ヨエル書:聖霊のはたらきを意識していますか?

個人的な思い出となりますが、私は小学生の時、栃木県の矢板という町に住んでいました。小さな町で、かつて古い町のお寺であった建物をそのまま使っていた教会の側には川が流れ、フナやウグイが群れて泳ぎ、数分歩けば蛙やヤゴがいくらでもいる田園が広がっていました。

そして、その田園には多くのイナゴがいました。田んぼのあぜ道を歩くと何十匹ものイナゴが人の気配に気がつき、いっせいに飛び立つのです。小学生の頃、そのイナゴを佃煮にするために、よく捕りに行きました。竹筒をさしこんだ布袋を持って、そのイナゴを手で捕まえるのです。

そして、その袋を教会に来ていましたあるおばあちゃんに渡すと、彼女は家に持ち帰り、そのイナゴでいっぱいになった布袋をそのまま熱湯に入れて茹で、それを甘辛く佃煮にしました。脚にはトゲがあるので、彼女はその足を取り除き、それを売りに出していました。おそらく今の子供達はイナゴを捕まえることや、それを食べていたと言っても気持ち悪いと敬遠されるかもしれませんが、あの経験は私にとって貴重なものでした。

さてさて、イナゴと今日のメッセージは何の関係があるのでしょうか。 



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本日礼拝でお話した「日英礼拝メッセージ原稿」、および「本日のおもちかえり」です↓。 

本日の礼拝プログラムはこちらから。
マック

ヨエル書:聖霊のはたらきを意識していますか?

2012年10月21日

ここしばらく、私達は礼拝で何人もの預言者を見ています。預言者とは神の言葉を預かり、それを語る者達で、私達が見ておりますどの預言者にも共通することは、彼らが自らの暮らす国の行く末を案じ、命がけで同胞の仲間達に今、何をすべきかということを語りかけたということでした。

このように自分の国を憂慮します預言者たちの姿を見ますと、私達も彼らの思いを共有しているように感じます。すなわち、この合衆国や私達の母国である日本、さらには、世界の国々の行く末を私達も案じ、いったいこれからどうなるのだろうかと私達も思うことがあるのです。

今日、見ていきます預言者ヨエルは南ユダ王国の都、エルサレムを中心として預言活動をしていた紀元前800年頃、イスラエルの民の心が神様から離れ、もう何度もお話していますように政治的にも倫理的にも霊的にも退廃し、それゆえに多くの深刻な問題が日夜、繰り返されていることを目の当たりにしていました。南ユダは今日のアメリカのような大国ではありませんでしたが、ヨエルがそこで見聞きしていた現状というのは、今日、私達がこの国で起きていることとほぼ変わらなかったのではないかと思われます。

あのイスラエル三代目の王、ソロモンは 先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない』(伝道の書1章9節)と書き記しましたが、特に私達の感情とか心の有様に真新しいことはなく、それが良いことであれ、邪悪なことであれ、今も昔も私達がしていることに大きな違いはありません。

そのような民に向かってヨエルをはじめ預言者達が命をかけて語りかけたメッセージの中心は「悔い改めて、神に立ち返れ」ということでした。既にお気づきのように、ここ最近のメッセージはこの「悔い改めよ」ということばかりをお話しています。なぜなら、実際にこれらの預言書を読みますなら、このことこそが預言書の中心的なメッセージだったからです。また、そのメッセージは預言者に限ったことではなく、バプテスマのヨハネも、イエス様も、パウロもペテロも、彼らのメッセージの中心にはこの悔い改めがあったということも既にお話しました。そして、このヨエルが書き記していることも、まさしく、そのことなのです。

さて、それではヨエル書を見てまいりましょう。まず、このヨエル書を開きますと開口一番、このようなことが書かれています。

1ペトエルの子ヨエルに臨んだ主の言葉。2老人たちよ、これを聞け。すべてこの地に住む者よ、耳を傾けよ。あなたがたの世、またはあなたがたの先祖の世にこのような事があったか。3これをあなたがたの子たちに語り、子たちはまたその子たちに語り、その子たちはまたこれを後の代に語り伝えよ(ヨエル1章1節‐3節)。

最初から何かただならぬことが書かれています。未だかつてなかったことが、これから起こる。それをあなたたちの子に、後の代に語り伝えよというのです。

それでは何が起きようとしているのか。ヨエルは続いてこう書きます『かみ食らういなごの残したものは、群がるいなごが食い、群がるいなごの残したものは、飛びいなごがこれを食い、飛びいなごの残したものは、滅ぼすいなごがこれを食った』(ヨエル1章4節)。

