私達が目指すべきところ

「野球選手になる」とか「この役職を得る」という私達の心からの願いと夢がかなわないと分かった時、私達は「神は万事を益としてくださるお方」だとは思いません。しかし、神が私達を導かれようとしているところは私達が「野球選手」になることでも「役職を得る」ことでもないのです。神は私達がこれらの目的に私達を導こうとされているのではなくて、神は別の目的をもっておられ、その目的に私達が到達するために万事を益としようとしているのです。

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私達が目指すべきところ

ローマ8章28節―30節

2018年1月14日

サンクスギビング、クリスマスがあり、しばらくローマ人への手紙から離れていましたが、今日からまたローマ人への手紙に戻っていきたいと思います。ローマ人への手紙の一章を始めたのが昨年の6月25日で、その日から少しづつ順をおって私達はこの手紙を見てまいりましたが今日は8章の終わりから見ていきたいと思います。

皆さんは一ドル札をまじまじと眺めたことがありますか。そこにはピラミッドの絵が描かれています。興味深いことに、このピラミッドの上には目が記されていることをご存知ですか。この目は「プロビデンスの目」と呼ばれており、「神の全能の目」をあらわしていると言われています。

Providenceという英語は日本語に訳すと「摂理」となります。このProvidenceを分解しますとproという「前を」という言葉と videnceという「見る」という言葉でできていることがわかります。

この「摂理の目」の周りは栄光で包まれており、それはピラミッドの頂点にあります。そして、よく見ますとその頂点とその下の部分には超えられない隔たりがあります。すなわち、この摂理の目は人が決して立つことができない所から、世界をあますところなく見ているということになります。

そこは時間や空間を超えた場所であり、そこはこの地上にいる人間には決して知りえない天地万物に対する神の計画と導きを暗示しています。すなわちこの摂理、Providenceとは「万物を先見する神の視点」を意味します。そして、この紙幣の中央にはこの神の目に全幅の信頼を置くという意味を込めて、In God We Trustという言葉が書かれているのです。

「あなたと私は赤い糸で結ばれているのよ」「僕達は同じ星の下で生まれたのだ」「ご縁があってこうなりました」「これが私の運命なのです」「運が良かったのです」とは日本語でよく使われる言葉です。これらの言葉に共通するのは、目には見えないけれど、「このことには何かしらの不思議なつながりが以前からあったのだ」ということがほのめかされています。

これらの日本語に異議を申し立てるわけではありませんが、我々は「運命」とか「縁」という言葉を使いません。その代わりとして、私達は「神の摂理」という言葉を使うのです。 「偶然」とか「運」とはすなわちサイコロを振ってたまたまゾロ目がそろったということで、それに対して「摂理」とはそのゾロ目は神が選び、そこに目的をもって並べたということです。ゆえに「偶然」と「摂理」は大きく異なるのです。これらのことを心に留めながら、皆さんもきっと赤線を引いているでありましょう、ローマ書のあのみ言葉に今日は注目していきましょう。「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにしてくださることを、私達は知っている」(ローマ8章28節)。

万事、益となる

このところでまず、私達の目にとまるのは「万事を益となるようにしてくださる」という言葉です。そうです、私達の人生に起こる全てのことが「万事、益となる」というのです。

皆さん、この言葉をどう思いますか。パウロはここで「万事」と言いました。「万事」とは言うまでもなく「全てのこと」という意味です。私達の人生における全てのことを神は益となるようにしてくださるということです。しかし、こういうことを聞きますと誰しもが思うのです。「万事が益になるはずはないだろう」と。私もそう思います。誰の人生の中にも「益」とは程遠い出来事がいくつもあるからです。それではこの聖書の言葉は誇張されているのでしょうか。嘘偽りなのでしょうか。

