万事が益となる

『神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている(ローマ8章28節ー30節)。

この言葉は多くの方達の拠り所として、愛されてきた聖書の言葉です。しかし、同時にこの言葉は誤解されている言葉でもあります。その誤解はどこからくるかと言いますと、私達が考える「益」と神様が考える「益」の違いにあります。

多くの場合、私達は何の疑いもなく、「自分の願い」と「希望」を「自分の益」と考えています。しかし、それは必ずしも「神様が考える益」とは同じではありません。

このことゆえに「自分が考える益」が成就しないと分かると私達は「ほら、みろ、神などはいない。祈っても仕方がない」と考えます・・・。

冷静に考えてみましょう。自分の願いと希望が叶うということが、絶対に自分の益となるのだという考えは本当に正しいのでしょうか?神とは私達の願いと希望を叶える道具なのでしょうか?もし神が私達の道具であるのなら、もはや私達はその存在を神などと呼ぶことはできないのです。道具は私達の手の中に納まるものだからです・・・。

今日はローマ8章28節の言葉を自分の願いが叶わなかったモーセの生涯と照らし合わせて考えてみましょう。

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『神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている(ローマ8章28節ー30節)。

この言葉は多くの方達に愛されてきた聖書の言葉です。しかし、同時に誤解されている言葉でもあります。その誤解はどこからくるかと言いますと、私達が考える「益」と神様が考える「益」の違いにあります。

多くの場合、私達は何の疑いもなく、自分の願いと希望を自分の益と考えています。しかし、それが必ずしも神様が考える益とは同じではないことがあります。ある人はこのことゆえに自分が考える益が成就しないと分かると「神などはいない」と言います・・・。冷静に考えてみましょう。自分の願いと希望が叶うといいうことは絶対に自分の益となるのだという考えは本当に正しいのでしょうか?

ローマ8章28節の言葉を自分の願いが叶わなかったモーセの生涯と照らし合わせて考えてみましょう。

 

 

 

万事が益となる
2018年12月30日

今日は一年最後の日曜日です。この一年も皆さんと共に主に礼拝を捧げることが出来ましたことを心より感謝しております。今日はこの一年を振り返り、新しい一年に向かって前に向かうべく、聖書の御言葉を見ていきたく願っております。

私には一度、訪れてみたい山があります。その山は今日のヨルダンにあるネボと呼ばれる山です。この山の頂には今日、こんなモニュメントが立っています。何だと思いますか。これはイスラエルの民をエジプトから導き出したモーセが持っていた杖をあらわしたものです。今から3500年ほど昔、その齢120歳の時にモーセは一人、この山にのぼり、自分が目指してきた約束の地、カナンを眼下に眺め、そしてこの山で死にました。

申命記34章1節にはこう書かれています。『モーセはモアブの平野からネボ山、すなわちエリコの向かいにあるピスガの山頂に登った。主はモーセに、すべての土地が見渡せるようにされた』(新共同訳)。

モーセがその頂から見ることができるものが二つありました。すなわち彼はそこで二つの方角を見ることができたということです。そうです、それまで彼が歩いてきた道のりと、彼の前に広がる、まだ彼が足を踏み入れていない土地です。

そこからふりかえって眺める一番遠くの光景は神様の不思議な導きにより、へブル人でありながら、彼がエジプト王朝の王子として過ごした日々でありましょう。モーセはその王室で40歳まで過ごし、以降、そのエジプトから逃亡し、ミデアンの荒野でさらに40年を過ごし、そこからエジプトに奴隷となっていた同胞のへブル人を救い出すべく立ち上がり、以降、40年もの間、荒野に暮らし、その生涯の終着点として彼は今、ネボ山、すなわちピスガの頂に一人、立っているのです。

