今日から人生はやり直せる!

車のタイヤを替えたことがある方なら経験したことがあると思います。新しいタイヤを車につけた後、それから5000マイルほど走った後に車のローテーションを調節するからもう一度、持ってきなさいと言われます。

もって行くと車はそれぞれ4つのタイヤが等しく地面に触れて、バランスよく回っているかということが調べられるのです。そして、もしそのバランスが良くないということが分かれば、すぐさま、それぞれ4つのタイヤは調節されるのです。

なぜ、このようなことをするのか。この修正がなされなければタイヤの表面がアンバランスに磨り減ってしまうからです。そして、最悪の場合、事故につながることもあるからです。

このタイヤ・チェックにおいて「5000マイルを走ってみて」というのは大切なことを物語っています。新品のタイヤに交換した当初はいいのです。しかし、それがしばらく走行した後には、やはり少しづつ不具合がでてくるのです。その具合が一目瞭然で分かればいいのですが、見ただけでは分からず、それ故にそのままにしておくことによって、後で大きなツケが回ってくるのです。

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今日から人生はやり直せる!
2019年3月31日

聖書を拝読します。ルカ19章1節-10節。

1さて、イエスはエリコにはいって、その町をお通りになった。2ところが、そこにザアカイという名の人がいた。この人は取税人のかしらで、金持であった。3彼は、イエスがどんな人か見たいと思っていたが、背が低かったので、群衆にさえぎられて見ることができなかった。4それでイエスを見るために、前の方に走って行って、いちじく桑の木に登った。そこを通られるところだったからである。5イエスは、その場所にこられたとき、上を見あげて言われた、「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」。6そこでザアカイは急いでおりてきて、よろこんでイエスを迎え入れた。7人々はみな、これを見てつぶやき、「彼は罪人の家にはいって客となった」と言った。8ザアカイは立って主に言った、「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、もしだれかから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します」。9イエスは彼に言われた、「きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。10人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」(ルカ19章1節―10節)。

今から19年前、日本で「失敗学のすすめ」という本がベストセラーになりました。人は誰しも失敗しますが、その本は失敗は良きチャンスになると書いていました。なぜ失敗したのかを考えて、それを修正することにより、価値あるものが生み出されるからです。

今、読みました箇所にはユダヤ人であるザアカイという人が出てきます。ここには彼がどんな人間であったかを知りうる二つのことが記されています。まず外見として彼は背の低い人でした。そして彼の職業は取税人でした。これが、ここから私達が知りうる彼のプロファイルです。

人間には4つの劣等感があると言われています。「肉体的劣等感」「性格的劣等感」「能力的劣等感」「社会的劣等感」。

これらの劣等感に照らし合わせてみますと、ザアカイはその中の三つの劣等感を持っていたのではないかと想像できます。

まず、聖書が記しているように彼の背が低かったということ。この事実をザアカイの「肉体的劣等感」と結びつけるのは短絡的かもしれませんが、彼がその背丈の低さによりイエスの姿を見ることができなかったということは、彼がそのことによりそれまでも色々な不具合を感じていたということがうかがい知れます。

そして、彼が取税人であったということ。ご存知のように当時のユダヤの国は、ローマの属国であり、ローマの支配下にあったのですが、「取税人」というのは、このローマ政府から委託されて税金を徴収する仕事でした。そして彼らは取るべきお金以上のものを多く騙しとって着服していた人達でした。

それゆえにユダヤ人コミュニティーにおいて彼らは罪人として見られていました。しかも彼はその取税人の頭というのですから、税務署の署長のような立場にいたのでしょう。

彼らの昇進とはすなわり、彼が他者よりもどれだけお金を集めることができたかということであり、それはすなわちどれだけ強引に税を集めたかということです。

こう考えますと彼は他の取税人よりもお金を集めるという能力はもっていたということになりますでしょう。しかし、彼の性格は自分が儲かればいいということであり、ステイタスと富はありながらも社会的な信用はなく、またその性格ゆえに真の友と呼ばれる者達はいなかったと想像されます。すなわち彼は社会的、性格的な劣等感を持ち合わせていたということです。

自分の言動により悲しんだり、怒りを感じている者達がいる。いいや、生活が破綻してしまう人達もいる。それゆえに彼は自分の生き方に対して疑問をもったこともあるのでしょう。この道はどこかおかしい。でもどうすることもできない。自分はどこに向かっているのだろうかという思いが彼の心を襲ったかもしれません。

伝道の書5章10節に「金銭を愛する者は、金銭に満足しない。富を愛する者は収益に満足しない。これもまた空しい」と書かれていますが、それまでの取税人の歩みを通してザアカイはこの言葉の意味がよく分かっていた事でしょう。

