万軍の主の熱心がなしたこと

「この場所で死ぬ覚悟があるのか。その証しとして、生きている間に自分の墓をその土地に建てることができるのか」。この場所で死ぬ覚悟と共に生まれた方を想う時に、この言葉は今も私の心から消えてなくなりません。

今日はゴスペルフラ、洗礼式と盛りだくさんでした。

マック

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万軍の主の熱心がなしたこと

2014年12月21日

世界広しといえども、誰も両親を選んで生まれた人はいません。自分で生まれてくる時代を決めた人はいません。誰一人として生まれる場所を選んだ人はいません。しかし、もし仮にそのような選択を私達ができるとしたら、私達はどんな時代を選び、どんな親を選び、どこで生まれることを望むでしょうか。皆さんのお考えをゆっくりと聞いてみたいです。これからお話しますことは、これらの選択が全て可能であったお方が愛する一人子のためになされたことです。

イエス・キリストがお生まれになるにあたり、おそらくまだ10代であったと思われる若い夫婦にキリストの命は託されました。マリアは未婚の身で母となり、さらには彼女には許嫁のヨセフがいました。当時の社会事情を考えます時に、彼らが向き合わなければならなかった諸々の状況というものを私達は容易に想像できます。

さらにこの二人に降りかかった出来事と共に、彼らの暮らす世界ではあることが起きていました。当時、イスラエルはローマ帝国の支配のもとにありました。その時のローマ皇帝はアウグストと言い、彼は養父ユリウス・カエサルから全権を委ねられていました。そのアウグストがある勅令をだしたのです。そのことをルカはこう記しています。

『そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった』 (ルカ福音書2章1節-2節)

 言うまでもなく、皇帝から出された勅令ですから、それを受ける者達は有無を言わず、それに従わなければなりませんでした。アウグストが求めたものは人口調査であり(今日の国勢調査のようなものでありましょう)、そのために民はそれぞれの生まれ故郷に行き、住民登録をしなければならなかったのです。

そもそも、なぜアウグストは住民登録を求めたのでしょうか。そうです、その理由は税金のためです。その調査はローマが決めた税を確実にユダヤ人から徴収するために必要な調査でした。

今日(こんにち)も私達はこの税金に対して大きな関心をもっています。今年の漢字というものを日本では毎年、一年の終わりに決めていますが、2014年の漢字は「税」となったとニュースは伝えています。そうです、日本では増税が予定されていて、それゆえにこの一年、日本では税金のことが大きな関心となったのです。

アウグストの命じた人口調査は税金を減らすためではなくて、明らかに増税するためのものでありました。しかも、当時、ローマ帝国が徴収した税金が何に使われるのかということ、それはユダヤ人が知るべきことではありませんでした。彼らはただ重い税を払うことだけが望まれたのです。このローマと民衆の間に立って、実務をしていたのがイエス様の時代の「取税人」と呼ばれるユダヤ人で、彼らが売国奴と呼ばれて、どれだけユダヤ社会において嫌悪されていたかということを聖書の中に見る時に、ローマの課す重い税に対して、どんなにユダヤ人が怒りと反発をもっていたかということが分かります。

近い将来、そんな自分達に課せられる増税のために、この若いカップルは勅令に従い、ベツレヘムに向かったのです。さらにご存知のようにそんな彼らには、ベツレヘムに泊まることができる場所はなかったと聖書は記しています。しかし、これは文字通り、全ての宿が「空き室なし」だったということではなかったと思われます。実際のところ部屋はあったはずです。どういうでしょうか。

私は若い時、よくバックパックを背負って一人旅をしました。しかし、時に泊まる宿がなく、野宿をしたこともあります。まさしくマリアとヨセフと同じように泊まる宿がなかったのです。でも、厳密に言いますとその時、泊まることができる部屋はあったのです。ただそのために支払うべき余裕が私にはなかったのです。同じように、たとえ妻の妊娠が差し迫っていても、若いヨセフとマリアにそんな経済的な余裕はなかったに違いありません。