まさしくモーセの生涯は波乱万丈でした。特に最後の40年、200万とも、300万とも言われている、頑ななイスラエルの民を率いるリーダーとしてのモーセの日々は多くの試みで満ちていました。しかし、彼には希望がありました。目指すべき土地があったからです。そう、その土地とは彼の祖先、アブラハム、イサク、ヤコブに与えると神が約束された土地、カナンでした。彼はその土地を目指してあらゆる困難、試練を忍耐し歩んできたのです。それはまさしく彼の生涯のビジョンであったのです。そして、ネボ山とはまさしくその約束の地、カナンを見渡すことができる山であり、モーセは夢にまで見たカナンを眼下に眺めていたのです。

しかし、その所で神様はモーセの前方にある約束の地を見渡させ、言われたのです。4「わたしがアブラハム、イサク、ヤコブに、これをあなたの子孫に与えると言って誓った地はこれである。わたしはこれをあなたの目に見せるが、あなたはそこへ渡って行くことはできない(申命記34章4節)

そもそもなぜ、モーセは神様が約束された土地に入ることができなかったのでしょうか。それはかつてモーセが神の前に失敗をしてしまったからです。

民数記20章3節-6節にそのことが書かれています。そう、それはチンの荒野で起きました。モーセとイスラエルの民には水がなく、彼らは“いつものように”モーセに向かってつぶやきました。

3すなわち民はモーセと争って言った、「さきにわれわれの兄弟たちが主の前に死んだ時、われわれも死んでいたらよかったものを。4なぜ、あなたがたは主の会衆をこの荒野に導いて、われわれと、われわれの家畜とを、ここで死なせようとするのですか。5どうしてあなたがたはわれわれをエジプトから上らせて、この悪い所に導き入れたのですか。ここには種をまく所もなく、いちじくもなく、ぶどうもなく、ざくろもなく、また飲む水もありません」。6そこでモーセとアロンは会衆の前を去り、会見の幕屋の入口へ行ってひれ伏した。

このことに対して主の栄光が彼らにあらわれ、渇く彼らのために岩に命じて水を出させなさいと言うのです。しかし、その岩の前に立った時に、モーセの心の中に民に対する苦々しい思いと怒りが込みあげきたのでしょう。彼は言いました「そむく人たちよ、聞きなさい。我々があなたがたのためにこの岩から水を出さなければならないのか」。そう言うと彼は杖をあげ、それで岩を二度たたきました。ゆえにそこから水がわきだしたのです。

主はモーセに言われました。「イスラエルの人々の前にわたしの聖なることを現さなかったから、この会衆をわたしが彼らに与えた地に導き入れることができないであろう」(12)。

 そう、神様は彼に岩に命じなさいと言われました。しかし、モーセは杖で岩を二度たたいたのです。その杖こそが今日もネボ山に立っているモニュメントなのです。

このことゆえに彼はその約束の地に入ることができなくなったのです。旅の途中でその旅を続ける目的を失ったのですから、これはモーセにとっては絶望的なことです。しかし、それでもモーセはその後、民を導き続け、いよいよ自分は入ることが許されていない約束の地の一歩手前までやってきたのです(ネボ山頂からの風景)。いったい私達はこのモーセの人生をどのように受け止めるのでしょうか。

年の暮れ、この一年の間、もし私達が一つの山の山頂を目指して登って来たとするのなら、私達は今その山頂にいます。そこに立ちますと今まで歩んできました道のりが見えますし、これから向かう方向も見えます。もしかしたら、わたしたちもモーセのような状況に立つこともあるかもしれません。いったいその時、私達はその人生をどのように受け止めるのでしょうか。

ローマ8章にはこのような言葉があります。『神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。29神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。30そして、あらかじめ定めた者達をさらに召し、召した者達をさらに義とし、義とした者たちには、さらに栄光を与えてくださったのである』(ローマ8章28節ー30節)。

このような結末を迎えたモーセの人生に対しても、このローマ8章の御言葉は有効なのでしょうか。私達も時に、この言葉を人生にあてはめて思うのです。そうは言われても本当に万事が益なのだろうかと。皆さんはいかが思われますか。