そんな彼に転機が訪れました。かねてから噂を聞いていた「イエス」という人が自分の町にやってくるということです。通りに出ればこのイエスを一目見ようと多くの人達が既に道々に続々と出てきています。

今もこのエリコの街がイスラエルにはあります。この町は現在、パレスチナ自治区となっており、そこに住む人達はユダヤ人ではなくアラブ人です。その町の一角に「ザアカイの登ったシカモアの木」というものが今もあり(おそらく実物ではないでしょう)。

背の低い彼は群衆をかきわけてイエス様を見るべく前に進むことが出来ずに、そこにありました木の上に登ったのです。

そこからはあちこちに自分が税金を取り集めている人達の顔が見えたことでしょう。その彼にイエスの姿が目に留まりました。

そうこうしているうちに彼の木の下にイエスが歩いてこられました。そして、彼を見上げてイエスはこういったのです「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」(ルカ19章5節)。

この4節を他の聖書訳で見ますと「ちょうどイエスがそこを通り過ぎようとして」と、また5節には「イエスが、ちょうどそこに来られて」と書かれています。

このことには人生のあらゆる出来事には「偶然」がないことを意味しています。全ての出来事の背後には神の摂理と導きがあるのです。ザアカイが木に登ったこと、そして、そこにちょうどイエスが来られたということ。それは偶然ではありませんでした。

もし、今日、初めて教会に来られたという人がいましたら、それは偶然ではありません。たとえそれが人生初めての経験であったとしても、その人生の初めての経験によってイエスと出会うことがあるのです。

ある意味、権力と金の力をもって高い所から人々を見下していたのが、それまでの彼の人生だったのでしょう。そんな彼にイエスは言われたのです「ザアカイ、急いで降りてきなさい」。

イエスのこの言葉は単に木から降りなさいということ以上に「そんなところにいつまでもいて空しい人生を送っているな、今、急いで自分のしている生活から降りてきなさい。私と共に私の目線で新しい人生を歩みだそうではないか」と語りかけているのではないでしょうか。

そして、木から降りてきたザアカイはイエスを自分の家に招いたのです。そして、イエス様も喜んでそれを受け入れました。。

この光景を見ていた人々は口々に言ったのです「彼は罪人の家にはいって客となった」(ルカ19章7節)。イエスにもそんな囁きが聞こえたかもしれません。しかし、イエスはそんなこと意にも介しませんでした。それどころかイエスはザアカイに言われたのです「きょう、救がこの家にきた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子がきたのは、失われたものを尋ね出して救うためである」(ルカ19章9節、10節)。この言葉を語る時のイエスの満面の笑みが私達の脳裏にも浮かんできそうです。

皆さん、イエス様はこの時、その評判を失ったに違いありません。当時、取税人はまさしく罪人の筆頭であり、そのような人間と関わること自体が神への冒涜だったからです。しかし、イエス様は全くそのことを気になさりませんでした。そうではなく、イエス様はザアカイの人生の転機を何よりも心から喜ばれたのです。

そして、このイエス様の姿は最後まで全うされました。後にイエス様は罪人の一人として数えられて十字架にかけられたのです。なぜですか?私達の人生を新しいものとするためです。

イエスの言葉にザアカイは「急いで降りてきた」(ルカ19章6節)と聖書は書いています。皆さん、ザアカイは木の上で、グズグズしていたのではないのです。ひと問答してから、降りてきたのではないのです。すぐに降りてきたのです。

彼は分かっていたのだと思います。自分がしてきたことは決して良きことではなかったということを。しかし、彼はそのことに対してどうしていいのか分からずにずるずるとその日まで生きてきたのでしょう。

しかし、イエスを見た時に「これだ」と思ったのでしょう。躊躇することなく、彼はイエスのもとにきたのです。そして、喜んでイエスを家に迎え入れたのです。

この日がザアカイの人生の大きな転機となりました。それまで歩んできた先が見えない道を改めて、彼はイエスと共に新しい道を歩み始めたのです。これがザアカイの回心でした。それは歩んできた人生の方向の転換でした。

生きていくということは、きれいごとではありません。私達は間違いを犯すことがあります。失敗をします。道を誤ります。聖書がいうように私達は多くの罪を犯して生きてきたのです。

しかし、聖書の変わらないメッセージは「人生はやり直しができる」ということです。「私達にはセカンド・チャンスがある」というのが聖書のメッセージなのです。イエス・キリストにあって、人生を新しく始めることができるのです。

