ヨハネ黙示録:66個目の石の上から見えるもの

これまで聖書全巻を見てまいりました。まさしく並べられた石を66個、一つ一つ踏みしめてここまで歩んできたように感じています。そうです、今、私達は66個目の石の上に立っているのです。ここで私はこれまで歩んできた65個の石を見るべく後ろを振り返ります。

はるか彼方に水に浮かんでいる創世記の石が見えます。出エジプト記、レビ記、そうだ、モーセとイスラエルの民は荒野をさまよったんだと思い起こします。そして、石は民数記、申命記と続き、旧約聖書最後の書マラキ書まで見えます。イスラエルの民のかたくなな心、それに対する父なる神の赦しの物語がいくつも心に思い浮かんできます。よく見ればマタイ、マルコ、そして、新約聖書最後のヤコブ、ペテロの手紙、ヨハネの手紙、ユダの手紙の石もあります。そして今日、聖書最後の石である黙示録の上に私達は立っています。

これらを振り返り、確認して私は鳥肌が立つのです。私が背後に見ている65個の石は、そこに無造作に転がっているのではないからです。創世記から始まった石は規則正しく並べられ、一直線に黙示録まで並んでいるからです。

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66個のおはじきを宙になげればそれはバラバラにあちこちに落ちるでしょう。しかし、知性ある者であるならば、そのおはじきを一直線に並べることができます。同じようにこれまでの65個の石は明らかにある方向に向かって並べられているのです。そうです、ここまで40人の著者が書いた書を神様は全てある方向に向かって並べられたのです。そして、私は再び振り返り、今立っている黙示録の石から、その前途を眺めます。

そうです、当然その先に次なる石はありません。しかし、このことから分かることは黙示録に書かれていることはこれまでがそうであったように、確実に先に進むということです。すなわち黙示録に記されているこれから起こる預言を実証するのは私達がこれまで見てき、現在につながっている聖書の歴史です。「History」すなわち、「 His  Story、神の物語」はまだ終わっていないのです。

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ヨハネ黙示録:66個目の石の上から見えるもの

2013年10月27日

昨年の一月に創世記から始まりました聖書66巻の旅もいよいよ、最後のヨハネ黙示録となりました。このヨハネ黙示録は22章からなる書で、それはイエス様の弟子でありました「雷の子」から「愛の使徒」に変えられたヨハネがその信仰故にパトモスという島に幽閉され、これからこの世界に起きるであろう終末の世界について書き記したものです。

以前、ヨハネは実によく物事を観察する人であったということをお話しましたが、その彼の賜物を神様は用いられたのでしょう、彼は神様から見せられた幻を逃さずに事細かに黙示録に記録しました。その様は私達の日常からかけ離れたもので、それを理解することはとても難しいように思われます。実際、その内容を今朝、これから30分でお話することはできません。そこで、聖書全巻を見てまいりましたその最後ということで、このヨハネの黙示録の鍵の言葉となる一節と共にここにいたるまでのことを振りかえりつつ、黙示録が語りかけるメッセージに心を向けましょう。色々な注解書を見てみますと、黙示録の鍵となる言葉はこの言葉のようです。

「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである」(ヨハネ黙示録22章12節-13節)。

この言葉はイエス様の言葉でキリストはご自身「わたしはアルパであり、オメガである」、すなわち「わたしは最初であり、最後である」というのです。ここから分かりますことは、この言葉は明確に「時」ということについて言っているということです。すなわちこの世界には初めがあり、終わりがあるということで、その最初について聖書は開口一番、こう書き記しています。創世記1章1節『はじめに神は天と地とを創造された』。

この世界はそこから全てが始まりました。神様はこの世界を秩序をもって創造されました。私達を取り巻く地球環境というものに目をとめます時に、それらがあまりにもよくできていることに私達は驚嘆します。学者達はこれまで生き物の命や生態系について研究し、多くのことを発見してきました。「発見」ということは「既にそこにあったものを見出す」ということで、それらは神が創造し、古の昔からそこにあったものです。これらのものを発見する度に学者達は「あぁ、なんと精巧で素晴らしいんだ」とため息をもらしたに違いありません。

『I am a legend』という映画があります。ニューヨークのマンハッタンが舞台の世の終わりを取り扱った映画です。世界中に蔓延したウィルスによりほとんどの人類は死に絶えてしまいました。その誰もいないマンハッタンに主人公は犬と共に暮らしています。しかし、そのマンハッタンは私達が今日、見る光景ではありません。人の気配はなく、ブロードウエイには草木が生え放題です。全てのものが荒廃し、野放しにされた鹿の群れが縦横無尽に、かつての金融街を走り回ります。なぜ今、マンハッタンで人はハンドルを握り、車を運転することができるのでしょうか。なぜ、そこが草薮にならないのでしょうか。人が町を管理しているからです。これは他の生き物にはできないことです。