一部例外を除いてこれらが私達、庶民の生活です。私達はガソリンの値段が5セント下がれば喜び、少しでも安いお肉や野菜を求めてあちこちに行きます。常に節約を考え、クーポンがあれば進んでそれを用います。神の一人子イエスはそんな私達、人間の只中に生まれたのです。

未婚の母となり、もしかしたら一人で子を育てていかなければならなかった、そんなことも覚悟したマリア、まだ若く、未熟で心備えもない時に、既に家族を養わなければならない状況に追い込まれたヨセフ、彼らの現実に追い打ちをかけるかのように増税が図られ、安心できる場所で妻が出産できることを願いつつも、それを経済的な理由で断念しなければならなかった夫婦、神様は一人子イエスの命をこのような親と、彼らが生きる厳しい生活環境に託したのです。

クリスチャン作家のフィリップヤンシーは聖書に記されている神は「勇気」というものを私達の世界に持ちこんだ唯一の神だと書きましたが、今までお話してきましたことを思いめぐらしますのなら、まさしくそうなのだと思います。ことごとく不安定と思われる、その環境の中に一人子イエスを生まれさせ、そこに生きることをよしとされるということは、まさしく勇気なくしてはなしえないことだったのです。

ヨハネによる福音書を書き始めたヨハネは『初めに言葉があった。言葉は神と共にあった。言葉は神であった』(ヨハネ1章1節)という言葉と共に『そして言葉は肉体となり、私達のうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た』(ヨハネ1章14節)と記すことによってクリスマスの出来事を言い表しています。

「私達のうちに宿った」という言葉は私達の只中に神が幕屋をはり、そこに住んだという意味です。このことは何を意味しているのでしょうか。それはイエス様は通りすがりの方ではないということです。それは私達がどこかの被災地に行き、数日、そこで奉仕をしてくるというようなことではありません。それは視察でもなく、当然、旅行でもありません。通りすがる者や旅行者はその土地に住んでいる者に何かを語る資格も権威はありません。しかし、イエス・キリストがなされたことは、私達の間に生きるということです。私達が日々、向き合っているものを私も見つめ、それから私は逃げないということです。そして、それは見つめているということだけではなく、私もあなた達と同じことを身をもって受けるということなのです。

20年前、日本の離島にある教会に遣わされました時に、長い間、別の島で伝道していました先輩牧師に言われました。「あなたが遣わされた教会に長く留まる牧師はこれまでいませんでした。島の人はそのことをよく知っています。だから島の人達は誰かが内地から来ると、この人もやがてはここを出て行くのではなかろうかという目で私達を観察しています。でも、そのような中で私達の覚悟というものを島の人に見せることができることが一つだけあります」

何だと思いますか。もちろん、そこに住むのなら住民票は移します。町の行事にも参加します。そこで結婚相手を見つけるかもしれません。島民の方達と同じように島の名産であるユリやじゃがいも畑でドロにまみれます。これらが私達がすべき覚悟なのでしょうか。いいえ、その牧師ははっきりと言いました「あなたがが島にいる間に、この島に自分の墓をたてることです」と。それが自分はこの島に骨をうずめる覚悟なのだと。実際のところ、私はその覚悟を示すことをせずに、その島からサンデイェゴにやって来ました。そのような意味であの島にいる方達の思いに寄り添い続けることはできませんでした。

「この場所で死ぬ覚悟があるのか」。その証しとして、生きている間に自分の墓をその土地に建てることができるのか。この言葉は今も私の心から消えてなくなりません。

数週間前にイエス・キリストは旧約聖書において何度も預言者達によって預言されて生まれたということ、否、その誕生の身ならず預言者達はその死をも預言しているということをお話しました。その中にあの有名なイザヤ53章の預言があります。イザヤはキリストを指さして、こんな預言を残したのです。9彼は暴虐を行わず、その口には偽りがなかったけれども、その墓は悪しき者と共に設けられ、その塚は悪をなす者と共にあった (イザヤ53章9節)

