楽しみ

ついにサンディエゴに某大型日本古書店が進出しまして、先週土曜日にオープンしました。聞くところによるとこのサンディエゴ店は全米一の大きさだということです。

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ということで、今日、はじめて行ってきました。確かに他店と比べてみても中は大きく、その半分ちかくが洋書というところが着実に米国社会にも根を下ろしていこうという戦略なのでしょうか。

いつも私は「一ドル本」しか見ないのですが、今日も幾冊かを購入しました。本屋に行くのは、昔クワガタ取りに行った時と同じような気持ちとなるもので、オフディーの楽しみがまた一つ増えました。これでますます当地は東京24区!あとはサンディエゴ-成田直行便のみ!

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専らの関心は日本人とその周辺なのです。

マック

犬以上

室内犬を飼っている方、一日、クタクタになって仕事を終えて帰宅すると、犬だけがシッポがちぎれるほどに、あなたのお帰りを朝から待っていましたとばかりに、玄関に迎えてくれるっていうことありませんか。さて、家族は留守かと思い、廊下をぬけてダイニングに行けば家族は皆、自分が帰ったことにも気がつかずに天気予報を見ているなんてこと経験したことありませんか。

「父帰る 一番喜ぶ 犬のポチ」なんて川柳がありましたが、犬は本当に「あなたが帰ってきて嬉しいよー」と喜ぶのです。そうしたらやっぱり会社で色々なことがあっても犬のことが可愛くなるのです。でも犬はこのような父だけではなくて、家族全員にも同じように振舞いますから、皆から愛されるのです。喜ばれて嬉しい飼い主達は、自分も嬉しくなって、可愛くなって犬を大切にします。ですから「散髪代、俺は千円、犬 一万」なんていう哀愁ただよう川柳も生まれるのです。

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人間の皆様、私達は犬以上のはず!

マック

今日、お話したメッセージです。
よかったらどうぞ!↓

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Under The Same Moon

私達の住むサンディエゴは国境の町。故に公共機関のほとんど全てはスペイン語が併記されています(これは、ここだけに限らないけど)。子供達の友人にも多くのヒスパニックの子達がいます。

そんな子達を思い浮かべながら、昨日は家内と「Under The Same Moon」という映画を観ました。この映画には不法に米国に滞在している人達の姿が描かれているので、観る人によっては賛否両論あると思いますが、私は個人的にとても良かったです。

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この映画、「母を訪ねて三千里・エルパソ‐ツーソン‐LA」バージョンのようで、プロットも読めるのですが、「こりゃ皆グッとくるでしょ」というようなエンディングで、民族は違えど考えていることは皆、全く同じなんだなーと思いました。やっぱり、皆それぞれが色々な事情を抱えて生きているわけで、そのあたりの想像力の足りなさを感じました(何言っているのか分からないでしょ、観てください、よかったら)。

マック

追伸:それにしてもアニバーサリーなんだからロマンチックな映画を観ればいいのに、こってり母子愛の映画でした。でも、まぁーそれもよかよか。

アニバーサリー

早いもので私達が結婚して10年になろうとしています。

細かく言えば来週がそのアニバーサリーなのですが、ちょうどその日に集会があるので、今日の午後、ちとお暇をいただき二人の時間を楽しみました(Mさん、Nさん、Cさんありがとう!)。思えば二人だけで夕食を食べたのはあの日以来。そこで今日は映画を観て、ディナーを楽しみ、夜景を見に行きました。

私達は結婚して2ヶ月でアメリカに来ました。その間に色々なことがありましたが、どれもこれも昨日のことのようです。ここまで共に歩んできてくれた最愛なる家内には感謝でいっぱいです。そして、これからも同じゴールを目指して、共に歩んでいくことができることを楽しみにしています。

「その子らは立ち上がって彼女を祝し、その夫もまた彼女をほめたたえて言う、「立派に事を成し遂げる女は多いけれども、あなたはその全てにまさっている」と。あでやかさは偽りであり、美しさはつかの間である、しかし主を恐れる女はほめたたえられる。その手の働きの実を彼女に与え、その行いのために彼女を町の門でほめたたえよ」。 箴言31章28節‐31節

エィーメン!

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これからもよろしゅうお願いします。

マック

追伸:SDJCCの皆さんへ。記念日、デート、必要な時はいつでもお子さんを大切におあずかりします。M&M託児所までお気軽に連絡くださいませませ(ただし、その間のうちの子供達からの諸々の影響については責任を負いかねます)。

トリビア?

今年のイースターに心に残ったこと。

ジーザスが十字架にかかり墓に葬られた。それから3日後、まだ外が暗いうちにかつて七つの悪霊に取りつかれていたマグダラのマリアがジーザスの墓を塞いでいた大きな石が取り除けてあるのを見た。彼女はそのことをすぐにペテロとヨハネに知らせた。二人はとにかく一目散に現場に走った(もし、同じことが近くの墓地で起きたなら、私達は制限速度を超えて、現地にとんでいくだろう)。

彼らは墓に入った。墓の中を見た時に彼らがみたもの。それはジーザスの(おそらく体がまかれていたであろう)亜麻布。しかし、ジーザスの体はどこを見ても見当たらない。ただ亜麻布がそこにあるだけ。いいや、実はこの場を実際に自分で見て書いたヨハネはもっとよくその場を観察していた。ヨハネは一方に亜麻布が置かれているのを見たと同時に、ジーザスの頭を巻いていた布は、その亜麻布のそばにはなく、離れた所にあるのを見たというのだ。