それがトヨタであれ、フォードであれ一台の車ができるまでに幾つの部品が使われるかご存知ですか。その数は三万個におよぶといいます。これらの部品が工場では一つ一つしかるべき場所に組み込まれて一台の車が出来上がります。素人である私の前にこの三万個の部品が全て並べられても、私にはそれぞれの部品が何のために用いられるのか、どこに組み入れられるのか全く分かりません。そして、たとえばその部品の一部をギフトとしていただいても私達は嬉しくありません。なぜなら、私達はその部品がどんな役目を果たすのか、どこに組み入れられるのか分かりませんし、その部品だけでは私達には必要のないもの、全く意味のない代物に思え、その部品が私達の生活に役立つことはないからです。

しかし、それが一つでも欠けましたら自動車は本来の目的にかなった機能をフルに発揮しないのです。 「偶然」とは、この3万個の部品を大きな袋に入れて(そんな袋はありませんが)、ジャラジャラと振り回すと完成した車が出てくるというようなことです。でもそんなことは決してありません。しかし、車を知り尽くしている方がそこにいれば、その部品は組み立てられて確実に車は完成します。

同じように私達が神様から与えられている人生もそのようなものなのかもしれません。その時には理解できない、無意味に思われる出来事がいくつも関連し合って私達の人生というものが作り上げられていくのです。 このローマ書がいう「私達の人生の全てのことが合い働きて益となる」ということは私達の知恵や力だけで理解することはできないものです。なぜなら人間はその全体を知りえないからです。そう、私達はあの一ドル札のピラミッドの麓にいるのですから、その全体を眺めることができないのです。私達は自分の人生に起きるあのこと、このことを経験するにつけ、このことはなぜ起きたのだろうといぶかしく思っている者にすぎないのです。

しかし、全体を見通す神様はそれらのものを最善へと導こうとされるのです。 合い働いて益となる このようなことを考えますと私達は思います。そうなのか、それでは結局のところ私達は神の御手の中にある駒のようなもので、私達が何をしようが、結局は神の思うがままに私達の人生は行くべきところに導かれていくのかと。これを私達は宿命と呼びます。

しかし、ローマ書はそのことについてはノーと言います。 こう書かれているとおりです。「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにしてくださることを、私達は知っている」。そうです、こここのところには「すなわち、ご計画に従って召された者達と共に働いて、万事を益となるようにしてくださる」と書かれているのです。そう、ここには「共に働いて」と書かれているのです。文語訳という少し古い日本語聖書で見てみますと「すべての事、合い働きて益となる」と書かれています。

すなわち、すべての事は私達と神様が共に合い働いてなされることなのです。好き放題していても神がよきに計らってくださるということではなく、私達が考えている事、私達が決断すること、私達がなす言動、それらと共に神は働かれるのです。 ですから私達は「このことに対して私の最善を尽くすことができますように」と祈り、願うのです。

なぜなら、その「私の最善」と共に「神も最善」をなしてくださるお方だからです。よくこのところが誤解されてしまい、神様に委ねるということは自分では何もせずに、全て神にお任せするということではなくて、自分の最善を尽くして、あとは神の采配に全てを委ねるということなのです。

このことは神様が私達に自由なる意志を与えているということで、もし、その自由意志が私達から取り上げられたら、私達は神の愛の対象なる人間ではなくなり、神のロボットになってしまいます。そうなりますとそこに神と私達の間に真の愛とか信頼というものは存在しなくなるのです。それゆえに神は人に自由意志を与えることがどんなに大きなリスクとなるかということを十分に承知で私達に自由なる意志を与えているのです。

私達の人生がこれからどうなっていくのかということはこの私達の意志と決断というものが少なからず影響しています。神様がある方向に私達が進むことを願っていましても、私達の意志がその反対に向かいますのなら、私達はその自分で選んだ道に待ち受けているものに直面し、悩み苦しむことがあるのです。 しかしながらいったい誰が常に神様が願っている道を自らの意志で選び取ることができますでしょうか。それができないのがまた人間の真実な姿です。

しかし、私達にとっての救いは、結論から言いますと私達が選び取るべきではなかった道をも、神様はそれを私達にとって益となる道へと導こうとしてくださることがあるということです。あの失敗や挫折、あの試練が私にとって益であった、私には必要なものであったと後になって振り返るようなことがありますが、まさしくそれは今、お話ししましたように神が我々と共にはたらいてくださっていたという証なのであります。

