常に感謝と共にあるもの

カナリヤ(西條八十)

歌を忘れたカナリヤは 後ろのお山に棄てましょか いえいえそれはなりませぬ
歌を忘れたカナリヤは 背戸の小藪に埋け(埋め)ましょか いえいえそれもなりませぬ
歌を忘れたカナリヤは 柳の鞭でぶちましょか いえいえそれは可哀相
歌を忘れたカナリヤは 象牙の舟に銀の櫂 月夜の海に浮かべれば忘れた歌を思い出す

最近、あなたは歌いましたか。あなたの暮らしに歌がありますか。歌を忘れたカナリヤは自分の居場所を見つけた時、再び歌いだしたのです。私達がいるべき場所、それが聖書には記されています。

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本日、礼拝でお話した「日英両語礼拝メッセージ原稿」および「本日のおもちかえり」はこちら↓から。本日の礼拝プログラムはこちらから。

マック

常に感謝と共にあるもの

2013年11月24日

早いもので今年もあと一月あまりとなりました。米国ではその一年の終わりにあたり、二つの祝日を迎えます。ご存知のとおり、サンクスギビングとクリスマスです。その一つであるサンクスギビングが今週木曜日となりました。今日はその前の日曜日ですのでメッセージシリーズとしてお届けしています「箴言」をしばし離れて、タイトルにもありますように「常に感謝と共にあるもの」についてみていきたく願っております。

飛行機に搭乗し、しばらくしますとフライト・アテンダントが飲み物が積まれたカートを押しながらやってきます。私達は「コーヒー」なり、「コーラ」なり、自分が飲みたい飲み物を言い、それをいただきます。また、しばらくすると今度は食事が配られ、その時に「ビーフ」か「チキン」か等が聞かれ、私達はどちらにするかを選択します。隣の人が自分と違うものを選ぶと、自分が選んだもので本当によかったのかとちょっと気になり、チラッと横を見ます。

飛行機を出ますと「入国手続き」をしなければならず、そのための窓口があり、私達はその時、どの窓口に並ぶかを考え、列が短そうなところを選びます。しかしです、せっかく短い列に並んだとしても数人前の人がどういうわけか手間取り、隣の列がどんどん先に進んでいくというようなことがよくあります。

このように私達の日々の生活は常に自ら決断して何かを選ぶ生活です。神様は私達に自由な意思を与えられましたゆえに、私達は何を食べようか、どこに並ぼうかということを自ら決める自由が与えられています。これが機内食や入国手続きならまだいいのですが、先週もお話しましたように私達に囁かれる誘惑について、自ら意思決定をしていくということは時に私達の人生の分かれ目となることもあり、このような選択と決断が私達の日々の生活と時には私達の人格をも決め、ひいては私達の人生も決めていきます。このようにして日々の繰り返される決断をしつつ導かれてきたのが現在の私達なのです。そして、そんな現在について今朝、私達はこのような問いかけを自らにしてみたいのです。「今、私はそんな毎日を感謝しているだろうか」と。

感謝の対局にある言葉を「不満」とか「愚痴」とするならば、その「不満」と「愚痴」で今を、そして残りの人生を生きるということを望ましいと思う人はきっといないでしょう。そのような思いから下される私達の選択や決断はどこか歪んでおり、決して私達にとって良きものとはならないでしょう。反対にもし私達が神様への感謝と共に生きつつ、物事を決断していくのなら、私達の人生は自ずとさいわいな道へと導かれていくことでしょう。

確かにターキーを前にその日だけなら感謝を捧げることができるかもしれません。しかし、感謝はサンクスギビングディだけにするものではなくて、いつも何事に対しても感謝をしながら暮らすことができたらなんと幸いでしょうか。これらを踏まえつつ、今日の聖書箇所、詩篇100篇を読みましょう。

1全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。2喜びをもって主に仕えよ。歌いつつ、そのみ前にきたれ。3主こそ神であることを知れ。われらを造られたものは主であって、われらは主のものである。われらはその民、その牧の羊である。4感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。主に感謝し、そのみ名をほめまつれ。5主は恵みふかく、そのいつくしみはかぎりなく、そのまことはよろず代に及ぶからである』  (詩篇100篇1節-5節)。

今日見てまいります詩篇100篇には『われらはその民、その牧の羊である。4感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。主に感謝し、そのみ名をほめまつれ』と私達に感謝して生きることを勧める言葉が出てきます。そして、この感謝と共に記されているいくつかのことがあります。すなわちここには「喜べ」「声をあげよ」「主に仕えよ」「歌え」「神を知れ」「己れを知れ」ということが記されており、これら一つ一つが私達を感謝へと導き、同時に感謝がこれら一つ一つへと私達を導きます。そこで、今日はこの詩篇100篇をとおして、私達が日ごとに成していく諸々の決断の中心にあって、私達の生活を感謝へと導いていく心構えということについて見てまいりましょう。まずこの詩篇はその心構えとして「喜び」ということについて書いています。

