子供が育つために必要な三つのこと

以前、ニュースで子供達の学力が過去よりも随分と下がっているというようなことが報道されていました。中でも適応能力というものが低下していると言います。適応能力とは状況に適応して問題を解いていく力です。

この問題は受験のテクニックだけでは解決できないものです。そして、お分かりのように世の中、そのような問題ばかりで満ちているのです。私達の世界のほとんどの問題はAかBかという解答法だけでは解けない問題です。

それはあらゆる角度から、目に見えない解決方法を頭の中で想像して答えを導かなければなりません。激しく変化する世界で、持っている基礎学力をどのように現実の生活と必要に適応させていくのか、このことを私達は子供達に教えなくてはなりません。

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「子供が育つために必要な三つのこと」
2019年3月24日

春になると家の庭が少々、賑やかになります。ドアを開けて庭に出ると、小さなトカゲがさささっと逃げるのです。そう、そのトカゲは小指よりも小さいベイビーです。おそらく数日前に生まれたものでしょう。

我が家ではハムスターを飼っています。独り身の雌ですので子供を宿すことはありませんが、ハムスターは多くの子を産むそうです。生まれたばかりのベイビーはクオーターのような大きさだそうですが、ひと月もしないうちに親のような姿となり、半年ほどで彼らは子供を産むようになります。

これは人間には当てはまりません。生まれて5日で歩き出し、翌年には子を産んでいるというような人生のサークルを神様は私達に与えませんでした。そして、そのことに感謝します。私達は他のいかなる動物よりも長い時間をかけて成長するように定められています。

子供は誕生する日まで母の子宮の中で育ちます。その時、子宮の中に胎盤という特殊な働きをする臓器が、出来上がります。この臓器は赤ん坊が胎にいる時にだけ必要なもので、出産するとこの胎盤の役目が終わります。

胎盤は母体と赤ちゃんの間のガス交換、栄養補給、老廃物交換を行います。母と子の血液型が同じとは限らないので、この二つの血液が混ざることはありません。

胎児は胎内にいる時には肺呼吸をしていません。しかし、生まれてすぐに「オギャー」と泣くと同時に肺に空気がはいって、二分以内に血液の流れは成人と同じ流れに変わるといいます。

母親はこれら複雑な機能を自ら設計もしていませんし、操作もしていません。子供も同じように胎内で自分のために自分と母親の血管を区別する作業をしていません。それでは、誰がこの細かな役割をしているのかと言いますと、これらは全て神様によってなされていると聖書はいいます。

詩篇139篇13節‐17節には有名な言葉が記されています。

13あなたはわが内臓をつくり、わが母の胎内でわたしを組み立てられました。14わたしはあなたをほめたたえます。あなたは恐るべく、くすしき方だからです。あなたのみわざはくすしく、あなたは最もよくわたしを知っておられます。15わたしが隠れた所で造られ、地の深い所でつづり合わされたとき、わたしの骨はあなたに隠れることがなかった。16あなたの目は、まだできあがらないわたしのからだを見られた。わたしのためにつくられたわがよわいの日のまだ一日もなかったとき、その日はことごとくあなたの書にしるされた。 17神よ、あなたのもろもろのみ思いは、なんとわたしに尊いことでしょう。その全体はなんと広大なことでしょう。

ここには私達の命が母の胎に出来上がる時に、その命を生み出し、その成長を願い、見守っていてくださる神様の姿が描かれています。私達の命は神様によって望まれたものなのです。

旧約聖書のサムエル記上1章にはハンナという一人の女性の姿が記録されています。彼女には長い間、子供がありませんでした。そこで彼女は泣いて祈るのです。

万軍の主よ、まことに、はしための悩みをかえりみ、わたしを覚え、はしためを忘れずに、はしために男の子を賜りますなら、わたしはその子を一生のあいだ主にささげ、かみそりをその頭にあてません」(サムエル記上1章11節)。

ハンナは祈りの中で男の子を「賜りますなら」と書いています。英語の聖書ではGIVEと書かれています。すなわち彼女はもし、自分の胎に子供が宿るなら、それは神から授かったものなのだということをよく理解していたのです。

