神の関与、それが力、そして慰め!

 

 

 

 

 

大きなことを成し遂げるために、力をあたえて欲しいと             神に求めたのに、謙遜を学ぶようにと、弱さを授かった。

偉大なことができるように、健康を求めたのに、                より良いことをするようにと、病弱を授かった。

幸せになろうとして、富を求めたのに、                    賢明であるようにと、貧しさを授かった。

世の人の賞賛を得ようとして、力を求めたのに、
神の助けを知るようにと、弱さを授かった。

人生を楽しもうと、あらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと、命を授かった。

求めたものは、一つとして与えられなかったが、
願いは、すべて聞き届けられた。

神の御心に、沿わぬものであるにもかかわらず、
言い表せない私の祈りは、すべてかなえられた。
私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ。

無名兵士の祈り

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神の関与、それが力、そして慰め!
2020年8月2日

私達は毎週の礼拝で出エジプト記を見ています。イスラエルの民がエジプトを脱出していきました時、その行く先々には色々な問題がありました。それは飲み水や食料の問題であり、また彼らの前に立ちはだかる他民族の問題でありました。出エジプト記17章を拝読します。

8 時にアマレクがきて、イスラエルとレピデムで戦った。9 モーセはヨシュアに言った、「われわれのために人を選び、出てアマレクと戦いなさい。わたしはあす神のつえを手に取って、丘の頂に立つであろう」。10 ヨシュアはモーセが彼に言ったようにし、アマレクと戦った。モーセとアロンおよびホルは丘の頂に登った。11 モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った。12 しかしモーセの手が重くなったので、アロンとホルが石を取って、モーセの足もとに置くと、彼はその上に座した。そしてひとりはこちらに、ひとりはあちらにいて、モーセの手をささえたので、彼の手は日没までさがらなかった。13 ヨシュアは、つるぎにかけてアマレクとその民を打ち敗った。14 主はモーセに言われた、「これを書物にしるして記念とし、それをヨシュアの耳に入れなさい。わたしは天が下からアマレクの記憶を完全に消し去るであろう」。15 モーセは一つの祭壇を築いてその名を「主はわが旗」と呼んだ。16 そしてモーセは言った、「主の旗にむかって手を上げる、主は世々アマレクと戦われる」(出エジプト記17章8節―16節)。

当時、イスラエルの民が自分達とは異なる民族と対峙する時、そこには相手を打ち負かすか、打ち負かされるかという緊張が伴いました。この時、彼らが向き合っていたのはアメレクと呼ばれる人達で、モーセはヨシュアにこう命じるのです「われわれのために人を選び、出てアメレクと戦いなさい。わたしは明日、神の杖を手にとって、丘の頂に立つであろう」(出エジプト記17章9節)

この命令はとても簡潔です。戦いのために人を選び、武器を取り、我々の敵、アマレクと戦いなさいというのです。今なら銃やミサイルを撃ち合うような戦いとなるのでしょうが、当時は剣と剣が激しくぶつかり合う戦いです。放たれた矢が飛び交う戦いです。

なぜその時、モーセはその戦いの陣頭指揮に当たらずに「わたしは明日、神の杖を手にとって、丘の頂に立つであろう」と言ったのでしょうか。いったいモーセは丘の頂で何をするのでしょうか。

彼はその丘の頂に立つと手をあげました。聖書はモーセが手をあげている時は、ヨシュア率いるイスラエル軍が勝利し、モーセが手を下げるとアマレクが勝ったと記しています。

高齢のモーセにとって手をあげ続けることは大変なことであり、その手は重くなり、自ずと下がってきます。そこで、モーセの両側にはアロンとホルが立ち、モーセの手を支えました。それゆえに彼の手は日没まで下がることなく、イスラエルはアマレクに勝利したのです。

モーセとアロン、およびホル、彼らは武器をもっていませんし、戦場にはおりません。しかし、彼らは戦っていました。モーセは手をあげ、アロンとホルは彼の手を支えることにより戦っていました。モーセが手をあげ続けたということは、彼が神への祈りの手をあげ続けたということを意味します。彼らは神に祈り続けることにより戦いの前線に立ち続けていたのです。