ここで私達がまず確認しなければならないことは、ここに書かれている「益」とは何を指すのかということです。ここに書かれている「益」が私達の考えている「益」と異なるのであるのなら、私達はこの言葉を全く間違ったものとしてとらえてしまうことでしょう。もし私達がこの「益」を「自分の願っていること」とか「夢がかなう」ことを益とするのなら、モーセの場合、それを目指して今日まで生きてきた約束の地に入れないのですから、神が自分の人生に対して私達と共にはたらいて万事を益としてくださったとは思えないでしょう。

それではこの御言葉は何をもって「益」だと言っているのでしょうか。そうです、この言葉の後に続く言葉に注目してみましょう。29神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。ここに神様がいうところの益が書かれているのです。そうです、神様は万事をはたらかせて益と変えてくださる。その益とは私達が主イエスのかたちに似た者となることだというのです。

民数記はモーセの性格について『モーセはその人となり柔和なこと、地上のすべての人にまさっていた』(民数記12章3節)と記しています。それは彼の素質であり、また彼が培ったものであったのでしょう。確かに柔和でなければあのような頑なな者達の愚痴と批判を聞きとおすことなどはできません。

この柔和に関してイエス・キリストご自身もこう言っています。『わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたの魂に休みが与えられるであろう』(マタイ11章29節)。

柔和は確かにイエス様のご性質の一つでありました。モーセは民の頑なさに対して岩を打ちました。しかし、イエス・キリストはイザヤが記しているように、人からののしられてもののしりかえしませんでした。まさしく、肉体を打たれても、打ち返すことはありませんでした。

モーセは確かに柔和な人でした。しかし、それはキリストの柔和さにいたるものではなく、ゆえに彼は失敗しました。彼はその代価として約束の地には入れませんでした。しかし、その失敗と内省が彼をさらに柔和な者としたことでしょう。

そうローマ書は言っているではないですか。『29神はあらかじめ知っておられる者たちを、さらに御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった』。見落としてしまうようですが、ここには「さらに」と書かれています。そうです、モーセはもともと地上の誰よりも柔和でした。しかし、彼はさらにイエスのかたちに近い者となるために、この試みを通ったのです。まさしく、イエス様が。『わたしは柔和で心のへりくだった者であるから、わたしのくびきを負うて、わたしに学びなさい(マタイ11章29節)と言われたとおりです。

モーセは当初、この神様の宣告を大きなショックとして受け止めたことでありましょう。まさしく目指すものがなくなってしまったのですから。しかし、その彼のビジョンがもはや成就しないということが分かった後に、いよいよ彼の死が迫り、ネボ山に登る直前、彼は遺言とも言えるこんな言葉をイスラエルの民に語り掛けたのです。3わたしは主の名をのべよう、われわれの神に栄光を帰せよ。4主は岩であって、そのみわざは全く、その道はみな正しい。主は真実なる神であって、偽りなく、義であって、正である』(申命記32章3節、4節)。

 彼は約束の地に入ることはできませんでした。しかし、彼はそのことをなされた神のなされることは皆、正しく、神は偽りなく、真実であるということを伝えるのです。そのところには自分がしてしまったことに対する自己弁護はありません。彼は柔和な人でしたが、かの失敗を通してさらに柔和とされたのであり、それはすなわちキリストに近づいたということです。このことにおいて、神は万事を益となされるお方なのです。

主にある兄弟姉妹、このように神にとって「益」というものが何かが分かります時に、私達の人生に対する観方が変わるのです。言い方を変えれば私達が考えている「益」と神様が考えている「益」が異なる時に私達は神に対して疑問をもつのです。そして、ある人達はそのことゆえに信仰を失います。たとえ人間的に見たら敗北だとか、単なる屈辱としか思えるようなことでさえ、そのことを通して私達が御子のかたちに似た者となるために不可欠なことであるのなら(得てして御子のかたちに似た者に変えられる、そうかたちが変えられるという時には痛みが伴うものです)、それは益なのです。

しかし、それでもまだ約束の地に入ることができずに亡くなったモーセのことをが気になる方、それはあまりにも酷ではないと思われる方へ。このモーセはこの後、1500年後に再び、聖書の中に姿をあらわします。そう、それはイエス・キリストの時代です。