喜べ:  『全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。喜びをもって主に仕えよ』 (1,2)。

聖書には数多く「喜びなさい」という言葉が書かれています。「作り笑い」という言葉はありますが「作り喜び」という言葉はないとよく聞きます。「笑い」は私達の表情にあらわれるものでそれは取り繕うことができるのですが、「喜び」は私達の心の底からあふれ出て来るもので、そこまでは私達も取り繕うことができないからです。そして、この喜びは一般的には期間限定、状況限定とされています。喜びに足ることがあれば私達は喜びますが、それがなければ私達の心から喜びが溢れ出ることはありません。

聖書ではこの喜びというのは私達がもちうるとても大切なものとして取り上げています。そして、この喜びはこの世がいうところの喜びとは異なるのです。すなわちこの詩篇100篇に「主に向かって」とか「主に仕えよ」とありますように、また別の聖書箇所では「主の御前で」とか「主にあって」と書かれていますようにその喜びは常に「主」すなわち神にある喜び、神に仕えるところからくる喜び、神の御前にある喜びなのであって、その神は私達といついかなる時も共にあるお方でありますゆえに、私達の喜びが失われることはないのです。

パウロが書いたあの有名なテサロニケ第一の手紙5章16節、18節をご存知でしょう『いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について感謝しなさい。これがキリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられることである』

ここに「すべての事に感謝しなさい、いつも喜びなさい」と書かれています。いつも喜ぶということは期間限定、状況限定ではなく文字通り‟いつも”ということです。その喜びが私達の自力によって生み出されるものであるのなら、それは全く不可能でしょう。しかし、この喜びは「主キリスト・イエスにあって」私達に与えられるものです。

「喜ぶ」ということはパウロにとってライフテーマとなっており、ご存知のようにパウロは獄中で書いピリピ人への手紙の中で何度も「喜びなさい」とその手紙を読む者達を励ましています。なぜ明日の身も分からない獄中で彼は喜びを語ることができたのでしょうか、言うまでもない、最悪な環境の中にあっても主が彼と共にあり、彼の思いも獄にとらわれた理由もこの主に関係することでありましたゆえに、彼は喜び、また自身の状況を感謝することができたのです。

このように喜びと感謝は兄弟のような関係で、喜びのあるところに感謝があり、感謝があるところに喜びがあると言っても過言ではありません。ですからこの喜びを私達が保つことができるのなら、私達の内には感謝もあるのです。二つ目の事、それは「声をあげる」ということです。

声をあげよ:  『全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ』 (1)

聖書の中には「声をあげよ」という言葉も度々出てきます。私達の思いを心に留めおかずにそれを口に出しなさいということです。喜びは喜びとして心に収めておくものではなく、それは表現するものだというのです。

かつて私達が小学生の頃、国語の授業には朗読というものがありました。皆の前で席を立ち、教科書を音読するのです。しかし、ご存知のように今日、読書離れが進み、学校でもこの音読というのも最近はあまりしなくなったと言われています。しかし、ここ数年、その現状に警笛を鳴らし、声を出して本を読むということがどんなに子供達の心の形成に必要なことかということが注目されています。その発端となりましたのが斉藤孝という明治大学教授の書いた「声を出して読みたい日本語」という本で、その中で斎藤教授は私達に過去の名文を声に出して読み上げると、そのリズムやテンポが身体に染み込んでき、身体に活力を与え、ひいてはそれが私達の心の力となるというのです。私達が思っている以上に私達が自らの口から出す言葉というのは私達に大きな影響を与えています。

一見、スポーツ競技と声を出すということは何ら関係のないことのように思えますが、スポーツ競技では声が出ているチームにはその実力以上の強さがあります。確かに私達が声を出す時に、私達の心もからだも鼓舞されるのです。預言者イザヤは記しています。

1あなたがたの神は言われる、「慰めよ、わが民を慰めよ、2ねんごろにエルサレムに語り、これに呼ばわれ、その服役の期は終り、そのとがはすでにゆるされ、そのもろもろの罪のために二倍の刑罰を主の手から受けた」。3呼ばわる者の声がする、「荒野に主の道を備え、さばくに、われわれの神のために、大路をまっすぐにせよ。4もろもろの谷は高くせられ、もろもろの山と丘とは低くせられ、高底のある地は平らになり、険しい所は平地となる。5こうして主の栄光があらわれ、人は皆ともにこれを見る。これは主の口が語られたのである」。6声が聞える、「呼ばわれ」。わたしは言った、「なんと呼ばわりましょうか」。「人はみな草だ。その麗しさは、すべて野の花のようだ。7主の息がその上に吹けば、草は枯れ、花はしぼむ。たしかに人は草だ。8草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない」。9よきおとずれをシオンに伝える者よ、高い山にのぼれ。よきおとずれをエルサレムに伝える者よ、強く声をあげよ、声をあげて恐れるな。ユダのもろもろの町に言え、「あなたがたの神を見よ」と。(イザヤ40章1節-10節)