個人的な思い出となりますが、私は小学生の時、栃木県の矢板という町に住んでいました。小さな町で、かつて古い町のお寺であった建物をそのまま使っていた教会の側には川が流れ、フナやウグイが群れて泳ぎ、数分歩けば蛙やヤゴがいくらでもいる田園が広がっていました。

そして、その田園には多くのイナゴがいました。田んぼのあぜ道を歩くと何十匹ものイナゴが人の気配に気がつき、いっせいに飛び立つのです。小学生の頃、そのイナゴを佃煮にするために、よく捕りに行きました。竹筒をさしこんだ布袋を持って、そのイナゴを手で捕まえるのです。

そして、その袋を教会に来ていましたあるおばあちゃんに渡すと、彼女は家に持ち帰り、そのイナゴでいっぱいになった布袋をそのまま熱湯に入れて茹で、それを甘辛く佃煮にしました。脚にはトゲがあるので、彼女はその足を取り除き、それを売りに出していました。おそらく今の子供達はイナゴを捕まえることや、それを食べていたと言っても気持ち悪いと敬遠されるかもしれませんが、あの経験は私にとって貴重なものでした。

それにしても、その時のイナゴはまだバタバタと飛び立つぐらいの数だからよかったのです。それがこのヨエルの時代には空が真っ黒になるほどに大発生することが時々、あったようです。実際にあのイスラエルの民がエジプトを逃れる時に起きた災いの一つがこのイナゴの大発生でありましたし、今日も中東アフリカ地域でこのようなイナゴの大発生が起きたというニュースを聞くことがあります。

このことにより、言うまでもない、農作物は根こそぎ大打撃を受けたのです。まさしく、これらのイナゴは地に生える穀物をことごとく食べ、食べ残されたものはまた別のイナゴが食べ・・・というように、まさしくその土地から木々や穀物が一掃されてしまうほどの被害を受けていたのです。ですから、イスラエルの民はこのヨエルが何を言っているのか恐れの感情と共に、すぐにそれを理解したのです。

しかし、実際のところヨエルが本当に民に伝えようとしたことは、払いきれないほどの大量のイナゴを取り上げることにより、それは彼らがイナゴのみならず、近隣のアッシリヤ、バビロン、ペルシャ、ローマという国々による来襲をも受けることになるという預言がこの言葉には含まれていたのです。先に取り上げましたヨエルの言葉を置き換えますのならこういうことになります。

『かみ食らうアッシリヤの残したものは、群がるバビロンが食い、群がるバビロンの残したものは、ペルシャがこれを食い、ペルシャの残したものは、ローマがこれを食った』(ヨエル1章4節)。ヨエルがこの預言書を記した時にはまだアッシリアもバビロンもペルシヤもローマも彼の国を手中には治めていませんでした。しかし、この後実際にこれらの国々が起こり、イスラエルの民達は侵略を受け、まさしく食い尽くされるかのように、窮地に追い込まれていくことは既にこれまで礼拝でお話してきたとおりです。ヨエルはそのようなことがこれから確かに起きるから、それを代々、あなたの子孫に伝えなければならないということをここで言っているのです。

1あなたがたはシオンでラッパを吹け。わが聖なる山で警報を吹きならせ。国の民はみな、ふるいわななけ。主の日が来るからである。それは近い。2これは暗く、薄暗い日、雲の群がるまっくらな日である。多くの強い民が暗やみのようにもろもろの山をおおう。このようなことは昔からあったことがなく、後の代々の年にも再び起ることがないであろう。3火は彼らの前を焼き、炎は彼らの後に燃える。彼らのこない前には、地はエデンの園のようであるが、その去った後は荒れ果てた野のようになる。これをのがれうるものは一つもない(ヨエル2章1節‐3節)。

 これはただごとではない。確かにその日がくる。そのような緊迫した状態をふまえて、それでは今、あなたたちに出来ることは何かということをヨエルは引き続き書き記します。すなわち、『主は言われる、「今からでも、あなたがたは心を尽くし、断食と嘆きと、悲しみとをもってわたしに帰れ。あなたがたは衣服ではなく、心を砕け』あなたがたの神、主に帰れ、主は恵みあり、あわれみあり、怒ることがおそく、いつくしみが豊かで、災いを思いかえされるからである」(ヨエル2章12節、13節)。

