御霊の実:忠実

休暇中の日曜日で、いつもは他の教会に出席するのですが、今日はいつものように礼拝に出席させていただき、吹上先生のメッセージから「忠実」ということについて、多くのことを教えられ、お恵みをいただきました。



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また、礼拝後に高瀬真理さん、瑞恵さんのバイオリン、ピアノコンサートがありました。ご夫妻がこれまで通られてきた歩みのただ中に神様が共におられたということをうかがうことができ、また、魂のこもった力強いピアノとバイオリンに神様の御名を崇めました。

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本日、礼拝でお話した「日英両語礼拝メッセージ原稿」および「本日のおもちかえり」はこちら↓から。本日の礼拝プログラムはこちらから。 

御霊の実  忠実
ガラテヤ人への手紙5章22節

「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない。」
御霊について、今日までに6回お話しさせて頂きました。それは、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意でした。最後の善意については、昨年の8月にお話ししました。
今日は、7つ目の「忠実」について語らせて頂きます。

口語訳聖書には、「忠実」ですが、新改訳聖書には、「誠実」と記しています。英語は、Faithfulness になっています。

1)忠実について
辞典には、「真心をつくして、つとめること、素直に従う、実際のとおり、正確に行うこと」
と、説明されています。また、忠実には、信頼に値する、という意味もあります。神と人に信頼される人とは、忠実な人であり、その忠実は信頼される人の特徴といっても良いと思います。

神様は、不忠実な人、不誠実な人を用いられません。また、人も同じように不忠実な人を信頼しないことでしょう。職場においても、信頼される人、地位の上がって行く人は忠実な働き人であり、誠実をつくす人ではないでしょうか。仕事だけでなく、信頼される人は、金銭に対しても、忠実であり、誠実である人だと思います。金銭に対してルーズなひとは、信用を失うでしょう。

時間に対しても、きちんと時間を守る人で、いつも遅れてくるルーズな人は信頼を失うのではないでしょうか?約束した事を守る、誠実さも大切にしなければならないことでしょう。聖書を読み、庵、喜んで忠実に奉仕をする人は、教会の中で信頼され、その人の信仰は成長し、神に用いられる人となることでしょう。

2)神の忠実
さて、今までの学びの中でお話ししてきた事ですが、私たちが慈愛であり、善意である前に、神が、イエスキリストが、私たちに対して、慈愛と善意に満ちたお方であり、その恵と愛を受けたものとして、私たちも愛と慈愛、善意に生きることが出来ると申し上げました。この忠実ということも、まず神が私たちに忠実であり、誠実であられるという事を知りたいと思います。

エレミヤ記31章3節
「主は遠くから彼に現れた。私は限りない愛を持ってあなたを愛している。それゆえ、私は絶えずあなたに真実を尽くしてきた」これを、新改訳聖書は、「主は遠くから私に現れた、永遠の愛を持って、私はあなたを愛した、それゆえ、私はあなたに誠実を尽くし続けた。」
と、訳しています。神は限りない愛をもって愛し、絶えず、真実を、誠実をつくし続けて下さるのです。

神が愛されたこと、また誠実であり、忠実を尽くされた理由は、決してイスラエルの民が、神に誠実であり、忠実であったからではありませんでした。彼らはしばしば、神に不忠実であり、不従順でありました。しかし、それにもかかわらず。神は永遠の愛をもって、彼らを愛し、誠実を尽くされたのであります。

第2テモテ2章13節
「たとい私たちは、不真実であっても、神は常に真実である。彼は自分を偽ることができないのである」
神は、常に忠実であり、誠実であり、真実であられるゆえに、私たちは不忠実であっても、不真実であっても、守られ、生かされ、支えられて生きることが出来るのです。少しでも、その神に応え、神に喜ばれる信仰生活をと願うものです。