かつて若い頃、モーセがまだエジプトにいた時に、エジプトに奴隷となっていた同胞のイスラエル人が過酷な労働を受け、虐待されているのを見て、エジプト人をその拳によって打ち殺しました。そう彼はその時、自らの拳で戦いました。しかし、その彼が今、同じ拳を天に向け、祈りによって戦いに勝つことを学んでいるのです。

その時、ヨシュアと彼に伴った者達はアマレクと剣を交わています。それは人間と人間の戦いです。同じ人間同士の戦いですから、その力だけを考えれば、それは拮抗した戦いだったことでしょう。しかし、モーセが手をあげて祈ることにより、神がその戦いに関与されましたので、そのことゆえにイスラエルは勝利したのです。

この度、この箇所を黙想しつつ、「祈り」について考えました。「祈り」ということを思う時に、私達はまず「祈りが聞かれた」、「祈りが聞かれなかった」ということに思いを寄せます。その祈りは「叶えられたのか」、「叶えられなかったのか」ということです。

こうなりますと私達はいつも祈りが「きかれるか」「きかれないか」という二つの前に立つことになり、このことゆえに私達の心はいつも揺れ動きます。祈りがきかれれば小躍りし、祈りがきかれないと肩を落とす。私の信仰生活はいつもこのようにアップ&ダウンを繰り返していくのだろうかと自らの心に問いかけたのです。

そんなことを思いめぐらしながら、祈りが聞かれなかった時に、神はその祈りに耳を閉ざしていたのだろうかと思いました。人間なら聞き逃したり、あるいは最初から聞く気などなく、耳を閉ざしているようなこともあります。しかし、神は私達の祈りを全て聞いていてくださる、このことは確かなことだと思わされました。

モーセの祈りに対して、イスラエルとアマレクの戦いに神様が関与してくださったことによりイスラエルの民は勝利しました。私達もそのような勝どきを上げるような経験をします。また同時に祈ったにも関わらず、何も好転せず、かえって状況が悪くなってしまったということを経験することもあります。

しかし、たとえそうであっても神はその時、そのことに関与していなかったのではなく、それがたとえ私達の祈りと願い通りにならなくても、神はその時、そのことに関わってくださっていたという事実が私達にとってどんなに心強いことなのか。そのことに私は深い慰めと励ましを感じました。

神の関与とは人間を超えたお方が関わってくだったということですので、時に人間を超えたことが起きてきます。すなわち、その関与の全貌を私達は決して理解できないのです。私達はその人間の限界を謙虚に受け止めさせていただきたいと思います。そのことをしかと受け止めたいと心から願うのです。

ローマ8章26節-29節においてパウロは私達が祈る時に私達を助けて下さる聖霊のはたらきについて書いています。

26 御霊もまた同じように、弱いわたしたちを助けて下さる。なぜなら、わたしたちはどう祈ったらよいかわからないが、御霊みずから、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、わたしたちのためにとりなして下さるからである。27 そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。28 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。29 神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。それは、御子を多くの兄弟の中で長子とならせるためであった。    

ここには「私達はどう祈ったらいいのか分からない」と書かれています。この言葉は不思議です。なぜなら、私達は現に毎日祈っている。そして、自分が何を祈っているのかも分かっている。しかし、聖書は「私達はどう祈ったらいいのか分からない」と言っている。私達は何が分からないのでしょうか。

そうです、それは私達は本来、自分が祈っていることについて、そのことが本当に最善なのかどうかを知りえない、そのような意味で私達はどう祈ったらいいのか分からないのです。

どういうことかといいますと、例えば神に向かい、自分に新しい仕事を与えて下さいとか、この子が願っている第一志望の大学に行くことができますようにと私達が祈ったとしても、その思いと願い、そして計画が本当に神の御前に、また私達にとって最善なものであるかどうか、そのことは私達には分からないということです。

時に「絶対にこれだ。間違いない」と思って決断したことによって苦しむことがあります。反対に「こんなこと願っていなかった」と不本意に思わされたことによって救われている自分を発見することがあります。このようなことが私達の人生には少なからずありますゆえに、私達はどう祈ったらいいのか分からないのです。

ですから、その時に私達は助けが必要なのであり、その助け手こそが聖霊なのだというのです。そして、その聖霊が私達のために父なる神への取り成しをしてくださるというのです。

