終了

チャーチ・キャンプが終わりました。牧師のメッセージに多くのチャレンジを受け、ジーザスにある兄弟姉妹とのフェローシップも楽しんだ三日間でした。ちょっとヘトヘトでもあり、細かなレポートができずに申し訳ありませんっ。

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マック

嬉しい追伸:今朝、コーワーカーのパスターH夫妻に男の子が誕生しました。おめでとうございます!

ニ日目

キャンプ二日目。午前、そして夜の集会共に恵まれました。また聖書の言葉のとらえ方、デリバリーの仕方等、日米の違いを興味深く観察し、とても勉強になりました。

子供達は姿を消してあちこちで思い思いに遊んでいたようです。夕食を目の前に直角に天を見上げて眠りこんでいる娘の姿に乾杯!
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マック

キャンプ 

今日から毎年恒例の教会主催のキャンプです。

今年はシアトル郊外のLighthouse Christian ChurchからWayne Ogimachi牧師を講師としてお迎えします。今週末だけは会衆席に座って「聞かせていただける」ので、とても楽しみです。やっぱり、「出ていく」だけじゃ枯渇してしまうし、「内に入れること」はとても大切です。心身ともに充電してきたいと思います。

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素敵な週末を!
マック

明日

今日は昨年に引き続き、日本からベドウ路得子さんが来てくださり、ミニ・コンサートをもった。心を注ぎ出して歌われたどの歌も、私達の心に大切なことを語りかけてくれた。その中の一曲・・・。

『明日を守られるイエス様』
Ira F. Stnphill作詞作曲

明日は どんな日か 私は知らない
晴れか 嵐か 曇りになるか
私は 明日を 心配しない
イエスが 私を 守られるから

明日は 私には 分からないけど
明日を 守られる イエスが おられる

日々の 歩みは 日々に あかるく
肩の 重荷は 次第に軽い
輝く太陽 涙 かわかし
あおぐ空には 虹の架け橋

明日は 私には 分からないけど
明日を 守られる イエスが おられる

明日は どんな日か 私は知らない
どんな 道筋が 先にあるかも
だけど 私は 心配しない
イエスが おられる 私のそばに

明日は 私には 分からないけど
明日を 守られる イエスが おられる

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マック

世俗

毎週、礼拝メッセージでお話しています「9つの「せい」を大切に!」シリーズの「世」について、ただ今準備中(10月7日の礼拝)。色々と考えさせられています。 

神の手さえも、働く時は汚れるのですよ。というか汚れなければ実際は働けないのです」(「神の汚れた手」 曽野綾子)。

ジーザスの手は確かにいつもキレイではなかったと思います。その手は、その働きをなすために汚れました(悪に手を染めたということじゃーありません)。それが世俗に生きるということです。ジーザスは世俗のただ中で生まれ、世俗のただ中を生き、しかし、その世俗に染まらずに、さらに勝ったもののために生きたのです。

「世俗牧師宣言!」の核心に迫るメッセージとなりそうです。
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マック

思い出

今回の訪日では家内の実家のある大分の佐伯という町で時を過ごした。今回の目的は休暇ではないので、自然を楽しむことはなかったが、車窓から見える手つかずの自然にはいつも感動させられた。

そこには川岸がコンクリートで埋められていない川があちこちにあり、見るからに魚群が濃そうなのだ。そして、それにしても豊かな緑の森。この森から海に流れる水にはミネラルなどの栄養素が多分に含まれていて、豊かな漁場が開かれている。まさしく、そこは海の幸、山の幸の宝庫なのだ。

このような場所が「いなか」として与えられている子供達は幸せだ。川に戯れ、野山を駆け巡る。そんな経験は彼らの生涯、決して消えることはないだろう。形ある物を遺すこともいいかもしれないが、楽しい思い出を彼らと共有すること、それが私ができる子供達への最高の贈り物だと思う。

j0401229.jpg カテゴリー: Macな日々 | コメントを残す

二週間前、訪日すると同時に久しぶりに腰痛に襲われました。博多に着いた時には、痛みが神経に触れて力がなく、大きな荷物は宅急便に頼み、一歩一歩ユルリユルリと宿へと歩みだしました。

結局、その痛みは訪日中続きましたが、今思えばよく帰ってこれたなーと感動しています。ここぞという時には痛みが軽減していたことを思えば、やはり守られていたのだと思います。

ということで、今日は久しぶりのオフ。数時間、泥のように眠り、目覚めた月曜日の夕方です。力を蓄えて、また明日から歩みだします。 

全世界の腰痛にお悩みの皆さん、お大事に!

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マック

聖はどこにありますか?

日本に住んでいると私達は時々、おきよめと言って塩を家の玄関口に小山にして置いてみたり(相撲取りも取り組みの前に塩をまきますね)、水をまいたりしている光景を目にします。いいえ、実際まくだけではなくて、自分自身が雪解けの滝に打たれたりしている人達もいます。

しかし、このテサロニケの手紙を書いたパウロはこのところで「死海の塩があなたがたをきよめてくださるように」とは言っていませんし「ノアの箱舟が漂着したと言われているアララト山の万年雪の雪解け水があなたがたをきよめてくださるように」とその水を浴びるようにとは、ここで言っていないのです。パウロは「神があなたがたを全くきよめてくださるように」と書いているのです・・・。

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今日、お話した礼拝メッセージです。
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