創世記において神は人に対して『生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ』(創世記1章28節)とその役割を語りました。これはこの世界を管理するのはあなたたちなのだという任命の言葉です。「神は愛なり」と聖書はいいます。愛とは愛する人に自由を与えることです。ですから神は人に「自由」を与えました。人に自由を与えるということはリスクをともなうことでしたが、このことを放棄することはなさらず、今現在も私達がどのように生きるかという自由は私達各々に委ねられており、私達は今もその自由と共に私達の環境を支配、搾取するのではなく、管理するようにと命じられいます。ですから環境汚染というのは明らかに私達に神様が委ねられている任務からは遺脱していることなのです。

最初の人、アダムとイブにも自由がありました。神様は彼らが置かれたエデンの園に禁断の実をはえさせ、園のどの木からも、その実を食べていいけれど、この実だけは食べてはならないと命じました。しかし、それは強制ではなくアダムとイブには神に言われたとおりにそれを「食べない自由」と神の言葉に反して「食べる自由」がありました。結果、彼らは「これを食べると神のようになれる」という囁きと共に食べる自由を選び、その後に人間世界には様々な問題が起こるようになりました。その問題の中心にあるものを聖書は罪と呼びます。これが人間の物語の始まりであり、今までお話してまいりました39巻の旧約聖書は一言でいえば、この自由を行使した人間達の物語なのです。

映画にはPG 、PG13、 Rというような鑑賞する人を区別する段階がありますが、Rは子供には見せられない言葉や行為が描写されているものです。自由意思が与えられた人間達が繰り広げた旧約聖書の人々の様がもし映像化されるのなら、それはR指定となるようなものが多分に含まれています。その様は手のつけようがなく、聖書は度々、その世界は深い闇に包まれていると記しています。

神様は旧約時代、これらの世界に何人もの預言者をたて、ご自身の言葉を彼らに託し、その言葉に従うことによって幸いを得よと伝えました。しかし、問題はそれを聞くべき者達の心が閉ざされており、それを聞かないばかりか、彼らの自由意思をもって預言者達を嘲笑し、打ちたたき、最後には殺したのです。そして、さらに厄介な問題は当の預言者達も自由意思をもった人間であったということで、メッセージを送る者達も過ちを犯したということが赤裸々に書かれています。愛ゆえに「自由」を私達に与えるということと引き換えに神様は人間がその自由をもって悪事をもしてしまいかねないというリスクと共に今にいたっており、私達は今の時代も旧約聖書の時代もなんら人間の本質は変わらないということを知っています。一月かけてたどりつく場所に今日、私達は数時間で行くことができます。そのような進歩はめまぐるしいのですが、人の心に関していえばその本質は昔も今も変わりません。

聖書を初めから読んでまいりますと神様は問題を早送りさせたり、スキップさせたりするお方ではないということが分かります。ただ人の側で成しうることに事の進展を委ねました。しかし、それらはことごとくうまくいきませんでした。まさしく、詮方尽きてしまい、世界は闇に包まれました。こうして旧約聖書の時代は閉じていきます。皆さんのお手元にある旧約聖書の一番最後に書かれているマラキ書から新約聖書のマタイ伝の間には一枚のページがあり、それが旧約と新約を隔てています。しかし、この間には実際には400年もの年月がありました。一言で400年と言いますが、それは長い年月です。まさしく聖書に記録されていない暗黒の時代です。

しかし、その暗黒の世界に光がともる日が来ました。預言者イザヤは実際にその日が来る750年前にこう預言していました『暗黒の中に住んでいた民は大いなる光を見、死の地、死の陰に住んでいる人々に光が昇った』(マタイ4章16節)。聖書を読んでいて分かりますことは、先ほどお話しましたように神がこの世界に送られた預言者と呼ばれる人間達は「やがて来る光」について証をした人だったということです。彼ら自身は光ではありませんでした。しかしイザヤの預言は人がこの世界において‟光そのもの”を見るというのです。バプテスマのヨハネはこのことをさらに具体的にこう書いています『すべての人を照らすまことの光があって、世に来た』(ヨハネ1章9節)。この光こそがイエス・キリストなのです。

キリストは『わたしを見たものは、父(すなわち神)を見たのである』(ヨハネ14章9節)と言いました。パウロはこのキリストについて『キリストのうちには、知恵と知識との宝が、いっさい隠されている』(コロサイ2章3節)と言いました。私達は黄金の夕陽を見て神を意識するかもしれません、雪が積もった富士山を見て、手を閉じ拝むかもしれません。しかし、それでは神がどんなお方であるかは分からないのです。キリストは私を見たものは神を見たというのです。パウロはこのキリストのうちには神の知恵と知識の宝が全て隠されているというのです。それではこのキリストのうちにある神の知恵とは何なのでしょうか。パウロはコリント第一の手紙で書いています。