しかも、その取り成し方が半端ではないのです。聖霊自らが、言葉にあらわせない切なるうめきをもって、私達のために御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである」(ローマ8章27節)とローマ書は記しているのです。

つまり、このことはこういうことです。神様は私達の祈りに確かに関与してくださる。しかし、その神様の関与にいたる前に聖霊が私達のために切なるうめきをもって、私達の祈りが神の御旨にかなうようにと取りなしてくれる。私達の祈りの背後にはこのような聖霊と神のはたらきがあるのです。

こうして私達の心を探り知る神が、私達にとって最善の関わりをしてくださるのです。それゆえに御霊と神のはたらきについて書かれている聖書の言葉の直後にあの有名な言葉が続くのです。

27 そして、人の心を探り知るかたは、御霊の思うところがなんであるかを知っておられる。なぜなら、御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである。28 神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。  

このようなことが分かってきますと、私達の祈りというものへの取り組みが変わってくるのです。すなわち、それまで「祈りが聞かれた」とか「祈りが聞かれない」という白か黒かの判断しかせず、それで一喜一憂していた私達が、自分の願いが叶おうが、叶うことがなかろうが、私達の祈りの背後には聖霊によるところの、神の御旨にかなった切なる取り成しがあり、神はそれを受け、その御心をそこに添えて、今の私達に最善の関わりをしてくださるという思いへと変えられていくのです。

ニューヨーク大学のロビーの壁に140年前にアメリカの南北戦争に従軍した南軍の兵士が記した有名な詩があるといいます。その著者名はなく、人はそれを「無名兵士の祈り」と呼んでいます。

大きなことを成し遂げるために、力をあたえて欲しいと神に求めたのに、謙遜を学ぶようにと、弱さを授かった。

偉大なことができるように、健康を求めたのに、
より良いことをするようにと、病弱を授かった。

幸せになろうとして、富を求めたのに、
賢明であるようにと、貧しさを授かった。

世の人の賞賛を得ようとして、力を求めたのに、
神の助けを知るようにと、弱さを授かった。

人生を楽しもうと、あらゆるものを求めたのに、
あらゆることを喜べるようにと、命を授かった。

求めたものは、一つとして与えられなかったが、
願いは、すべて聞き届けられた。

神の御心に、沿わぬものであるにもかかわらず、
言い表せない私の祈りは、すべてかなえられた。
私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ。

「祈りがきかれました」ということは、必ずしも「私の願いがかないました」ということではないのです。確かに私達の祈りは神にきかれているのです。私達が祈ったことについて神様は必ず関与してくださるからです。それが自分の願ったようになったとしても、そうでなくとも、肝心なことは「神様が確かにそのことに関与してくださった」ということを信じて受け止めることです。

今も通らされているこのコロナの状況下、私はコロナ以前には知りえなかったことに多く気がつかされています。その気づきの中で、一番、大きなことは人間がいかに不完全であるかということです。

このコロナが各国において深刻なものとなりうることが明らかになってきたのは2月頃からだったかと記憶しています。その時点で多くの国で言われていたことは「マスクは感染防止にはならない」ということで、なかには「それをつけることはかえってよろしくない」という専門家もいました。

このことに対して実際のところどうなのかという結論が出ないまま、この国でマスクは感染予防になると言われるようになるには数か月を要しました。この感染予防が当初からあれば、救われた命が少なからずあっただろうと思いますと無念です。

私達は近年の科学技術の発展に目を見張ります。地球外の星の情報を集めたり、人間の遺伝子を解明したり、人の頭脳では数十年かかる難解な計算を一秒足らずで計算してしまうスーパーコンピューターを開発したり、人間の能力はすごいなと思います。

しかし、数千万マイル先の星にあるものを見つけ、肉眼で見ることができないミクロの世界を解明している私達は、実際に手にとることができ、その素材をいくらでも検証できるパスポートサイズの一枚の布がウイルスの感染に有効かどうかということを明らかにし、その声明を出すのに数か月を要してしまった。

しかも、よりによって、人類において、ここぞという未曽有の危機を前に私達は手間取ってしまいました。

このことを通して、私はあらためて思いました。人間が何かを理解するとか、最善の道を選ぶということについて私達は何と疎く、力のないものなのかと。「人間の英知」とは言いますが、その英知は何と頼りなく、ちっぽけなことなのかと。

