as the bible says) and hit the rock with great force.  Obviously he was very emotional.

This act was not what God had ordered Moses to do.  Then why did he take this kind of action?  This, I can only imagine must have been because he heard more complaints, when they gathered the people around the rock.  He might have seen their rebellious attitude up close.  Moses with his body and soul exhausted because of the loss of his loving sister must have found it so hard to keep himself together and to keep calm.

Moses knew that he just needed to speak to the rock, but he could not suppress the wave of emotion coming from within him.  So, he shouted “Listen, you rebels, must we bring you water out of this rock?”

His thoughts might have been like this, “You come to me to complain again and again.  You guys are always complaining.  Never are you thankful, never do you change.  Do you know how much and how hard I have worked for you guys?  Can you not even give me the time to mourn for my sister’s death?!  Why must I help provide water for you?  I’m done with this!”

Moses vented the anger that had been gathering within him for a long time.  To his emotional anger God spoke solemnly, “Because you did not trust in me enough to honor me as holy in the sight of the Israelites, you will not bring this community into the land I give them.” (Numbers 20:12)

These words of God were very heavy.  Moses was disrespectful this one time only and his anger resulted in being unable enter the Promised Land, which was his reward, his purpose, and his goal.  This would mean that his life would close before the arrival to the Promised Land that he had been striving for.  Then as the bible says, his life ended.

What do you think about this?  Do you think this is a little too severe?  Do you think it was only a onetime mistake and that he should have been given a break?  Through these events what do you think we could learn?

In Psalm 106: 32-33 this incident is recorded like this. “By the waters of Meribah they angered the Lord,  and trouble came to Moses because of them; for they rebelled against the Spirit of God, and rash words came from Moses’ lips.” You could say that the words that come from our mouths could turn our lives upside down.

We should understand from this that God pays attention to the words we speak more than we think.  God knows that the words a person speaks could lower him or herself down and that they could harm others who listen to them.  It could negatively influence situations.

The mistakes that Moses made, is a good lesson for all us.  Let’s think about ourselves, when we are stressed and worried from various matters; when we are incredibly busy with hectic schedules, we can lose our self-composure.  At these times it becomes very tough for us to control our emotions.  This happens even to the humblest of people and Moses was no exception.  Every person lives with this possibility.

We understand Moses’ feelings and we can sympathize with him.  We can all face the mistake of losing our tempers, like Moses.  However God closed the door for Moses and did not let him enter the Promised Land.  I pondered at what Moses lacked at this time.  The one word that comes to me is perseverance.  I really feel for him, because there are times where everyone runs out of patience.  Still, seeing what God requested of Moses, we know that God is asking us to be patient.  Nowadays people don’t use this word much, “perseverance”.  We are living in a social phenomenon, in which people advise in speaking one’s mind.  But the Bible is specifically telling us to “persevere.”

You need to persevere so that when you have done the will of God, you will receive what he has promised. 37 For, “In just a little while, he who is coming will come and will not delay.” And, “But my righteous[g] one will live by faith.  And I take no pleasure in the one who shrinks back.” 39 But we do not belong to those who shrink back and are destroyed, but to those who have faith and are saved.

It seems that the writer of Hebrews saw great trials.  These trials will come to us as well, and in order for us to conquer these trials we need patience.  However this does not mean to just be patient and to endure the weight of life, but to know that God sees our struggles and has already gone ahead and prepared our promise of the holy land.  Therefore we do not need to abandon the belief of faith, and we should proceed with patience and perseverance.

We may come to think, why do we need patience?  Well patience is a tool used to keep things going.  For example, we begin to pick up the sport of baseball.  Your goal is to become one of the regular players of your team and to help your team win games.  In order to do this, it is necessary to practice hard for a long time.  To reach this goal we must believe in our potential, and tackle this training with patience and endurance.  We do not need patience to do quick and easy things.  It is funny when someone says, after putting a coin into a vending machine, that “I am patiently waiting for the drink to come out in a few seconds” or that “I’m patiently waiting for the subway train that comes every few minutes.”  That is because you can obtain both of these easily and quickly.

I have said over and over, life does not end here. It is a long journey and that is why we need patience.  Do you know exactly when you are going to get stress out?  It normally happens when things do not proceed as planned.  When there is something that stands in your way.  When the plan collapses or becomes ineffective, we start to feel stress.  Yes, this happened to Moses too.  Mosses, who was just wishing for a quiet moment to mourn and to wallow in the sorrow of his sibling’s death, but then he had some people break in and interrupt his wish.  He felt a tremendous amount of stress from this.

Everyone lives with some kind of stress and these stresses sometimes become bitter words that pour out from our mouths. It is tough to keep holding in such stress. However when such distasteful words and attitudes get out from us, it is just as distasteful for others to hear and see. These “others” are sometimes outsiders, and if you consider this, these people who just happen to be there are all victims of your stress. To make matters worse, we don’t realize how much our spite makes others feel uncomfortable.