20知者はどこにいるか。学者はどこにいるか。この世の論者はどこにいるか。神はこの世の知恵を、愚かにされたではないか。21この世は、自分の知恵によって神を認めるに至らなかった。それは、神の知恵にかなっている。そこで神は、宣教の愚かさによって、信じる者を救うこととされたのである。22ユダヤ人はしるしを請い、ギリシヤ人は知恵を求める。23しかしわたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、24召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである。25神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いからである(コリント第一の手紙1章20節-25節)。

パウロがこの言葉を語った時代はギリシア哲学隆盛の時代で知恵と知識というものが最も愛されていた時代です。その時代にパウロはアテネという世界最先端の知恵、知識が満ちた町で伝道しながらも「あなたがたの知恵や知識では神を知ることができない。あなたがたは神へのアプローチを取り違えている」と論破したのです。そして、神は宣教の愚かさ、すなわち、あなたたちが目をそむける、罪人の磔道具にしか見えない十字架に架かられたイエスのうちにあなた方の救いがあるのだと言ったのです。

旧約聖書の時代、神様から送られた預言者はどうにかして、民を神のもとに立ち返らせようとしました。しかし、人の性(さが)は変わらず、それらは成し遂げられませんでした。数千年におよぶその試みにより、人の側に救いはないということが明らかになりました。すなわち人が天に手を伸ばしても、それが天に届くことはなく、ゆえに神の側からこの地にイエスを送られたのです。しかし、そのキリストさえも人は十字架にかけて殺しました。その時、全てが終わったように思われました。しかし、そのところにこそ、神の知恵がありました。そこに神の愛がありました。それは人には愚かに思えることでしたが、神の愚かさは人よりも賢く、神の弱さは人よりも強いのです。

これらのことを思いながら己が心に手を当てれば、なぜ神様がイエス様を送られ、このイエス様が私達の身代わりとなられて十字架にかかられたのかが分かります。私達の心が本当に変わることができるのは、私達が無償の愛を知った時です。人間の更生には愛が必要です。罪の解決はルールではないのです。罪から立ち直った人の言葉を聞いてください。「法律が素晴らしかったからがんばりました」という人はいません。彼らは言うことでしょう、「自分を信じて、支えてくれる人がいたから私は立ち直ることができました」と。神の愛は押しつけがましくはないのです。今も、静かにカルバリの丘のうえに立ち続けているのです。

これがこれまで二年近くかけてお話してきました聖書65巻の経緯(いきさつ)です。ここに来るまで40人もの聖書記者たちの書を見てきたのです。それぞれが66巻全体に欠かせない一書を担い、互いに当然面識はなくとも、全てを見通されている大いなる編集者の力によりここまで来ました。そしてその最後のバトンをとったヨハネはこう言うのです。「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである」(ヨハネ黙示録22章12節-13節)。

世の中は不公平だと言う人達が大勢います。確かに私達は自分の親や、生まれる環境を選ぶことができません。すなわち見方によれば生まれた時からそれは不公平な人生です。そして、自らの足でたって生計を立てたとしてもその不公平さは続くでしょう。世界経済一つとっても安定していた時に働いている人と、不安定な時に働いている人とでは大きな違いがあり、それも不公平だと言えるでしょう。正直者はバカを見るというような言葉もあります。真実が明かされずに人からの責めを背負って息をひきとる方も大勢います。

しかし、この黙示録はこれらの不公平さは完全に公平に正されると言います。全てのことを知り、全てのものを裁くことができるお方が報いを携えてきて来られ、私達それぞれのしわざに応じて報いようというのです。このことを知るパウロは第一コリント4章5節において言っています『だから、主がこられるまでは、何事についても、先走りをしてさばいてはいけない。主は暗い中に隠れていることを明るみに出し、心の中で企てられていることを、あらわにされるであろう。その時には、神からそれぞれほまれを受けるであろう』。

その最後には人を裁くと黙示録ははっきりと書いているのです。しかし、実際、誰がこの神の裁きの前に立つことができるのでしょうか。人をだますことはできます。しかし、神をだますことはできません。表面的には善人であっても、その心の中まで、その動機まで知るお方の前で誰が神に正しいとされる人がいるでしょうか。先にお話ししました旧約聖書においては、まさしく神の前に自らを正しくあろうとすることを自分の力で試みた時代なのです。しかし、ことごとくそれは失敗に終わったのです。