イザヤは主の言葉として度々、「呼ばわれ」、「声を強くあげよ」、「声をあげて恐れるな」と民を励ましました。それは神を信じて声をあげることにより、恐れを吹き飛ばせと言っているかのようです。ダビデは神とモーセの間に結ばれた契約の板が保管されている主の箱の前で、すなわち神の臨在の前でその喜びをこのように表しました。14そしてダビデは力をきわめて、主の箱の前で踊った。その時ダビデは亜麻布のエポデをつけていた。15こうしてダビデとイスラエルの全家とは、喜びの叫びと角笛の音をもって、神の箱をかき上った。(Ⅱサムエル6章14節-15節)。ダビデはその箱の前でその喜びを爆発させるかのようにして踊り、喜びの叫びと角笛の音と共にこの神の箱をエルサレムに携えのぼったのです。確かに彼の前途は多難でしたが、神と共にあるということは彼の喜びであり、希望であり、彼はそれを声をあげて喜び、神の箱をかつぎ、さらに前に進んだのです。私達も喜びを言葉にする時に、「ハレルヤ!」と声をあげる時に、そのことが私達を感謝へと導き、ダビデがそうであったように私達は明日に向かう内なる力が与えられるのです。三つめのこと、それは「仕える」ということです。

主に仕えよ: 喜びをもって主に仕えよ(2)

私達が喜びをもって主に仕えてみてはじめて、私達の心にはさらなる感謝がわいてきます。「仕える」ということは自分の時間を捧げることであり、自分の労力を捧げることです。捧げるということは自分から何かが出ていくことであり、すなわち自分が所有しているものが減るものだという考えに留まっている限り、私達に喜びと感謝は生まれません。

ましてやそのことが主のために成されるのであるのなら、これは格別です。私達の心は喜びで満ちるでしょう。さらに不思議なことに主に仕えることができるということに対して、感謝がわいてくることでしょう。

「野球を楽しむことができる人は実際にグローブとバットをもって野球をする人です」とか「登山を楽しことができる人は実際に登山靴とリュックを背負って山を登る人です」という言葉は至言です。私達の生涯に喜びと感謝を取り戻したいのなら、私達は実際に主に仕えてみることです。パウロはこの主に仕えるということについてこのように記しています。

19詩とさんびと霊の歌とをもって語り合い、主にむかって心からさんびの歌をうたいなさい。20そしてすべてのことにつき、いつも、わたしたちの主イエス・キリストの御名によって、父なる神に感謝し、21キリストに対する恐れの心をもって、互に仕え合うべきである』(エペソ5章19節-21節)。

パウロはここで主に喜びの賛美をささげ、主に感謝をしつつ、互いに仕え合うことを示しています。なぜなら神に仕えるということはイコール、人に仕えるということだからです。仕えてもらうということは一件、望ましく、喜ばしいことと思われ、多くの人はそのステイタスを目指してがんばりますが、実際に私達に本当の喜びと感謝を与えてくれるものは私達が誰かに仕えられることではなく、私達が神様に仕えさせていただく時に、私達が神様が造られた人に仕える時に私達に与えられるものなのです。四つ目のこと、それは「歌う」ということです。

歌え: 歌いつつ、そのみ前にきたれ (2)

聖書の中で一番長い詩篇は文字通り、多くの「歌」が記録された書です。そこに書かれている言葉の多くはかつて実際にかつてメロディーがつけられて歌われていたものです。私達は礼拝の中で賛美を歌います。集会や祈祷会でもまず何はともはれ歌います。神に造られた人間には色々な方法をもってその造り主なるお方をほめたたえる手段がありますが、その最たるものが歌うことです。私達は「歌を忘れたカナリヤ」という西條八十さんが作詞した有名な童謡を知っています。

歌を忘れたカナリヤは 後ろのお山に棄てましょか いえいえそれはなりませぬ
歌を忘れたカナリヤは 背戸の小藪に埋け(埋め)ましょか いえいえそれもなりませぬ
歌を忘れたカナリヤは 柳の鞭でぶちましょか いえいえそれは可哀相
歌を忘れたカナリヤは 象牙の舟に 銀の櫂 月夜の海に 浮かべれば 忘れた歌を思い出す

西条八十はとても感受性の強い人で、幼い時に教会のクリスマスに行った夜、教会堂に灯されていた電灯のうち、その一が消えていたのを見、その時、幼き心に鳥たちが楽しげに歌っている中に、ただ一羽だけ歌うことを忘れた小鳥がいるかのような寂しさを感じ、それがこの歌のもとになったといいます。

カナリヤは本来、とても美しい声で鳴きます。しかし、諸々の悲しみを経験し歌うことすら忘れてしまったカナリヤ。そのカナリヤも安心できる自分の居場所を見出すのなら、忘れていた美しい声で再び歌い始めるというのです。聖書、雅歌にもまるで歌うことを忘れたカナリアに語りかけるような言葉が書かれています。

11見よ、冬は過ぎ、雨もやんで、すでに去り、12もろもろの花は地にあらわれ、鳥のさえずる時がきた。山ばとの声がわれわれの地に聞える。13いちじくの木はその実を結び、ぶどうの木は花咲いて、かんばしいにおいを放つ。わが愛する者よ、わが麗しき者よ、立って、出てきなさい。14岩の裂け目、がけの隠れ場におるわがはとよ、あなたの顔を見せなさい。あなたの声を聞かせなさい。あなたの声は愛らしく、あなたの顔は美しい(雅歌2章11節-14節)。