 当時の人々は悲しいことがあったり、自ら悔やむことがあるとその衣服を切り裂いたのです。服を切り裂くということを今日、私達が見ることはありません。しかし、彼らは何かあると自らの服を裂いたのです。それはとても分かりやすい行為です。自分のみならず、それを見ていた者達もその人は何かを深刻に悔いているのだと分かります。しかし、ヨエルははっきりと言います。そのような「かたちだけ」の悔い改めではなく、あなたたちの心そのものを砕いて神に立ち返りなさいと。

 そして、ヨエルの忠告はさらに続きます「シオンでラッパを吹きならせ。断食を聖別し、聖会を招集し、民を集め、会衆を聖別し、老人たちを集め、幼子、乳のみ子を集め、花婿をその家から呼び出し、花嫁をその部屋から呼びだせ。主に仕える祭司たちは、廊と祭壇との間で泣いて言え」(ヨエル2章15節‐17節)。

幼子、乳飲み子から老人までを集め、彼らに食を断ってでも、神の前に出て、聖会を招集しなさいというのです。日常の忙しさから離れて、神様の前に出る時間を作り、主の前に涙と共に悔い改めよというのです。そもそも私達が新年聖会とか様々な聖会を持つその本当の理由はここにあるのです。

しかし、彼らの頑なさは救いがたく、実際にイスラエルの民はこのような国々によって食いつくされていったということを私達は歴史を通して知っています。このようなことを今日の世界情勢と全て関連づけることはできませんが、私達はしっかりとこのような書を通して、私達の住む米国の姿、日本の姿を見ることが大切なのです。

ここまでこのヨエル書を見てきますと、私達は希望を失ってしまいそうです。当時のイスラエルの空がイナゴの大群、近隣諸国の軍隊が解き放つ火によって、闇に包まれてしまったように、私達の心も深い闇の中に突き放されてしまうように感じます。しかし、神様はヨエルにさらにこのような預言を語られました。

『その後わたしはわが霊をすべての内なる者に注ぐ。あなたがたの息子、娘は預言をし、あなたがたの老人たちは夢を見、あなたがたの若者たちいは幻を見る。その日わたしはまた、わが霊をしもべ、はしために注ぐ』(ヨエル2章28節-29節)。

近隣諸国がイスラエルの民の国々を飲みつくし、その様が荒廃したとしても、その後、神様はその霊をすべての者に注ぐというのです。先ほどヨエルは聖会を招集して、幼子から老人まで主の前に涙を流せと言いましたが、今度はそんな幼子から老人まで、男女の区別もその身分の区別もなく、すべての人にその霊を注ぐ日が来るというのです。

 実際にこのヨエルの時代までにも神の霊は人の上に注がれていました。しかし、それは全ての人ではなく、王や預言者達に限られていました。彼らはその霊を受けて、神のはたらきに従事したのです。しかし、もはやそれは特別な人に注がれるものではなくて、全ての人に注がれる時がくるというのです。そして、そのことが実際に目に見えるかたちで起きたということがこのヨエルの時代から約800年を経た新約聖書の使徒行伝に記録されていることなのです。それはイエス・キリストが十字架にかけられて、死んで復活し、天にかえられた後の残された者達の只中で起きました。場所はヨエルの活動の中心となっていたエルサレムです。 

1五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると、2突然、激しい風が吹いてきたような音が天から起ってきて、一同がすわっていた家いっぱいに響きわたった。3また、舌のようなものが、炎のように分れて現れ、ひとりびとりの上にとどまった。4すると、一同は聖霊に満たされ、御霊が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語り出した。 

5さて、エルサレムには、天下のあらゆる国々から、信仰深いユダヤ人たちがきて住んでいたが、6この物音に大ぜいの人が集まってきて、彼らの生れ故郷の国語で、使徒たちが話しているのを、だれもかれも聞いてあっけに取られた。(使徒行伝2章1節‐6節)。

このところでは「みんなの者が一緒に集まっていると・・・」と書かれています。みんなの者が集まって具体的に彼らはそこで何をしていたのでしょうか。その詳細はここには記されていません。しかし、使徒行伝1章13節、14節にそのヒントがあります。

彼らは、市内に行って、その泊まっていた屋上の間にあがった。その人たちは、ペテロ、ヨハネ、ヤコブ、アンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党のシモンとヤコブの子ユダとであった。14彼らはみな、婦人たち、特にイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちと共に、心を合わせて、ひたすら祈をしていた(使徒行伝1章13節、14節)。