しかし、私達はただイエス・キリストの恵みにより救われるのです。私達が自分の力で神の前に正しくあることはできないというのは事実です。しかし、私達の罪はキリストの十字架により赦されるのです。本来、私達が受けなければならない罰をキリストが全てその一身に負われ十字架にかかってくださったからです。そして、それを信じる者は間違いなく救われると聖書は言っているのです。

そして、このキリストが再びこの世界に来られ、キリストを己が主とする者を自らと共に天に携えあげ、その後に大患難時代と呼ばれるような悪が世界を支配するような時が来た後、再びキリストが携えあげられた者達とこの地上に臨み、千年王国と呼ばれる悪魔が幽閉され、全く神の平安に支配された時が流れ、その後に悪魔は全て滅ぼし尽くされ、神は新しい新天新地を造り、キリストにある者達は永久に神と共に生きると黙示録は預言しているのです。

天地創造から始まり、人間が成した諸々のことの後、キリストはこの地に誕生され、十字架につけられ、復活し、天にかえり、そしてこの地上に再び来られる。この人の歴史の中で私達はキリストが天にかえった後の世界、そして再びこの地に来られるという約束が成就される日の間を私達は今、生きています。この時に生きる私達がまず心に留めなければならないことは、まずしておかなければならないことはただ一つ、キリストがやがて来るという、そのことに対する備えです。

備えるとは食料をストックすることではありません。その日に神の裁きの前に立つことができるように備えよということです。罪は自らの努力によって取り去るものではなくて、キリストの十字架を信じて、神様から赦していただくものです。その準備をしておきなさいと黙示録はいうのです。

何かを準備する場合、その準備の理由となる情報があります。地震が向こう30年の間に起こる可能性があるという情報があるから、私達はそのために備えるのです。サハラ砂漠を縦断している人が、もしかしたら明日、必要かもしれないと海水パンツと水中眼鏡を準備はしませんし、ハワイに住む人がいつか必要になるかもしれないと8000メートル級の山に登る装備を身近に用意することはありません。

未だ来ていませんから、準備しておくことは億劫なことです。避難訓練のために準備をするのは億劫です。まだ起きていないのですから。しかし、それが本当に来るのならその備えが私達を救います。

週末、子供達にどっさりと宿題が与えられます。月曜日に提出なのです。宿題が与えられるのは金曜日ですから二日半あります。我が家に関して言えば彼らは金曜日に宿題に手を出すことはほとんどありません。土曜日にすることも稀です。日曜日は教会ですから午後までは家にいません。教会から帰って夕食前に宿題に取りかかるのならたいしたもんです。しかし、大抵、夕食が終わって歯を磨く頃にぐしゃぐしゃになった宿題が鞄から出てきます。大抵「あれがない、これがない」というおまけつきです。さらにその時に「明日、銀河系について皆の前で発表しなければならない」という言葉に目の前が真っ暗になります。

ですから私の彼らに対する言葉はいつも同じです「どうせやるなら早くやっておきなさい」。何度この言葉を言ったでしょうか。提出日が来ることは分かっているのだから、やれる時にやっておきなさい。この言葉を言い続けて数年になります。しかし、彼らは今もこの言葉の意味が分からず、私の血圧は週末に上がるのです。このことに気がつくためには彼らがこれからの人生の中で、冷や汗をかくような経験、大切なチャンスを失うというような経験をしなければならないことでしょう。彼らのそのような失敗はきっと彼らにとって痛みと損失となることでしょうが、命を失うようなことではないでしょう。

しかし、キリストの再臨に備えるということは私達の命、永遠の命に関わることであり、それは他のどんな備えよりも大切なことです。私達の乗る飛行機が墜落する確率は何千万回に一回です。しかし、キリストがこの地に来られる確率は来るか来ないか、二つに一つなのです。しかも、それは今日の午後、くるかもしれないのです。

これまで聖書全巻を見てまいりました。まさしく並べられた石を66個、一つ一つ踏みしめてここまで歩んできたように感じています。そうです、今、私達は66個目の石の上に立っているのです。ここで私はこれまで歩んできた65個の石を見るべく後ろを振り返ります。はるか彼方に水に浮かんでいる創世記の石が見えます。出エジプト記、レビ記、そうだ、モーセとイスラエルの民は荒野をさまよったんだと思い起こします。そして、石は民数記、申命記と続き、旧約聖書最後の書マラキ書まで見えます。イスラエルの民のかたくなな心、それに対する父なる神の赦しの物語がいくつも心に思い浮かんできます。よく見ればマタイ、マルコ、そして、新約聖書最後のヤコブ、ペテロの手紙、ヨハネの手紙、ユダの手紙の石もあります。そして今日、聖書最後の石である黙示録の上に私達は立っています。