私達の人生の目的は何か 

さらに、ここでこのローマ8章28節を理解するために不可欠なことをお話ししましょう。このことが理解できなければこの御言葉を理解することはできません。それは私達がどこに向かっているかということです。そうです、言うなれば私達の「人生の目的」ということです。 ここには二つの目的があります。

一つは「私達が自分の人生に対して抱いている目的」です。そして、もう一つは「神が私達の人生に対してもっている目的」です。この目的が異なるなら、私達はこのローマ章を決して理解することはできません。なぜなら、神は私達が抱いている目的に向かうようにと万事を最善にしようとしているのではなくて、神ご自身の私達に対する目的のために万事を最善としようとしているからです

そして、その「目的」ということですが、目的には一つの特徴があります。それは「目的とはそのものを造った者が決めることだ」ということです。

先日、理事会でこんな会話がなされました。冷蔵庫が壊れてしまった(一世ホールに置かれている冷蔵庫です)。さぁ、どうしようか。直せば再び使えるのか、使えないのか、直せるならそのコストはいくらぐらいなのかというようなところから話し、結局、いたった結論は処分して、新しいものを購入しようということになりました。 その中でこんな冗談を言いました。「捨てるのはもったいないから、せっかくドアもついているのだからクローゼットとして使ったらどうだろう」。もちろん、冗談ですが皆も乗りがよく、「それがいい、そうしよう」と壊れた冷蔵庫の再利用について、しばらく話がはずみました。 世界は広いですから、もしかしたら世の中には壊れて使えなくなった冷蔵庫をクローゼットにしている人がこの世界にはいるかもしれませんが、その冷蔵庫を造った人はそこに保冷機能をつけ、使い勝手を良くして、ものを冷やす食品庫として設計し、それを製造したのです。

そう、それを何のために作るか、その目的は何かということは製造者が決めることなのです。 さて、それでは私達はどうでしょうか。私達は誰によって造られたのでしょうか。父母でしょうか。確かにそうとも言えますが、厳密にいいますと父母ではありません。彼らは子が与えられることを願うでしょうが、母の胎に命を与え、その胎の中で我々をかたち造られたのは神なのです。「親が私に与えてくれた命」と私達は言いますが、それは厳密に言いますと正しくなく、私達の命は神が私達に親を通して与えてくれたものなのです。すなわち、このお方だけが私達がどう生きるべきか、私達が何を目指して生きるべきかということを決める資格のあるお方なのです。

冷蔵庫は食品を冷やす、車は私達を運ぶという目的を果たすために造られています。ですから製作者は冷蔵庫の中にハンドルをつけませんし、車の中にアイスメーカーはありません。冷やすこと、運転すること、その機能が充分に引き出されるようにこれらのものは造られているのです。同じように私達も神様が私達の人生に与えておられる目的を見出し、その目的に生きることができるように万事を益としようとしているのです。

私達が願っている職に就くとか、理想の家庭を築くということは大切なことですが、そのことは神が私達に対して与えておられる究極的な命の目的ではないのです。 しかしながら、私達はこのことを知ることなく、知ろうともせずに、各々が自分の思うように生きています。「何に向かって神は万事を益とされるのか」という「何に向かって」ということが「私が思い描いている」ことなのか、それとも「神様が私達に願っている」ことなのか、ここが食い違うのなら私達は決して神が言われる「万事を益とする」ということを理解することはできないのです。

私達は神に造られた者(すなわち、命が与えられた者)なのです。この歴然とした事実と共に、私達の生涯に起きる事柄を突き詰めて考えますのならヨブの「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主の御名はほむべきかな」(ヨブ記1章21節)という言葉は全く反論の余地がない正論なのです。私達に全てを与えられた神が私達からそれらを取り上げたとしても、それは本来、私達がとやかく言えることではないのです。この前提に立って聖書は書かれているのですが、私達はこのことを知らず、このことに心を留めることなく生きているのです。