時に私達は色々なことに直面し、歌うことを失ってしまいます。しかし、神様は私達に言うのです。出ておいで、そしてもう一度、あなたの愛らしい声を聞かせておくれ。私はあなたが歌えるように、あなたがその暗い心から出てくることができるような場所を備えているから。

新聖歌325番には「うたいつつ歩まん」という歌があり、その中の一節にこんな詩があります。

主にすがるわれに 悩みはなし 十字架のみもとに 荷をおろせば
歌いつつ歩まん ハレルヤ ハレルヤ 歌いつつ歩まん この世の旅路を
恐れは変わりて 祈りとなり 嘆きは変わりて 歌となりぬ
歌いつつ歩まん ハレルヤ ハレルヤ 歌いつつ歩まん この世の旅路を

私達が主にすがる時に、主のもとに立ち返る時に、私達の恐れは変わり、それが祈りとなり、私達の嘆きが変わり、それが歌となる。そして私達はハレルヤ!と歌いつつ、この世の旅路を歩んでいくことができるというのです。皆さんは時に主への賛美を口ずさむことがありますか。嬉しいから歌うのではなく、歌うから私達は嬉しくなるのです。主への喜びの歌を歌うということ、それが私達を引き上げ、私達の心から嘆きは消え、主への感謝を私達は取り戻すのです。五つ目のこと、それは神を知るということです。

神を知れ: 主こそ神であることを知れ(3)

この世界には色々な学問があります。しかし、それらも突き詰めていきますと、最後には神学となります。すなわち神はいるのか、いるのならそのお方はどんな存在なのかということです。私達はその全容を知ることはできないことでしょう。そのことについては謙虚に私達は首を下げるべきです。しかし、その生涯をかけて神様とはどんなお方を知るということ、こんなにやりがいのある、生きがいのある人生はありません。そのために神様は私達の手元に聖書を残されました。

聖書を通して私達は神様を「何か厳かさを感じる存在」というような漠然としたお方としてとらえるのではなく、このお方が考えていらっしゃること、望まれていらっしゃることを知ることができます。私達と全く同じ肉体をとられたイエス・キリストの生き様を通して、私達は具体的な神様のお心を知ることができます。それは知識として神について知るということではなく、人格的に神を知るということです。

この世界は情報社会です。あらゆる情報が溢れんばかりにあり、私達は簡単にそれらを引き寄せることができます。しかし、それらの情報のほとんどは私達にとって大切なものではありません。否、その情報が私達にとって害とあることすら多々あります。残された人生、本当に知るべきことは主を知ることです。

5心をつくして主に信頼せよ、自分の知識にたよってはならない。6すべての道で主を認めよ、そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。7自分を見て賢いと思ってはならない、主を恐れて、悪を離れよ。8そうすれば、あなたの身を健やかにし、あなたの骨に元気を与える(箴言3章5節-8節)。

この箴言の言葉は私達の目を主に向けさせるでしょう。自らの知力の限界を知り、主のお考え、主の備えたもう道、そこに心を寄せる。主のなされることを知ろうとし、それにより委ねる生涯。これが私達の歩む道です。

『3わたしたちは主を知ろう、せつに主を知ることを求めよう・・・。・・・6わたしはいつくしみを喜び、犠牲を喜ばない。燔祭よりもむしろ神を知ることを喜ぶ』 (ホセア6章3節、6節)。

私達は主を知りましょう。切に主を知ることに集中しましょう。ここに私達の全てがあります。このことは私達だけが望むことではなく、主ご自身が主を知ろうとするものを喜んでくださるのです。六つめのこと、それは己を知るということです。

己を知れ: われらを造られたものは主であって、われらは主のものである (3)

このところで己を知るということは「自分がどこに属しているものであるか」ということを知るということです。かつて終身雇用制という世界でも稀な制度により日本人はその生涯、ひとつの会社にとどまり、そこに帰属しているということがありました。会社に忠誠を尽くせば、会社もその社員の雇用をリタイアまで保障したのです。社員旅行や社員運動会はこの会社の帰属意識を強め、会社はその人にとって家族のように帰属する場所となりました。しかし、最近のギャロップ社の調査結果によると日本人の会社への帰属意識は主要14カ国の中で最低ということです。かつて、自分が属していたものが今や失われています。国ということについても他国に比べると日本人が日本という国に帰属しているのだという意識は低いと言われています。現代社会は私達が最も拠り所とする家族に対する帰属意識をも失わせています。今やもはや根なし草のように私達はこの世を浮遊しているようなものなのかもしれません。

しかし、私達が神を知る時に、私達は自分が属しているべき第一の存在を見出すのです。そして、その神を見出した瞬間というのは、己を見出した、己を知った瞬間でもあります。自分が帰属すべき父なる神様を知る時に、おのずと私達は自分のことを知ります。新聖歌248番に「人生の海の嵐に」という歌があります。多くの人達が愛唱歌としている歌です。