しかし、私達はこのことを時として忘れてしまいます。すなわち、子は与えられたものであるのに、あたかも自分が獲得したものであるかのように、我が子をまるで自分のアクセサリーのように、自分の自尊心を満たす道具のように思うのです。

しかし、生まれてきた子供は親のものではありません。そこには確固たる個というものがあり、しばらくは親の保護のもと、子供は育ちますが、彼らは親とは異なる人格をもった一人の人間です。その子にはその子だけの神様が与えて下さったオリジナリティー、個性があるのです。

スマップというグループが「世界でたった一つの花」というヒット曲を歌いましたが、そうなのです、私達はそれぞれが世界でたった一つの花なのです。この事実はとても大切なことでして、この歌によって私達は励まされるのです。

親には、大人にはこの「たった一つの神から与えられた花」に対して責任があります。しかし、その子が自分は「世界でたった一つの花」なんだと自覚することは大切なのですが、同時に誰かがその子に「あなたは世界でたった一つの花ではあるけれど、世界の無数の中の一つの花でもあるだよ」ということを教えなければなりません。そう、私達は彼らを育まなければならないのです。そうです、彼らは育てられるべき存在なのです。

 先に人間ほど、その誕生と成長に時間と労力をかける生き物はいませんと言いました。そこには多くの喜びがあり、それと等しい苦労があります。子供が5歳で自立して、会社に出勤するということはありません。生まれて10ヶ月の子が自分でトイレに行くこともないのです。

飼葉桶で生まれたイエス・キリストもこの人間の誕生と成長というプロセスに己が身を置かれました。イエス様も私達と同じように年月をかけて成長したのです。聖書にはイエス様の幼少時代のことはほとんど書かれていませんが、ルカによる福音書2章52節には少年イエスの成長の過程というものが短い一文で書かれています。

「イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人とから愛された」

この一文はシンプルでありますが、子供が成長していく過程というものを、とても的確に記しています。その中に親や大人たちが子供のために集中すべき基本的な3つのこと、すなわちここには「知育」、「体育」、「徳育」の発達が書かれています。

そこで今日はこの三つについて見ていきたいと願っています。まず最初に「イエスはますます知恵が加わり・・・」とあるように「知育」ということについて見ていきましょう。

知育

今日、私達の世界には学歴なるものがあります。その学歴を得るためには試験をパスする必要があり、そのテクニックが求められます。アメリカにはSATというテストがあり、そのテストでいい点を取るようにそのテストに出てきそうな問題だけを勉強する集中講座があります。日本でも大学入学のために集中して教えてくれる予備校というものがありますでしょう。

以前、ニュースで子供達の学力が以前よりも随分と下がっているというようなことが報道されていました。中でも適応能力というものが低下していると言います。適応能力とは状況に適応して問題を解いていく力です。

この問題は受験のテクニックだけでは解決できないものです。そして、お分かりのように世の中、そのような問題ばかりで満ちているのです。私達の世界のほとんどの問題はAかBかという解答法だけでは解けない問題です。

それはあらゆる角度から、目に見えない解決方法を頭の中で想像して答えを導かなければなりません。激しく変化する世界で、持っている基礎学力をどのように現実の生活と必要に適応させていくのか、このことを私達は子供達に教えなくてはなりません。

イエス様の譬え話を読みます時に、イエス様はこの能力に長けていたことが分かります。譬え話とはその話を知らない者達が知っていることを用いて、そのことを知ってもらうことです。そのためにはそのこと自体を熟知していなければならないことと、そのことを別のものに置き換え、分かりやすく伝えなければならない力が必要です。

この能力は物事を客観視していないと解けない能力です。そして、物事を客観的に見るということはどこで育まれるかと言いますと、物事を神の視点で見ようとする心構えであり、そのような視点を聖書は真の知恵と呼んでいます。

ユダヤ人という聖書と深い関わりを持つ民族がいます。彼らは他民族に比べますと少数ですが、諸々の分野において傑出した人間を生み出しています。その名前をあげればきりがありません。