3)イエス・キリストの忠実
次にイエス・キリストの忠実について、聖書を開いてみましょう。
へブル人への手紙2章17~18節、
「そこで、イエスは神のみまえにあわれみ深い忠実な大祭司となって、民の罪をあがなうために、あらゆる点で兄弟たちと同じようにならねばならなかった。主ご自身、試練を受けて苦しまれたからこそ、試練の中にあるものたちを助けることが出来るのである。」
3章1~2
「そこで、天の召しにあずかっている聖なる兄弟たちよ。あなた方は、私たちが告白する信仰の死者また大祭司なるイエスを思いみるべきである。彼は、モーセが神の家の全体に対して忠実であったように、自分を建てられた方に対して、忠実であられた。」

イスラエルの民をエジプトに於ける奴隷の苦しい生活の中から救い出したモーセが、神に対して忠実だったように、イエス様も神に対して忠実であられたというのです。
4)モーセの忠実
モーセの忠実については、民数記12章7~8節にしるされています。
「しかし、わたしのしもべモーセとは、そうではない。彼は私の全家に忠信なるものである。彼とは私は口ずから語り、明らかに言って、なぞを使わない。彼はまた主の形を見るのである。なぜ、あなた方は私のしもべモーセを恐れずに非難するのか」
モーセほどに、神に近づくことをゆるされた人物は、他にはありません。また、神の律法はモーセに与えられました。そのことは、モーセが忠実であり、信頼される人物であった故であります。しかし、このモーセよりもすぐれた方が、イエス・キリストであり、神に忠実に生きられたのであります。
忠実には、「素直に従う」という意味があります。・
ピリピ人への手紙2章6~8節
「キリストは、神のかたちであられたが、神と等しくあることを固守すべきこととは、思わず、かえっておのれをむなしうして僕のかたちをとり、人間の姿になられた。その有様は、人と異ならず、おのれを低くしてしに至るまで、しかも十字架の死に至るまで従順であられた。」
そのみ言葉に続いて、ピリピ2章9節
「それゆえに、神は彼を高く引き上げ、全ての名にまさる名を彼にたまわった」

私たちも、このイエス様の心を心として、神にどこまでも従う、死にいたるまで従順に仕え、聖霊の実を結ばせて頂きたいと思います。

私が、サインを求められたら、いつも書くみことばは
5)「死に至るまで忠実であれ」と、いうことばです。それは、黙示録2章10節です。

「あなたがたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ、悪魔があなた方のうちにあるものを試すために、獄にいれようとしている。あなた方は、十日の間、苦難に会うであろう。死に至るまで忠実であれ、そうすれば、いのちの冠を与えよう。」

順調な中での従順、忠実ではなく、たとえ苦難に出会ったとしても、死に至るまで忠実であれと、すすめられているのです。

6)ポリカープの忠実
ポリカープという方は、スミルナの教会の監督をしていたひとで、155年に殉教を遂げた方です。キリスト教に対する大変な迫害が起きました。ポリカープは、自分の住んでいたところを隠していましたが、奴隷の子供が大変な拷問を受けて、耐えきれすに、ポリカープの居場所を教えました。そのために捕らわれわれの身となりました。彼は大群衆の前で裁判を受けることになりました。その裁判の中で、カイザルは主であると認めるようにそうして、イエスを呪えと言い、それを言うならば死から免れるというのです。
その時、ポリカープは、こういいました。

「86年、私はキリストに仕えました。キリストは、一度も私を裏切りませんでした。私を救って下さった主をはずかしめることが、どうして私に出来るでしょう。」と。

総督や、彼を捕まえた人、また処刑の火をつける人々は、何とかポリカープに死んでほしくないと言って、説得しました。そして、このまま信仰を持ち続けるなら、火あぶりの刑になると脅かしました。それでも彼は言いました。

「あなたは火をもって、私を脅かそうとされますが、その火は燃えてもすぐに消えてしまうものです。あなやは、さばきの時に、悪しきものを待ち受けて、永遠の刑罰を与える火を知っておられないのですか?何故、ためらっておられますか・さあ、私を処分して下さい。」と。

