God Bless You

私達の教会では毎週水曜日の晩に集会を持っている。数週間前にその集会でこんなニュースが話題となった。

ネバダ州のある学校(おそらく高校)の卒業式で、一人の生徒代表がスピーチをすることになっていた。学校側からは、そのスピーチの中でGODとかFAITH と言うような言葉を使うことがないようにという注意がなされた。しかし、その学生は本番で、その禁じられた言葉を使ったのである。彼の学校生活と彼のスピリチャルな生活が切っても切り離せないものであるならば、当然、それらの言葉を使わずして自分の学校生活を語ることは出来ないという確信が、その学生にはあったのだろう。

確かに彼はその言葉を使った。しかし、その瞬間、学校側はマイクのボリュームを下げた。すなわち、その言葉は消えてしまい聴衆に伝わらなかったのだ・・・。

そして、昨晩の集会で聞いた話。

最近、別の学校の卒業式で一人の女の子がスピーチをした。スピーチが終わり、彼女はしばらくステージから離れず、壇上に立っていた。会衆がどうしたのだろうと心配し始めた頃合に、彼女は大きなクシャミをした。

そのクシャミを聞いた学生達は一斉に立ち上がり、皆で一斉に

GOD BLESS YOU!

と叫んだ・・・。

あなたたちの柔らかい純粋な心がうらやましい。

マック

朝が勝負!

サンディエゴの気温はグングンと上がってきている。でも、まだ乾燥しているからいい。30℃は軽く超えていると思われるが、それでいて汗をかかないというのだから。今年は9年ぶりに日本の夏を体験することになるが、果たして私の汗腺がどこまでもつやら、今から恐れている。

それにしても、涼しいのは午前中だけ、しかも11時ぐらいまでだろうか。特に私のオフィスは西日が当たるので、これからの午後は新しい策を考えなければなるまい。

そこで、当面は午前中が勝負となってきた。暑くなる前にどれだけ優先的なものを集中して終わらせることができるか。これにかかっている。最近は家族が眠っているうちにコソコソと家を出て、教会で静まることが多い。

主のいつくしみは絶えることがなく、そのあわれみは尽きることがない。
これは朝ごとに新しく、あなたの真実は大きい。 旧約聖書 哀歌3:22-23

マック

追伸:大昔、タモリの時間(分かります?)まで寝ていた自分が懐かしい。

たちつてと

娘は今「かきくけこ」が言えず「たちつてと」になってしまう。例えば・・・。

「そうなのか」→「そうなのた」
「ここにあるよ」→「ととにあるよ」

などなど・・・。

そして、この発音は今のところ一番、一日のつき合いが長い弟にも受け継がれていて、彼も怪しいことを言っている。

この間、この娘が家内に聞いてきたと言う。「ママ、“ ど ”ってどう書くの?」。書いて教えてあげると彼女は嬉しそうに一枚の紙にこう書いて見せにきた。

「いちど」

訳せばこれは「いちご」。

娘よ、まぁ、あせらずのんびりいこうな。

マック

これから色々と・・・。

これからしばらく色々なことがある。まず来週もたれる修養会。ラストミニッツの仕事が今週、押し寄せてくることだろう。今のところ、250名ほどの参加者がある。期待して臨みたい。

そして、この修養会が終わった翌週には家族が先に訪日する。暴走、逆走、落下、激突、紛失、失踪などと隣り合わせのチビッコ・ギャング3人を連れて、ただ一人で訪日する家内の身の上に、ハプニングが起きないようにと祈っている(私たちはけっこうまじめに次男の体に手綱をつけていこうかとも話し合っているが、ここアメリカではそれも虐待となってしまうかもしれない)。私といえば、その間はつかの間の一人暮らし。毎日が騒然としているだけに、彼らが行ってしまった後の静寂に、自分はどこまで適応できるのかが今から興味深い。

彼らが去った週は、私たちのコンファランスの総会。そこでは一つレポートがあって、それ以外には役回りはないが、教会をあける前後というのは、いつも色々とすべきことも増えてくる。

そんなこんなと色々あるし、今日のサンディエゴはとぉっーても暑いし、夏バテしないように、はりきっていきましょう。

マック

誇り

今日はこんなことを礼拝でお話したのです。

アメリカの文化人類学者ルース・ベネディクトは第二次世界大戦が終結するにあたり、有名な「菊と刀」という 日本の文化についての書を書きました。その本の中で、彼女は日本の文化を「恥の文化」として位置づけています。すなわち、それは「私たちの言動は、他人が自分の行動に対してどういう判断を下すか、その他人の判断を基準にして自分の方針を定める」というものだというのです(彼女はな、なんと日本に行ったことがないのに、こんなことを指摘しているのです。ベネディクト女史、おそるべし!)。