これらのことを話された後、八日ほどたってから、イエスはペテロ、ヨハネ、ヤコブを連れて、祈るために山に登られた。祈っておられる間に、み顔の様が変わり、み衣がまなゆいほどに白く輝いた。すると見よ、ふたりの人がイエスと語り合っていた。それはモーセとエリアであったが、栄光の中に現れて、イエスがエルサレムで遂げようとする最後のことについて話していたのである(ルカ9章29節-31節)。

モーセがイエスと話していた場所はどこですか。それはまさしくモーセが1500年前に夢にまで見た約束の地でした。彼は年老いた肉体と共に、その約束の地を踏むことはありませんでしたが、主の栄光の中、すなわち栄化された者として、エリアと共に聖書中、最も重要な事柄についてイエスと話すためにその地に立ったのです。

『神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。29神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。30そして、あらかじめ定めた者達をさらに召し、召した者達をさらに義とし、義とした者たちには、さらに栄光を与えてくださったのである』(ローマ8章28節ー30節)。

実にこのことは『30そして、あらかじめ定めた者達をさらに召し、召した者達をさらに義とし、義とした者たちには、さらに栄光を与えてくださったのである』という約束の成就なのです。

モーセも、そのモーセの人生を知る私達も思います。モーセは何と気の毒なのかと。確かにモーセは失敗をした。だからといって、彼を約束の地に入れないというのは酷ではないか。しかし、神様はモーセをさらに栄光ある者として、彼を約束の地に立たせたのです。と言いますより、私達がその人生にどこに行ったとか、どこに立ちましたなんてことは、後で思えば別にどうということではありません。神様は確かに私達に思いをはるかに超えて、その約束を成就してくださったのです。

主にある皆さん、万事を益としてくださるということを私達の想定している考えの中に、小さくまとめてはなりません。ローマ8章28節の約束はまことであり、神は私達の思いを超えて、そのことをなしてくださるのです。

一年の最後の日曜日、皆さんの一年はどんな一年でしたか。不可解な思いでいたあの出来事、この出来事の中に私達はどんな神様の語りかけを聞くのでしょうか。あなたは「万事を益としてくださる」という主の言葉を信じますか。

お祈りしましょう。

All things God works for the good
December 30, 2018

Today is our last Sunday of the year. I thank God that we had worship service together past year, and we are looking forward to the new year by looking at the Bible verses.

I want to visit one mountain. The name of the mountain is Nebo in Jordan, and there is a monument on the top of the mountain. Do you know what this is? Yes, it is a staff of Moses who is the leader of Israel. He led Israel free from the slavery of Egypt. Moses stood alone on the mountain about 3500 years ago. He was 120 years old at that time and passed away on the mountain.

Deuteronomy 34:1 said, Then Moses climbed Mount Nebo from the plains of Moab to the top of Pisgah, across from Jericho. There the Lord showed him the whole land—from Gilead to Dan (Deuteronomy 34:1)

Moses could see two things from the top of the mountain. He could see two directions from there. One was the way he walked from and the other the land ahead he had not yet been to.

When he looked back, the most far he could see was the days he spent at Egypt as a prince. He was there till the age of 40 and ran away to the desert and lived there for 40 more years, and decided to save the Israelites and took a journey the next 40 years to reach the promised land, and as his final point, he was now standing on the mountain.

His life was eventful. His life, especially the days he leads a couple of millions of stubborn Israelites was full of trial and challenge, but he still had hope and the hope was the land God will give to them. The land was promised to their ancestor Abraham, Isaac and Jacob. They went through hardships and trials to enter and conquer the land. Moses was seeing the land of Canan from the mountain.

But God told him,Then the Lord said to him, “This is the land I promised on oath to Abraham, Isaac and Jacob when I said, ‘I will give it to your descendants.’ I have let you see it with your eyes, but you will not cross over into it.

To begin with, why was Moses not able to enter the promised land? Because Moses failed before God.

