父親へのエール

22年前、アメリカに来て驚いたのはこちらの牧師達がいつも「家族、家族」と言っているということでした。私は牧師の子として日本で育ちましたが、牧師であった母にとりまして教会が第一であり、その後に家庭が続きました。住んでいる場所も教会ですから、私達の私生活も教会を中心に動きます。これゆえに時に牧師の子が多くの犠牲を払いました。

親達は全き献身者となるべく、家族を犠牲にして伝道牧会に没頭しました。残念なことですが、このことゆえに起きる問題というものを目の当たりにしたこともありました。私自身もその渦中にいたことがあります。

そんな所に生まれ育った者ですから「家族、家族」と言っているこちらの牧師達の姿には違和感を感じていました。「家族」がまさしく「水戸黄門の印籠」のようになっている、それを持ち出せば大抵のことは許されるこの国の土壌に、最初はとまどいを感じました。

しかしながら、興味深いことが日本で起きたのです・・・。

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父親へのエール
2020年6月21日

1914年、5月の第二日曜日、アメリカはその日を「母の日」として国の記念日に定めました。今日も私達はこの日を大切にしています。一つ、質問です。皆さんは父の日がアメリカで定められたのがいつだったかご存知ですか。母の日から遅れること二ヶ月、1914年7月だったでしょうか。それとも遅れに遅れて翌年1915年2月だったでしょうか。

いいえ、それは1972年で、母の日が定められてから実に58年後だったのです。母の日が定められた時に「母の日があるのだから、やはり父の日もあるべきだろう」という考えは当然、きっと、おそらく、もしかしたら・・・あったと思うのですが、実際に制定されるのに58年かかったということ、この時の長さはいったい私達に何を語りかけるのでしょうか・・・。

紀元前720年頃、南ユダ王国にヒゼキヤという王がいました。南ユダ王国とはイスラエルが紀元前933年に二つに分裂した時の片方の国であり、この国は345年間、保たれ、その間に 20人の王が出ましたが、その半分以上は悪王であったと言われています。この場合の悪王とは神に従わずに好き放題に生きた王のことを意味します。

その中で13代目の王となりましたヒゼキヤは、王国の信仰を立て直した王で、20名の王達の中でも神に真実に仕えた者の一人として数えられています。この度、このヒゼキヤについて調べているうちに彼の前後にいましたヒゼキヤの父であるアハズ、ヒゼキヤの息子であるマナセとヒゼキヤの間柄に興味深いことを見出しました。

父の日であるこの日、この三代にわたる祖父、父、子という関係から私達は幾つかのことを心に留めたいと願っています。まず最初にアハズの子ヒゼキヤについて聖書、歴代志下29章から見てみましょう。

アハズの子ヒゼキヤ

1ヒゼキヤは王となった時二十五歳で、二十九年の間エルサレムで世を治めた。その母はアビヤと言って、ゼカリヤの娘である。2ヒゼキヤは父ダビデがすべてなしたように主の良しと見られることをした。3彼はその治世の第一年の一月に主の宮の戸を開き、かつこれを繕った。(歴代志下29章1節-3節)

このところを見ますと「ヒゼキヤは父ダビデがすべてなしたように主の良しと見られることをした」と書かれていますので、ヒゼキヤはダビデの息子だったのかと思いがちですが、実際はそうではなく彼はアハズという王の息子でした。ダビデの息子と書かれているのは当時のユダヤ民族が自分達の祖先であるダビデを父のように慕い敬っていたからだと思われます。それではヒゼキヤの父、アハズとはどのような人間だったのでしょうか。

『1アハズは王となった時二十歳で、十六年の間エルサレムで世を治めたが、その父ダビデとは違って、主の良しと見られることを行わず、2イスラエルの王たちの道に歩み、またもろもろのバアルのために鋳た像を造り、3ベンヒンノムの谷で香をたき、その子らを火に焼いて供え物とするなど、主がイスラエルの人々の前から追い払われた異邦人の憎むべき行いにならい、4また高き所の上、丘の上、すべての青木の下で犠牲をささげ、香をたいた』(歴代志下28章1節-4節)

ここでも「その父ダビデ」とありますが、先に述べたのと同じ理由で、アハズはダビデの息子ではありません。このアハズ王は主の良しとすることはなさず、主を拝することもなく、バアルという太陽神を拝み、幼子を火で焼いて捧げたりしました。

