要注意:かたくなな心

アメリカは今もコロナの問題のただ中におります。ニュースはいくつかの州では感染者数が今も増えていると言います。このコロナはこれから書き残される私達の歴史の教科書に掲載されることでしょう。そして、私達はこのコロナ後の世界に生きる人間となります。その世界はコロナ前の世界とは違う、新しい世界だと多くの方達が語り始めています。

もし、世が新しい世界となるのなら、私達はキリストにあって新しい人を身に着けて、その新しい時代を生きようではありませんか。そう、新しい人になるために私達に不可欠なことは今日、私達のかたくなさが取り除かれることです。

私達はこれまで散々、神にかたくなに生きてきたのかもしれません。そんな私達は今、コロナという災いのただ中におり、自分の無力さというものをこれでもかというほどに示されているのです。主にある皆さん、この大きな機会を逃して、私達の人生に再びこのチャンスはめぐってくるでしょうか・・・。

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要注意:かたくなな心
2020年6月14日

私は先週「わたしは主である」という言葉を何度も神様がモーセに語りかけたということをお話ししました。このことをモーセがしっかりと踏まえなければ、彼は自分に委ねられている使命を最後まで全うすることができなかったことでしょう。

モーセは「神こそ主である」ということを心に刻み、当時の世界で一番、大きな力を持っていたエジプトの王パロに「イスラエルの民をエジプトから解放させるように。もし、そのことをさせないのなら、あなたにもエジプトにも災いがおよぶ」というメッセージを語りました。

そして、結論から言いますとこのことゆえにエジプトには10の災いが襲いかかりました。今日はこの10災いのうち、その9つを見ていきたいと思います。まず第一の災い、それは「水が血に変わる」という災いです。

1)水が血に変わる

モーセはパロに向かい言います。『ヘブルびとの神、主がわたしをあなたにつかわして言われます、「わたしの民を去らせ、荒野で、わたしに仕えるようにさせよ(出エジプト記7章16節)

しかし、パロはそれを聞き入れようとしないので、アロンが杖を取ってエジプトの全ての水の上に杖を差し伸べるとそれが血に変わりました。その現象はエジプトの母と呼ばれるナイル川にも起き、エジプト人にとって命の源なるナイル川は赤く染まり、魚は死に、水は臭くなり、人々は飲料水を得るために川の周りを掘りました(これは赤潮であったのではないかと今日、言われています)。

このことゆえにパロはその心をあらためたでしょうか。

「しかし、主の言われたように、パロの心はかたくなになり、彼らの言うことを聞かなかった。パロは身をめぐらして家に入り、またこのことをも心に留めなかった」(出エジプト記7章22節、23節)と聖書は記しています。第二の災い、それは「かえるの異常発生」です。

2)かえるの異常発生

主は再び、モーセに言います、「あなたはパロのところに行って言いなさい、『主はこう仰せられます、「わたしの民を去らせて、わたしに仕えさせなさい。2 しかし、去らせることを拒むならば、見よ、わたしは、かえるをもって、あなたの領土を、ことごとく撃つであろう」(出エジプト記8章1節-2節)

こうしてアロンがエジプトの川、流れの上、池の上に杖をさしのべると、かえるがパロの家、寝室、寝台、家来と民の家に入り込み、かまどや鉢、さらにはその体の上にも這い上がりました。

パロはこのことを受け、モーセとアロンに「かえるを取り去るように主に願ってくれ。そうしてくれたら、私はこの民をさらせよう」と言います。モーセはこのパロの言葉を受けて、主に呼び求めましたところ、全てのカエルは死に絶え、その死体が山積みになり、地は悪臭で満ちました。

このことゆえにパロはその心をあらためたでしょうか。

ところがパロは息つくひまのできたのを見て、主が言われたように、その心をかたくなにして彼らの言うことを聞かなかった」(出エジプト記8章9節)と聖書は記しています。第三の災いは「ぶよの異常発生」でした。

3)ぶよの異常発生

主は再びモーセに言われます。「あなたはアロンに言いなさい、『あなたのつえをさし伸べて地のちりを打ち、それをエジプトの全国にわたって、ぶよとならせなさい』と」(出エジプト8章16節)

この言葉に従いアロンがその杖で地のちりを打ちましたら、地のちりは全てぶよとなり、それがエジプト全土におよび、人と家畜につきました。

このことゆえにパロはその心をあらためたでしょうか。

「しかし、主の言われたように、パロの心はかたくなになって、彼らのいうことを聞かなかった」(出エジプト記8章15節)と聖書は記録しています。第四の災い、それは「あぶの異常発生」でした。