この預言は成就しました。この預言が意味することは何でしょうか。イエス・キリストは私達の生きる土地で死ぬ覚悟と共にこの地に生まれたということです。

 イザヤはやがて生まれるキリストについて彼が生まれる750年前にこんな預言をしました。ひとりのみどりごがわれわれのために生れた、ひとりの男の子がわれわれに与えられた。まつりごとはその肩にあり、その名は、「霊妙なる議士、大能の神、とこしえの父、平和の君」ととなえられる。そのまつりごとと平和とは、増し加わって限りなく、ダビデの位に座して、その国を治め、今より後、とこしえに公平と正義とをもってこれを立て、これを保たれる』(イザヤ9章6節-7節)。

明らかにこれはイエス・キリストが私達のために与えられるということを書いております。そうです、クリスマスのことを書いております。今日はそのクリスマスは実際どんなものであったのかをお話しました。そして、イザヤはこれらの言葉の後、こう書いたのです。『万軍の主の熱心がこれをなされるのである』。今日、お話しましたことは全て神の熱心がなしたことなのだというのです。神の私達に対する熱心がキリストをこの地のしかるべき環境のもとに彼を生まれさせ、神の私達に対する熱心がこの世界でのキリストの死を決めたのです。

先ほど、神はこの世界に勇気を持ち込んだということをお話しました。勇気とは人間的な言葉で、私達はその言葉が意味することを知っています。まさしく、クリスマスの出来事も、キリストのこの地での全生涯も神の熱心と勇気がなければ成しえないことだったのです。

一日の仕事を終え、家族が寝静まっている食卓で、一日の出費を家計簿に記帳している私達。我が子を抱きつつも、これから私達の暮らしはどうなっていくのだろうと将来を案じる私達。自分の力がおよばない様々な国の政策とか、会社の人事異動に翻弄されてしまう私達。その只中にイエスは来られ、そして聖書はそのキリストは今もそんな私達と共にいるのだと言うのです。そして、そのような場所で日々を懸命に生きている私達が一番、聞かせていただきたい言葉をイエス様は今も私達に語りかけているのです。

 『あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている』(ヨハネ16章33節)。

この世というものを知り、この世で死んだイエス様は、私達が使う「勇気」という言葉の意味を知っています。そのイエス様が私達に語りかけるのです。あなたたちがこの世では悩みがあると。その悩みは私も生涯かけて体験した。しかし、そんな私があなたにあえて言う。確信をもって言う。勇気を出しなさい。なぜなら、わたしは既にこの世に勝っているのだからと。

今日、私達はここからまたそれぞれの場所に戻っていきます。大きな力と共に戻っていきます。その力は私達の持ち合わせている力ではなく、今日、神様からいただいた力です。その神は私達に熱心であられ、ゆえに一人子イエスを私達の只中に生まれさせ、さらにはその一人子の命を私達にお与えになるほどに私達に愛してくださったお方、その愛の力です。さらさらに、そのイエスご自身が私達一人一人に「勇気を出しなさい」と語りかけてくださっている、その力です。。そうです、飼い葉おけに寝かされているキリストの姿が私達に語りかけてくる力なのです。お祈りしましょう。

What the zeal of the Lord Almighty has accomplished

December 21, 2014

No baby in this world ever had a chance to select its parents. No baby had a chance to select the time of birth. No baby had a chance to select the place of birth. If we are given a chance to do so, what era, what parents, and what place would you have selected to be born into? Some day, I would like to hear your thoughts. What I talk about this morning is someone who has all those powers and what he had done for his beloved only child.

For the parents of Jesus Christ, God decided to put a young couple still in their teens in charge of the baby. Mary was not married yet, and she had a fiancé Joseph. Considering very conservative environment in those times, it is not difficult to imagine the hardship they were about to face.

Besides events happening to these two people, there were some other events taking place in the world they lived in. At that time, Israrel was under the rule of the Roman Empire. The Roman emperor at that time was Augustus, and he was granted the total ruling power from his father Iulius Caesar. This Augustus issued a decree, which is recorded in the Gospel of Luke.

In those days Caesar Augustus issued a decree that a census should be taken of the entire Roman world.  (This was the first census that took place while Quirinius was governor of Syria.)(Luke 2:1-2)

 Since this was a decree issued by the emperor, everyone in the land had to obey the decree. What Augustus required was a population survey (something like a national census of today). For this, people had to go back to the place of birth to register.