これらを振り返り、確認して私は鳥肌が立つのです。私が背後に見ている65個の石は、そこに無造作に転がっているのではないからです。創世記から始まった石は規則正しく並べられ、一直線に黙示録まで並んでいるからです。

66個のおはじきを宙になげればそれはバラバラにあちこちに落ちるでしょう。しかし、知性ある者であるならば、そのおはじきを一直線に並べることができます。同じようにこれまでの65個の石は明らかにある方向に向かって並べられているのです。そうです、ここまで40人の著者が書いた書を神様は全てある方向に向かって並べられたのです。そして、私は再び振り返り、今立っている黙示録の石から、その前途を眺めます。

そうです、当然その先に次なる石はありません。しかし、このことから分かることは黙示録に書かれていることはこれまでがそうであったように、確実に先に進むということです。すなわち黙示録に記されているこれから起こる預言を実証するのは私達がこれまで見てき、現在につながっている聖書の歴史です。「History」すなわち、「 His  Story、神の物語」はまだ終わっていないのです。

「見よ、わたしはすぐに来る。報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう。わたしはアルパであり、オメガである。最初の者であり、最後の者である。初めであり、終りである」」(ヨハネ黙示録22章12節-13節)。

この言葉を信じることは無理なことではなく、これまでの神と人との物語を知る者にとっては当然の帰結なのです。最後に聖書66巻のシリーズを閉じるにあたり、聖書中、大きな役割を果たした預言者、イザヤの言葉をもってこの聖書全巻からのメッセージを終えましょう。

6あなたがたは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ。7悪しき者はその道を捨て、正しからぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。そうすれば、主は彼にあわれみを施される。

われわれの神に帰れ、主は豊かにゆるしを与えられる。8わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道は、あなたがたの道とは異なっていると主は言われる。9天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い。10天から雨が降り、雪が落ちてまた帰らず、地を潤して物を生えさせ、芽を出させて、種まく者に種を与え、食べる者にかてを与える。11このように、わが口から出る言葉も、むなしくわたしに帰らない。わたしの喜ぶところのことをなし、わたしが命じ送った事を果す。

(イザヤ55章6節-11節)

お祈りしましょう。

John’s Revelation:

A view from 66th stepping stone

October 27, 2013

 Our trip through 66 books of the bible that we started in January of last year has reached the last book, the Revelation, today. This Revelation has 22 chapters, and was written by John, a disciple of Christ who was called a Son of Thunder and an Apostle of Love. John wrote this book about the end of the world to come while he was exiled on an Island of Patmos.

I have pointed out that John was very observant. God knew how to make the best use of John’s talent. John describes images shown to him by God in great detail in this book of Revelation. What he observed was quite different from what we see in our daily life. It is difficult to comprehend. In fact it would be impossible to talk about its contents within allotted 30 minutes this morning. Since this is the last book of the Bible we have been studying, let us look back what we have covered and let us also focus on the key message in the book of Revelation. According to references I have studied, the key phrase of this Revelation is the following:

12“Behold, I am coming soon! My reward is with me, and I will give to everyone according to what he has done. 13I am the Alpha and the Omega, the First and the Last, the Beginning and the End. (Revelation 22:12-13)

These words were spoken by Jesus. He said “I am the Alpha and the Omega.” In other words, he said “I am the beginning and the end.” It is clear that this phrase is talking about “time.” It says there is the beginning and the end to this world. The bible talks about its beginning at the opening phrase in Genesis in this way:  “In the beginning God created the heavens and the earth.” (Genesis 1:1)

This was the beginning of our world. God created this world in an orderly manner. We are always amazed at how carefully and precisely this world surrounding us had been created. Scholars have studied and made many discoveries about life on earth and its ecosystem. To discover means finding out what were already there. These were created by God and had been in existence from ancient days. Each time scholars encounter such discovery, they are impressed at the beauty and intricacy of such findings.

There was a movie entitled “I am a legend.” It depicts Manhattan, New York, as the world faces its end. Most of the human being had been wiped out by virus that had spread throughout the world. One man lives in deserted Manhattan alone with his dog.

Of course this Manhattan is completely alien in its appearance. It is completely void of human, and Broadway is taken over by overgrowth of trees. Every building is in ruins, and flocks of wild deer are running around in deserted Wall Street. But, then, why, people can drive cars on Manhattan today? Why isn’t the grassland taking over the island today? That is because people take care of the environment. Only human can do so.