ザアカイは確かに、これまでの歩みとは違った歩みをこのイエスに出会った日から始めたと思います。そして、彼はそのことの証拠として、このイエスに向かいこういったのです「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、誰かから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します」」(ルカ19章8節)。

彼のこの後の人生は聖書に知らされていません。しかし、この時に彼はこれまでの不正を全て償うと言ったように、彼の人生はこの日を境に確かに変わったことでしょう。確かにそれまでの道からイエス・キリストという道を彼はキリストと共に歩み始めたに違いありません。しかし、それは彼が、完全になったこととは違うのです。やはりその日々の歩みの中で神の前に自らをチャックし続ける必要があるのです。

車のタイヤを替えたことがある方なら経験したことがあると思います。新しいタイヤを車につけた後、それから5000マイルほど走った後に車のローテーションを調節するからもう一度、持ってきなさいと言われます。

もって行くと車はそれぞれ4つのタイヤが等しく地面に触れて、バランスよく回っているかということが調べられるのです。そして、もしそのバランスが良くないということが分かれば、すぐさま、それぞれ4つのタイヤは調節されるのです。あたかもそれは先にお話しした四つの劣等感のようです。

なぜ、このようなことをするのか。この修正がなされなければタイヤの表面がアンバランスに磨り減ってしまうからです。そして、最悪の場合、事故につながることもあるからです。

このタイヤ・チェックにおいて「5000マイルを走ってみて」というのは大切なことを物語っています。新品のタイヤに交換した当初はいいのです。しかし、それがしばらく走行した後には、やはり少しづつ不具合がでてくるのです。その具合が一目瞭然で分かればいいのですが、見ただけでは分からず、それ故にそのままにしておくことによって、後で大きなツケが回ってくるのです。

皆さん、今日、私達は日毎のこの修正をすることにとても困難を覚える幾つもの理由をもって生きています。その中で一番、私達をこの修正から遠ざけていることは、私達があまりにも忙しくて修正をする時間がないということです。何か車の調子が悪い。そのような時は、まだ車が走っていても出来るだけ早く、調べなさい、そして修理することが大切だといわれます。

神の前にもそのことが言えるのです。確かに私達は忙しい。時間がない。しかし、日毎に時間をとり、聖書に自分を照らし合わせていないと私達は知らぬうちに、どこかに問題を抱えることになってしまいます。そして、そのツケは大きいのです。小さなオイル漏れが、エンジン全体の交換にいたる話を聞くでしょう。

そして、もう一つはたとえ私達が時間的に余裕があっても、この修正の時をもとうとしないということです。タイヤの空気が少し減っている。でも、そのうちに空気を入れようと考えているようなものです。オイルを変える時がきている。ガソリンが底をついている。でも、もう少し、大丈夫だろう。そう思いつつ運転していて道端で止まってしまった方いないでしょうか。

私達の人生はどうでしょうか。私達はタイヤではなく5000マイルを走ることはありませんが、一日一日を生きています。私達は日ごとのキリストにある調節が、修正が必要です。

キリストは今日の箇所の一番、最後にこういわれたのです「人の子がきたのは失われたものを尋ねだして救うためである」」(ルカ19章10節)。別の言い方をすれば、私達はイエスにあって人生をやり直すことができる、キリストにあって人生は修正できるというメッセージを携えてイエスはこの地にこられたのです。

あなたの人生はどうですか。私達は神にセカンド・チャンスが与えられているのです。これまでの人生が、どんなにぬかるんだ道のようなものであっても、いかなる寄り道をしてきたような人生であっても、人生、イエス・キリストにあってやり直せるというのが聖書のメッセージなのです。その道をイエスという道に置き換えて歩み出すことができるのです。

そして、それと同時にその道を歩き始めた私達は日毎に修正されるのです。パウロという人は「栄光から栄光へと私は変えられる」と言いました。私達は日毎に変えられるのです。

旅路を走る自動車に時にチェックアップが必要なように、私達もキリストにあって日々修正され、整えられて行くのです。そして、いうまでもありません。修正と調節をしている車は長く、安全な運転が保証されるように、それは私達がたった一度の人生を歩むために不可欠なことなのです。

お祈りしましょう。

We can restart our life today!
March 31, 2019

Let us read the book of Luke 19:1-10.