ポリカープを焼く火は、燃えてもすぐに消えるものです。しかし、後に来る本当のさばきの時に、燃える火、これは消えないのです。いのちの冠を得たいと切望する彼は、今の目の前の火の苦しみよりも、命の冠、永遠に至ることのほうが、大切なのです。
一時期、苦しみから逃れても、神様の裁きの座に立って、第二の死の中で永遠の火の中に置かれる方が、もっと残酷だと彼は信じていたのです。イエス様が、死に至るまで、最後まで忠実であれ、命の冠をと、言われました。ポリカープは、そのイエス様のおことばに従って、死に至るまで忠実であったのです。

6)良い忠実な僕
マタイによる福音書25:14~30

14.また天国は、ある人が旅に出るとき、その僕どもを呼んで、自分の財産を預けるようなものである。15.すなわち、それぞれの能力に応じて、ある者には五タラント、ある者には二タラント、ある者には一タラントを与えて、旅に出た。16.五タラントを渡された者は、すぐに行って、それで商売をして、ほかに五タラントをもうけた。17.二タラントの者も同様にして、ほかに二タラントをもうけた。18.しかし、一タラントを渡された者は、行って地を掘り、主人の金を隠しておいた。19. だいぶ時がたってから、これらの僕の主人が帰ってきて、彼らと計算をしはじめた。20. すると五タラントを渡された者が進み出て、ほかの五タラントをさし出して言った、『ご主人様、あなたはわたしに五タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに五タラントをもうけました』。21. 主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。22. 二タラントの者も進み出て言った、『ご主人様、あなたはわたしに二タラントをお預けになりましたが、ごらんのとおり、ほかに二タラントをもうけました』。23. 主人は彼に言った、『良い忠実な僕よ、よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ』。24. 一タラントを渡された者も進み出て言った、『ご主人様、わたしはあなたが、まかない所から刈り、散らさない所から集める酷な人であることを承知していました。25. そこで恐ろしさのあまり、行って、あなたのタラントを地の中に隠しておきました。ごらんください。ここにあなたのお金がございます』。26. すると、主人は彼に答えて言った、『悪い怠惰な僕よ、あなたはわたしが、まかない所から刈り、散らさない所から集めることを知っているのか。27. それなら、わたしの金を銀行に預けておくべきであった。そうしたら、わたしは帰ってきて、利子と一緒にわたしの金を返してもらえたであろうに。28. さあ、そのタラントをこの者から取りあげて、十タラントを持っている者にやりなさい。29. おおよそ、持っている人は与えられて、いよいよ豊かになるが、持っていない人は、持っているものまでも取り上げられるであろう。30. この役に立たない僕を外の暗い所に追い出すがよい。彼は、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう』。
ある主人が、旅に出る前に、しもべたちに財産を預けました。あるものには5タラント、
あるものには、2タラント、そしてあるものには、1タラントでありました。
5タラントと2タラントを預かった僕たちは、すぐにそれを用いて商売をし、10タラント、4タラントと、それぞれ倍に増やしました。しかし、1タラントを預かったしもべは、地を掘り、そこにお金を隠しておきました。やがて、主人が帰ってこられた時に、5タラントを渡された僕は進み出て、それを倍にしましたと、言って10タラント差し出しました。2タラントあずかった僕も同じように、それを2倍にしましたと、4タラントを差し出しました。この二人の僕に対して、主人が言った言葉はまったく同じでありました。
それは、
「よい忠実な僕よ。よくやった。あなたはわずかなものに忠実であったから、多くの物を管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。」と、言うのです。

私たちも、この世の生活を終えて、神様のみ前に立った時に、「良い忠実なしもべよ、よくやった、」と、言われたら、どんなに感動し嬉しいことでしょう。その一言だけで満足することでしょう。それとも、1タラントを土の中に隠して、何もしなかったしもべに言われたように、「悪い怠惰なしもべよ。あなたは私がまかないところから刈り、散らさないところから集める事を知っているのか。それなら、私の金を銀行に預けておくべきであった。そうしたら、私は帰ってきて、利子と一緒に、私の金を返してもらえたであろう。」
そして、さらに主人は、 「この役に立たない、しもべを外の暗い所に追い出すが良い。彼は、そこで泣き叫んだり、歯がみをしたりするであろう。」と、言われました。