ここで私達が注目したいことはヒセキヤは父の歩みにならわず、主への礼拝を復興したということです。父、アハズの後、治世についたヒゼキヤはすぐに、それまで埃をかぶっていた宮の窓を開き、祭壇で犠牲を捧げ、過ぎ越しの祭りをもう一度復活させました。その手腕は敏速で彼は次から次へとその改革を進めていきました。この彼のリーダーシップのもと、南ユダ王国の民も喜んで神様に仕えるようになり、アッシリアが攻めてきた時も主は奇跡的な方法をもって、南ユダを守られたのです。

こうして最悪の父から南ユダの治世の中で最も真実に神に仕えた王が出たのです。そして、このヒゼキヤにも王位を退く時がきて、彼の息子マナセがその跡を継いだのですが、マナセについて聖書はこう記しています。

1マナセは十二歳で王となり、五十五年の間エルサレムで世を治めた。2彼は主がイスラエルの人々の前から追い払われた国々の民の憎むべき行いに見ならって、主の目の前に悪を行った。3すなわち、その父ヒゼキヤがこわした高き所を再び築き、またもろもろのバアルのために祭壇を設け、アシラ像を造り、天の万象を拝んで、これに仕え、4また主が「わが名は永遠にエルサレムにある」と言われた主の宮のうちに数個の祭壇を築き、5主の宮の二つの庭に天の万象のために祭壇を築いた。6彼はまたベンヒンノムの谷でその子供を火に焼いて供え物とし、占いをし、魔法をつかい、まじないを行い、口寄せと、占い師を任用するなど、主の前に多くの悪を行って、その怒りをひき起した(歴代志下33章1節-6節)。

マナセは父ヒゼキヤが主のために築いた全てのものを壊し、そこに再び祖父が拝んでいたバアルの偶像を置いたのです。祖父がしていたように再び、子を焼いて供え物とし、占い、魔法、まじない、口寄せをもって国の指針を知ろうとしました。彼はヒゼキヤの子でありながら、父が築いた良きものをことごとくなきものにしたのです。
この三代にわたる男達の姿を知るにつけ、私は頭を抱えてしまったのです。アハズは神に反逆し、その息子ヒゼキヤは神に心から仕え、その息子マナセは再び神に反逆する。

彼らを思う時に「はたして父というものが信仰に立って、家族と共に生きるということはどういうことなのだろうか」と考えさせられます。この史実を私達はどのように受け止めたらいいのだろうか。ここから私達が聞くべきメッセージはあるのでしょうか。

注意深く、じっくりと何度も聖書を読んでみました。そうしますとアハズとヒゼキヤについて、ヒゼキヤとマナセについてそれぞれ見い出したことがありますので今日はそのことに注目したいと思います。まず神に背いた人生を送ったアハズを父としながらも、その父とは全く別の生き方をして神に従ったヒゼキヤについてです。

おそらく私達に最も大きな影響を与える人間は私達の親でありましょう。その父が最悪であったヒゼキヤはなぜ忠実に神に従う王となりえたのか。もう一度、歴代志下29章1節-3節を読みましょう。

1ヒゼキヤは王となった時二十五歳で、二十九年の間エルサレムで世を治めた。その母はアビヤと言って、ゼカリヤの娘である。2ヒゼキヤは父ダビデがすべてなしたように主の良しと見られることをした。3彼はその治世の第一年の一月に主の宮の戸を開き、かつこれを繕った。(歴代志下29章1節-3節)

この中に「おやっ」と思われるものがあります。何だかお分かりになりますか。そうです、ここには『その母はアビヤと言って、ゼカリヤの娘である』と書かれています。

この一文は聖書の中でも異例の記述であります。なぜなら、聖書ではこのような時には父親の名前は記されても母親の名前は記述されないからです。先ほどヒゼキヤの父、アハズと息子マナセの治世の始まりについても聖書に記録されている言葉を読みましたが、そこには彼らの母親への言及はありませんでした。ということは、この記述には理由があったのではないかと思われます。

なぜヒゼキヤは父の悪しき生き方を継承しなかったのでしょうか。子は確かに親の影響を多大に受けます。しかし、親は必ずしも父だけではありません。ヒゼキヤの場合、母から、さらには彼の祖父からその影響を多大に受けていたということをこの箇所は私達に語りかけているのではないでしょうか。

ではヒゼキヤの母、アビヤとはどんな人だったでのしょうか。彼女の人となりを記したものは聖書の中にありませんので、唯一の手がかりは彼女の父がゼカリヤという名の人であったということです。それではこのゼカリアとはどんな人だったのでしょうか。