Jesus entered Jericho and was passing through. A man was there by the name of Zacchaeus; he was a chief tax collector and was wealthy.He wanted to see who Jesus was, but because he was short he could not see over the crowd. So he ran ahead and climbed a sycamore-fig tree to see him since Jesus was coming that way.When Jesus reached the spot, he looked up and said to him, “Zacchaeus, come down immediately. I must stay at your house today.”So he came down at once and welcomed him gladly.All the people saw this and began to mutter, “He has gone to be the guest of a sinner.”But Zacchaeus stood up and said to the Lord, “Look, Lord! Here and now I give half of my possessions to the poor, and if I have cheated anybody out of anything, I will pay back four times the amount.”Jesus said to him, “Today salvation has come to this house, because this man, too, is a son of Abraham. 10 For the Son of Man came to seek and to save the lost.”

About 19 years ago, the book called “Encourage to fail” was a best seller in Japan. Everyone is failed. But the book said, “Fail is not failing”. Fail is a big chance to be better. We search why we fail and correct it. By doing so, we will get valuable things.

In today’s verses, there is a Jews man named Zacchaeus is written here. We can know his two profile there. He was a short man and his occupation was a tax collector. This is his profile we can know.

We, human, have four inferiority complexes. Our physical complex. Our character complex. Our ability Complex and our social complex.

According to these inferiority complexes, Zacchaeus had three complexes among these four.

First of all, he was a short man. It might be illogical to connect his appearance with his physical complex but because of his height, he could not see Jesus that means his physical appearance had been caused some uncomfortable feeling to Zacchaeus.

And also he was a tax collector. As you know that the Jewish people are under the control of Roman Empire in those days, and tax collector was charged to collect tax from the people and actually these tax collectors collected unlawful money for themselves.

Therefore, they were considered sinners in Jews community. Zacchaeus was a chief tax collector, so he was an executive of Romans tax department.

They were prompted when they collect money more than other coworkers and which means how much he collected the tax forcefully from his people.

So he had the ability to collect the money but his character was selfish and only interested in his wealth and no social trust even though he had the status. He did not have true friends. He had an inferior complex about his social relationship and his character.

People get mad and sad because of his words and deeds. Some people destroy their life because of his forced unlawful collection. He must have had the question about his way of life. The way is something wrong, but he could not do anything. He must think where my way leads to?

Ecclesiastes 5:10 said, whoever loves money never has money enough; whoever loves wealth is never satisfied with his income. This too is meaningless. Zacchaeus must know the meaning of this verse.

The turning point had come to him. Jesus comes to his town. He had known his name and many people came to the street to see Jesus.

There is a town of Jericho still in Israel. The town is a territory of Palestine now and people lives that town is Arabic. There a tree we call Zacchaeus sycamore tree in that town (I do not think the tree is exactly the same one Zacchaeus climbed but we can imagine the scene).

It was not a good situation for a short man. He finally found a sycamore-fig tree and he climbed the tree.

He must see a lot of people whom he collected money from, and finally, he found Jesus in the crowd.

And as he was seeing Jesus from the tree, Jesus walked toward him and said “Zacchaeus, come down immediately. I must stay at your house today.”

According to the English Bible, verses 4 and 5 are written like this “as Jesus just walking by the tree” The Bible said, “Just”. This is implying our life is no accident. All incidents have God’s provision. He climbed the tree, and “just that time” Jesus walks by, this is no accident.

If anyone came to Christian church first time this morning, that is not an accident. Even though that is the first experience in your life, you might meet Jesus at that first experience like Zacchaeus.

Zacchaeus’ life was like looking down people with the power of money and authority. Jesus talked to him “come down immediately”

This is not only just come down the tree, but also it means do not stay that kind of empty life, come down from your old life. Let’s restart your life with me. Let’ see the world with new insight which Jesus has.

Zacchaeus invited Jesus to his house, and Jesus really liked and enjoyed to be his guest.

Those who observed this said, “He has gone to be the guest of a sinner”. Jesus might hear that whisper but Jesus did not care about it. On the contrary, Jesus said to Zacchaeus, “Today salvation has come to this house, because this man, too, is a son of Abraham. For the Son of Man came to seek and to save what was lost.” We can imagine Jesus’ smile when he said that.

Brothers and sisters, by he becomes the guest of Zacchaeus, Jesus must lose his reputation among people, People called the tax collectors, sinners at that time and it was blasphemy if they are related with the tax collectors. But Jesus did not care about that. He was really glad that Zacchaeus changed his life.

Actually, Jesus continues his way and he was counted as a sinner and he was killed on the cross. Why did he Crisfield? Because he wants us to start our new life.

The Bible said as soon as Zacchaeus heard Christ’s words, he came down from the tree at once. He did not hesitate on the tree. He did not have a long negotiation with Jesus but he came down immediately.

He had known about himself. He knew what he had done was not good, but he did not know what he should do and just spent many years without change himself.