「野球選手になる」とか「この役職を得る」という私達の心からの願いと夢がかなわないと分かった時、私達は「神は万事を益としてくださるお方」だとは思いません。しかし、神が私達を導かれようとしているところは私達が「野球選手」になることでも「役職を得る」ことでもないのです。神は私達がこれらの目的に私達を導こうとされているのではなくて、神は別の目的をもっておられ、その目的に私達が到達するために万事を益としようとしているのです。

キリストのかたちに似た者になる 

それでは皆さん、このところでパウロが言っている私達の目的とは何だと思いますか。そのヒントがこの御言葉の後の29節に書かれています。すなわち「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにしてくださることを、私達は知っている」(28)。そして、29節「神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった」(29)ということです。

神様は私達を御子、すなわちキリストのかたちに似た者としようとしておられるのです。これまでお話ししたことを全てまとめて言いますと神様は私達がキリストの形に似た者となることこそが私達にとって最高の益であるということを承知しておられ、そのために私達の人生に起きる出来事をお用いになって、この目的に私達がいたるようにしてくださる。このことにおいて神は我々と合いはたらき万事を益としてくださるのです。ご理解いただけましたでしょうか。

皆さん、このことが分かりますとこのみ言葉の意味が分かってきませんか。なぜ、あのことが起きたのだろう。あれは明らかに私の夢を打ち砕いた。何が万事を益とするだ、そんなことないじゃないかと思っていたことが、あの私の夢を打ち砕いたあの出来事により、私は謙遜にさせられ、もっと大切なことがあるのだということを知った。

もし、私達がそのことに気がつかされるのなら、私達はキリストの形に一歩近づいているのです。 このことを心に思いながら、これまで自分の身に起きた諸々の出来事を考えてみましょう。よくよく考えますとそれらの出来事は確かにことごとく、私達がキリストに似た者になるために必要なことを教えてくれるものではありませんでしたか。このことにおいて神は「万事は益」としてくださるお方なのです。

そして、このことを成してくださるお方は私達の生涯を全て知っている方です。そうでなければ、私達の人生に起きた、起きている、起きるであろう出来事を互いに関連させて、そこから最高のものを導き出すことはできないからです。それは微妙なるもので、時に私達には甘すぎたり、苦すぎたり、辛すぎたりするものにまるでさじ加減をするかのようにして諸々の経験を与え、それら一つ一つによって私達はキリストのかたちに近づけられていくのです。万物の支配者、我々の創造者なる神が直々に私達一人一人の人生に手を加えて、私達と共にこのことを成してくださるのです。

そのような意味でこれは私達の人生をかけたプロジェクトなのです。 私達の人生に最後に残るものは私達自身です。そう、それは私達が生きた年月、私達が神と共に作り上げてきた唯一無二の共同作品です。私達は一生かけてこの神の作品をキリストに似た者へと神と共に作り上げていくのです。

このところには「更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった」と、このことは神によって「あらかじめ定められている」と書かれています。それはすなわち私達にもともと埋め込まれているものなのです。それが人間の本文として、私達は造られたのであるのなら、私達はやはりそれに従うべきです。本来の創造の主旨と目的に沿わずに行きますと、私達はやはりあちこちに不具合がでてきますゆえに、やはり私達はそこを目指すべきなのです。

そして、驚くべきことに「キリストのかたちに似た者となろう」と歩んできた人生を振りかえる時に、私達は自ずとそこに神がこのことゆえに与えてくださった数えきれいないほどの祝福をそこに見出すのです。

今日は1月14日です。少々、大目に見て今日はまだニューイヤー・リゾルーションをたてることができる日としましょう。2018年、あなたは何を目指しますか。その道の先には何が見えていますか。キリストの形に似たものとなる、そこに焦点を当てて歩みだしませんか。あなたという作品を神の御手の中で造っていただきませんか。

28神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている。29神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった。 お祈りしましょう。

The Goal We Must Pursue

Romans 8:28
January 14, 2018

We have been away from the book of Romans during the Thanksgiving and Christmas holidays, so today I would like us to get back into our study of Romans. Last year on June 25 we began our series from Romans chapter 1 and have been going through the book ever since, and today we will take a look at the latter part of Romans 8.