In Genesis, God said to people: “Be fruitful and increase in number; fill the earth and subdue it. Rule over the fish of the sea and the birds of the air and over every living creature that moves on the ground.” (Genesis 1:28)  God charged us with responsibility to rule this world.  “God is love”, says the bible. Love grants freedom to loved ones. God granted us “freedom.” Granting freedom to us was risky. But, God permitted us to rule the world in our own way. We are charged to rule this world, not by overpowering or exploiting it. God has trusted us to make the best use of this environment. We must not pollute the natural environment of this world. God does not want us to do so.

 First human beings, Adam and Eve also were granted freedom. They were told that they can eat fruits from any trees in the Garden of Eden, except, that is, they were not supposed to eat from the tree of the knowledge of good and evil. But, they were free to choose, either to obey God’s command and not eat, or rebel and choose to eat. But, they succumbed to tempting words that “they would be like God if they ate from the tree of the knowledge of good and evil.” They chose to eat this fruit, which was the beginning of all problems in this world. This is called sin in the bible. This is the beginning of the human life story. All 39 books of the Old Testament talk about the people who had chosen to defy God.

Movies are ranked as PG, PG13, and R. Movies ranked “R” usually contain violent languages and actions that are not suited for children’s viewing. If there is a movie depicting behavior of people granted “freedom”, it would be classified as “R” because of its inappropriate scenes. Such people were out of control, and the bible said such world was covered with darkness.

During the time of the Old Testament, God sent many prophets to the world and conveyed his message, urging the people to obey God’s will. God granted freedom to people. But people’s mind was closed to God’s messages. People abused freedom and laughed at the prophets, physically hurting them and even killing them. These prophets were supposed to covey God’s message. But, they were free to choose their behavior too, and the bible tells of misbehaving prophets. God loved us and granted freedom to us. This carried risk of people committing evil acts. When we look at human history, we can see that there is no difference in our behavior from the days of the Old Testament.

We have developed means to travel a long distance within a few hours. Scientific advancement is amazing. But, the human behavior seems to have stuck forever without any advancement.

When we read the bible, we can see that Got did not provide us with short-cuts or easy solutions to our problems. God trusted us to deal with our problems in our own way. But, human could not deal with the problems. We could not find solution. The world had plunged into total darkness. And that was how the Old Testament ended. The book of Malachi, only one page long, separates the Old Testament and the New Testament. The days of the New Testament begins with the book of Matthew. But, actually, this transition took 400 years. This is a long period of void which is not mentioned in the bible.

But a day came when a light shined in the darkness. This was predicted by Prophet Isaiah 750 years before. the people living in darkness have seen a great light; on those living in the land of the shadow of death a light has dawned.” ( Matthew 4:16)   These people called prophets that were sent to this world by God to testify about the days when this light comes to the dark world. These prophets were not light. But Prophet Isaiah predicted that people of this world will one day see the light itself. John the Baptist was straight forward, and said: 9The true light that gives light to every man was coming into the world. (John 1:9)  This light is Jesus Christ.

 Jesus said “Anyone who has seen me has seen the Father.” (John 14:9)  Paul said about Jesus: 3in [Christ] are hidden all the treasures of wisdom and knowledge. (Colossians 2:3)  We might sense presence of God in the golden sunset. Or, feel divine presence in the snow-capped Mt. Fuji. But, such feeling does not reveal the true God.

Jesus said anyone who saw Jesus have seen God. Paul said in Christ are hidden all treasures of the wisdom and knowledge. What then is the wisdom of God hidden in Christ?

Paul wrote in the First Corinthians:

20Where is the wise man? Where is the scholar? Where is the philosopher of this age? Has not God made foolish the wisdom of the world? 21For since in the wisdom of God the world through its wisdom did not know him, God was pleased through the foolishness of what was preached to save those who believe. 22Jews demand miraculous signs and Greeks look for wisdom, 23but we preach Christ crucified: a stumbling block to Jews and foolishness to Gentiles, 24but to those whom God has called, both Jews and Greeks, Christ the power of God and the wisdom of God. 25For the foolishness of God is wiser than man’s wisdom, and the weakness of God is stronger than man’s strength. (I Corinthians 1:20-25)

The time when Paul spoke these words was the time Greek philosophy was strong, and when wisdom and knowledge were cherished by the world. At that time, Paul spoke in Athens, the center of the world’s wisdom and knowledge, saying that it was not possible to know God through wisdom and knowledge alone. Paul said that was not the correct way to God. And, Paul said the salvation is in Jesus Christ who had died on the cross, the most hated means of execution. Paul said this symbol of foolishness of God is the only salvation.

During the days of the Old Testament, prophets sent by God tried to bring the people          back to God. But, the stubborn nature of the people never changed and prophets could not change the world. After thousands of years of trial, it became clear that people could not save themselves. People tried in vain to reach out to the heavens. So, God decided to send Jesus from heaven to this world. But, people managed to kill this Jesus on the cross. That seemed to have marked the end. But, here, in the cross was the wisdom and love of God. It seemed foolish to people. But the foolishness of God was wiser than people and the weakness of God was stronger people.