神様は、お一人お一人にタラント、賜物、才能をお与えになっています。それが、5タラント、2タラント、1タラントであるかは問題ではありません。それを忠実に守るか否かです。用いたものに対しては、同じく、「よい忠実なしもべよ、よくやった。主人と一緒に喜んでくれ」と、言って下さるのです。

「わたしなんか、1タラントしか、与えられていない、それではタラン!」と言って、何もしない、しもべにならないでください。 歌を唄うタラントのある方は、喜んで神を賛美してください。ピアノを弾ける方は、喜んでピアノを弾いて下さい。お金が与えられている方は、喜んで惜しむことなく神様に捧げて下さい。書く賜物、人を慰める賜物、料理する賜物、掃除の賜物、その他なんであっても、喜んで忠実にそれを用いることを神は喜んで下さるのです。何も、賜物がないという人があれば、祈りの人になって下さい。祈りぐらいでなく、祈りほど大切なことは他にはありません。

7)小事に忠実であれ
最後の学びですが、「小事に忠実であれ」と、いうことです。
ルカによる福音書16章10節、新共同訳聖書ですが、イエス様は、「ごく小さな事に忠実なものは、大きな事にも忠実である」と、言われました。 小さなことであっても、それをおろそかにすると、大事に至ることがあります。ことわざに、「小事は大事」とありますように、小さな事が原因で大きなことに発展する事が多いので、小事なこともなおざりにしてはならないというのです。

スポーツにしても、小さな事であっても基本的なことを大切にすることが重要です。小さなミスで試合に負けることがあります。

2010年の甲子園選抜高校野球で初めて優勝した高校があります。沖縄の方は知っておられるでしょう。興南高校で、ピッチャーは島袋という学生です。それもこの高校は、春夏と続いての優勝をなしとげました。このチームの我喜屋監督ですが、この人の赴任してからのモットーは、「時間厳守、整理整頓、あいさつ」と、いうことでした。選手たちは、
「コン・チ・ワ」と、挨拶ををするようになりましたが、コンとは「魂」、チとは、「知恵」の「知」ワは「和」で、お互いの和を保つと言うことです。選手は、魂をこめて、時間を守り、知恵を用いて、整理整頓をし、そして和を築くために挨拶を徹底したというのです。

教会もそうなれば、すばらしく成長していくのではないでしょうか。高校生の選手は、ゴミを拾うような小さな事にも全力を注いで取り組んだと言うのです。その事によって、選手たちの意識が変わり、状況判断が出来、平常心を持って今自分が何をしなければならないかが分かるようになったというのです。

ゴミを拾うこと、時間を守ること、整理整頓すること、挨拶をすることは、ごく小さな事かもしれません。しかし、その事を忠実に行った時に、選手の意識が変わり、ついに優勝を勝ち得たのであります。

私たちも、ごく小さな事に忠実であるならば、私たちの意識もかわり、状況判断が出来、ついには人生の勝利者へとかわっていくのではないでしょうか。

イエス様は取るに足らないような、ごく小さな事にも忠実であれと語られました。それは、やがて大きな祝福へと変わって行くからです。

私たちは、時間を大切にし、礼拝に出席する事、聖書を読むこと、祈ること、そしてイエス様に従うこと、最後まで忠実なものでありたいと思います。小さな奉仕だと思われても、それに喜びをもって忠実にあたって行くときに、私たちは神から大きな祝福を得、そして人生の勝利者へと変えられていくのです。

「ごく小さな事に忠実であれ」と、言われたイエス様のおことばに、小さな事だと思わないで、忠実に従っていきましょう。

マタイによる福音書10章42節
「私の弟子であると言う名のゆえに、この小さい者のひとりに冷たい水いっぱいでも飲ませてくれるものは、よく言っておくが、決してその報いからもれることはない。」

マタイ25章40節には「私の兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは、すなわち、わたしにしたのである」とあります。
小さい者のひとりであっても差別することなく、忠実に,誠実を尽くすならば報いがあり、またそれは「わたしにした」とイエス様は言ってくださるのです。小さいこと、小さい者にも忠実であり、誠実でありましょう。

お祈りします。

 

The Fruit of the Spirit
–Faithfulness—

It has been eleven months since I last stood here. Today pastor Okura is suppose not to be here since he is on vacation but he is here with us. I am very nervous. Please pray that the name of the Lord will be glorified in this message.