Have you ever looked closely at a dollar bill? On it you will see an image of a pyramid. And have you noticed that there is an eye above that pyramid? This eye is called the Eye of Providence, and it represents the all-seeing eye of God.

The word providence is made up of two parts, “pro” which means before and “vidence” which means to see.

On the dollar bill, the Eye of Providence is surrounded by a glory and is above a pyramid. And if you look closely, there is a gap between the eye and the pyramid. This gap indicates that the Eye of Providence sees the entire world from a place that no human can ever reach.

It is a picture of how God sees the world from a place beyond time and space, and we on earth are not able completely understand His plans. Providence can be described as the perspective of God who foresees all things. And as a symbol of trust in this all-seeing eye of God, the words “In God We Trust” is printed on the center of the bill.

In Japan, we often use phrases like “red string of fate”, “born under the same star”, “destined to happen”, and “stroke of luck”. What all these phrases have in common is that they hint at an invisible influence that determines the events in our lives.

Not to object to the use of these words, but as Christians we do not use words like luck or fate. Instead we use the word providence.

Believing in chance or luck is to roll the dice and say that the outcome is the result of mere coincidence, while believing in providence is to believe that God placed and chose the order of the dice for a purpose. So there is a big difference between chance and providence. With these things in mind, I want us to read today’s passage from Romans, it is probably a verse that many of you have highlighted in your Bible:

“And we know that in all things God works for the good of those who love him, who have been called according to his purpose” (Romans 8:28 NIV).

The first thing that catches our attention are the words “in all things God works for the good”. This means that every event in our life “works for the good”.

What do you think of this statement? Here Paul says that “in all things” God works for our good. Needless to say, he really means EVERYTHING. He says that God works every event in our lives for our good. But anyone who hears this kind of statement will be skeptical at first and think, “he can’t really mean ALL things works for the good”. I too feel the same way. We all experience things in life that appear to be far from good. Could it be that this statement in the Bible is merely an exaggeration? Is it just a lie?

Whether its a Toyota or a Ford, do you know how many parts are required to assemble one car? It is said that the number is approximately thirty-thousand. To build a single vehicle, each of these parts are installed in its proper location at the factory. If I were to have all thirty-thousand parts laid out in front of me, as a complete novice I wouldn’t know what each part is for or where it should be installed. If we were to receive one of these parts as a gift we probably won’t be excited. This is because we don’t know what that part is for or where it is to be placed and it seems to have no value or purpose and is not useful to us in any way. But if even one of those parts were missing, the vehicle will not function to its fullest potential in the way it was designed to.

Believing in chance is like shaking a bag filled with these thirty-thousand parts and hoping a fully assembled car would come out of it. There is no way that would ever happen. But if there is a person with a complete knowledge of how to build a car, those parts could be assembled to make a car.

The life we are given by God could be viewed the same way. The events we cannot understand or seem meaningless at first are all linked together to form our lives.

The passage in Romans tells us that everything in our lives work together for good, but we cannot understand this by our own strength or wisdom. This is because as humans, our understanding is limited. On that dollar bill, we are at the foot of the pyramid and cannot see the whole picture. So we can only speculate on the meaning of the various events that we experience in our lives. But God sees the whole picture and works each of these events for our good.

Works Together For Good

Now we may think to ourselves, if this is true then we are only pawns in God’s hand and no matter what we choose to do, God will lead our lives to the direction He pleases. This is what we call fate. But the passage in Romans says this is not true.

This is only for those listening in English, but in the NIV, we find an alternate version of this passage in the footnotes which the Japanese translation is based on, this version reads “And we know that in all things God works together with those who love him to bring about what is good—with those who have been called according to his purpose” (Romans 8:28 NIV, alternate translation, see footnote). Here it says that “God works together with those who love him to bring about what is good”. In an older Japanese translation called the Bungo-yaku, it says “all things are made good by working together”.