なぜこのユダヤ民族の中にこのような逸材が育っているかということの理由の一つに、彼らは常に「物事を俯瞰的(ふかんてき)に見ることができるように育てられているからだ」と指摘する人がいます。俯瞰的とはあたかも鳥が大空から大地をながめるように、物事の全体をあますところなく見るということです。

ユダヤ人は特に金融やコンピューターといった実際に観察できないお金や情報の流れにかかわるビジネスで成功しています。すなわち目には見えませんが、世界に起きていること、これから起きるであろうこと、その動きの全体を読み、そのために今、何をすべきかということ、これから何をしたらいいのかということ、これらのことをに彼らはとても長けているのです。さらには抽象の世界に深く浸らなければならない芸術の世界においても彼らの功績は他民族を圧倒しています。

このような能力になぜユダヤ人が秀でているのでしょうか。その理由は彼らが子供の時から目に見えない神について考えることを習慣づけられているからだと言われています。ユダヤ人の信仰心とはすなわち、形にできない神を考え続ける訓練を常に続けているということなのです。

このことが物事を俯瞰的、かつ論理的に考える力となっているのです。特に子供にとって、目には見えない神について思いをめぐらせることが、どんなに大きな知的な刺激になっているかということを見逃すことはできません。

この力はAかBを選ぶというような試験問題とは異なり、AでもなけれなBでもない、Cに答えがあるということを見いだすことができる力です。いいえ、Cにとどまらず、DもEもあるというところに彼らの目は届きます。言うまでもなく、これからの世界ではこのように問題を解決していく者達が求められるのです。そして、この知恵は神を思いめぐらす時に私達に与えられていくものなのです。

次に「背たけも伸び」と記されていますように「体育」ということについてお話しましょう。

体育

子供の体は成長します。そのために必要な食事・運動はとても大切なものです。「健全な魂は健全な肉体に宿る」という言葉は全く正しいとは言えないかもしれませんが、全く間違っているとも言えません。心とからだは切り離すことができなうものであり、密接に関係しあっているからです。

基本的に子供は無邪気さという服を着て生きているものです。無邪気さには遊びが伴い、彼らの第一の仕事は遊ぶ事です。体を動かすことにより、彼らは多くのことを体で学びます。

今日、そんな子供を見かけなくなりましたが、素足で野原を駆け回ることが、どれだけ脳に刺激を与えているか、子供達の情緒に大きな影響を与えているかということは説明するまでもありません。

年をとればとるほど実感することですが「最後は知力ではなく、体力だね」とはよく言われることです。イエスの背たけが伸びたということ、その体が作られたことの背後には少年イエスの路地裏での遊びがあり、また大工であった父ヨセフを手伝うべく、体をおおいに動かした労働があったことでしょう。

イエス・キリストを描いている絵画にはやせ細って青白い顔たした弱々しい姿のものが多くありますが、実際のイエス様は野外で力仕事をすることも多く、陽に焼け、がっちりとした体格であったと思われます。

その体力ゆえに過密な日々のスケジュールや過酷な旅にも耐えることができたのでしょうし、マイクがないような時代に、群衆に力強く伝わる声を出すこともできたのでしょう。話し続けるためには知性のみならず、体力が必要不可欠なのです。そして、その体力があったゆえに、多くのむち打ちを受けつつも自ら十字架を背負いカルバリの丘に向かわれたのです。

それでは最後に「徳育」ということについてお話ししましょう。

徳育

この徳育はイエスは「神と人とから愛された」と書かれていること、特に「神に愛された」ということと密接に結びついています。すなわち、子供達の徳育が育まれるためには神に愛されているということを知ることが必要だということです。

私達の社会でこの徳育はどのよう養われると言われているのでしょうか。「動物を育てましょう」「ボランティアをしましょう」ということなのかもしれません。今もあるのか分かりませんが、私が子供の頃には「道徳の時間」というものが学校にはありました。しかし、本当の徳育は人を超えた存在を知らずしてなされないものなのであります。