人生の海の嵐にもまれ来しこの身も
不思議なる神の手により命拾いしぬ
いと静けき港に着き われは今安ろう

救い主イエスの手にある身はいとも安し
すさまじき罪の嵐の もてあそぶまにまに

死を待つは誰ぞただちに 逃げ込め港に
いと静けき港に着き われは今安ろう
救い主イエスの手にある 身はいとも安し

私達には帰る港がある。属している場所があります。その本来、私達があるべき場に立か返る時に、私達ははじめて自分が何者であるかを知るのです。その時に私達の心には父なる神への感謝と喜びで満ちるのです。最後のこと、すなわちこのメッセージの中心にあったもの、感謝についてお話して今日のメッセージを終えましょう。

感謝:まず礼拝で成就する (4)

詩篇100篇はこう記しています4感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。主に感謝し、そのみ名をほめまつれ。5主は恵みふかく、そのいつくしみはかぎりなく、そのまことはよろず代に及ぶからである』

このところに記されているように「門に入り、大庭に入れ」というのは神を礼拝する宮を意味しています。すなわち、それは今朝、そう今のことを意味します。今日という一日は一週間の始まりです。終わりよければ全てよしと言いますが、同じぐらい大切なことはその始まりをも喜びと感謝で始めることです。

見てまいりましたように詩篇100篇は『全地よ、主にむかって喜ばしき声をあげよ。2喜びをもって主に仕えよ。歌いつつ、そのみ前にきたれ』(1,2)という招きの言葉で始まります。そうです、私達の一週間の始まりは主を喜び、主への感謝を声にあげ、主に仕え、人に仕え、主を知り、己が属していることをもう一度再確認するべく、主のみ前に来るところから始まるのです。このように始まった一週間は私達の心をその週の間、感謝で満たしてくれることでしょう。

今週も私達は諸々の事象を前にして、それらに対して決断をしていきます。その決断が主にあってなされ、喜びと感謝と共に日々を過ごすことができますように。感謝することがこのシーズン限定のものとなることなく、私達の日々の生活から喜びの声と歌が自ずと出てきますように。自分の生涯にはたらいておられる神の御心を知ることに努め、己が属しているところを知り、そこに属することによって受けているベニフットの大きさを知り、そのことが再び喜びと感謝へと還元されていきますように。私達の一週の始まりがいつもこの喜びと感謝によって始まりますように。お祈りしましょう。

 

Be thankful all the time

November 24, 2013

Time flys. Only one month is left in this year. We celebrate two holidays at the end of each year. They are Thanksgiving and Christmas. One of which, Thanksgiving holiday falls on Thursday of this week. Since this is the Sunday before the Thanksgiving Holiday, I want to take a detour from our current series on the Proverbs and consider today’s topic, “Be Thankful all the time” instead.

 When we board an airplane, flight attendants come pushing a service cart with drinks.

We order “coffee”, “soda”, or other drinks we want.Soon afterwards, meals are served. We are asked to choose “beef” or “chicken” and we make our choice. If the person in the next seat chooses a different meal, we glance at his meal, wondering if we made a right choice.

When we disembark the plane, we proceed to an immigration section. There are many booths to choose from and we get in a line that appears to be the shortest. But, for some reason, the line we have selected does not move, while other lines move faster.  We experience this many times.

In fact, our daily life is filled with many decisions and choices, coming one after another.

Since God had granted us free will, we are given freedom to choose what to eat or which queue to join. Choosing a meal or a queue line is not a big deal. But, as I have talked last week, we must make decisions when so many temptations bombard us from all directions in our life. Wrong decisions could damage our character and even derail our life. We have made so many decisions daily. These decisions have determined our course, and where we are today. This morning, let us look back and ask ourselves: “Are we thankful for where we are?”

If “discontents” and “complaints” are opposite to “thanks”, no one here would want to live the rest of life filled with “discontents” and “complaints”. Decisions made out of such discontents and complaints would not be right and would not be beneficial to our life. On the other hand, if we live feeling grateful to God and make decisions accordingly, our life would lead to life filled with happiness and blessing.

It is easy to give thanks eating turkey on one day of the year. But, wouldn’t it be nice to be able to give thanks on each coming day about everything, rather than on the Thanksgiving Day only? On that thought, let’s read today’s scripture, Psalm 100.

 1Shout for joy to the LORD, all the earth. 2Worship the LORD with gladness; come before him with joyful songs. 3Know that the LORD is God. It is he who made us, and we are his; we are his people, the sheep of his pasture. 4Enter his gates with thanksgiving and his courts with praise; give thanks to him and praise his name. 5For the LORD is good and his love endures forever; his faithfulness continues through all generations. (Psalm 100:1-5)

In this Psalm 100, it says: “we are his; we are his people, the sheep of his pasture. Enter his gates with thanksgiving and his courts with praise; give thanks to him and praise his name.”  It also says “shout for joy”, “worship the Lord”, “sing”, “know the Lord”, “know who we are”. Each of these expressions leads us to thanksgiving, and each thanksgiving guides us to life with God.

This morning, I would like to take up this Psalm 100 and consider how our core attitude should be. The core attitude of us determines how and what we choose in our life.This Psalm mentions “be joyful” as the first of core attitude.

 Be joyful: Shout for joy to the LORD, all the earth. Worship the LORD with gladness.” (1,2)

Bible says be joyful many times over. One can fake smiles but it is not easy to fake joys. Smiles show up on our face and are easy to fake. But joy swells up from the bottom of our heart. And that is why it is hard to fake joy. And such joys are considered to be temporary and influenced by circumstances. We can be joyful if there is good reason. But, without such reason, joy would not swell up from our heart.