ゼカリアという名前はポピュラーで聖書の中にも色々なゼカリアが出てきます。もしかしたら、その中にこのゼカリアがいるのではないかと調べましたところ、一か所だけこのアビヤの父、ゼカリアと同一人物であっただろうと言われている人がいました。

彼の名前は思いがけないところ、イザヤ書の中にありました。イザヤ8章1節、2節主はわたしに言われた、「一枚の大きな札を取って、その上に普通の文字で、『マヘル・シャラル・ハシ・バズ』と書きなさい」。そこで、わたしは確かな証人として、祭司ウリヤおよびエベレキヤの子ゼカリヤを立てた』

ここには二人の証人の名前が記録されています。すなわちイザヤは、祭司ウリヤとエベレキヤの子ゼカリヤを自分の子供の名の証人としてたてたというのです。

神の人、預言者イザヤはヒゼキヤの父、アハズと同時代の人であり、アハズの暴虐に対して度々、叱責や警告をしました。そのようなアハズの治世の直中でイザヤは祭司ウリヤとエベレキヤの子ゼカリヤに全幅の信頼を置いていたのです。そして、このゼカリヤこそ、ヒゼキヤの母の父だったと言われているのです。

すなわち、ここから分かることはゼカリヤはイザヤから全幅の信頼を寄せられる人、すなわち神に真実な人であり、ヒゼキヤの母、アビヤはこの父の薫陶を受けて育ったということです。

父アハズの姿とは裏腹にこの母と祖父の信仰が多分にヒゼキヤの心に注がれたのでありましょう。なんか「父の日」ですのに、父の愚かさ、そして母の素晴らしさを話しておりますが、私達はこのところから幾つかの励ましのメッセージを受けます。

それは子を育てるということはどちらかの親によってなされるものではなくて、父と母によって、さらにはその家族の全ての者が関わることによって成されるということです。この世界の家族の数だけ様々な家庭の状況や事情というものがあります。

中にはもう父親が天に召されているとか、父が全く家庭を顧みないとか、逆に母親がそんな状態だという人もいるかもしれません。今日、シングルマザーという言葉もよく聞きます。その背景には人には知りえない色々な事情があることでしょう。かくいう私も父なく、母親に育てられました。

このヒゼキヤの人生はそんな私達に希望を与えるものです。それは、たとえ自分の伴侶が共にいないという状況の中にあっても、私達は神を畏れ、主を見上げ、子を育てていくという希望です。主がその子を育んでくれるという希望です。

確かに子も成長の過程で親に反抗したり、色々な困難なところを通っていくことでしょう。しかし、神を畏れて子を育てていく時に、神様が私達の行き届かないところを助け、その子を育ててくれると信じます。

既に祖父母となっている方達、もう自分の役目は終わったなどと言わないでください。ゼカリヤという名前はヘブル語で「神は覚えておられた」という意味があります。ゼカリヤが神を畏れて生きたということを神は覚えておられ、その影響は孫ヒゼキヤにまでいたったということ、そして、このことがひいては南ユダを救い、その祝福の源となったのです。

お父さん方、この中に私達へのどんなメッセージがあると思いますか。ここには私達は家庭を自分の力だけで育むものではないというメッセージがあるのではないでしょうか。

誰しも至らないところが多分にあり、そのところを妻や祖父母の信仰が補ってくれているということを私達は謙虚に認め、そのことに感謝しましょう。すなわち、妻や親を愛し、敬うということ、それが夫、そして父たる者がまず第一になすべきことなのです。

さて、次の親子をみてみましょう。このヒゼキヤの後を継いで王となりましたマナセです。

マナセの祖父になりますヒゼキヤの父アハズは神の御心に生きることがなく、その子ヒゼキヤは南ユダの民を神へと向かわせたとお話ししました。ヒゼキヤの息子マナセはどうだったでしょうか。

彼は父ヒゼキヤが再建したものを全てことごとく無きものにし、再び偶像へとはしり、祖父がしていたように子を焼いて犠牲として神々に捧げたと聖書は記しています。

普通で考えればマナセは父ヒゼキヤのごとく、神に忠実に従う王となったろうと私達は思います。しかし、彼は王の座に着くやいなや、父が築き上げたものを、父が全て処分したものをことごく復活させ、「これでもか!」とばかりに主の前に悪の限りを尽くしました。

ここから分かることは、父が大切に守ってきたことを、その子も大切にしていくということ、必ずしもそうならないのが私達の世界であり、そのようなことを私達も目の当たりにすることがあります。なぜマナセが悪王になってしまったか、その理由を明確に聖書は記していません。しかし、与えられている聖書の記述から想像できることがあります。