キリスト者であった新渡戸稲造があの有名な『武士道』を英文で刊行したのは1900年、明治33年、ちょうど日清戦争と日露戦争の間で日本が揺れていた時代です。

新渡戸がこのようなことを海外向けに執筆する気になった動機について、その序文に簡潔に記されています。すなわちある時、新渡戸がベルギーの法学者ラブレーとの会話のなかで「日本に宗教教育がないのはとうてい理解できない。そんなことで、日本人はいったいどのように子孫に道徳を伝えていけるのか」と問われたことが新渡戸にとって、大きな発奮となり、彼は義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義からなる武士道という名著を記したのです。これこそが、日本の道徳なのだということを、彼は示し、この「武士道」は今日でも世界中で読まれています。

しかし、新渡戸はこの武士道にはキリスト教にはあるけれども、武士道にはないものがあるといいます。武士道にないものとは何なのでしょうか。「愛」というものが武士道にはないと彼は言っているのです。すなわち彼は武士道は義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義を提供できるが、最も大切な愛はキリストからしか得ることはできないといっているのです。すなわち新渡戸の持論は日本の武士道とキリストの愛とが一つになれば強いということなのです。

なぜ新渡戸はこの聖書がいうところの愛に着目したのでしょうか。彼はこの聖書の言葉を知っていたに違いありません。第一コリント13章1節―3節です。

1たといわたしが、人々の言葉や御使たちの言葉を語っても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。2 たといまた、わたしに預言をする力があり、あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、また、山を移すほどの強い信仰があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。 3たといまた、わたしが自分の全財産を人に施しても、また、自分のからだを焼かれるために渡しても、もし愛がなければ、いっさいは無益である。

すなわち、現代的にこの言葉を言い換えますならば、たといわたしが、日本語、英語にスペイン語、その他、3つの言葉を語ることができても、もし愛がなければ、わたしは、やかましい鐘や騒がしい鐃鉢と同じである。 たといまた、わたしに将来の経済の動向を説明する力があり、この世のあらゆる知識とに通じていても、また砂漠に摩天楼を作り出すほどの強固な信念があっても、もし愛がなければ、わたしは無に等しい。 たといまた、私が自分の持ち物を全て慈善団体に寄付しても、仮に自分がもし誰かのために命という犠牲を払ってももし愛がなければ、いっさいは無益であるということです。 新渡戸さんには悪いですが、さらにこういうこともできるのです。たといわたしが武士道の精神である義、勇、仁、礼、誠、名誉、忠義を獲得することができても、もしそこに愛がなければ一切は無益である。

ここで私達が思うのは、それでは子供達はどこでその愛を受けることができるのだろうということです。父、母、祖父母、教師達、大人たちからだろうか、確かにそれはある。しかし、実際にはそれは完全なものではありません。自分の姿が、夫婦の姿が子供達に愛のメッセージをいつも送っているだろうか、そんなことを考えますと私達は胸をはることはできません。

ここで私達が心に留めなければならないことは、新渡戸が言っている「愛」とは常に自分を中心に考えているような私達から出てくるような類のものではないということであり、その愛とはキリストの愛なのです。

すなわちキリストの愛とは条件に左右されずに、その相手がいかなる者であっても、その者の最善だけを願い、愛し続けていくというもので、それは到底、私達、人間には持ち得ないものなのです。

リバーサイドにハーベスト・クリスチャン・フェローシップという教会があります。全米で最も大きな教会の一つに数えられる教会です。そこの主任牧師はグレッグ・ローリーといいます。

彼は幼少時代に5人のステップ・ファザーをもった人です。そのことは彼に決していい影響を与えませんでした。それどころか彼の心はズタズタに引き裂かれて、彼は大人を全く信じることができなく育ちました。彼が十代の頃の時代はヒッピームーブメントがカリフォルニアに吹き荒れていた時代。特に彼がいたニューポート・ビーチは当時、カリフォルニアの麻薬の中心地でした。彼は転げ落ちるように、お決まりの長髪、ジーンズ姿で、当時手に入れることができるあらゆるマリファナや薬物に手を出していきました。

