スイス生まれのJ・シュピーリという人が書いた「ハイジ」という作品が原作となっている「アルプスの少女ハイジ」という名作アニメを見たことがありますか?親のいないハイジがおじいさんの家に引き取られて、そこで暮らしていく生活の様が描かれています。その物語の中にこんな場面がありました。
ある日、ハイジの友達で足の不自由だったクララが歩けるようになった夜、ハイジはこう言いました「神さまって、あたしたちがいくらお祈りしても、それよりずっといいことをご存知の時は、決して聞き届けて下さらないけれど、でも、それはやっぱりいいことなのね。・・・だからね、もしこちらの思い通りにならなくても・・・・それっきりお祈りをやめてしまったりしてはだめよ。そうでなくって、今度はこうお祈りするの、分かりました、神様、あなたはきっともっといいことをご存知でしょうし、そのようにはからってくださると思って、安心しています」ってね。
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心はアルプスから、マックの自宅へ。そこではマックの子供達がチャンバラをしている。家の中にはあちこちに彼らが外で拾ってきた棒が転がっている。だんだんと彼らのチャンバラがエスカレートしていく。かといって、木の棒で物足りなくなった彼らが本物のナイフを願っても、買い与えることはない。そんなの当たり前。彼らの父としての当然の考え。今の彼らに相応しいものを与えようとするのが私の責任。そして、彼らにとっていいものなら、何でも与えたくなるのが親心。
GODは私たちの父なのだと聖書はいう。そして、驚くべきことにそのGODを「お父ちゃん」と呼んでもいいんだとも聖書は書いている。日本人なら「おっとさん、おとう、おやじ」といったところか。この天のお父ちゃんの前では私も子供。子煩悩な私のお父ちゃんは、きっと私にとって最善のことを願っているはず。だからハイジの祈りは私の祈り。
「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神が全てのことを働かせて万事を益としてくださることを、私たちは知っています」 聖書 ローマ8章28節
マック