マナセの父、ヒゼキヤは神を畏れ、王位を継ぐやいなや次々と改革をしていき、短期間の間に南ユダを神と共に歩む国として再建しました。彼の指揮のもとに成されたことが歴代志下29章から32章までびっしり書かれていますが、それは国の信仰の復興のみならず、国防のための事業、現在もエルサレムの地下を流れる水路を引くという大事業、またアッシリアからの攻撃を受け、それに勝利するということでした。

彼がどれほど熱心にその国のために自身を注ぎ込んだかということが分かります。しかし、ここで一つ、当たり前のことを申し上げます。ヒゼキヤといえども一人の人間、彼に与えられている一日は24時間です。その中で彼が成したことを思います時に、その時間のほとんどは国政のために使われたのではないかということです。

ヒゼキヤよりも三百年ほど前のイスラエルには「大祭司エリ」と「祭司であり、預言者でもあったサムエル」という人達がいました。彼らはイスラエルで特筆すべき宗教的、政治的な指導者でありましたが、彼らには共通点がありました。すなわちエリの子らはよこしまな人々で主を畏れず、彼らの罪は主の前に非常に大きかったと聖書は記し、サムエルの子は利に向かい、賄賂を受け取り、裁きを曲げたと聖書は記しています。

エリもサムエルも国民から敬意を受けた神の僕でした。しかし、彼らの子達はことごとく神の前に悪を行い、それゆえに彼らの跡を継ぐことができませんでした。

彼らに共通することは何でしょうか。ヒゼキヤもエリもサムエルも国のこと、すなわち自分の使命に熱心でありました。それ自体は素晴らしいことです。しかし、王であり、預言者であり、祭司である彼らの激務の背後に、彼らの目が行き届かない者達がいたということを私達は知らなければなりません。

彼らは国の組織や法律を熟知していましたが、彼らにとって一番、身近にいる神が彼らに与えてくださったかけがえのない者達に彼らは心を向けなかったのではないかと想像できるのです。

私自身、子の親です。父なる皆さん、母なる皆さん、私達はいかがでしょうか。

この神に背いたマナセはどのように人生を送っていったのでしょうか。歴代志下33章13節には思いがけないことが記録されています。

10主はマナセおよびその民に告げられたが、彼らは心に留めなかった。11それゆえ、主はアッスリヤの王の軍勢の諸将をこれに攻めこさせられたので、彼らはマナセをかぎで捕え、青銅のかせにつないで、バビロンに引いて行った。12彼は悩みにあうに及んで、その神、主に願い求め、その先祖の神の前に大いに身を低くして、13神に祈ったので、神はその祈を受けいれ、その願いを聞き、彼をエルサレムに連れ帰って、再び国に臨ませられた。これによってマナセは主こそ、まことに神にいますことを知った(歴代志下33章10節-13節)

この後になんとマナセはダビデの町の石垣を築き直し、主の宮から違法の神々の偶像や祭壇をとり除き、感謝の犠牲を神様に捧げるようになりました(歴代志下33章14節-17節)。

当初、マナセは確かに父ゼカリヤの信仰を受け継がず、父が築いたものを破壊して好き放題に生きました。しかし、敵国アッスリヤの捕虜となり、どん底に落ちた時、彼は父が拝していた神を前に大いに身を低くして祈り、神はその祈りを聞き、彼を救われたのです。

なぜ、彼がどん底に落ちた時に彼は父の神に立ち返ったのでしょうか。その時に彼の心に浮かんだ光景は、あの放蕩息子がそうであったように、父の姿だったのではないでしょうか。彼は思ったに違いありません。私はあそこに立ち返るべきだと。

22年前、アメリカに来て驚いたのはこちらの牧師達がいつも「家族、家族」と言っているということでした。私は牧師の子として日本で育ちましたが、牧師であった母にとりまして教会が第一であり、その後に家庭が続きました。住んでいる場所も教会ですから、私達の私生活も教会を中心に動きます。これゆえに時に牧師の子が多くの犠牲を払いました。

親達は全き献身者となるべく、家族を犠牲にして伝道牧会に没頭しました。残念なことですが、このことゆえに起きる問題というものを目の当たりにしたこともありました。私自身もその渦中にいたことがあります。

そんな所に生まれ育った者ですから「家族、家族」と言っているこちらの牧師達の姿には違和感を感じていました。「家族」がまさしく水戸黄門の印籠のようになっている、それを持ち出せば大抵のことは許されるこの国の土壌に最初はとまどいを感じました。