しかし、その5人のステップ・ファザーをもったグレッグローリーはイエス・キリストに出会ったのです。5人の父が誰一人として与えることができなかった完全な愛を彼はこのキリストから受け取ったのです。彼は後にその妻、キャシーという女性と出会い、彼女と結婚をし、今は孫もいるような年齢となりましたが、世界中でこのイエスの愛を伝えるエバンジェリストとなったのです。

皆さん、私達はこの類の愛に触れなければなりません。そして、私達の子供達をこの神の愛へと導かなければなりません。

一月に日本に行かせていただきました時に、夜9時過ぎの混み合う都内の駅のホームにサラリーマンに混じって、大きなかばんを背負った、その年7、8歳ぐらいの子供の姿を見かけました。塾の帰りなのでしょう、その年頃、もっとしたいことがあるだろうにと、ちょっとかわいそうに思いました。

おそらく彼らは多くの知識をその頭の中に詰め込んでいることでしょう。しかし、そのことも大切でしょうが、それが先にお話した本当の「知恵」と結びついているものなのか、また、それよりも何よりも彼らが無条件で本当に愛されているという思いを持つことができないとするならば、例え古今東西のあらゆる知識を彼らが頭に詰め込んでも、そこには何かが欠けているのです。

子供を本当に思う者であるならば、その子供が人から愛される者として成長して欲しいと願いますでしょう。そして、そのことは子供達がこの神の愛に包まれていく時に可能となります。神から愛されているという実感が、他者を愛する力となり、そのことゆえに彼らは人からも愛されるようになるからです。

新渡戸稲造が問われたような質問は私達に今も問われているのです。「天地万物の創造者なる神について触れずに、イエス・キリストの無条件の愛を抜きにしてどうして私達は子供を育てることなどできるでしょうか」。

私達、大人も父なる神の子です。この父から私達も知恵を授かり、与えられた神の宮なる体をしっかり管理し、神の愛に日々、包まれましょう。そして、私達がいただいたものをもって、私達が神様から託されている子ども達にこのことを伝えてまいりましょう。その時に彼らはこの世界を生きていく内なる力を得ることができるのです。

お祈りしましょう。

The Three Things a Child Needs To Grow
March 24, 2019

When spring comes, our backyard becomes a bit lively. When I step out the door to our backyard, I would see a tiny lizard skipping away. The lizard is still a baby and smaller than my pinky, probably only a couple days old.

We have a pet hamster at our house. Our hamster is female and we only have one so she can’t have pups, but hamsters are known to breed many children. When a baby hamster is born they are about the size of a quarter, but in less than a month they become the same size as their parents, and after a few months they can begin reproducing.

The same is not true for us humans. We don’t start walking 5 days after birth or begin bearing children the year after we are born. That is not how God created us and for this I am thankful. We take longer than any other creature to grow into adulthood.

A child is nourished inside the mother’s womb until birth. During this stage a special organ called the placenta develops inside the womb. This organ is needed only while the child is inside the womb and is expelled upon birth.

The placenta provides oxygen and nutrients from the mother to the baby and removes waste products from the baby’s blood. The blood types of the mother and the baby may be different so there is no exchange of blood.

While inside the womb, babies can’t breathe through their lungs. But the moment they are born and start crying, their lungs are filled with air and within 2 minutes their blood starts to flow the same way as an adult.

The baby’s mother did not design these complex bodily functions and she does not control them. Nor does the baby inside the womb regulate their blood flow from interfering with each other. But the Bible says that God is the one who designed and controls these complex functions within our bodies.

In Psalm 139:13-17 it says:

13 For you created my inmost being; you knit me together in my mother’s womb. 14 I praise you because I am fearfully and wonderfully made; your works are wonderful, I know that full well. 15 My frame was not hidden from you when I was made in the secret place, when I was woven together in the depths of the earth. 16 Your eyes saw my unformed body; all the days ordained for me were written in your book before one of them came to be. 17 How precious to me are your thoughts, God! How vast is the sum of them!