My brothers and sisters, what we need is patience.  When listening to such things, we tend to take this as a sort of remedy, like writing “patience” in the palm of your hand and squeezing it when you feel stressed out, but what the Bible is saying is different. Our “patience” is always living with our “faith”.  So do not throw away your confidence; it will be richly rewarded.  You need to persevere so that when you have done the will of God, you will receive what he has promised.(Hebrews 10: 35-36)  Patience is born out of faith. The reason for patience is in our beliefs.

Paul was not the writer of the book of Hebrews; however you can connect some of the verses in Hebrews to some of the verses he wrote in the book of Romans.

Therefore, since we have been justified through faith, we[a] have peace with God through our Lord Jesus Christ, through whom we have gained access by faith into this grace in which we now stand. And we[b] boast in the hope of the glory of God. Not only so, but we[c] also glory in our sufferings, because we know that suffering produces perseverance; perseverance, character; and character, hope. And hope does not put us to shame, because God’s love has been poured out into our hearts through the Holy Spirit, who has been given to us. ( Romans 5:1- 5)

Paul said patience develops from various trials and tribulations, and that patience brings character, and character brings hope.  The New International Version bible says, we[c] also glory in our sufferings, because we know that suffering produces perseverance; 4perseverance, character; and character, hope.  I think patience is like a lacquer that we paint many layers with.  It is not like tin plating that peels of easily. These layers of patience build our character.

I wonder if it is because I’m getting older, but I have come to think that human beauty isn’t just in appearances.  I’m beginning to think that we can see patience within people.

I watched a TV show called “Singing contest of the world! 2016 Spring,” towards the end of last year.  For this contest there were many nonnative speakers from around the world who passed the preliminaries, just to compete at singing Japanese songs.  In this competition one blind lady, who is from Kyrgyzstan Republic, sang two songs and won first place.  The level of this competition was very high and there were even people who have gone on to become professional singers after participating in the show.  Professional Japanese musicians and music producers score on how well these people sing and dance.

This lady from the Kyrgyzstan Republic couldn’t see anything so she had to be escorted to the right spot to perform.  And then she sang with all her heart.  We don’t know if she was born blind or if she had some accident in her past, but we know that she can’t put make up her face or dress herself up in front of a mirror.

After seeing her I soon realized there was no such feeling that she would not try to display.  She was just herself and sang naturally.  We did not get to know her background but we knew that she was a mother of two young children and that she was blind.

There were many good singers before her but I was most impressed by her attitude and her song.  Again I tell you that I didn’t know anything about her life but I feel that she conveyed half her life to me.  I’ve come to think like this, that I have found beauty through her voice and that it touched me.  That she had endured life and overcome difficulties and though all of this, she responded to it with patience.

Most of us do not know how much patience people have. However when you find something beautiful inside a person, you realize that this is the result of how much that person has stood up and overcome the challenges and difficulties of life by trusting their lives with God above.  Therefore the bible tells us it is not our abilities and our successes that bring out our character; but it is our perseverance that brings it out.  What inspires us is our perseverance and beliefs, which is always hidden behind the scene.  This all refers to the culmination of our patience and faith, and all of this creates your personality and that at the end of it all this is what remains, and only this is taken with us into heaven.

We face challenges every day and like Moses we make mistakes.  When we make a mistake we hope to reflect on ourselves before God.  Don’t just leave it and give up with feelings of despair, let yourself be brought before God.  Moses didn’t close his life with this mistake.  His life continued.  He was once again taken by God and his character was shaped even more.  It takes time to make valuable things.  Let us be reshaped every day by His hand.  Let us pray.

Translated by Team Laskaris

本日のおもちかえり

2017年1月22日

 

1)民数記20章1節-13節を読みましょう。このところからモーセのどんな姿を見出しますか。

 

 

2)民数記12章3節には「モーセはその人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた」と書かれています。なぜ、そんなモーセが1)のようなことをしてしまったのでしょうか。

 

 

3)イスラエルの民の不満をあなたはどう思いますか。あなたはこのような不満を持つことがありますか。このような不満を誰かから受けたらあなたはどう対処しますか。

 

 

4)民の不満を受けてモーセは神様のもとに行きました。感情が揺さぶられる時に、その場から離れたり、時間をおくことははなぜ大切ですか。

 

 

5)モーセは神様から言われたこととは異なることをもって岩から水を出しました。その結果、どのような宣告を神様から受けますか。この宣告はなぜとても厳しいものなのでしょうか(参考:詩篇106篇32節―33節)。

 

 

6)へブル10章35節-39節を読みましょう。ここでは「忍耐」についてどんなことが書かれていますか。あなたは日常、どれぐらい忍耐をしていますか。あなたが今、一番、忍耐を要していることは何ですか。

 

 

7)「そればかりではなく患難さえも喜んでいます。それは患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです」(新改訳聖書:ローマ5章3節ー4節)。なぜ忍耐が練られた品性を生み出すと思いますか。

 

 

8)練られた品性が希望を生み出すとはどういうことでしょうか。

 

 

9)「忍耐」と「信仰」はどのように関係しあっていますか。

 

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