このような人間である私達が聖霊がうめくようにして、神の御旨が成るようにと、とりなして下さるその神の御旨をどこまで理解できましょう。どうして私達が全知全能の神の御心を評価などできましょう。

この無名兵士の詩は、祈りの背後で働く聖霊のはたらきと神の御心によって著者に関わりを持たれた神の姿を描いています。私達の祈りとは異なる応えを神が出された、その時は神が私達の祈りを聞かなかったのではなく、確かに私達の祈りを聞き、その祈りを叶えらた神の姿をここに見るのです。

この詩は以下の言葉をもって閉じられます。求めたものは、一つとして与えられなかったが、願いは、すべて聞き届けられた。神の御心に、沿わぬものであるにもかかわらず、言い表せない私の祈りは、すべてかなえられた。私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ。

この詩人がそうであったように、この神の関与に気がつかされるためにはしばしの時を私達は経なければならないかもしれません。なぜ?答えは簡単。私達は神ではなく、人間だからです。

もしかしたら、その関与の全貌を私達はこの地上で知りえないかもしれない。しかし、その関与は私達の切なる祈りを聖霊が聞き、その聖霊は私達のために言葉にあらわせない切なるうめきをもって、私達のために神にとりなして下さった、そのことを経てなされている。この神の愛と真実ゆえに、私達はこのお方の私達に対する関わりに、その御心に信頼を寄せる者でありたいのです

私達が教会に集まっていた時、私達は集会ごとにいつも主イエスが私達に教えてくださった「主の祈り」を共に唱えました。あの中に「みこころの天になるごとく、地にもなさせたまえ」という一説がありましたでしょう。私達はその主の祈りを通して、いつも「御心が天になされるように 地にもなさしめたまえ」という言葉を父なる神に申し上げていることを皆さんは知っていましたか。

そして、主はこの祈りを聞き届け、私達の人生に起きる事柄について、その御心が天になされるように私達の上にもその御心をなしていてくださるということを私達は知っていましたか。

どうか私達の祈りをさらに主が深めてくださいますように。主が私達の祈りを聞き、その祈りにこれまで関与してくださっていた、今も関与してくださっている、そして、これからも関与してくださると信じる者はさいわいです。

このことに私達が日毎に気がつかされていく時、主の関与ということが一つ一つ私達の前に明らかにされていく時、私達の心にも「私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ」という主への思いがわきあがってくるのです。お祈りしましょう。

 

本日のおもちかえり
2020年8月2日

1)出エジプト記17章8節―16節を読みましょう。ヨシュアと従者がアマレクと戦っている時、モーセは何をしていましたか。モーセがしていることはアマレクとの戦いにどんな影響を与えましたか。ここから分かることは何ですか。

 

2)「祈り」について思う時に、私達はまず「祈りがきかれた」、「祈りがきかれなかった」ということに思いを寄せます。そこには私達のどんな感情がともないますか。

 

3)私達が祈る時、何を願っているのでしょうか。祈りがきかれない時、あなたはどのようにそのことを受け止めていますか。その時、神様は何をしているのでしょうか。

 

4)ローマ8章26節-29節を読みましょう。わたしたちはどう祈ったらよいか分からないが・・・』 とありますが、私達は何が分からないのでしょうか。

 

5)あなたが祈り、願っていることは確実に私達にとって最善なことであると断言することができますか。なぜですか?

 

6)私達の祈りの背後で聖霊は何をしていますか。御霊は、聖徒のために、神の御旨にかなうとりなしをして下さるからである』(ローマ8章27節)ということはどういうことですか。神の御旨とは何ですか。

 

7)「無名兵士の祈り」はこのような言葉で終わります。求めたものは、一つとして与えられなかったが、願いは、すべて聞き届けられた。神の御心に、沿わぬものであるにもかかわらず、言い表せない私の祈りは、すべてかなえられた。私はあらゆる人の中で、もっとも豊かに祝福されたのだ』 このようなことをあなたは経験したことがありますか。

 

8)今日のメッセージを通してあなたは祈りについて新しい発見をしましたか。それは何でしょうか。


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