しかしながら、興味深いことが日本で起きたのです。特に私の世代の牧師の子たちの間でそれは顕著でした。私の世代、戦後の日本の教会を担ってきた私達の親達が教会第一で火の玉となって伝道をしてきた、その牧師の子たちが続々と親の歩んだのと同じ道を歩みだし、牧師となっていったのです。彼らは牧師家庭と教会の裏表を全て見ておりながらも、それを承知の上で、その道に進んだのです。

その一人が私自身で今、私は牧師となりました。なぜなのか。本当に不思議です。まさしく神様のあわれみです。でも一つ、私の背を押したことがありました。それは時に家族すらも顧みずに(私達は母子家庭ですので、この場合の家族は私のことです)、主に仕えた母の姿でした。今はこう思います。

私達は成長していくにつれて「本物」を求めるようになります。私には神から離れた時がありましたが、その時に私の心を神様に引き戻したのは、家族をも顧みずにその使命に没頭した母の姿に本物を感じたからです。まさしく、それはゼカリヤの子、マナセに近い思いであったのではないかと思います。

もし「家族という印籠」をいつもかかげ、全てのことにおいて家族第一で、ここぞと言う時に主に従うということをことごとく免除していたのなら、私は今、牧師ではなく、信仰も失っていたかもしれません。「その程度」のことに私は人生をかけようとは思わないからです。

私自身、子の親です。同じ主にある父なる皆さん、母なる皆さん、私達はいかがでしょうか。

今日は父の日です。父の日は母の日に出遅れること58年、そんな私達でありますが、私達が謙遜に、妻を愛し、親を愛し、子を愛し、神を畏れ、家庭のリーダーとして第一のものを第一とし、本物に生きることができますようにと祈り求めようではありませんか。

働き盛りの方達は日々、とても忙しいことでしょう。しかし、家族と共にクオリティーのある時をお過ごしになることができますように。私達が何かに没頭する熱心が、彼らの悲しみや寂しさとならないようにしましょう。

しかし、同時に「ここぞ」という時は家族一同、主に従いましょう。その先頭に立つのはお父さん、あなたです。子達もやがて様々な人生の荒波にもまれるでしょう。自分はこれから何を信じて生きていけばいいのかという実存的な問いに向き合う時がきます。その逆境の時に彼らが思い起こすことは、父母が真実に神様に従っていたという、その姿なのではないかと思います。

どうか皆さんが日々、お過ごしになっている日常の上に日毎にに必要な知恵が神様から与えられますように。その時、その時に、自分が何を第一とすべきかということを神様が私達に教え示してくださいますように。全ての父親達の上に主イエス・キリストにあって心からのエールと、神様の祝福がありますように!お祈りしましょう。

本日のおもちかえり
2012年6月21日

1)今日は父の日です。皆さんにはどんな父親との思い出がありますか。皆さんにとって父と母の違いは何ですか。

 

2)南ユダ王国12代目の王、アハズはどんな王でしたか(歴代志下28章1節-4節)。アハズの息子、  13代目の王、ヒゼキヤはどんな王でしたか(歴代志下29章1節-3節)。ヒゼキヤの息子、 14代目のマナセはどんな王でしたか(歴代志下33章1節-6節)。ここからあなたは「信仰の継承」について何を思いますか。

 

3)主の宮を壊し、偶像を祭ったアハズを父としていながら、なぜヒゼキヤは主の宮を再建し、主に忠実に仕えるようになったのですか(ヒント:歴代志下29章1節、イザヤ8章1節、2節)。通常、子供が一番、影響を受ける人は誰ですか。

 

4)主に忠実に仕えたヒゼキヤを父としながら、なぜその息子マナセは主の前に最悪の王となったのですか。このようなことが私達の身近にも起きることがあります。あなたはそこにどんな原因があると思いますか。

 

5)父親にとって仕事と家庭のバランスはなぜ大切ですか。私達が第一に神様から委ねられている責任は何ですか。

 

6)神に反逆し続けたマナセがアッスリアの軍勢に捕らえられバビロンに連れていかれます。このどん底の経験によりマナセはどう変わりますか(歴代志下33章10節-13節)。

 

7)時に神様は私達の挫折を用いられます。あなたはそんな経験がありますか。子が大きな挫折をする時に、その子が思い起こすことは何でしょうか。

 

8)父として日々優先順位を明らかにし、自らの生活のバランスを維持するために必要なことは何ですか。

 

 

 

 


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