 時はイエス様が復活されてから50日が経っていました。そこにはイエス様の弟子達がいましたし、イエスの母マリヤやその兄弟たちがいました。しかし、もはや彼らの前にイエス・キリストの姿はないのです。しかし、彼らは集まることをやめずに、そこで「ひたすら」祈っていたというのです。何を祈っていたのか。まさしく思いつく限りのことを祈っていたことでしょう。そうしているうちに彼らの心にはついこの間まで行動を共にしていたイエス様の姿が鮮明に思い起こされたでしょう。時間が経つことによって気がつくこと、分かってくることがあります。彼らは色々なことを祈りの中で気がつかされたに違いありません。俺達はあれも、これも理解していなかった。あの時はあいつに、こいつにイエス様は語っているんだなと思っていたけれど、今、思えばそれは自分に語られていたことなのだというような気づきが与えられていたことでしょう。そして、それらの気づきは必然的に彼らを「悔い改め」へと導いたことでしょう。まさしく、800年前にヨエルが語ったように、彼らの心は砕かれていったに違いありません。そうです、そのような時にヨエルが預言したように、彼らの上に聖霊がくだったのです。

 この驚くべき出来事の直後にキリストの弟子であったペテロが立ち上がり、このヨエル書の言葉を引用してこう語ったのです。16これは預言者ヨエルが預言していたことに外ならないのである。すなわち、17『神がこう仰せになる。終りの時には、わたしの霊をすべての人に注ごう。そして、あなたがたのむすこ娘は預言をし、若者たちは幻を見、老人たちは夢を見るであろう。18その時には、わたしの男女の僕たちにもわたしの霊を注ごう。そして彼らも預言をするであろう』(使徒行伝2章16節‐18節)。

ペテロははこのヨエル書の預言、すなわち神の霊が注がれる日が来るということを知っていたのです。ですから、自分達がたった今、経験したことについてすぐにそれが何のことかが分かったのです。そうです、あのヨエルの預言から800年を経て、まさしくその成就が自分達の中に起きたのだ。ヨエルが叫んだように、心を裂いて祈りを捧げていた、その只中に神の霊、すなわち聖霊が注がれたのです。

この聖霊が注がれた後に彼らはどうなったでしょうか。彼らは立ちあがって、力強く伝道を始めました。その時、十字架につけられたイエスの弟子であるということは、彼らの身にもその危険がおよぶことを意味していました。ですから彼らはその時まで隠れるかのようにしてエルサレムを転々としていたのです。しかし、この聖霊を受けてから以降、彼らは一転、まったく大胆になり主イエス・キリストを伝え始めたのです。

ペテロはこの聖霊を受けた直後、このことがヨエル書の預言の成就だと語り、そして、、まるで別人かのようにして神様について、イエス・キリストについて大胆に語りました。使徒行伝はその彼の言葉を聞いた人達がどんな反応をしたかをこう記しています。

人々はこれを聞いて、強く心を刺され、ペテロやほかの使徒たちに、「兄弟たちよ、わたしたちは、どうしたらよいのでしょうか」と言った(使徒行伝2章37節)。

この問いかけにペテロは何と答えたでしょうか。答えはヨエルの時代と古の預言者達の言葉と何ら変わらないのです。ペテロはこう応えました。

すると、ペテロが答えた、「悔い改めなさい」(使徒行伝2章38節)。

聖書のメッセージは変わりません。神の僕たちが一貫して、語り続けていることが悔い改めなのです。私達はどこかでこの「悔い改め」を落としてきてしまったのでしょうか。私達は今朝、もう一度、おのおの自らの心を神様の前に点検し、心を砕いて主の前に出ましょう。

このペテロの言葉は続きます。そのことについてはヨエルも他の諸々の預言者も触れることがないことでした。それは彼らの時代とペテロの時代との大きな違いです。ペテロは「悔い改めなさい」と言い、こう続けました。

そして、あなたがたひとりびとりが罪のゆるしを得るために、イエス・キリストの名によって、バプテスマを受けなさい。そうすれば、あなたがたは聖霊の賜物を受けるであろう。39この約束は、われらの主なる神の召しにあずかるすべての者、すなわちあなたがたと、あなたがたの子らと、遠くの者一同とに、与えられているものである」。40ペテロは、ほかになお多くの言葉であかしをなし、人々に「この曲った時代から救われよ」と言って勧めた(使徒行伝2章38節‐40節)。

ペテロが語ったことと預言者たちが語り伝えてきたことの違いは、イエス・キリストにあります。預言者達は悔い改めを伝えました。しかし、ペテロは悔い改めと同時に私達はイエス・キリストにあってその罪が赦されるということを語ったのです。それは全ての人に神が与えておられることなのだとペテロは語ったのです。