Therefore God brings about what is good by working together with us. This doesn’t mean that we could act however we like because God will work it all out, but as we think, decide, and act together with God, He bring about what is good.

So whatever we do, we should pray that we can give it our best. When we do so, God will give His best to work together with our best efforts to bring about what is good. A common mistake is to think that trusting in God means letting God do all the work while you yourself do nothing, but instead we must first do our best and then surrender it all to God.

This means that God has entrusted each of us with our own free will. If our free will is taken away, we will no longer be able to respond to God’s love as humans, but instead we will become God’s robots. Without this freedom there will be no love or trust in our relationship with God. That is why God gave us free will, even though He knew the great risks involved with giving us this freedom.

How we use our free will and make our own decisions play no small part in determining the course of our lives. Even if it’s God’s will for us to go one direction, we may go the opposite direction, and as a result we sometimes suffer the consequences of choosing to go our own way.

But then who has the ability to choose the path God wills for them every single time? Our inability to do so is what makes us human. But the good news is that even the paths we shouldn’t have taken are used by God for our good. We may look back at our failures and setbacks and realize that those times of trial turned out to be a blessing and a necessary part of our lives, and these events are a testament to the fact that God worked with us through these events to bring about what is best for us.

What is The Purpose of Our Life?

 Let me tell you something that is essential in understanding Romans 8:28. Without knowing this truth, we won’t be able to comprehend the full meaning of this passage. To understand this passage, we must know the goal we are pursuing. In other words, we must know the purpose of our life.

There are two goals set before us. The first is our own goal that we set for our life. The other is the goal or purpose God has for our life. If these two goals conflict with each other, we will never be able to comprehend the words in Romans. This is because God does not work just to help us pursue our own goal, but He works all things for good to fulfill the greater purpose He has for our lives.

There is one important aspect of purpose. It is that the purpose of any creation is determined by the one who created it.

Several days ago at a trustees meeting, we were discussing about a broken refrigerator (the one in Issei Hall). We discussed things like the possibility of repairing it and how much the repair cost will be, but in the end we decided to replace it with a new one.

During the discussion someone jokingly said, “it’s a waste to just throw it away, it’s got a door so maybe we can use it as a closet”. We all went along with the joke and had fun talking about repurposing the fridge.

Maybe there really is someone out there in the world who is using a broken fridge as a closet, but person who made that fridge designed and built it specifically for storing and keeping food cold. The reason something is created and the purpose it serves is determined by its creator.

So how about ourselves? Who created us? Was it our parents? It may not be wrong to say so, but strictly speaking, they are not our creator. They may have planned and hoped for a child, but the one who gave us life and formed us in the womb is God. Sometimes we use phrases like “the life my parents gave me”, but this is not completely accurate, because our life was given to us by God through our parents. Therefore God is the only one who truly has the right to determine how we should live and the purpose we live for.

A fridge is created for the purpose of keeping food cold and a car is created for the purpose of transportation. So the manufacturers will not install a steering wheel inside a fridge or an ice maker inside a car. Both are designed to cool or be driven at its full potential. In the same way, God created each of us for a purpose and works all things for the good so that we may find that purpose and live to fulfill it. Getting our dream job and raising a happy family are both important, but these are not the ultimate purpose that God has for our lives.

But most of us live without knowing or even considering this fact and continue with our own way of living. For what purpose do you think God works all things for the good? Is it for the plan you envision for yourself or the plan God has for you? If there is a disconnect between the two, we will never understand the meaning of the words “in all things God works for the good”.

We are all God’s creation and our lives a gift from God. If we believe this to be true, we must agree with the words of Job who said “Naked I came from my mother’s womb, and naked I will depart. The Lord gave and the Lord has taken away; may the name of the Lord be praised” (Job 1:21). God is the one who gave us all that we have, so even if He takes something away, we have no right to argue with Him. The Bible was written upon this foundation, but we go about our lives without knowing or even considering this truth.