Here we see a picture of how God formed us and gave us life inside the womb and watches over us with the desire to see us grow. By God’s desire each of was born.

In chapter 1 of 1 Samuel, we see the story of a woman named Hannah. For a long time, she has been childless. So she cried out to God saying,

“Lord Almighty, if you will only look on your servant’s misery and remember me, and not forget your servant but give her a son, then I will give him to the Lord for all the days of his life, and no razor will ever be used on his head” (1 Samuel 1:11).

Notice here that Hannah asked the Lord to “give” her a son. She used the word “give” because she knew that if she were to bear a child, the child is a gift given to her from God.

But we tend to forget that our children were entrusted to us by God, and begin to think of them as our own property, and treat them as if they are there to enhance our own self-worth.

But children are not their parents’ property. Though they grow up under the care of their parents, they are individuals with their own mind and character. Each child has their own originality and unique qualities given by God.

There is a popular song in Japan by the group SMAP, and the song compares people to flowers, and tells us that we are all one of a kind.

As parents we have a responsibility towards each of these one-of-a-kind children that is entrusted to us by God. And although it is important for these children to know that they are one of a kind, we need to teach them that they are also one among a multitude of one-of-a-kinds. In other words, it is our duty to help our children grow as individuals.

As I mentioned earlier, apart from humans, there are no other creatures that require more time and energy in the process of growth. We experience many joys as well as struggles in this process. Children don’t start living on their own and commute to work at age 5. A 10 month old baby can’t go to the bathroom by themself.

When Jesus was born in the manger, He voluntarily placed Himself within this human process of birth and growth. Just like us, it took Jesus many months and years to grow into an adult. There are very few passages that tell us about Jesus’ childhood, but Luke 2:52 gives us a brief description of how Jesus grew up as a boy:

“Jesus grew in wisdom and stature, and in favor with God and man”.

This is a very simple verse, but it gives us a very accurate description of a child’s development. The verse lays out three things that parents and adults need to focus on as we raise our children, these three things are the intellectual, physical, and moral development of a child.

So today I would be speaking on these three types of developments. First let’s take a look at a child’s intellectual development.

In our world today, we place great importance on a person’s educational background. And in order to pursue a higher education, often times it is required to pass a test. In the U.S. we have the SAT, and there are courses that teach specific subjects within the test so that students can get a good score. In Japan there are many cram schools that prepare students for college entrance exams.

A while ago I saw a news report which said that in recent years, there has been a dramatic decline in children’s ability to learn. The report said that what is most notable in children today is that they lack the ability to adapt and solve problems in different situations.

And this is not something you can learn in a SAT prep class. As we all know we live in a world where this ability to adapt is crucial, because most of the problems we face in this world aren’t as simple as selecting option A or B on a test sheet.

Instead we are required to look at things from different angles and come up with creative solutions. In an ever-changing world we must teach our children how to adapt and apply what they have learned to real life situations.

When we read Jesus’ parables we see that He had an amazing ability to apply His wisdom to different situations. Through each parable He explained difficult truths using everyday scenarios. To do this He had to have a thorough understanding on the subject and be able to explain it in a way ordinary people could understand.

Jesus was able to see things objectively. We too can develop the same ability by seeking to see things from God’s perspective, and this is what the Bible calls true wisdom.

The Jewish people have a deep relationship with the Bible. Though their total population may be few compared to most other ethnic groups, many prominent figures in various fields of discipline are Jewish.

Some have suggested that the reason they are successful is because they have been taught to see things from a higher perspective. As a bird in the sky is able to view the whole landscape, they are able to see the big picture and see things in its entirety.

There are many successful Jews in the fields of finance and computer science, where the flow of money or information is not easily seen with the naked eye. Although they cannot see it with their eyes, they have the ability to grasp what is going on in the world, anticipate what will happen, and determine what actions to take in the present and the future. Also their influence on art and music outweighs most if not all other ethnic groups.

Why are the Jewish people able to excel in all these areas? It is said that this is because they are taught to be conscious of an invisible God. Since their childhood they have been trained to be aware of a God that cannot be seen or touched.

