12人の優しい日本人

優しい
休暇中に「12人の優しい日本人」を観ました。12人の陪審員がある事件について会議室で喧々諤々と議論を交わすというストーリーです。各々のパーソナリティーとその心の揺れ動きが笑いを誘いました。

この映画を観ていてつくづく思いましたことは、私達が下す判断というものがなんと主観的で、頼りなく、常に間違いかねないものであるかということです。ある者は被害者に、ある者は加害者に激しく感情を移入し、ある者は早く会議を終わらせたいために有罪に賛成したり、自分の考えがまとまらず他者の意見に流されたり・・・。

笑いつつも、この映画を観ながら思わされたことは人が完全に人を裁くことは無理だということであり、私達は不完全な世界に生きる不完全な人間だということでした。このことを自覚したうえで、それでも私達は判断と決断をし続けなければならない、これはなかなか重く、つらいことです。こう考えますと神様に最終的な裁きを委ねることができることだけが、私達の最後のよりどころとなるのだとあらためて思わされました。

マック

追伸:私達が思う以上に、この世界には冤罪があちこちにあるのかもしれません。


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2 thoughts on “12人の優しい日本人

  1. 1957年のアメリカ映画「十二人の怒れる男」(12 Angry Men )のパロディ作品でしたね。

    「裁判員制度と陪審員制度の違い」とうゆうWebサイト上で・・

    『日本で取り入れられた裁判員制度では、裁判員に課されている責務として、有罪か無罪かを決めることだけではなくて、被告の量刑まで判断します。これは、法律的知識と経験のない一般市民には非常に大きな負担ともいわれます。』

    裁判員制度と陪審員制度の違い 
    http://www.compumag2005.com/saibanin6.html

    とありました。この映画「もし日本にも陪審員制度があったら?」という架空設定のようでしたが、祖国日本の裁判員制度のほうがアメリカ合衆国の陪審員制度より一般市民の責任は重大なようです。

    私は来週からJury Service(陪審員)のお勤めで裁判所通いです(汗)。主に在って公明正大な判断と決断が出来るように祈りつつ臨みます。

  2. 裁判員制度と陪審員制度の違い、とても勉強になりました。大変なお役目かと思いますが、来週からのお勤めが主にあって全うされますようにお祈りしています。

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