4)あぶの異常発生

モーセは再びパロの前に立ちます。『主はこう仰せられる、「わたしの民を去らせて、わたしに仕えさせなさい。あなたがわたしの民を去らせないならば、わたしは、あなたとあなたの家来と、あなたの民とあなたの家とに、あぶの群れをつかわすであろう』(出エジプト8章20節―21節)。

翌日、その言葉通りにおびただしいアブがエジプト全地に満ち、多くの害を受けました。しかし、イスラエルの民が住むゴセンの地にあぶは来ませんでした。パロはいたたまれなくなってモーセに言います「わたしはあなたがたを去らせ、荒野で、あなたがたの神、主に犠牲をささげさせよう」モーセがこのことゆえに主に祈るとアブは一匹もいなくなりました。

このことゆえにパロはその心をあらためたでしょうか。

しかしパロは今度もまた、その心をかたくなにして民を去らせなかった』(出エジプト記8章32節)と聖書は記しています。第五の災い、それは「家畜に疫病が起こる」という災いでした。

5)家畜に疫病が起こる

アブがいなくなり、それでもまだパロの心がかたくなであったゆえに、神様はモーセに言われます「パロのもとに行って、彼に言いなさい、『ヘブルびとの神、主はこう仰せられる、「わたしの民を去らせて、わたしに仕えさせなさい。2 あなたがもし彼らを去らせることを拒んで、なお彼らを留めおくならば、3 主の手は最も激しい疫病をもって、野にいるあなたの家畜、すなわち馬、ろば、らくだ、牛、羊の上に臨むであろう』」(出エジプト記9章1節-3節)。

このことゆえにエジプトの家畜は皆、死に、イスラエルの家畜は一頭も死にませんでした。

このことゆえにパロはその心をあらためたでしょうか。

しかし「それでもパロの心はかたくなで、民を去らせなかった」(出エジプト記9章7節)と聖書は記録しています。第六の災い、それは「腫れものが臨む」という災いでした。

6)腫れものが臨む

主はモーセとアロンに言われましたあなたがたは、かまどのすすを両手いっぱい取り、それをモーセはパロの目の前で天にむかって、まき散らしなさい。9 それはエジプトの全国にわたって、細かいちりとなり、エジプト全国で人と獣に付いて、うみの出るはれものとなるであろう」(出エジプト記9章8節―9節)。

主が言われたようにエジプト人と家畜に膿の出る腫れものが蔓延しました。

このことゆえにパロはその心をあらためたでしょうか。

『しかし、主はパロの心をかたくなにされたので、彼は主がモーセに語られたように、彼らの言うことを聞かなかった』(出エジプト記9章12節)と聖書は記しています。第七の災い、それは「雹が降る」という災いでした。

7)雹が降る

次に神様は『明日の今ごろ、わたしは恐ろしく大きな雹を降らせるであろう。それはエジプトの国が始まった日から今まで、かつてなかったほどのものである』(出エジプト記9章18節)

この被害を避けたいと思うのなら家畜を逃れさせなさいと主は言われました。主の言葉を畏れる者達はそれに従い、そうしなかった者達の家畜は打たれ死に、家畜のみならず畑の全ての青物、野の諸々の木を折り砕きました。この度も再び、イスラエルの民のいるゴセンの地に雹は降りませんでした。

この事に対してパロは人を遣わして、モーセとアロンに言います。「わたしはこんどは罪を犯した。主は正しく、わたしと、わたしの民は悪い。 主に祈願してください。この雷と雹はもうじゅうぶんです。わたしはあなたがたを去らせます。もはやとどまらなくてもよろしい」(出エジプト記9章27節,28節)。

 モーセは主に向かって手をのべ広げます。すると雷はやみ、雹は降らなくなりました。

このことゆえにパロはその心をあらためたでしょうか。

ところがパロは雨と雹と雷がやんだのを見て、またも罪を犯し、心をかたくなにした。彼も家来も、そうであった。すなわちパロは心をかたくなにし、主がモーセによって語られたように、イスラエルの人々を去らせなかった(出エジプト記9章34節、35節)。第八の災い、それは「いなごの異常発生」でした。

8)いなごの異常発生

3 モーセとアロンはパロのもとに行って彼に言った、「ヘブルびとの神、主はこう仰せられる、『いつまで、あなたは、わたしに屈伏することを拒むのですか。民を去らせて、わたしに仕えさせなさい。4 もし、わたしの民を去らせることを拒むならば、見よ、あす、わたしはいなごを、あなたの領土にはいらせるであろう。5 それは地のおもてをおおい、人が地を見ることもできないほどになるであろう。そして雹を免れて、残されているものを食い尽し、野にはえているあなたがたの木をみな食い尽すであろう』(出エジプト記10章3節-5節)。