But when he saw Jesus he thought “This is what I am looking for”. He came to Jesus without any hesitation, and Jesus accepted him as he is.

This is the day of the turning point in his life. He switched his way to the way walk with Jesus Christ. This is Zacchaeus’ conversion in his life. He changed the direction of his life.

To live our life is not always clean and easy. We make a mistake. We fail. We lost the way. Like the Bible said we have been sinning in our life.

But the Bible unchanging message is we can restart our lives. We are given the second chance. That is the message of the Bible. We can start a new life in Jesus Christ.

Zacchaeus started a different life since he met with Jesus, and as that proof, he said his commitment to Jesus “Look, Lord! Here and now I give half of my possessions to the poor, and if I have cheated anybody out of anything, I will pay back four times the amount”.

The Bible did not mention his life other than this story, but like he said he would make up his injustice, his life was surely changed. He converted his way to Jesus’, but that is not meaning he became a perfect man. He will still need to keep check him up before God.

Those who changed the new tire is told to bring that car after running 5000 miles to adjust the rotation.

And then bring that car to the tire shop, the car is examining all four wheels are running with good balance, and if they find not a good balance, they will adjust all four wheels.  It was just like the four inferiority complexes we talked about.

Why are they doing this kind of checkup? Because without this adjustment, the surface of tires will be rubbed off and in the worst case, it will be caused to the terrible car accident.

To adjust these tires after 5000 miles is telling us very important things. It is all right to drive just after a change to new tires, but after for a while, some adjustment is necessary, and if we keep driving without adjusting the tiers, we have to pay a lot later.

Today, we have many reasons to not adjust our tires, and one of the biggest reason is we are so busy and no time to adjust. If we find some trouble in our car, we are recommending to examine that car as soon as possible and repair it.

And this is the same with ourselves before God. We are busy. We do not have time but if we do not have time with God and not examine ourselves with the word of God, we will have a problem, and we have to pay dearly. We know a little oil leaking will be causing change the whole engine.

And the other reason is even though we have enough time, we do not have a commitment to adjust ourselves before God. We know the air of tire is not enough, and think “let’s pump up later”. We know the time of oil change came. We know the gas is almost empty. But we think it is ok for a while. Is anyone “park” on the freeway because of these unsolved troubles which have been postponed?

How about our own lives? We are not a tire. We do not run 5000 miles, but we live our daily life. We need daily adjustment in Jesus Christ.

Jesus said the last portion of today’s verses “For the Son of Man came to seek and to save what was lost.” In other words, he said we start our life again in Christ; we can adjust our life in Christ. He came to the earth with this message.

How is your life? We are given second chance by God. It does not matter your life was so messed. It does not matter you are stopped by many troublesome places. You can start your new life with Jesus Christ that is the message of the Bible. We are encouraged to switch our way to Jesus’.

And we will be adjusting day by day by God since we start walking with Him. Paul once said we are changing glory to glory every day. We will be changed every day.

As a car need to check up to keep its travel, we will be adjusting by Jesus Christ day by day. And needless to say, the car which checked up and well maintains drive long and safe, the checkup is also indispensable to our life.

Let’s pray.

本日のおもちかえり
2019年3月31日

1)ルカ19章1節-10節を読みましょう。ここからうかがい知れるザアカイの人となりは何ですか。ザアカイは日々、どんな思いで過ごしていたと想像できますか?(参考:伝道の書5章10節)

 

2)人間には4つの劣等感があると言われています。「肉体的劣等感」「性格的劣等感」「能力的劣等感」「社会的劣等感」。ザアカイはどんな劣等感を持っていましたか。これらの劣等感は私達にどんな影響を与えますか。どうしたらこの思いを取り払うことができますか。

 

3)当時の取税人とはどんな人達でしたか。ザアカイはその頭であったということは何を意味しますか?

 

4)ザアカイが木に登ったということは彼のこれまでの人生は彼の性格をどのように暗示していますか。

 

5)「ザアカイよ、急いで下りてきなさい。きょう、あなたの家に泊まることにしているから」(ルカ19章5節)とイエス様から声をかけられた時、ザアカイはどう感じたでしょうか。

 

6)「主よ、わたしは誓って自分の財産の半分を貧民に施します。また、誰かから不正な取立てをしていましたら、それを四倍にして返します」」(ルカ19章8節)という言葉からザアカイのどんな決意をうかがい知れますか。ここに彼の悔い改めを見ることができますか。なぜですか?

 

7)誰でもイエス・キリストにあって今日から人生をやり直すことができます。そのために私達がすべきことは何ですか。ザアカイがしたことは何ですか?

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