When our dreams of becoming a baseball player or attaining a higher position does not come true, we don’t think that God works all things for our good. But God’s ultimate goal is not to make us a professional baseball player or give us a higher position at work. But there is a greater purpose He has for us and He works all things for our good so that we may fulfill this purpose.

Being Made in the Image of Christ

What do you think this purpose is that Paul wrote about in Romans? We find a clue in the verse right after the one we have been reading. Verse 28 says “And we know that in all things God works for the good of those who love him, who have been called according to his purpose”, and then in verse 29 it says “For those God foreknew he also predestined to be conformed to the image of his Son” (Romans 8:28-29).

God wants us to be like the image of his Son, to be like Christ. To summarize what we learned today, in all things God works for our good so that we may become more like Christ, because He knows this is in our best interest, so He uses every event in our life to lead us closer to this goal. This is how God works with us in all things to bring about what is best. I hope you can grasp this truth.

This truth helps us understand the real meaning of Romans 8:28. We think to ourselves, why did that happen to me, or why was my dream shattered. But the events that made us doubt if God is working for our good, the times when our dreams were shattered, those very moments helped us become humble and realize what’s really important. If we see this truth, then we are being made closer to the image of Christ.

With this in mind, let us ponder all the things that has happened to us. When you think of it, don’t you see that every event in your life has been necessary to help you get closer to becoming like Jesus? In this way God makes all things work for our good.

And the God who works all things for our good has our entire life before Him. If it were not so, He would not be able to make all the events in our lives work together to bring about what is best for us. Like a chef who adjusts the flavor of our food so that it is not too sweet, bitter, or spicy for us, God delicately balances each event in our lives to bring us closer to the image of Christ. Our Creator who rules the entire universe works with each one of us personally to help us reach this goal. In this way it is a project that spans our entire life.

The only thing that will remain at the end of your life is yourself. You are God’s one of a kind masterpiece, a collaborative work between you and God. Through your entire life God works together with you so that you may be formed into the likeness of Christ.

In verse 29 we read that we were “predestined to be conformed to the image of his Son”. That means that we were designed to conform to the image of Christ from the very beginning. We were created for this purpose, so it is in our best interest to live for this purpose. If the way we are living is out of sync with the original purpose we were created for, naturally we will have to face negative consequences. But if we live with the desire to be more like Jesus, we will one day look back at our lives and be amazed at the countless blessings God gave us to fulfill this purpose.

Today is January 14th, but let’s still consider it not too late to make a new year resolution. What is your goal for 2018? What do you see in the road ahead? Will you consider stepping out towards the goal of becoming more like Jesus, and let God form you in His hands as His masterpiece?

“And we know that in all things God works for the good of those who love him, who have been called according to his purpose. For those God foreknew he also predestined to be conformed to the image of his Son, that he might be the firstborn among many brothers and sisters”.

Let us pray.

本日のおもちかえり
ローマ8章28節―30節
2017年1月14日

1)「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにしてくださることを、私達は知っている」(ローマ8章28節)。まっさらな心でこの御言葉を読む時に、あなたはどんなメッセージをそこから聞きますか。

 

2)「万事を益とする」ということにあなたは同意しますか。これはどういう意味なのでしょうか。私達はどのような立ち位置で物事を眺めていますか。私達の限界は何ですか(一ドル札の「プロビデンスの目」を思い起こしましょう)。

 

3)「ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにしてくださる」ということはどういうことですか。あなたの運命は予め全て決められているのですか。あなたの意志決断とそれに伴う言動はどのようにあなたの人生に影響を与えていますか。

 

4)あなたの人生の目的は何ですか。神様のあなたに対する人生の目的は何ですか。このことが食い違うとローマ8章28節は理解できません。なぜですか。

 

5)「わたしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。主が与え、主が取られたのだ。主の御名はほむべきかな」(ヨブ記1章21節)という言葉は否定できない正論です。なぜですか。

 

6)私達の人生に起きた諸々の出来事は「更に御子のかたちに似たものとしようとしようとするため、あらかじめ神様が定めて下さった」ものであったと知る時に合点がいくものがありますか。


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