Bible considers such joy to be very important to our life. But, this joy Bible talks about is different from the worldly joy. In this Psalm, it says “Shout for joy to the Lord”, “Come before him with joyful songs.” In other parts of the Bible, it says “in front of God”, and “in God”. So, the joy we are talking about is the joy we find in the Lord, the God. It is the joy of serving God, and the joy we feel in the presence of God, who is with us always. That is why this joy never dissipates.

Please recall that famous passage Paul wrote in Firs Thessalonians Chapter 5, verses 16 to 18: “16Be joyful always; 17pray continually; 18give thanks in all circumstances, for this is God’s will for you in Christ Jesus.” (I Thessalonians 5:16-18)

 It says “Give thanks in all circumstances” and “Be joyful always.” This joy is not temporary or dictated by circumstances. It says “be joyful always.” If we have to find such joy on our own, this might not be possible. But, this joy is given to us in our Lord Jesus Christ.

“Be joyful” was the life theme for Paul. As you know, Paul said to “rejoice” many times in his Letter to Philippians that he wrote while in prison. Why was he able to talk about “joy” while in prison? He was in the worst circumstances, but he knew that the Lord was with him, and he knew he was put in the prison because of the Lord. That is why he could rejoice and was thankful for his situation.

Joy and thanks are like brothers. Where there is joy, there are thanks, and where there are thanks, there is joy. So, if we can maintain joyful mind, we have thanksgiving feeling within us, too.

Second point, and that is “shout.”

Shout: “Shout for joy to the Lord, all the earth.” (verse 1)

The word “shout” also appears many times in the Bible. It says we should not suppress our feeling within and we should express it with voice. Joy should not be held down in our heart. It should be expressed.

When I was in elementary school, we were asked to read text out loud. We were asked to stand up in front of others and read from the textbook out loud. Unfortunately, I hear, that people read less books these days than before and have less chance to read text out loud. But, more lately, some have advocated importance of reading out loud. They say it is good for children’s mental growth. This trend was triggered by a book called: “Japanese that you want to read out loud”, that was written by Dr. Takashi Saito, a professor of Meiji University. He pointed out that when we read good stories from well-known authors out loud, the rhythm and tempo stimulate our body, energize us, and lift up our heart. Words we utter out loud seem to have power to influence our heart more than we realize.

In sports, voicing out may not seem important. But, sport teams are often energized and up-lifted from voices they let out during the sports. When we let our voice out, our body and spirit are up-lifted in response.

The prophet Isaiah said:

1Comfort, comfort my people, says your God. 2Speak tenderly to Jerusalem, and proclaim to her that her hard service has been completed, that her sin has been paid for, that she has received from the LORD’S hand double for all her sins. 3A voice of one calling: “In the desert prepare the way for the LORD; make straight in the wilderness a highway for our God. 4Every valley shall be raised up, every mountain and hill made low; the rough ground shall become level, the rugged places a plain. 5And the glory of the LORD will be revealed, and all mankind together will see it. For the mouth of the LORD has spoken.” 6A voice says, “Cry out.” And I said, “What shall I cry?” “All men are like grass, and all their glory is like the flowers of the field. 7The grass withers and the flowers fall, because the breath of the LORD blows on them. Surely the people are grass. 8The grass withers and the flowers fall, but the word of our God stands forever.” 9You who bring good tidings to Zion, go up on a high mountain. You who bring good tidings to Jerusalem,lift up your voice with a shout, lift it up, do not be afraid; say to the towns of Judah, “Here is your God!” (Isaiah 40:1-9)

Isaiah encouraged people to “cry out”, “shout out strong”, “lift up your voice” for Lord. He said to shout out with strong voice and not to be afraid.

David, standing in front of the ark of covenant, the promise God made with Moses, in other words in the presence of God, expressed his joy in this manner: 14David, wearing a linen ephod, danced before the LORD with all his might, 15while he and the entire house of Israel brought up the ark of the LORD with shouts and the sound of trumpets. (II Samuel 6:14-15)

David danced in front of the ark to express his joy, with shouts and sound of trumpets. He carried this ark to Jerusalem. His life was full of sufferings. But, it was a joy to be with God, it gave him hope. That is why he shouted out with joy, carried the ark and moved forward. When we utter words of joy, shouting Hallelujah, this leads us to thanksgiving, and we are given power and energy, like David, to move on forward.

Third point is to “serve”.

Serve the Lord: “Worship the Lord with gladness” (verse 2)

When we serve the Lord with gladness, we get more feeling of thanksgiving. To serve means to offer our time and our labor to the Lord. Offerings, and giving up some part of what we possess, are initiated voluntarily. If we hesitate to give up what we possess, we can never experience the feeling of joy and thanksgiving. The joy is even more intense when we offer ourselves to the Lord. Our heart will be filled with joy. And, when we appreciate the chance to serve the Lord, the feeling of thanksgiving swells up in our heart.