This enables them to see things objectively and think logically. We cannot ignore the great impact it has on a child’s intellectual development when they focus their minds on a God who cannot be seen.

This nurtures our children’s ability to think creatively and not be stuck with the idea that there is only option A or B, and enables them to find solution C, D, or E. Needless to say the world needs people with this kind of problem solving skills. And this kind of wisdom is gained when we fix our thoughts on God.

Now let us move on to the topic of the physical development of a child.

A child’s body grows. Food and exercise play an important role in their physical development. Though the saying “a sound mind is in a sound body” may not be entirely accurate, we cannot deny the fact that our mind and body are interrelated and cannot be separated.

Most if not all children like to play and it could be said that it is their primary job to play. They learn many things through physical activity.

Today we don’t see this as much, but in the past children would run around barefoot, and we can imagine how much this kind of physical activity stimulates a child’s brain and influence their emotional health.

As I get older I understand the importance of physical fitness. Jesus Himself grew in stature as He ran through the streets as a boy and helped His father Joseph’s carpentry job.

Many paintings depict Jesus as this pale and skinny, weak-looking figure, but the real Jesus was a carpenter who had to do heavy physical work out in the sun so He must have been physically fit.

Because He was physically fit we was able to handle His busy schedule and travel long distances, and in an age where there were no microphones, He could deliver His message loud enough for the entire crowd to hear. For this He needed not only wisdom but physical strength. And with this body, He endured many lashes and carried the cross up the hill to Calvary.

Lastly I would like to speak on the moral development a child.

The verse says that Jesus grew “in favor with God and man”. This verse shows us that our moral development is directly related to being favored or loved by God, which means that children need to know they are loved by God in order to have a true understanding of morality.

How does society try to teach ethics or morals to our children? They may suggest things like doing volunteer work. When I was growing up in Japan, we had ethics class in school. But it is not possible to know what true morality is without acknowledging the existence of a Supreme Being.

Japanese Christian author Inazo Nitobe published his book “Bushido” in the year 1900, around the time when Japan had ended its war against China and was about to go to war against Russia.

In the preface of the book, which was originally written and published in English, Nitobe describes what led him to write the book. Nitobe recounts a conversation he had with a Belgian law professor who asked him why they don’t teach religion in Japanese schools, and if so how moral education is taught to children. So Nitobe decided to write about the moral qualities found in bushido which are justice, courage, benevolence, politeness, truthfulness, honor, and loyalty. He explains in the book how moral education has been taught in Japan, and the book is still read today all over the world.

But Nitobe says that there is something found in Christianity and not in bushido. What is this thing that’s missing from bushido? Nitobe says that it is love. He says that justice, courage, benevolence, politeness, truthfulness, honor, and loyalty can be found in bushido, but only Jesus can give us love. He says that if Christ’s love and the qualities of bushido can be combined something great will come out of it.

Why did Nitobe mention love? He was a Christian, so he must have known following words from 1 Corinthians 13:1-3:

“1 If I speak in the tongues of men or of angels, but do not have love, I am only a resounding gong or a clanging cymbal. 2 If I have the gift of prophecy and can fathom all mysteries and all knowledge, and if I have a faith that can move mountains, but do not have love, I am nothing. 3 If I give all I possess to the poor and give over my body to hardship that I may boast, but do not have love, I gain nothing”.

If I were to put it in modern terms, it would go like this: even if I could speak Japanese, English, Spanish, and three other languages but don’t have love, I would be a loud gong or an annoying cymbal. Even if I could predict the future of our economy and am an expert on a broad range of subjects, or if I have a faith that can create an oasis in the middle of a desert, but don’t have love, I am nothing. Even if I give up all my possessions and donate it all to charity, even if I were to give my own life for someone, but don’t have love, it all amounts to nothing. No offense to Mr. Nitobe, but it could be said that even if I have all the qualities listed in his book bushido, but don’t have love, it amounts to nothing.