When we contemplate on this, we can finally understand why God had sent Jesus to us, and why Jesus had to be killed on the cross on behalf of us all. Our heart can truly change only when we learn about unconditional love. Love is necessary for people to change. Problems of sins cannot be solved by law. Just listen to people who were saved from sins. No one says “I was encouraged by the beauty of the law.” They usually say “I could change because someone believed in me and supported me.” God does not force love on us. The love stands quietly and calmly on the hill of Calvary even today.

This is the story of the 66 books of the bible we have spent two years discussing. More than 40 writers wrote these books of the bible. They wrote their own parts of the bible. They did not know each other. But, there was a great and all-knowing editor-in-chief who presided over all these people. And the last of these writers, John, wrote: 12“Behold, I am coming soon! My reward is with me, and I will give to everyone according to what he has done. 13I am the Alpha and the Omega, the First and the Last, the Beginning and the End. (Revelation 22:12-13)

 Many people say that the world is unfair. We cannot select our own parents or the environment we are born into. In that sense, our life is unfair from its starting point. And as we make our living, the unfair side of the world does not go away. Some are given chance to live while the world economy is in good shape, while others are forced to suffer through depression. This also is unfair. Honest people could suffer, too. Some are blamed for no reason and have to suffer for that throughout their life.

But, this book of Revelation says that all unfairness would be corrected. It says that the one who knows everything and who can judge all, will come and reward all of us fairly. Paul also wrote in First Corinthians Chapter 4 Verse 5: “5Therefore judge nothing before the appointed time; wait till the Lord comes. He will bring to light what is hidden in darkness and will expose the motives of men’s hearts. At that time each will receive his praise from God.” (I Corinthians 4:5)

This Revelation clearly stated the people will be judged fairly at the end. But who among us could stand such trial in the court of God? People could deceive other people. But, no one can deceive God. People could look good on the outside. But, God can see into the heart and its core. Who among us can insist he is righteous to God? The days of the Old Testament was the time when people tried to justify themselves to God. But, we all failed miserably in such an attempt.

However, we can be saved by the grace of Jesus Christ. We cannot be found righteous in front of God. Our sins can be forgiven only through the Cross of Jesus Christ. All of the sins that we have committed were forgiven when Jesus Christ sacrificed himself on the Cross on behalf of us all. The bible says those who believe in Jesus would be saved.

Revelation says that Christ will come to this world again and he will carry his followers to heaven with him; A transitional time will come after that when the evil would rule the world; But, Christ will come back again from heaven to this world with his followers; The evil who ruled for a thousand years will be sealed away and God would reign over peace; The evil will be crushed completely forever; and God will create a new world in which followers of Christ will live forever with God.

This world was created by God, which is followed by human history. Then Christ was sent to this world, was crucified, resurrected, returned to heaven, and he would come back to earth again. This is the time after Christ had returned to heaven, and before the time when Christ is to come back to this world again. We, who live at this time of history, must be mindful of only one thing. And that is to prepare for the time when Christ comes back to this world again.

We are not asked to stock up foods. We are to be ready for the judgment day in front of God. We cannot clean away our sins ourselves. Sins are forgiven by God when we believe in the Cross of Jesus Christ. We must remember this.

When we prepare for something, there are signs telling us to be ready. We are told that there would be a great earthquake in the next 30 years. That is why we prepare ourselves. When a person is travelling through Sahara Desert, he would not prepare himself with a swim suit and swimming goggles. People living in warm climate of Hawaii would not need a mountaineering wear suitable for Mt. Everest.

The need to prepare does not seem imminent. And we are reluctant to prepare for such time. But, if such time is really coming, we must prepare ourselves before it is too late.

Children are given homework over the weekend, due on Monday. The homework is given to them on Friday and there are two days and a half to prepare. My children almost never touch the homework on Friday evening. They rarely touch it on Saturday. On Sunday, they are away from home since they come to church. It would be OK if they tackle the homework after church. But, most of the time, they take out homework only after dinner on Sunday. They are not prepared to work on the homework even then. And, they tell us that they have to make presentation on the Solar System on the following morning.

So, we keep telling them to work on the homework early, well ahead of the deadline. How many times did I tell them? I tell them they should start working on the homework while there is ample time. I have told this same thing for many years. But, they do not listen. Naturally, my blood pressure goes up in weekend. If they do not learn the importance of preparation, they would face many problems in their life, and they would lose precious opportunities for success. They will suffer the consequence. But, they would not lose life for that.