その場にいてペテロのこの言葉を聞いた者達はこのペテロの言葉を受け入れ、イエス・キリストを信じ、実に3000人もの人達がその場でバプテスマを受けたのです。

今から2800年前にヨエルによって預言されたことが今から2000年前のエルサレムで成就しました。それではその時から2000年を経た今、私達が生きるこの2012年はどんな時代なのでしょうか。

そうです、それはペテロが語った言葉がそのまま継続されている時代です。そうです、彼が言ったように、この時代にあって、私達もイエス・キリストにあって救われうる時代です。確かに当のイエス・キリストは見えるかたちで私達の間にはいません。しかし、ヨエルの時代から言われた聖霊というお方が、目には見えないのですが、今も私達と共にいてくださる時代に私達は今、生きているのです。

このことは偶然に起きたことではなく、ヨエルばかりではなく、イエス・キリストもこの聖霊の時代について弟子達に話して聞かせていたのです。

「わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。この方は、真理の霊である。世は、この霊を見ようとも知ろうともしないので、受け入れることができない。しかし、あなたがたはこの霊を知っている。この霊があなたがたと共におり、これからも、あなたがたの内にいるからである」(ヨハネ14章16節‐17節) 

今日(こんにち)、イエス様は見えるかたちで直接、私達の前で何かを語りかけるわけではありません。だからキリストはそうなる前に、予めこう言われました。

「わたしは、あなたがたといた時に、これらのことを話した。しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる」(ヨハネ14章25節‐26節)

皆さん、今も私達はヨエルが生きた時代と同じような世界に暮らし、彼らが抱えた問題と同じような問題に向き合いながら私達は日々、生活しており、そんな私達に今日、神様は聖霊を与えてくださるというのです。しかし、イエス様が言われたようにこの世は、この霊を見ようとも知ろうともしません。どうかこの世に生きる私達がもっともっとこの聖霊のはたらきに敏感になり、この聖霊に自らを委ねることができますように。そして、ますますこの聖霊が私達にすべてのことを教え、私達の主イエスが話されたことをことごとく思い起こさせてくださいますようにと心を砕き、私達は祈り求めようではありませんか。日ごとに複雑さを増すこの世界にあって、私達はこの聖霊の力を日々、必要としているのです。お祈りしましょう。

Book of Joel: Are you aware of the Holy Spirit?

October 21, 2012

 In the last few weeks
we have studied many of the prophets. Prophets listen to the words of God and
convey them to the people. All of these prophets we have studied genuinely
worried about the future of their country and sincerely talked to its people
what they should be doing.

 When we look at these
prophets worrying about their country, we too share in some of their concerns. We
worry about the future of these USA, our mother country Japan, and many nations
in this world. We wonder where all of us are headed for.

 The prophet Joel, our
main topic this morning, worked in the main capital Jerusalem of South Judah
about 800 years BC. He observed first hand that the people of Israel drifted
away from God and the nation had deteriorated morally and spiritually. This
caused so many serious problems in the nation. South Judah is not a large
country like USA. But, the problems Joel encountered there were not too
different from what we observe today in these USA.

 Solomon, the third
King of Israel wrote:  What has been will be again, what
has been done will be done again; there is nothing new under the sun.” (Ecclesiastes
1:9)  Nothing is truly new in our emotions and
social status. Either good or bad, what we experience today is a repeat of the
past.

 The main message Joel
and other prophets tried to convey to the people was “Repent and come back to
God.” You might have noticed that I have talked about this message “Repent”
many times in these few weeks. But, this is indeed the main message that these
books of prophets are trying to convey. I have also pointed out that such
message was not limited to prophets. Messages by John the Baptist, Jesus Christ,
Paul, and Peter also were centered on this repentance. And this Book of Joel
also delivers the same message.

 Let us take a look at
this Book of Joel. At the very opening of this Book of Joel, there is this
message:

 1The word of the
LORD that came to Joel son of Pethuel. Hear
this, you elders; listen, all who live in the land.  Has anything like this ever happened in your
days or in the days of your forefathers? 
3       Tell it to your
children, and let your children tell it to their children,  and their children to the next generation.
(Joel 1:1-3)

 This is an alarming
message. Something that never happened before will happen. Tell it to your
children and to the generations to come.