Why did Augustus wanted such a census? It was for taxing purpose. This census was to make sure that the Roman Empire can collect taxes from the people of Juea.

Tax is in our minds even today. At the end of each year, Japan decides a Chinese character, Kanji, of the year. New media report that he Kanji for the year 2014 was “tax”.  A tax hike is scheduled next year, and that is why the entire nation is preoccupied with the tax.

The census ordered by Augustus was not to cut tax, but was to increase the tax revenue. In those times, people of Israrel did not know how such tax collected by the Roman Empire was to be used. The people were required simply to pay the tax. The people who actually collected the tax from general public for the Roman Empire were called “tax collectors” of time of Jesus. They were called traitors and were hated by the people of Judea, according to the Bible. It shows how much anger and repulsion the people of Judea had against the heavy tax imposed by the Romans.

This young couple obeyed the decree and headed for Bethlehem so that their tax would be increased in the near future. As you know, the Bible tells us that they could not find a place to stay in Bethlehem. Perhaps it did not mean that all rooms had been taken. There must have been some rooms available. Why was it that they could not find a place to stay?

When I was young, I used to travel alone with my backpack. Some times, there was no place to stay and  I slept in the open field. Just like Mary and Joseph, I could not find a room to stay. But, to be honest, there were vacant rooms available at that time. But, I could not afford to pay for the overnight stay. In the similar way, perhaps young Joseph and pregnant Mary had very little money to spend on the lodging.

This is how most of us live. We are happy when the gas price drops by 5 cents. We drive far to find a good bargen on meat and vegitables. We always try to save and take advantage of discount coupons. Jesus, the son of God, was also born into the middle of us ordinary people.

Mary was an unwed mother. She might have considered having to raise the child on her own if necessary. Joseph was young, too. He was not quite ready to raise and support a family. On top of such hardship, there was going to be tax increase. They wanted a safe place to give birth to the baby. But, they could not find one because of economical hardship. God had decided to put the life of his only son Jesus in the hands of these young couple and the harsh reality of the world.

Philip Yancey, a Christian writer, wrote that the God depicted in the Bible is the only god that has introduced “courage” into this world of ours. When we look at the circumstances of the birth of Jesus, I must agree with Yancey. God allowed the only son Jesus to be born in the harsh reality of the world, and God said that was good. It took courage to do so.

John who wrote the Gospel according to John wrote: “In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God”(John 1:1) and “The Word became flesh and made his dwelling among us. We have seen his glory.” (John 1:14)

Jesus “made his dwelling among us.” That means that Jesus pitched his tent among us and lived there. What does this signify? It means that Jesus was not just passing through. It was not like volunteers going to a disaster area and spending a few days there. It was not an inspection and it was not a tour. Passers-by and travelers have neither credentials nor rights to tell us to do anything. But, what Jesus Christ did was to make dwelling among us. He was there to face what people faced, and he did not run away from it. He not only faced the daily life but also lived in the same circumstances as those we face today.

Twenty years ago, when I was sent to minster in a remote island of Japan, one senior minister who had lived in such an island told me:  “None of thw ministers stayed a long time at the church you are going to serve. The residents of the island know this. So, the people there will look at you thinking that you would not last long, either. But, there is one thing you can do to change their perception about you.”

What do you thing that is? Of course, I will register my residence in the island. I will participate in the town events. I might marry a resident. I will work with soil on the field to raise lily and potatos there. I asked would these things sufficient to show your dedication to the island.  “No, he said. One thing you must do is to build the cemetary plot there.” You must show that you are willing to die there. I must confess that I did not do that, and I have moved from that island to this San Diego. In that sense, perhaps I did not win the hearts of the island people.

“Are you ready to die in this place of work? Can you show your readiness to the people there by building a cemetary plot there?” I still cannot forget the words of this minister.

A few weeks ago, I said that Jesus Christ was born as was prophesied by many prophets. I also pointed out that not only his birth was predicted but his death was also predicted by these prophets. There is this famous prophecy in Isaiah 53. Isaiah left his prophecy pointing to Christ: He was assigned a grave with the wicked, and with the rich in his death, though he had done no violence, nor was any deceit in his mouth.(Isaiah 53:9)

 This prophecy was fulfilled. What dit this prophecy mean? It means that Jesus Christ was born into this land with full commitment to die here.