さすがにパロの家来達も神の存在を知るようになり、パロに進言します。パロの家来たちは王に言った、「いつまで、この人はわれわれのわなとなるのでしょう。この人々を去らせ、彼らの神なる主に仕えさせては、どうでしょう。エジプトが滅びてしまうことに、まだ気づかれないのですか」(出エジプト記10章7節)。

これらを受けてパロとモーセ、アロンの間に交渉がなされ、パロは言うのです「わたしは、あなたがたの神、主に対し、また、あなたがたに対して罪を犯しました。17 それで、どうか、もう一度だけ、わたしの罪をゆるしてください。そしてあなたがたの神、主に祈願して、ただ、この死をわたしから離れさせてください」(出エジプト記10章16節-17節)。

このパロの言葉により、神は強い西風を吹かせ、全地に広がったいなごを、紅海に追いやり、エジプト全土からいなごはいなくなりました。

このことゆえにパロはその心をあらためたでしょうか。

聖書はこう記しています『主がパロの心をかたくなにされたので、彼はイスラエルの人々を去らせなかった』(出エジプト記10章20節)九つ目の災い、それは「全地が闇に覆われる」という災いでした。

9)全地が闇に覆われる

主はモーセに言われます。「天にむかってあなたの手をさし伸べ、エジプトの国に、暗闇をこさせなさい。その暗闇は、さわれるほどである」。モーセが天にむかって手をさし伸べたので、濃い暗闇は、エジプト全国に臨み三日に及んだ。三日の間、人々は互に見ることもできず、まただれもその所から立つ者もなかった。しかし、イスラエルの人々には、みな、その住む所に光があった』(出エジプト記10章21節―23節)。

このことを受けてパロは当初、モーセに「あなたがたは行って主に仕えてよろしい」と言います。しかし、そこには条件がつき、モーセとパロは折り合うことがありませんでした。

このことゆえにこれまで8度の災いに対してパロの心がかたくなってあったように、この9度目の災いに対しても「主がパロの心をかたくなにされたので、パロは彼らを去らせようとしなかった」(出エジプト記10章27節)と聖書は記しています。

こうしてパロは神様モーセとアロンを通してなされた9つ全ての言葉に対して心をかたくなにし、いよいよエジプトに最後の災い、10番目の災いが臨むことになます。そのことにつきましては二週間後にお話しします。

今日は9つの災いの全てを取り上げてお話ししました。その理由はただ一つ、それはパロが、その一つ一つに対して、ことごとく心をかたくなにしたということを私達が心に留めるためです。

再来週、お話ししますがパロが10番目の災いを受けた時、それはパロにとてつもない痛手となり、このことゆえにいよいよイスラエルの民はエジプトを出て行きます。しかし、驚くべきことは、このパロという人は、その後にイスラエルの民の後をエジプトに連れ戻すべく、追いかけるのです。信じがたい、恐ろしいまでの執念、頑なさです。

神様はかえる、いなご、あぶ、ぶよを送り、多くの家畜が疫病や雹に打たれ死にました。当時、エジプトではカエルは神として崇められていました。カエルは水の中から生まれ、陸でも生きることができ、これがエジプト人の来生への願いとなりました。また昆虫や家畜も神々として崇められていました。

「それらがあなたたちの神々であるのなら、たくさんの神々に囲まれればよかろう」と言うかの如く、神様はこれらのものでエジプトを覆い尽くしました。しかし、エジプト人にとって神であるこれらのものが転じて、破壊的な災いとなりました。

今日、かえるや昆虫、家畜を崇拝している人はいないと思います。しかし、私達は他の諸々のものを拝んでいると言ってもいいのかもしれません。それは富であったり、ステイタスであったり、それらを神々のようにして崇拝しているのなら、それは今日の偶像崇拝と呼んでもいいことでしょう。そして、時に、これらのものも転じて私達の災いへと変わりうるものです。

パロはこれらの災いに向き合い、己が神々としているものが何と空しいものであるかということをさすがに認めたことでしょう。彼が神々と呼んでいるものが、彼とエジプトを苦しめる災いとなったのは歴然とした事実なのですから。

そして、このような災いが、神が言われたようにことごとく起きたということ、その背後にある存在は明らかに人間を超えた圧倒的な存在であるということもパロは身に染みて知ったはずです。