 What is to happen
then? Joel continues telling:

“What the locust
swarm has left the great locusts have eaten; what the great locusts have left the
young locusts have eaten; what the young locusts have left other locusts have eaten.” (Joel 1:4)

 This is my personal
recollection. During my elementary school days, I lived in a town called Yaita
in Tochigi Prefecture. It was a small town. The church was an old Buddhist
Temple building. A small river next to the church was full of swimming carps
and daces. Within walking distance was an open field with frogs and dragonfly
nymphs.

 And there were many
locusts in the field. Tens of locusts used to fly up suddenly when we children
walked in the field. During elementary school days, we used to catch them for
cooking them. We had a fabric sack with bamboo rod, and we used to catch
locusts by hand.

 And when we gave our
catch to an old lady at our church, she would take them home, put the sack full
of locusts in boiling water, and seasoned them with soy source into a delicacy.
Since the locust legs had sharp thorns, she removed them and used to sell them.
Perhaps children of today may not have chance to catch locusts and may not like
the idea of eating them. But, it was one of my fond childhood memories.

 But, in my days, the locusts
flying up were in small numbers. But, in the days of Joel, swarm of locusts was
sometimes so large in numbers as to blacken the sky. One of the disasters that
happened when the Israelite people were leaving Egypt was such abnormally large
swarm of locusts. Even today, we hear such happenings in the Middle East and in
Africa.

 This meant that all of the
agricultural produce in the field were wiped out by such locusts. Such swarm of
locusts ate all of the growing things in the field. Any left-over crops were
also devoured by other swarm of locusts. All of growing harvests and trees were
completely destroyed. That is why the people of Israel understood what Joel was
saying and were afraid.

 But, what Joel really wanted
to convey was not about the danger of locusts. He wanted to warn them about
impending attack from neighboring Assyria, Babylon, Persia, and Rome. We could
re-state the words of Joel in this way:  “What Assyria has left the great Babylon has
eaten; what the great Babylon has left the young Persia has eaten; what the
young Persia has left Rome has eaten.” (Joel 1:4)

 When Joel wrote this book,
Assyria, Babylon, Persia,  or Rome had not
yet conquered the nation of Judah. But, these attacks did take place later.
People of Israel were completely devoured, devastated, and were defeated. I
have already mentioned these historical events in the last few weeks. Joel was
warning the people that such disaster would surely happen, and that the people
must tell about it to children and generations to come.

 1     Blow the trumpet in Zion; sound the alarm on my holy hill.  Let all who live in the land tremble,  for the day of the LORD is coming. It is
close at hand— 2   a day of
darkness and gloom, a day of clouds and blackness. Like dawn spreading across
the mountains a large and mighty army comes, such as never was of old nor ever
will be in ages to come. 3                Before
them fire devours, behind them a flame blazes. Before them the land is like the
garden of Eden, behind them, a desert waste—nothing escapes them. (Joel 2:1-3)

 This is devastating news. The disaster would come for sure. Then, what
can the people do? Joel goes on to say: 12    “Even
now,” declares the LORD, “return to me with all your heart, with fasting and
weeping and mourning.”  13Rend
your heart and not your garments.  Return
to the LORD your God, for he is gracious and compassionate, slow to anger and
abounding in love, and he relents from sending calamity. (Joel 2:12-13)

 People of those days used to rend
their clothing when they faced sorrow and tribulation. We do not
see people tearing up their clothing. But, these people back then used to tear
up their clothing. This delivers a very clear message to other people. Others
can immediately sense that people are in distress. But, Joel tells them not to show such
superficial “repentance”. He says what they should rend is not clothing but
their heart if they want to return to God.

 And Joel
continues to say: 15Blow the trumpet
in Zion, declare a holy fast, call a sacred assembly.  16Gather the people, consecrate
the assembly; bring together the elders, gather the children, those nursing at
the breast. Let the bridegroom leave his room and the bride her chamber. 17Let
the priests, who minister before the LORD, weep between the temple porch and
the altar. (Joel 2:15-17)

 He tells
people to gather up children, nursing babies, and elders, too. Declare a holy
fast and call a sacred assembly. He said: “Leave the daily routine, make time
to go before God, repent in tears in front of the Lord”. This should be the
main theme of our church meetings today also.

 But, the
people of Israel were stubborn. They did not listen. And they were in fact
devoured by these nations. We know that from history. It might be difficult to
see similarity between those days and our world status of today. But, it is
important to see our USA and Japan in the light of the Book of Joel.

When we look at the Book of Joel thus far, we see no hope. Israel
in those days were covered by the swarm of locusts, the nation was burned down
in flames brought by military powers of the neighboring nations. There was only
dark cloud in their minds.