When we think of this, it makes us wonder how our children could receive this kind of love. Is it through their father, mother, grandparents, teachers, or other adults around them? This may be true to some extent, but in reality their love is not perfect. I cannot say with complete confidence that my words and deeds or the way I treat my wife are a perfect example of the love taught in the Bible.

What we must realize is that the love that Nitobe is referring to is not the kind that comes out of our own self-centeredness, but He is referring to the love of Christ.

The love of Christ is unconditional, a love that seeks our best interest and never wavers no matter who we are or what we’ve done. And it is not possible for us humans to have this kind of love towards each other without Christ.

There’s a church called Harvest Christian Fellowship in Riverside. It is one of the largest churches in the U.S. The senior pastor there is named Greg Laurie.

During his childhood, he had 5 stepfathers. Being in this kind of environment did not have a good effect on him. Because of the emotional pain he went through and he grew up with a great distrust towards adults. During his teenage years, the hippie movement in California was in its heyday, and the city of New Port Beach where he lived was at the center of the hippie drug culture. Naturally he was drawn into the hippie culture and started using pot and any other drugs he could get his hands on.

But during this time, Greg Laurie met Jesus Christ. In Christ he found true love, a perfect love that none of his 5 stepfathers could give. He eventually got married to a woman named Cathy and is now a grandfather, and today he is an evangelist who travels all over the world to tell about this love of Christ.

This is the kind of love we truly need, and we must teach our children this love of God.

When I was in Japan this past January, among all the commuters at the train station I saw a child who was probably around 7 or 8 years old. He was carrying a large backpack, probably on his way home from tutoring.

These kids are required to cram as much knowledge as they can into their brain. Acquiring knowledge is important, but if their knowledge does not lead to true wisdom, and if they do not know that they are truly loved unconditionally, all the knowledge in the world cannot fill the void inside of them.

If we really care for our children, we would want them to grow to be loved by others. And this becomes possible when they are surrounded by God’s love. When they know God’s love, they will be able to love and be loved by others.

The same question that was posed to Nitobe is being posed to us right now. That question is, how could we raise our children without teaching them about the God who created the heavens and the earth and about the unconditional love of Jesus Christ?

Before God the Father, we too are children. Let us receive wisdom from our Heavenly Father, take good care of the body He has given us, and live each day within His loving care. And with the love and wisdom we receive, let us teach our children to walk in the same way. By this they will be equipped with the inner power that is needed to face this world.

Let us pray.

本日のおもちかえり
2019年3月24日

1)なぜ人間は他の動植物よりも出産が難しく、心身の成育に時間がかかるのでしょうか。そこにはどんな神様の意図があると思いますか。

 

2)詩篇139篇13節‐17節には有名な言葉が記されています。私達が母の胎にかたち造られることを慈しみ、喜んでおられる神様の姿を知る時にどんな思いになりますか。

 

3)今日、人間は神の領域にまで介入しようとしています。このことについてあなたはどう思いますか。バベルの塔から私達が学びうる教訓は何ですか(創世記11章1節ー9節)。

 

4)サムエル記上1章11節には「子供は賜るもの」と書かれています。子が賜りものなら親の役目とは何なのでしょうか。親子の関係はどうあるべきでしょうか。

 

5)「イエスはますます知恵が加わり、背たけも伸び、そして神と人とから愛された」(ルカによる福音書2章52節)から「知育」「体育」「徳育」というものがうかがい知れます。あなたはこの三つについてどんな考えを持っていますか。

 

6)あなたはどんな知恵をもつべきだと思いますか。この世界を生きるために必要な本当の知恵とはどんなものですか?

 

7)ノーベル賞を受けているユダヤ人の数は突出しています。民族としての彼らの数は微々たるものにもかかわらず、様々な分野においても彼らの功績は抜き出ています。この原因は何だと思いますか。

 

8)知力と体力は無関係ですか。心と体の関わり合いについて聖書は何と語っていますか。

 

9)なぜベルギーの法学者ラブレーは日本に宗教教育がないのはとうてい理解できない。そんなことで、日本人はいったいどのように子孫に道徳を伝えていけるのか」と言ったのでしょうか。徳育はどのように成されると思いますか。

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