But, preparing for the coming of Jesus is life-and-death matter, and it is about our eternal life. This is VERY important. The chance of an airplane crushing might be one in a million. But, Christ is coming for sure. It might happen this afternoon. We must be ready for that.

We have studied each of 66 books of the bible up to today. We have stepped over each of these stepping stones. And we are standing on the last stepping stone this morning. We can look back over 65 stepping stones we have travelled. The stone of Genesis is visible far away. Exodus and Leviticus. Yes, we remember Moses and the people of Israel roaming over the wilderness. We also see stepping stones of Numbers, Deuteronomy, leading finally to Malachi. People of Israel were stubborn. God called to them and forgave them again and again. We also see stones of Matthew, Mark in the New Testament, leading up to James, Peter, John, and Epistle of Jude. And this morning, we are standing on the last stepping stone of Revelation.

As we look back over these stones, we are awestruck realizing that all of these 65 stones were not placed there haphazardly.  The stones starting from the Genesis are travelling to the Revelation in a straight line. 66 marbles, thrown up in the air would fall scattering all over. But, there are some who can make sense out of these marbles and arrange them in an orderly manner. These stepping stones are arranged in a clear direction. All of these books written by 40 authors are arranged in one clear direction

And, today, as we look back, we can also see ahead from this stone of Revelation.

There are no stones ahead. But, as the book of Revelation points out, the world will move on in the definite direction. This book of Revelation is a testimonial to what would happen from now. This is the continuation of the history stated in the Bible. The History, or His Story has not ended.

12“Behold, I am coming soon! My reward is with me, and I will give to everyone according to what he has done. 13I am the Alpha and the Omega, the First and the Last, the Beginning and the End. (Revelation 22:12-13)

 Since we have studied the history of interaction between God and us, it is not too hard for us to believe in these words. As we come to the close of this series of 66 books, let us conclude our series with the words of Isaiah, the greatest among the prophets of mentioned in the bible.

6Seek the LORD while he may be found; call on him while he is near. 7Let the wicked forsake his way and the evil man his thoughts. Let him turn to the LORD, and he will have mercy on him, and to our God, for he will freely pardon. 8 “For my thoughts are not your thoughts, neither are your ways my ways,” declares the LORD. 9 “As the heavens are higher than the earth, so are my ways higher than your ways and my thoughts than your thoughts. 10As the rain and the snow come down from heaven, and do not return to it without watering the earth and making it bud and flourish, so that it yields seed for the sower and bread for the eater, 11so is my word that goes out from my mouth: It will not return to me empty, but will accomplish what I desire and achieve the purpose for which I sent it. (Isaiah 55:6-11).  Let us pray.

Translated by Dr. Yasuhisa Hosomatsu

本日のおもちかえり

2013年10月27日

1)あなたはこれまで聖書66巻を通して何を学びましたか。一書だけではなく、66巻全体を見ることはなぜ大切ですか。

2)ヨハネ黙示録22章12節-13節はこの世界には「初めがあり、終わりがある」と記しています。この世界の始まりはどんなものでしたか(創世記1章)。

3)創世記において神様は人に対して『生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ』(創世記1章28節)とその役割を語りました。この言葉は私達と私達を取り囲む自然環境とのどんな関係を示していますか。

4)旧約聖書は一言で言うと何が書かれていたのでしょうか。その時代に生きた人間は自ら神の前に正しく生きることができましたか。この時代の問題は何でしたか。その問題の根源は何でした。か。それは今日、私達が抱える問題の根源と同じですか。

5)マタイ1章9節、4章16節に記されている「光」とは誰を指すのですか。そのお方はご自身を『わたしを見たものは、父(すなわち神)を見たのである』(ヨハネ14章9節)と言いました。パウロはこのキリストについて『キリストのうちには、知恵と知識との宝が、いっさい隠されている』(コロサイ2章3節)と書きました。このことは何を意味しますか。福音書からイエス・キリストの言動を知ることは何を意味しますか。

6)コリント第一の手紙1章20節-25節を読みましょう。ここでは私達がもちうる「知識と知恵」はどんなものだと書かれていますか。なぜ私達は自分の知識と知恵で神を知ることができないのでしょうか。24節に記されている「神の愚かさ」とは何を指しているのでしょうか。多くの宗教は手を伸ばして天に届こうとします。それはなぜ不可能なのですか。

7)ヨハネ黙示録22章12節-13節を読みましょう。キリストがやがてこの世界に『報いを携えてきて、それぞれのしわざに応じて報いよう」と言っていることはあなたにとって、どんな意味がありますか(参考:第一コリント4章5節)。

8)黙示録の預言は私達の理性や知識では考えられないようなものです。しかし、これまで見てきました 66巻の書を振り返る時に、その預言も起きるという確信が与えられます。なぜですか。

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