It is said that those who can truly enjoy baseball are those who actually play the game in the field with glove and bat. It is also said that those who can appreciate mountain climbing are those who actually climb the mountain wearing mountain boots and carrying knapsack. If we want to truly appreciate joy and thanksgiving, by all means, try to serve the Lord. Paul wrote about serving the Lord in this way:

19Speak to one another with psalms, hymns and spiritual songs. Sing and make music in your heart to the Lord, 20always giving thanks to God the Father for everything, in the name of our Lord Jesus Christ. 21Submit to one another out of reverence for Christ. (Ephesians 5:19-21)

Paul offers joyful praise to the Lord, gives thanks the Lord, and encourages people to submit to one another. Serving the Lord means serving people also. Being served by others pleases many people. People try hard to get status to be served. But, we gain true joy when we realize and appreciate the privilege of serving the Lord and cherish the chance to serve other people God had created.

Fourth point is to “Sing”.

Sing: “Come before the Lord with joyful songs.” (verse 2)

This Psalm, the longest book in the Bible, contains many joyful songs. Many of these verses were actually sung with melody at churches. We sing hymns at our service. We sing at meetings and prayer gatherings. There may be many ways to praise our creator, the Lord. But the most popular way is to sing the praise.There is a famous children’s song by Saijo Yaso, about a canary who forgot to sing:

Canary has forgotten to sing, should we abandon her in mountain? No, we should not.
Canary has forgotten to sing, should we bury her in bushes? No, we should not.
Canary has forgotten to sing, should we subject her to whipping? No, we should not.
Take her, rather, to moon-lit ocean on an ivory ship so she can remember to sing again.

Mr. Saijo was a very sensitive person. Once he went to a church as a child, and noticed a single light among many in the sanctuary that was not lit. He felt sorry and felt as if there was a single bird who forgot how to sing. He wrote this song for that lost bird.

A canary can sing with beautiful voice. But even that song bird could forget to sing if they encounter many tragic experiences in life. Mr. Saijo was saying that even that canary can begin to sing again if the bird can find a place of safe refuge.

The Song of Songs in the Bible also has passages speaking to such a lost canary.

11See! The winter is past; the rains are over and gone. 12Flowers appear on the earth; the season of singing has come, the cooing of doves is heard in our land. 13The fig tree forms its early fruit; the blossoming vines spread their fragrance. Arise, come, my darling; my beautiful one, come with me.” 14My dove in the clefts of the rock, in the hiding places on the mountainside, show me your face, let me hear your voice; for your voice is sweet, and your face is lovely. (Song of Songs 2:11-14)

 We too could forget to sing when we encounter hardships. But God speaks to us saying: “Come out. And let me hear your beautiful singing voice. I have prepared a place for you where you can find peace and happiness so that you can remember to sing again.”

Shin Seika Hymn #325 called “Singing I go” has these lines:

The trusting heart to Jesus clings, Nor any ill forebodes,
But at the cross of Calv’ry, sings, Praise God for lifted loads!

Singing I go along life’s road, Praising the Lord, praising the Lord,
Singing I go along life’s road, For Jesus has lifted my load.

 The passing days bring many cares, “Fear not,” I hear Him say,

And when my fears are turned to prayers, The burdens slip away.

Singing I go along life’s road, Praising the Lord, praising the Lord,
Singing I go along life’s road, For Jesus has lifted my load.

 When we seek out the Lord and return to God, our fear is changed into prayers, and our sorrow is changed into songs. And we can travel our life singing: Praise the Lord, Hallelujah.

 Do you sometimes sing song of praise to the Lord? We sing because we are happy. But we also become happy when we sing. When we sing the praise to the Lord, that action lifts up our spirit, wipes out our sorrow and we can regain the feeling of thanksgiving to the Lord. Fifth point is to know God.

 Know God: “Know that the Lord is God” (verse 3)

 There are many fields of science in the world. But the ultimate study is the study of God, the theology. It asks whether or not God exists, and if he does, what kind of being God is. We can never understand God completely. We should humbly admit that. But dedicating our life to knowing God is the most desirable and blessed way of living our life on this earth. To help us in that cause, God has left the Bible in our hands.

 Through the Bible, we can go beyond vague understanding of some divine being. We can clearly know what God is thinking and what God desires. Through Jesus Christ, who lived among us as another living human being, we can also learn the will of God intimately. We can know God not only intellectually but know God with our body and soul.

 We live in an information world. Overwhelming amount of information is available and we have access to it. But, most of such information is unimportant. Some information is even harmful to us. What is important is to know the Lord. We should seek that knowledge.

Trust in the LORD with all your heart and lean not on your own understanding; 6in all your ways acknowledge him, and he will make your paths straight. 7Do not be wise in your own eyes; fear the LORD and shun evil. 8This will bring health to your body and nourishment to your bones. (Proverbs 3:5-8)

These words from the book of Proverbs open our eyes to God. Know the limit of our intellect. Seek out the will of God and the road he has prepared for us. Learn about the Lord, and trust our life in the hands of God. This is our life.

3Let us acknowledge the LORD; let us press on to acknowledge him. … 6For I desire mercy, not sacrifice, and acknowledgment of God rather than burnt offerings. (Hosea 6:3,6)

We must know the Lord. We must make every effort to know the will of God. Knowing God is desirable to us. And God loves those who seek out God.Sixth point is to know our selves.