I have been talking about the fruit of the Spirit for the last six messages. These are love, joy, peace, patience, kindness, and goodness. I have talked about goodness in August of last year. Today, I will talk about faithfulness.
In the Japanese bible, this faithfulness is called Chujitu in one translation and Seijitu in another translation.

1) Faithfulness

In the Japanese dictionary, faithfulness is defined as obeying honestly, doing things accurately, doing the best with your heart.
And also it means trustworthy, and reliable. The person who is trusted by God is faithful. That person’s character is defined by faithfulness.
God does not use unfaithful, untruthful people. They are also not trusted by other people. At work, the people who are trusted and promoted are faithful workers. Those people are not only faithful at work but also faithful for the money. The person who is sloppy for the money loses trust. With time, whoever keeps time will be trusted and whoever being late will lose his trust. We must value the faithfulness of keeping promises. People who are trusted in the church read the Bible, pray, and serve faithfully and joyfully. Those people are used by God and their faith grows.

As I have talked before, Jesus is filled with love, kindness and goodness toward us before we even try to bear these fruits of the Spirit. We can live in love, joy, kindness and goodness only when we receive the grace of God.
Faithfulness is the same. Let us learn God’s faithfulness before we try to be faithful.

Jeremiah 31:3
The Lord appeared to us in the past,[a] saying:
“I have loved you with an everlasting love;
I have drawn you with unfailing kindness.
(NIV)

The Lord appeared from of old to me [Israel], saying, Yes, I have loved you with an everlasting love; therefore with loving-kindness have I drawn you and continued My faithfulness to you.
(Amplified bible)
God loved the Israelites with everlasting love and He had drawn them and continued His faithful to them. The reason God loved the Israelites and was faithful to them is not because they were faithful to God.

Although they were often unfaithful to God and did not obey Him, God was faithful and loved them with everlasting love.

In 2nd Timothy 2:13,

if we are faithless,
he remains faithful,
for he cannot disown himself.
Because God is always faithful and truthful, we are protected and supported and kept alive even if we are unfaithful and untruthful. I wish all of us could respond to Him and live a devout life that pleases God.

Let us read about the faithfulness of Jesus from Hebrews 2:17~18.

17 For this reason he had to be made like them,[k] fully human in every way, in order that he might become a merciful and faithful high priest in service to God, and that he might make atonement for the sins of the people. 18 Because he himself suffered when he was tempted, he is able to help those who are being tempted
Hebrews 3:1~2
Therefore, holy brothers and sisters, who share in the heavenly calling, fix your thoughts on Jesus, whom we acknowledge as our apostle and high priest. 2 He was faithful to the one who appointed him, just as Moses was faithful in all God’s house.
As Moses, who led the Israelites from slavery in Egypt, was faithful to God, Jesus was faithful to God.
Moses faithfulness is written in Numbers 12:7~8.
7 But this is not true of my servant Moses;
he is faithful in all my house.
8 With him I speak face to face,
clearly and not in riddles;
he sees the form of the Lord.
Why then were you not afraid
to speak against my servant Moses?”

There was no other person who was allowed to be closer to God as Moses.
And the laws of God were given to Moses because he was faithful and trustworthy person. But Jesus was even greater than Moses and he lived faithfully to God. Being faithful also means obedient.

In Philippians 2:6~8
6 Who, being in very nature[a] God,
did not consider equality with God something to be used to his own advantage;
7 rather, he made himself nothing
by taking the very nature[b] of a servant,
being made in human likeness.
8 And being found in appearance as a man,
he humbled himself
by becoming obedient to death—
even death on a cross!
2:9
9 Therefore God exalted him to the highest place
and gave him the name that is above every name,

We would like to have the heart of Jesus and obey God and being obedient to death and to bear the fruit of the Spirit by God.