But, God
told Joel these prophecies also:

 28   “And afterward, I will pour out my
Spirit on all people. Your sons and daughters will prophesy, your old men will
dream dreams, your young men will see visions. 29            Even on my servants, both men and women, I will
pour out my Spirit in those days. (Joel 2:28-29)

 It said
that even when neighboring nations devour the people of Israel and destroy
their land, God would pour his Spirit on all people afterwards. Joel said to
gather up from infants to elders, to cry in tears, and to hold holy
assembly.  But, now, he says everyone
from infants to elders, men and women, of all social standings, would see the
day when the Holy Spirit would be poured on them.

 Actually,
the Spirit of God was poured on people in the days of Joel also. But, not everyone
received such Spirit. Only kings and prophets received it. When they received
such Spirit, they engaged in ministry for God. But, the new message is that the
day would come when the Spirit is poured not only on limited people but on all
people.

This actually
happened later, around 800 years after the days of Joel. This is recorded in
the Books of Acts in the New Testament of the Bible. This happened after Jesus
was crucified, died, resurrected, and returned to heaven. This happened among
the people left behind in the same Jerusalem where Joel used to work in.

 1When
the day of Pentecost came, they were all together in one place. 2Suddenly
a sound like the blowing of a violent wind came from heaven and filled the
whole house where they were sitting. 3They saw what seemed
to be tongues of fire that separated and came to rest on each of them. 4All
of them were filled with the Holy Spirit and began to speak in other tongues as
the Spirit enabled them. 5Now there were staying in
Jerusalem God-fearing Jews from every nation under heaven. 6When
they heard this sound, a crowd came together in bewilderment, because each one
heard them speaking in his own language. (Acts 2:1-6)

 It said
that “when they were all together in one place…” What were they doing gathering
together? No details were recorded here. But, we can find hints in Acts
1:13-14:

 13When
they arrived, they went upstairs to the room where they were staying. Those
present were Peter, John, James and Andrew; Philip and Thomas, Bartholomew and
Matthew; James son of Alphaeus and Simon the Zealot, and Judas son of James. 14They
all joined together constantly in prayer, along with the women and Mary the
mother of Jesus, and with his brothers. (Acts 1:13-14)

 50 days
have passed since Jesus was resurrected. There were disciples of Jesus, Mary
the mother of Jesus, and his brothers. But, Jesus Christ was not there with
them anymore. Nevertheless, they did not stop gathering and were constantly in
prayer.

What were
they praying about? Perhaps on everything they can think of. While so doing,
their image of Jesus, with whom they lived for long time, must have taken
sharper image. Time often brings awareness and understanding. They must have
come to understand many things in their prayer. They must have felt that although
they did not realize back then, Jesus was talking to them, directly to them,
through many occasions. They were beginning to understand. This led them
inevitably to repentance. As Joel said 800 years before, the hearts of these
people were torn apart, too. At those moments, as Joel had predicted, the Holy
Spirit came upon them.

 Immediately
after this amazing experience, Peter, disciple of Jesus, stood up and quoted
the words of Joel saying: 16No, this is what was spoken
by the prophet Joel: 17   “‘In the last
days, God says, I will pour out my Spirit on all people. Your sons and
daughters will prophesy, your young men will see visions, your old men will
dream dreams. 18            Even
on my servants, both men and women, I will pour out my Spirit in those days, and
they will prophesy.’ (Acts 2:16-18)

 Peter had
known about the prophecy of Joel, namely he knew that day would come when the
Spirit of God would be on them. That is why he understood immediately what they
had just experienced. 800 years after what Joel predicted, the prophecy has
come to reality. It happened among the people gathered there, when they tore
their heart in prayer. The Spirit of God, the Holy Spirit came upon them.

 What
happened to these people after the Holy Spirit descended on them? They stood up
and started spreading the good news with conviction. In those days, being
disciples of crucified Jesus meant that their lives were in danger also. That
is why they used to hide themselves moving place to place in Jerusalem. But,
after encountering the Holy Spirit, they changed completely and started
spreading the news about Jesus Christ openly and boldly.

 When
Peter received the Holy Spirit, he told others that this was what Joel had
predicted. And he was completely changed and started talking about Jesus Christ
boldly. Book of Acts records the reaction of people who heard the words of
Peter in this way:

 37When
the people heard this, they were cut to the heart and said to Peter and the
other apostles, “Brothers, what shall we do?” (Acts 2:37)

 How did Peter respond to this question? The response was the same
as Joel and other prophets. Peter responded this way:

 38Peter replied, “Repent” (Acts 2:38)

 The message of the Bible has not changed. Servants
of God have always talked about repentance. Have people
forgotten about this “repentance” on the way? This morning, we should examine
our hearts in front of God, rend our heart and face God.