Know self: It is he who made us, and we are his.” (verse 3)

 To know self is to know where we belong. Japan used to have a life-long employment system. People stayed with one company and stayed loyal to the company. If employees were loyal to the company, the company guaranteed comfortable life until retirement. Company used to sponsor employee group excursions and company athletic day. Company was like a home to the employees. But, recent study shows that the feeling of company loyalty among Japanese has faded and is the lowest among 14 major nations. What we used to belong is no longer there today. Some say that Japanese have very weak sense of belonging to the country of Japan compared to other nations. Our modern life style even takes away our sense of family. We are all lost and are drifting through this life.

But, when we know God, we discover the primary reason of our existence. And, when we find God, we find ourselves, and discover our true character. When we know we belong to God, we truly know about ourselves.

 Hymn #248 “My soul in sad exile” is a favorite hymn of many people.

 My soul in sad exile was out on life’s sea, So burdened with sin, and distrest,Till I heard a sweet voice saying, “Make me your choice!” And I entered the Haven of Rest.

I’ve anchored my soul in the Haven of Rest, I’ll sail the wide seas no more;
The tempest may seep o’er the wild, stormy deep – In Jesus I’m safe ever more
 O come to the Savior – He patiently waits To save by His power divine;
Come, anchor your soul in the Haven of Rest, And say, “My Beloved is mine.”
I’ve anchored my soul in the Haven of Rest, I’ll sail the wide seas no more;
The tempest may seep o’er the wild, stormy deep – In Jesus I’m safe ever more

We have a haven of rest. We have a home where we belong. When we return to that place of rest, we find who we truly are for the first time. And, our heart will be filled with joy and feeling of thanksgiving to God.

The final point: Let me conclude today’s message by talking about thanksgiving, the main these of today’s message.

Thanksgivine: “Offer thanksgiving in worship.” (verse 4)

Psalm 100 says: “4Enter his gates with thanksgiving and his courts with praise; give thanks to him and praise his name. 5For the LORD is good and his love endures forever; his faithfulness continues through all generations.”

It says enter the gate and his courts. In other words, enter the temple of worship. This is exactly what we are doing this morning. Today is the first day of the week. Everything is ok if ending is ok, they say. But, equally important is to start the week with joy and feeling of thanksgiving.

As you know Psalm 100 begins with words of invitation: “1Shout for joy to the LORD, all the earth. 2Worship the LORD with gladness; come before him with joyful songs.”

Yes, we should start our week with joyful song and shout to the Lord. We come here to re-confirm our life of serving the Lord, serving other people, and to know God to where we belong. This is the right way to start the week. When we start the week in that way, our heart will be filled with thanksgiving throughout the week.

We must make decisions in this week also since we face many situations.May such decisions made in the name of God, and may our days filled with joy and thanksgiving!  May such thanksgiving be not limited to this season only! May shouts of joy and songs burst out from our daily life!  May we dedicate our life seeking the will of God who is with us all the time! May we know where we belong, and recognize amazing benefit of it! May that knowledge lead us to more joy and feeling of thanksgiving! May every week begin with joy and thanksgiving! Let us pray.

Translated by Dr. Yasuhisa Hosomatsu

本日のおもちかえり

2013年11月24日

1)「私達の人生は日々の決断の集大成である」ということをどう思いますか。なぜ神様は私達に自由に物事を決めることを許されているのでしょうか。「自由に対する責任」についてあなたはどう思いますか。

 

2)詩篇100篇1節-5節を読みましょう。1、2節には「喜び」が記されていますが、これは世で一般的に使われる喜びと何が違いますか。テサロニケ第一の手紙5章16節に記されているように「いつも喜ぶ」ことは何によって可能ですか。18節に書かれている「キリスト・イエスにあって」という言葉は何を意味しますか。

 

3)1節には「声をあげよ」と書かれており、これは聖書の中に何度も出てきます。Ⅱサムエル6章14節-15節を読みましょう。ここでダビデは主の箱(主の臨在)を前に踊り、喜びの叫びをあげました。なぜダビデは心で喜ばずに、踊り、叫んだのでしょうか。喜びを実際に声にして表現するということは私達にどんな影響がありますか。

 

 4)2節には「主に仕えよ」と書かれています。「仕えてみなければならない」ことにはどんなことがありますか。「主に仕えることは人に仕えることでもある」ということはどういう意味ですか(マタイ 25章40節)。

5)2節には「歌いつつ、そのみ前にきたれ」と書かれています。なぜ、神様は私達に歌うことを願っているのですか。歌うということは、あなたにとってどんな意味がありますか。新聖歌325番は「歌いつつ歩まん」ですが、なぜこの歌は「歌いつつ歩もうではないか」と言っているのですか。

 

6)3節には「神を知れ」と書かれています。私達の人生において「神を知る」ということにはどんな価値がありますか。箴言3章5節-8節と共に考えてみましょう。

7)4節には礼拝で神に感謝をすることが書かれています。あなたにとって週の始めの日曜日に礼拝を捧げることにはどんな祝福がありますか。

 

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