When I am asked to sign an autograph, I always write with this bible verse: “Be faithful, even to the point of death.”
Revelation 2:10
Do not be afraid of what you are about to suffer. I tell you, the devil will put some of you in prison to test you, and you will suffer persecution for ten days. Be faithful, even to the point of death, and I will give you life as your victor’s crown.

Not only do we need to have submission and faithfulness at the best of times, but also when we face trials, God tells us to be faithful even to the point of death.

The faithfulness of Polycarp
Polycarp was a bishop of Smyrna and was martyred in 155 AD.
At the time, the Christians were greatly persecuted.
Polycarp was hiding where he lived but a child of a slave was tortured so badly by the Romans that he couldn’t bear it any longer and he told where Polycarp was hiding.
Because of this he was captured. He was tried in front of a great crowd of people. Polycarp was told he would be saved from death if he claimed Caesar is the Lord and cursed Jesus. Polycarp replied: “I had been serving Christ for 86 years. He had never betrayed me. How could I curse Christ who saved me?”
The officials and people who captured him and the man who lit the fire for the burning did not want Polycarp to die.
They tried to persuade him and finally they threatened him if he continued his faith in Christ, he would be burnt.
Polycarp answered saying, “while the proconsul’s fire lasts but a little while, the fires of judgment reserved for the ungodly cannot be quenched. But why do you delay? Come, do what you will.”
The fire that burnt Polycarp soon went out. But the fire that burns at the real judgment will never go out.

For Polycarp who was eager to receive the crown of life, receiving the crown of life and to have eternal life was more important than the suffering of the fire burning before him.
Even if they could escape from suffering, he believed it was more cruel to be thrown into the fire of judgment eternally.
Just as Jesus said to be faithful even to the point of death, Polycarp obeyed and was faithful to Jesus until the end of his life.
Good faithful servant.

Matthew 25:14~30

14 “Again, it will be like a man going on a journey, who called his servants and entrusted his wealth to them. 15 To one he gave five bags of gold, to another two bags, and to another one bag,[a] each according to his ability. Then he went on his journey.16 The man who had received five bags of gold went at once and put his money to work and gained five bags more. 17 So also, the one with two bags of gold gained two more.18 But the man who had received one bag went off, dug a hole in the ground and hid his master’s money.
19 “After a long time the master of those servants returned and settled accounts with them. 20 The man who had received five bags of gold brought the other five. ‘Master,’ he said, ‘you entrusted me with five bags of gold. See, I have gained five more.’
21 “His master replied, ‘Well done, good and faithful servant! You have been faithful with a few things; I will put you in charge of many things. Come and share your master’s happiness!’
22 “The man with two bags of gold also came. ‘Master,’ he said, ‘you entrusted me with two bags of gold; see, I have gained two more.’
23 “His master replied, ‘Well done, good and faithful servant! You have been faithful with a few things; I will put you in charge of many things. Come and share your master’s happiness!’
24 “Then the man who had received one bag of gold came. ‘Master,’ he said, ‘I knew that you are a hard man, harvesting where you have not sown and gathering where you have not scattered seed. 25 So I was afraid and went out and hid your gold in the ground. See, here is what belongs to you.’
26 “His master replied, ‘You wicked, lazy servant! So you knew that I harvest where I have not sown and gather where I have not scattered seed? 27 Well then, you should have put my money on deposit with the bankers, so that when I returned I would have received it back with interest.
28 “‘So take the bag of gold from him and give it to the one who has ten bags. 29 For whoever has will be given more, and they will have an abundance. Whoever does not have, even what they have will be taken from them. 30 And throw that worthless servant outside, into the darkness, where there will be weeping