この箇所を英語の聖書(NIV)で読むと興味深いことに気がつく。すなわち日本語聖書では「ジーザスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、はなれた別の場所にくるめてあった」と書かれているにもかかわらず、英語の聖書にはそのジーザスの頭に巻いてあった布は「Folded Up」されていたと書かれているのだ。

「Folded Up」とは「たたむ」ということだ。

すなわち、その聖書訳によるならば、ジーザスはご自身の頭の布を丁寧にたたんだのだ。なぜか?ジーザスは几帳面だったのか。そこには何か意味があるのか。なぜ、ヨハネはわざわざ一見、どうでもいいような細かなことを記録していたのだろう。

このことに関して、私達はユダヤの慣習を知らなければならない。この慣習は当時のユダヤ人なら皆よく心得ていることだったという。すなわち、僕が主人の夕食を準備する時、僕は主人の願う通りにテーブルをセットアップしなければならなかった。それは完璧でなくてはならず、いったん準備ができて主人が食を食べ始めると、僕は主人が食べ終わるまで姿を隠さなければならなかった。主人が食事を終えるまで、僕はテーブルに触れることが禁じられたという。

そして主人が食事を終えた場合、主人は手と口を洗い、また髭を整えるために席を立つのが慣例であった。そして、その時、主人は側にあったナプキンをまるめてそこに置いていった。その丸められたナプキンは「食事は終わった」ということを意味した。僕立ちはそれを見て、テーブルの片付けを始めた。

しかし、もし主人が椅子から立ちテーブルを離れる時、そのナプキンを皿の横にたたんで置いておく場合は、僕たちはまだテーブルに触れることができなかった。なぜなら、たたまれたナプキンは「私はまた戻ってくる」ということを意味したからだ。ユダヤ社会に生まれ育ったジーザスはこの慣習を知っていたに違いない。

ジーザスの頭に巻かれていた布はたたまれていた。なぜ?

聖書がそう記しているように・・・

彼はまた戻ってくるから・・・

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マック

追伸 :これは確定はできないストーリーです。原語にもあたりましたが、具体的なジーザスの細かな所作は微妙でうかがいしれません。しかし、確かに分かることは、一方の亜麻布は明らかにそこに「置かれていた」にも関わらず、頭に巻かれていた亜麻布には「何かしらジーザスの手が加えられた」ということです。

この聖書箇所を読みたいという方はこちら↓

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想像

若い頃は、「人生色々」ということが分からずに、とかく「黒か白」に物事を振り分けて熱く生きていたような感じがします。しかし、年を重ねるにつれ、数えきれない失敗や、自分の思う通りにいかないことを色々と経験したり(仕事や子育ては最たるものでしょ)、色々な人が歩んでいる道に自分の人生を交差させていただいたり、年老いていく方々の後姿を見るにつけ、「皆、人には見えない、言えない色々なことをしょっているのだ。それで今あるのだ」ということを教えていただくようになりました。

「色々」とは「その人がそうしなければならなかった事情」とか、「そこまで導かれてきた悲しい決断」とか、「誰にも話せなかったくやしさ」というようなこと・・・。

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ある日、ジーザスの元に姦淫をしている現場を捕まえられた女が連れてこられました(ヨハネ8章1節‐11節)。当時のユダヤ律法ではこのような女は石で打たれ殺されても仕方がないとされていました。その時、そこにいた人々は(おそらくは多くの男達)、ジーザスがこの女にどのように向き合うのかということを固唾を飲んで見ていました。

しかし、ジーザスは彼らがまるでそこにいないかのように、指で地面に何かを書いていました。それでも、彼らがあまりにも問い続けるので、身を起して一言、こう言いました。

あなたがたの中で、罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」(ヨハネ8章7節)。

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そうすると、これを聞いた者達は、年寄りから始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、ジーザスと女だけになりました。

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年寄りから始めて・・・・。

石を投げることはたやすいことです。でも、石を投げる時、その女にも「色々なことがあった」ということを想像することは忘れてしまっています。人生、すべからず1+1=2ではないのに。ジーザスの言動には、いつもそんな考え方が見え隠れしています。

「年寄りから始めて・・・」というところに、年齢を重ねていくことの深さがあるように思います。年をとるということは濃厚な人生経験の中で見えないものを想像する力を培うことなのかもしれません。そう考えると私達が経験する失敗・挫折・寄り道・哀しみも輝いてくるから不思議なのです。

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マック

この聖書の箇所を全文読みたい方はこちら↓

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冬支度

昨年、オーダーしておいたあの品。サンディエゴの先週末はクラクラするほどの真夏日。そこで、いよいよ活動開始。

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時はオイルが高騰している毎日。彼らの尽きることのないエナジーが冬場の温もりとなります。

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チビ達に使用方法を教えたところ、役割を決めて楽しんでいました。特に作業工程の全てが姫の関心と情熱のツボにピッタリとはまってしまったようで、他の二人が去った後も、黙々と一人で作業に励んでいました(この作業の夜は彼ら、ちっと早めに眠りにつくという特典があります)

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これが今日の貯蓄。計20個。コツコツと冬に備えています。

マック

追伸:古新聞、承ります。

追伸2:でもトイレットペーパーと交換はいたしません。