 The words of Peter continue. These were words Joel or
other prophets did not speak. This is the major difference between then and the
days of Peter. Peter said: “Repent”, and then continued:

  “and be baptized, every one
of you, in the name of Jesus Christ for the forgiveness of your sins. And you
will receive the gift of the Holy Spirit. 39The
promise is for you and your children and for all who are far off—for all whom
the Lord our God will call.” 40With many other words
he warned them; and he pleaded with them, “Save yourselves from this corrupt
generation.” (Acts 2:38-40)

 The major difference between what Peter said and
Prophets did is in Jesus Christ. Prophets talked about repentance. But, Peter
said, in addition to repentance, that we are to be forgiven in Jesus Christ. Peter
said that this is what God is offering to everyone.

 When people heard Peter, they accepted his words,
believed in Jesus Christ, and over 3000 people were baptized at that time.

 The prophecy of Joel 2800 years ago was realized 2000
years ago in Jerusalem. It has been 2000 years since. What is this time of 2012
that we live in?

 This is the time when what Peter had spoken is still
alive. As Peter said, even today, we can be forgiven and saved by Jesus Christ.
We cannot see Jesus Christ with naked eyes these days. But the Holy Spirit,
about which people talked about since the days of Joel, is among us, even if we
cannot see with our naked eyes. We live in such a time now.

 This did not happen by accident. Not only Joel, but
also Jesus Christ talked to his disciples about the days of the Holy Spirit.

 16And I will ask the Father, and he will give you
another Counselor to be with you forever—17the Spirit of truth. The
world cannot accept him, because it neither sees him nor knows him. But you
know him, for he lives with you and will be in you. (John 14:16-17)

 At present day world, Jesus Christ does not appear in flesh to
talk to us. But, Jesus had told us about such time in this way:

 25“All this I have spoken while still with you. 26But
the Counselor, the Holy Spirit, whom the Father will send in my name, will
teach you all things and will remind you of everything I have said to you. (John 14:25-26)

 We live
in a similar world as the one Joel lived. We also have problems just as they
did today. But, God promised that the Holy Spirit is with us looking over us
even today. But, as Jesus said, this world does not bother to seek for the Holy
Spirit. We pray that this world would become more aware of the work of the Holy
Spirit, learning to trust in this Holy Spirit. Let us pray that this Holy
Spirit would teach us about everything and remind us what Jesus Christ had
spoken. In this difficult world we live in, we need the power of the Holy
Spirit daily. Let us pray.

Translated by Dr. Yasuhisa Hosomatsu

 

  本日のおもちかえり

2012年10月21日

1)ここしばらく、私達は礼拝で何人もの預言者を見ています。彼らは自国の行く末を案じ、神の言葉を預かり、民に向かい悔い改めを語りました。ちょうど今、アメリカは次期のリーダーを選ぶ大切な時を迎えています。あなたはこの国の未来に対してどんな思いを持っていますか?

 

2)ヨエルが預言したとおり(ヨエル1章4節)、イスラエルは後に近隣の大国に侵略されていきます。私達はこのような隣国との緊迫感をもっていますか。アメリカの場合、日本の場合、それぞれどうでしょうか。

 

3)このような民に向かいヨエルは「あなたはたがは衣服ではなく、心を砕け」と語りかけ、神に立ち帰るように伝えました(ヨエル2章12節、13節)。当時の人々は悲しいことがあったり、自ら悔やむことがあるとその衣服を切り裂いたのです。しかしながら、ヨエルがそのようなことをするのではなく、心を砕けといった意味は何ですか。

 

4)ヨエル2章15節ー17節には「聖会」という言葉がでてきます。このところから私達は聖会というものが本来、どのようなものであったかということを知ることができますか。

 

5)ヨエルは悔い改めばかりを叫んでいたのではなく、後に神様が全ての人に聖霊を注がれるということを預言し、このことはその800年後にエルサレムで実現しました(使徒行伝2章1節‐6節)。一同が集まっているところに注がれた聖霊ですが、その時、彼らは何をしていたのでしょうか(ヒント:使徒行伝1章13節、14節)。

 

6)ヨハネ14章25節‐26節には聖霊が私達にどんなことを可能にしてくださると書かれていますか。ここに記されている約束は私達にとってなぜ大切なのですか。

 


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