Numbers 20:3-6 wrote about the incident. Yes, this had happened in the wilderness of Zin. Moses and the people of Israel did not have water and murmured to Moses as they had always done.

They quarreled with Moses and said, “If only we had died when our brothers fell dead before the Lord! Why did you bring the Lord’s community into this wilderness, that we and our livestock should die here? Why did you bring us up out of Egypt to this terrible place? It has no grain or figs, grapevines or pomegranates. And there is no water to drink!” Moses and Aaron went from the assembly to the entrance to the tent of meeting and fell facedown, and the glory of the Lord appeared to them (Numbers 20:3-6). 

God responded to their murmur in His glory and ordered Moses to speak to the rock before their eyes and it will pour out its water but Moses had a bitter feeling toward the people and struck the rock twice with his staff and water gushed out.

God spoke to Moses, 12  “Because you did not trust in me enough to honor me as holy in the sight of the Israelites, you will not bring this community into the land I give them.” (Numbers 20:12).

God asked Moses to speak to the rock but Moses struck the rock twice with his staff. This is why the staff is the monument at the Nebo mountain.

Because of this incident, Moses could not enter the promised land. He lost his purpose during his journey, this was really disappointing, but Moses kept leading the people until he finally came to the point just barely in front of the promised land where he was not allowed to enter. How can we accept his life?

At the end of the year, if we are climbing the mountain this past year and now standing on the top of the mountain, we can see both the way we came here and the direction where we are going. Some of you might be in the situation of Moses. How can we accept our life?

Romans chapter 8 said; 28 And we know that in all things God works for the good of those who love him, who have been called according to his purpose. 29 For those God foreknew he also predestined to be conformed to the image of his Son, that he might be the firstborn among many brothers and sisters. 30 And those he predestined, he also called; those he called, he also justified; those he justified, he also glorified (Romans 8:28-30).

 Is this verse true for the life of Moses who could not accomplish his vision? How about yours? Do you think God works all things for the good in your life? What do you think?

We have to make sure we know what the good things are. If the good things are different from what we are thinking and wishing, we are totally misunderstanding the meaning of this verse. If we justify the good things for our wishes and dreams to come true, for Moses case, his dream did not come true, this verse does not apply to his life.

Well then, what is the meaning of the good thing in this verse. Let us look at the following verse after verse 28. 29 For those God foreknew he also predestined to be conformed to the image of his Son, that he might be the firstborn among many brothers and sisters. This is the good thing God is talking about. Yes, it is good if we conform to the image of His Son, Jesus Christ.  The Japanese Bible says the good thing is for us be like Christ.

Numbers mention about the character of Moses “Moses was a very humble man, more humble than anyone else on the face of the earth”. Humbleness must be his character from birth and also acquired throughout his life. Without the humbleness, it would have been difficult to keep listening to the murmur of the people for years.

Jesus Christ once said about his humbleness like this.29 Take my yoke upon you and learn from me, for I am gentle and humble in heart, and you will find rest for your souls” (Matthew 11:29).

The humbleness is the character of Christ. Moses struck the rock because of the stubbornness of the people, but when Jesus was oppressed and afflicted, he did not open his mouth; he was like a lamb to the slaughter, and as a lamb before its shearers is silent, so he did not open his mouth (Isaiah 53:7) .

Moses was humble but it was not like Christ. Therefore he had failed. He did not enter the promised land but the failure made him introspective and made Moses more humble.

Romans 29 says For those God foreknew he also predestined to be conformed to the image of his Son. The Japanese Bible says “God makes you more and more like Christ. Moses was a very humble man, more humble than anyone else on the face of the earth” but he went through the trial to be more like Jesus. As Jesus said “29 Take my yoke upon you and learn from me, for I am gentle and humble in heart, and you will find rest for your souls  (Matthew 11:29).

For Moses, the proclamation must have been shocking because he lost what he had been looking for, but after he found his vision will not come true and just before the climb up the mount Nebo and die, he spoke his life testimony to the people.      I will proclaim the name of the Lord. Oh, praise the greatness of our God! He is the Rock, his works are perfect, and all his ways are just. A faithful God who does no wrong, upright and just is he (Deuteronomy 32:3,4).