しかし、彼はこの9つの災い、その全てにおいて心をかたくなにしました。最後には家来たちも「このままいったらエジプトが滅びます。まだ気がつかないのですか」とパロに進言しました。しかし、彼は聞く耳を持ちませんでした。

私達は「人はこんなに頑なになりうるのだろうか」と他人ごとのように考えます。しかし、このことは誰にも起こり得ることなのです。誰彼ではなく、このことは私達の心に光を照らすのです。

太陽の熱はロウソクを溶かします。しかし、それと同時に、土をカチカチに固めます。私達、人間の心も時に神様のあわれみによって溶かされます。しかし、時にそれはますます私達の心をかたく、頑なにします。パロは一貫してこの後者であり続けました。

私たちはいかがでしょうか。私たちの心は神様の言葉に開かれていますか。パロのように、かたくなな心と共に生きていますか。

神様はいつも私達に御手を延べ、私達に知恵を与え、私達を救おうとされ、私達に祝福を注ごうとされます。しかし、それらのものを私達がことごとく受け取ることができない方法があります。

「これらのものを受け取らない方法」という言葉に違和感を感じる方達がいるかと思います。なぜなら「こんなに素晴らしいものを受け取らない理由なんてあるのか!」と私達は思うからです。でも、実際に私達は、いただけるものをいただけずにいることがあります。なぜ?理由は一つ、私達の心がかたくなだからです。

私達に神様がくださろうとしているものがドアの向こう側にあるのに、私達の心の頑なさはそのドアノブに決して手を伸ばさないのです。

ヘブル書の記者は私達が聞き従うべき言葉を今も私達に語りかけています。12兄弟たちよ。気をつけなさい。あなたがたの中には、あるいは、不信仰な悪い心をいだいて、生ける神から離れ去る者があるかも知れない。13あなたがたの中に、罪の惑わしに陥って、心をかたくなにする者がないように、「今日」といううちに、日々、互に励まし合いなさい。14もし最初の確信を、最後までしっかりと持ち続けるならば、わたしたちはキリストにあずかる者となるのである。15それについて、こう言われている、「今日、み声を聞いたなら、神にそむいた時のように、あなたがたの心を、かたくなにしてはいけない」(ヘブル3章12節―14節)。

ここには「心をかたくなにする者がないように」、「あなたがたの心をかたくなにしてはいけない」と二度も書かれています。

パロはそのかたくなさを明日に引き継ぎました。その日になりましたら、さらにその翌日もそのかたくなさを持ち続けました。我々も彼のように、そのかたくなさを持ち続け、その人生を終えることができます。実際に、そのかたくなさと共に人生を終える人は決して少なくないのです。主にある皆さん、私達もパロのような生涯を生きていくのでしょうか。

ヘブルの記者はここで繰り返し言います「心をかたくなにする者がないように「今日」といううちに、日々、互いに励まし合いなさい」。

そうです、主の前に私達の心を開くのなら、それは明日に持ち越して延期するようなことではない。今日、御声を聞いたのなら、今日、私達は主に心を開くべきです。私達が心を主の前に開くことができる時は限られているからです。

多かれ少なかれ誰しも「心のかたくなさ」を持っています。ですから、互いにそれを持ちかねない者同士、私達は励まし合い(ヘブル3章13節)、こう互いに言い合うのです。「兄弟姉妹、主の前にかたくなになるのはやめましょう。主の前に心砕かれて生きましょう。それが我々人間が生き得る最善の生涯なのですから」。

パウロはかつてエペソ人への手紙の中にこのようなことを書きました。17 そこで、わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。彼らは愚かな考えに従って歩み、18 知性は暗くなり、彼らの中にある無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています。19 そして、無感覚になって放縦な生活をし、あらゆるふしだらな行いにふけってとどまるところを知りません。20 しかし、あなたがたは、キリストをこのように学んだのではありません。21 キリストについて聞き、キリストに結ばれて教えられ、真理がイエスの内にあるとおりに学んだはずです。22 だから、以前のような生き方をして情欲に迷わされ、滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、23 心の底から新たにされて、24 神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなければなりません(エペソ4章17節―24節)。

パウロはあえてこれから書くことを「あなた達に強く勧めます」と言っています。そして彼は「彼らの中にいる無知とその心のかたくなさ」のために神の命から遠く離れていると言います。このような心をあなた自身のために断じて保つべきではないとパウロは強く私達に勧めているのです。

私達は心をかたくなにして神の命から遠く離れて生きるのではなく、キリストが教えてくださったように、幼子のように心を神に開き、神の命によって生きようではありませんか。そのことにより、心の底から新たにされて、神にかたどって造られた新しい人を身に着け、真理に基づいた正しくきよい生活を送ろうではありませんか。