A man who was going on a journey called his servants and entrusted his wealth to them. To one he gave five bags of gold and to another two bags and to another one bag.
The man who had received five bags of gold went at once and put his money to work and gained five bags more. 17 So also, the one with two bags of gold gained two more.18 But the man who had received one bag went off, dug a hole in the ground and hid his master’s money.
When the master of the servants returned, The man who had received five bags of gold brought the other five. ‘Master,’ he said, ‘you entrusted me with five bags of gold. See, I have gained five more.’
The man with two bags of gold also came. ‘Master,’ he said, ‘you entrusted me with two bags of gold; see, I have gained two more.’
The words that the master said to these two servants were the same. “Well done. Good and faithful servant. You have been faithful with a few things; I will put you in charge of many things. Come and share your master’s happiness!”
It will be such a joyous moment when we finish our lives and stand before God and hear God say “Well done. Good and faithful servant!” These words will be enough to satisfy us.
The servant who hid the bag of gold in the ground and did nothing for the master was told the following words:
“You wicked, lazy servant! So you knew that I harvest where I have not sown and gather where I have not scattered seed? 27 Well then, you should have put my money on deposit with the bankers, so that when I returned I would have received it back with interest.
And throw that worthless servant outside, into the darkness, where there will be weeping”
Would you like to be told this by God when you finish your life?
God gives each one of you talents and it doesn’t matter if you receive five and others receive two or one. What matters is if you use or don’t use your talent given by God. If you use it, God will tell you “Good and faithful servant. Come and share your master’s happiness.”
Please don’t be a servant who is saying “I only receive one bag of gold. It’s not enough!!” and do nothing.

If you have a singing talent, please praise God joyfully.
If you can play a piano, please joyfully play it.
If you are given money, please offer it to God joyfully and without regretting.
If you are given a talent of writing, cheering up people, cooking, cleaning, whatever you are given, God is pleased when you use your talent joyfully and faithfully.
If you say you don’t have any talent, please be a person of prayer.
Don’t say I can only pray.
There is nothing more important than prayer.
The last thing is “Be faithful in small matters”
In Luke 16:10, Jesus said “Whoever is faithful in small matters will be faithful in large ones; whoever is dishonest in small matters will be dishonest in large ones.”
If you neglect small matters, it will develop into a serious incident.

There is a saying “A small leak can sink a great ship”
(Great things have small beginnings.)

A small matter causes serious incidents, so we cannot neglect small matters.
In athletic world, it is important to value small matters or basic things. A little mistake causes the loss of a game.
In 2010, at Koshien baseball field, Okinawa Kounan High School won the championship of High School Baseball Invitational Tournament for the first time. If you are from Okinawa, you probably know that.
The pitcher of Kounan High school was named Shimabukuro.
The head coach of the team was Mr. Gakiya and his motto for the team was “Punctuality, putting in order, and greetings.”
The players greeted KON CHI WA.
Kon means soul (spirit) Chi means wisdom. Wa means harmony., which is keeping each others harmony.
The players were punctual with their soul and putting things in order with wisdom and to keep harmony between each other, they greeted thoroughly. Our church will have great progress if we could be like them.
The high school players did their best even with such small matters as picking up trash. By doing so, their consciousness changed and they were able to assess the situation and they knew what they should do at the moment with their presence of mind.
Picking up trash, punctuality, putting things in order, and greetings may seem like small matters.
But once the team members have done this faithfully, their consciousness has changed and finally they won the championship.
If we are faithful in small matters, our consciousness will change and we are able to assess the situation and we can be winners in life.

Jesus told us to be faithful to small matters that we sometimes don’t even notice. He said this because these things will become big blessings.
We would like to be faithful till the end of our life by valueing time, attending Sunday worship service, reading the Bible, and following Jesus.
What we are doing looks worthless and small by others, if we are doing those with joy and faithfulness, we receive huge blessings from God and we become the winner of life.
Please don’t think that what Jesus said “Be faithful in small matters” is a small thing and let us live faithfully.
Matthew 10: 42
42 And if anyone gives even a cup of cold water to one of these little ones who is my disciple, truly I tell you, that person will certainly not lose their reward.”
In Matthew 25:40, Jesus said “Truly I tell you, whatever you did for one of the least of these brothers and sisters of mine, you did for me.”
If we do not discriminate the least of people, and we give our faithfulness to them, we will receive reward and Jesus says “You have done to me.” Lets us be faithful in small matters and to the least of people. Let us pray.

Translated by Team Machida

 

 

 

 

 


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