そして、この判断は「自分が信じる対象を決める時」にすら作用するのです。一人の人間の信念、信仰という、最も個人の自由意志のもとになされていくべき精神的な意思決定の時ですら、私たちは天を仰ぐのではなく、両隣を見て、他人の判断を基準にして自分の信念を決めてしまうのです。

「私はこの福音を恥とはしない」  新約聖書ローマ人への手紙1章16節

この言葉はパウロという人がローマにある教会に向けて書いた手紙の一節です。彼は当時の世界最強国家ローマ帝国に向かって、その支配の下に置かれていた弱小民族ユダヤ人の間で始まったジーザスの教え(福音)を恥としないと書きました。

ローマの力と華やかさに目を留めることなく、彼は自分の立つところを恥とはしないと言ったのです。別の言い方をするならば、パウロにとって「福音は誇り」だったのです。

あなたは「私は誰が何と言おうと、この上に立つ。私はそれを誇りとする」というものがありますか?

そんなあなたは幸いだと思います。

マック

 

ブログに感謝

ブログには感謝している。何に感謝しているって、自分の日常生活は平凡だということに気がつかせてくれるからだ。これは10日続けてブログを書けば分かることだけれど、そんなに私たちには毎日、毎日、書き続けていくネタというものがないということだ(私達はチャングムではありません)。大抵は毎日、同じことの繰り返し。

でも、そんな平凡な毎日の中でも、ブログをやっていると「どうにかアンテナを張っていこう、見慣れている生活のどこかに新しい発見がないかな」というような心構えができてくる。これはとても自分にとって大きなメリットになっている。この感覚は聖書の世界に近づく時にも大きな力となるはず。

一つのものを見て、10くらいのインプレッションをもてたらいいなー。

マック

ボールゲーム

ただいま、ボール・ゲームから帰ってきました。このゲームは、毎年我が家のスケジュールに組み込まれているものです。

今晩はイチローが守るライトスタンドからイチローを眺めてきました。城島も先発でがんばっていました。ゲームは一対一のまま延長となり、10回の裏にパドレスのサヨナラという、地元にとってはこれ以上の終わりかたはないという結果でした。今、パドレスは西地区の一位だということで、珍しく40000人以上の観衆が集まり、その歓声、雄叫び、悲鳴が夜空に響き渡りました。

昨日で連続安打記録が途切れたイチローは、パドレスのエース、PEAVYの前に2つの三振。しかも、最初の三振は三球三振という彼には珍しい打席となりました。城島はすっかり捕手として信頼を得ているようです。二人にブーイングが起こるということは、彼らもすっかりメジャーで認められているということでしょう。

とりあえず日付が変わる前にお知らせです。
ぎりぎりの23日でした。

マック

知ることから始まる

今日は正午から全て外部から入るメデイアをシャットアウトした。どうしても日本vsブラジルをライブで観ることができなかったので、帰宅してからビデオで観るために。その前に結果だけは知りたくなかった。

帰宅してからテープを回した。その後に起こることを知らずに、私は前半の玉田のゴールに体が熱くなった。これが観たかったんだ。あのオーストラリア戦で中村がフワリとあげたボールを高原のヒップで押されたキーパーが取り損なって入ったというようなゴールではなくて、有無を言わせない圧倒的なゴールだ。その瞬間、今まで喉にひっかかっていたものがとれたように感じた。

でも、あの一発が眠れる獅子を起こしてしまった。結果は皆さんが知っているとおり・・・。

試合後、あのクールで強気な中田英寿がピッチの上で10分近く、仰向けに倒れていたという。そして、泣いていたという。本場を肌で知る彼は、チーム内において孤立するほどに同僚の闘う姿勢を問いただしてきた。

今日、ゲームの終わりを告げる笛が吹かれた瞬間から次のワールドカップへの旅が始まった。選手達は世界を肌で感じたことだろう。観戦していた私たちもそうだ。

自分の前には踏み入れたことがない大海が広がっている。それを知ることから全ては始まる。これは大切な一歩だと思う。そして、これはサッカーだけの話ではない。

マック

追伸:私は生涯、日本代表のファンです。