アメリカは今もコロナの問題のただ中のおります。ニュースはいくつかの州では感染者数が今も増えていると言います。このコロナはこれから書き残される私達の歴史の教科書に掲載されることでしょう。そして、私達はこのコロナ後の世界に生きる人間となります。その世界はコロナ前の世界とは違う、新しい世界だと多くの方達が語り始めています。

もし、世が新しい世界となるのなら、私達はキリストにあって新しい人を身に着けて、その新しい時代を生きようではありませんか。そう、新しい人になるために私達に不可欠なことは今日、私達のかたくなさが取り除かれることです。

私達はこれまで散々、神にかたくなに生きてきたのかもしれません。そんな私達は今、コロナという災いのただ中におり、自分の無力さというものをこれでもかというほどに示されているのです。主にある皆さん、この大きな機会を逃して、私達の人生に再びチャンスはめぐってくるでしょうか・・・。

「喉元過ぎて熱さを忘れる」という言葉がありますが、この言葉の意味はどんな試練も過ぎてしまえば忘れてしまう、苦しい時に受けた恩も、時がたてば忘れ去ってしまうということです。

まさしくパロはこのことを地でいったような人でした。神から災いを受け、苦しみ、その時はそれを取り去ってくれ、あなたの言うことを聞くと言い、実際にそこから救われると、何事もなかったかのように元のかたくなな心に逆戻りしました。それが繰り返され、最後に10番目の災いがきたのです。

コロナという試練を過ごし、己の無力さを知り、心砕かれて、今一度、神に立ち返ろうとしている人達がいます。そうです、確かに今、ピンチがチャンスとなっています。

しかし、一番大切なことは、このコロナが過ぎ去り、もはやコロナに対する恐れと注意が必要なくなった時です。これまでの人類が歩んできた歴史を見て分かることは、その時に私達は再び、神を忘れ、心をかたくなにする生き方に戻っていくということです。それが人間の性(さが)であり、それが人が罪人であることのゆえんです。

私達の心からの祈りと願いはこれから終始一貫、雨の日も晴れの日も、主の前に私達の心の頑なさが取り除かれて、主の前に心が開かれ続けること、そのことを生涯、全うすることです。ここに私達の祝福の源があるからです。

最後に昔も今も一貫して変わらない聖書の約束の言葉をもってこのメッセージを終えたいと共います。イザヤ57章15節、「いと高く、いと上なる者、とこしえに住む者、その名を聖ととなえられる者がこう言われる、「わたしは高く、聖なる所に住み、また心砕けて、へりくだる者と共に住み、へりくだる者の霊をいかし、砕ける者の心をいかす」

主にある皆さん、神の前に私達の心のかたなくなさが益になることは決してないということを私達の心に刻もうではありませんか。

お祈りしましょう。

 

本日のおもちかえり
2020年6月14日

1)パロとエジプトに降りかかった10の災いに共通していることは何ですか。

 

2)なぜパロはイスラエルの民が出て行くことを容認しなかったのですか。

 

3)第一の水が血に変わる災いの時、「パロは身をめぐらして家に入り、またこのことをも心に留めなかった」(出エジプト記7章23節)と聖書は記しています。なぜ彼はこのことを心に留めなかったのでしょうか。

 

4)第二のかえるの異常発生の災いの時、「パロは息つくひまのできたのを見て、主が言われたように、その心をかたくなにして彼らの言うことを聞かなかった」(出エジプト記8章9節)とあります。このことは何を意味していますか。

 

5)「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という言葉がありますが、このことはパロに当てはまりますか。このようなことが信仰生活の中にありませんか。

 

6)1,2,3,4,5,7の災いに対して「パロは心をかたくなにした」と書かれており、6,8,9の災いは「神がパロの心をかたくなにした」と書かれています。このことは私達に何を語りかけますか。

 

7)ヘブル3章12節―14節を読みましょう。このところでパウロは二度、「あなたがたの心をかたくなにするな」と書いております。なぜ、パウロはこのことを大切なこととして語っているのですか。

 

8)パウロはここで「今日」という言葉も二度、取り上げています。なぜ、「今日」が大切なのですか。

 

9)エペソ4章17節―24節を読みましょう。パウロはここで何を強く勧めていますか。「無知とその心のかたくなさのために、神の命から遠く離れています」(18)ということはどういうことでしょうか。心のかたくなさは私達に何をもたらしますか。

 

 

 

 

 


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