Even though he could not enter the promised land, he testified that God is the Rock, Gods works are perfect, and all his ways are just. Moses did not make any excuses at all. He was a humble man, but God made him more humble, and that means he became more like Jesus. Indeed in all things God works for the good.

Dear brothers and sisters, when we understand “His good things”, our viewpoint toward life will be changed. Even though we will have experience of defeat or humiliation in our life, if these things make us change to be like Christ, there will be good things for us.

Some of you still might think about the promised land and think Moses was sad and miserable. I will share the story in the Bible. It was the time of Jesus 1500 years later after Moses.

29 As he was praying, the appearance of his face changed, and his clothes became as bright as a flash of lightning. 30 Two men, Moses and Elijah, appeared in glorious splendor, talking with Jesus. 31 They spoke about his departure, which he was about to bring to fulfillment at Jerusalem (Luke 9:29-31).  

Where did this happen? It was in the promised land that Moses was yearning to enter 1500 years ago. He did not enter the land as an elder man, but he is now glorified and stood on the land with Elijah to discuss an important plan with Jesus.

28 And we know that in all things God works for the good of those who love him, who have been called according to his purpose. 29 For those God foreknew he also predestined to be conformed to the image of his Son, that he might be the firstborn among many brothers and sisters. 30 And those he predestined, he also called; those he called, he also justified; those he justified, he also glorified (Romans 8:28-30).

God fulfilled His promise to Moses which is mentioned in verse 30 .30 And those he predestined, he also called; those he called, he also justified; those he justified, he also glorified

Moses himself, and we also think how pity Moses was. Yes, he did the mistake. But still, it seems cruel for us. But God gave His glory to Moses and made him stand on the promised land. We think where we were going and where we are visiting was very important at that moment, but it does not matter when we think about it later. God had a different plan and He accomplished what he had promised to Moses.

Dear brothers and sisters, we should not be wrapped up in the things that are small. Do not squeeze everything into your brain. Indeed, Romans 28 is the truth and God works beyond our thought.

As we are now at the end of this year, I ask you, what was your past year like? What is God speaking to us through our incomprehensible incident? Do you believe that in all things God works for the good of those who love him? Let us pray.

Translated by Makoto Okura

本日のおもちかえり
2018年12月30日

1)今日は一年最後の日曜日です。あなたがこの一年を振り返ると何が見えますか。新しい一年を眺めると行く手には何が見えますか。モーセはピスガの頂で何を見たと思いますか(申命記34章1節)

 

 

2)モーセはある失敗により、かねてから約束されていたカナンの地に入ることはできないと神様から宣告されており(出エジプト20章12節)、このピスガの頂に立った時にも再度、そのことが伝えられました(申命記34章4節)。モーセは出エジプトをしてから40年もの間、約束の地に入ることを希望として生きてきたと思います。しかし、それは叶いませんでした。このことについてあなたはどんな思いをもちますか。もし、あなたがモーセだったらどうでしょうか。このようなことがあなたの人生にもありましたか。なぜ神様はこのようなことをされるのでしょう。

 

 

3)ローマ8章28節ー30節を読みましょう。あなたはこの御言葉をどのように受け止めていますか。「万事を益とする」という「益」はあなたの考える益ですか。それとも神様が考える益ですか。なぜ、このことを理解することは大切なのでしょうか。

 

 

4)神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった』(ローマ8章29節)ということが神様にとりましても、私達にとりましても益となることであるなら、この御言葉に対しての見方はどう変わりますか。

 

 

5)『そして、あらかじめ定めた者達をさらに召し、召した者達をさらに義とし、義とした者たちには、さらに栄光を与えてくださったのである』(ローマ8章30節)ということはモーセの生涯にどのようにあらわされましたか(ルカ9章29節-31節)。あなたは神様を自分の頭の中に詰め込もうとしていませんか?

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