 750 years prior to the birth of Christ, Isaiah predicted: For to us a child is born, to us a son is given, and the government will be on his shoulders. And he will be called Wonderful Counselor, Mighty God, Everlasting Father, Prince of Peace. Of the greatness of his government and peace there will be no end. He will reign on David’s throne and over his kingdom, establishing and upholding it with justice and righteousness from that time on and forever. (Isaiah 9:6-7).

It clearly states that Jesus Christ would be born for us. It talks about the Christmas. I talked about the reality of Christmas this morning. And, after these words, Isaiah also wrote: The zeal of the Lord Almighty will accomplish this.” What I talked about this morning was accomplished by the zeal of God. The zeal of God had brought Jesus Christ to an astonishing circumstances on this earth, and the zeal of God had determined the death of Jesus on this earth.

 I said earlier that God had introduced courage into this world. Courage is a human expression, and we know its meaning. The event of Christmas and life of Jesus on this earth could not have come to reality without the zeal and the courage of God.

After a day’s work, after the family has gone to bed, we go over our family budget. We hold our child in our arms while wondering what our life would be in the future. The politics of the nation and business environment can uproot our life very easily. Jesus came to live among us just like us. And the Bible tells us that Jesus is still living with us today. And Jesus still talks to us with encouraging words that we crave to hear in the midst of our hard daily life:

  “I have told you these things, so that in me you may have peace. In this world you will have trouble. But take heart! I have overcome the world.” (John 16:33)

 Jesus knew our world intimately, and he died on this earth. Jesus knows the meaning of the word “courage”. That Jesus talks to us now. You have trouble in this world. I have experienced the same trouble in my life. But, I dare to tell you, with conviction, that you must have courage. For I have overcome the world.

 When we scatter and go back to our own places, we go with the great power. This power is not something we created, but is the power God granted us. This is the power from God who, with zeal had sent his only son Jesus to live among us and had permitted to give up the life of his only son. This is the power of that loving God. And Jesus himself is talking personally to each of us saying have courage. This power also comes from Jesus. It is the power that Jesus Christ lying in the manger has granted to each of us. Let us pray.

Translated by Dr. Yasuhisa Hosomatsu

本日のおもちかえり

2014年12月21日

1)もし、あなたが生まれてくる「時代」、「親」、「場所」を選ぶことができるとしたら、どのような選択をしますか。

 

2)神様がイエスの親として選ばれたヨセフとマリアはどんな状況の中に暮らしていましたか。婚約者がいるのに妊娠をしたということから起こりうることはどんなことでしょうか。

 

3)ルカ2章1節ー2節を読みましょう。この人口調査の背景には何がありましたか。今日、私達の生活はどれくらい国政によって影響を受けていますか。マリアとヨセフにとって、この時にベツレヘムに行くということはたやすいことでしたか。

 

4)二人はベツレヘムに宿を見つけることができず、マリアは馬小屋でイエス様を生みました。このことは何を意味していますか。

 

5)『そして言葉は肉体となり、私達のうちに宿った。わたしたちはその栄光を見た』(ヨハネ1章14節)という言葉は何を意味していますか。なぜ、神様は先に見てきたような「時代」「親」「場所」にイエス様を生まれさせたのでしょうか。

 

6)「死を覚悟」して事に向き合うということはどのようなことですか。イザヤ53章9節のイザヤの預言を覚悟してこの地上に幕屋をはられたイエス様は私達に対してどんな思いをもっているのでしょうか。

 

7)イザヤ9章6節-7節を読みましょう。今まで見てきたことは「万軍の主の熱心による」ということを知る時に、神は誰に対して熱心なのかと思いますか。

 

8)神が一人子イエスをこの世界に送るというはまさしく「勇気」が伴うものであったとフィリップヤンシーは書いています。イエスが『あなたがたは、この世ではなやみがある。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝っている』(ヨハネ16章33節)と、今、現実生活の只中に生きている私達に語っていることは私達にどんな力を与えますか。

 

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