常々、感じていることなのですが、
子供って大人が思うほどに、
話題のテレビゲームやファンシーなアトラクションより、
とてもシンプルなことに目を輝かすものですな。
マック
追伸:思えば、私もそうでした。
*:やはりネット環境はなく、帰宅後に書いています。
常々、感じていることなのですが、
子供って大人が思うほどに、
話題のテレビゲームやファンシーなアトラクションより、
とてもシンプルなことに目を輝かすものですな。
マック
追伸:思えば、私もそうでした。
*:やはりネット環境はなく、帰宅後に書いています。
たとえば、夜空を眺めて流れ星を見たり、
香ばしいマシュマロの焼き方とか、
思いがけないお客さんの来訪とか、
記憶に残る一日となったと思います。
マック
*:やはりネット環境はなく、帰宅後に書いています。
出発。
開閉注意。
マック
*:やはりネット環境はなく、帰宅後に書いています。
まぁまぁ、以下の一文を読んでみてください。
わたしはわが家の窓により、格子窓から外をのぞいて、思慮のない者のうちに、若い者のうちに、ひとりの知恵のない若者のいるのを見た。彼はちまたを過ぎ、女の家に行く曲りかどに近づき、その家に行く道を、たそがれに、よいに、また夜中に、また暗やみに歩いていった。
見よ、遊女の装いをした陰険な女が彼に会う。この女は、騒がしくて、慎みなく、その足は自分の家にとどまらず、ある時はちまたにあり、ある時は市場にあり、すみずみに立って人をうかがう。この女は彼を捕えて口づけし、恥しらぬ顔で彼に言う、「わたしは酬恩祭をささげなければならなかったが、きょう、その誓いを果しました。それでわたしはあなたを迎えようと出て、あなたを尋ね、あなたに会いました。わたしは床に美しい、しとねと、エジプトのあや布を敷き、没薬、ろかい、桂皮をもってわたしの床をにおわせました。さあ、わたしたちは夜が明けるまで、情をつくし、愛をかわして楽しみましょう。夫は家にいません、遠くへ旅立ち、手に金袋を持って出ました。満月になるまでは帰りません」と。
女が多くの、なまめかしい言葉をもって彼を惑わし、巧みなくちびるをもって、いざなうと、若い人は直ちに女に従った、あたかも牛が、ほふり場に行くように、雄じかが、すみやかに捕えられ、ついに、矢がその内臓を突き刺すように、鳥がすみやかに網にかかるように、彼は自分が命を失うようになることを知らない。
子供らよ、今わたしの言うことを聞き、わが口の言葉に耳を傾けよ。あなたの心を彼女の道に傾けてはならない、またその道に迷ってはならない。彼女は多くの人を傷つけて倒した、まことに、彼女に殺された者は多い。 その家は陰府へ行く道であって、死のへやへ下って行く。
読んでいただきました言葉は古代の庶民の間で読まれた処世訓ではなく、ホーリーバイブル、聖書の箴言7章6節‐27節に書かれている言葉です。説明するまでもありません。そこには一人の若者が遊女の誘いに遭い、その誘いに屈していく様が書かれています・・・。
マック
今日、お話したメッセージです。
よかったらどうぞ↓
昔、二度ほど銃を撃ったことがあります。一度は海兵隊の友達とテネシーのアパラチャ山脈に分け入り、缶を的に。一度はカンサスの草原で狩りをしながら、ペットボトルを的に。そして、今日は三度目ということで、メンズ・グループで射撃場へ。
映画やテレビではよく銃撃のシーンが繰りひろげられます。そんなシーンではいとも簡単に皆、パンパンと銃を撃っていますが、実際はそんなものではないということが撃ってみるとよく分かります。撃つ側にいるのに、手には汗がにじみ、その銃声と体に伝わる衝撃はやはり体にズシンときます。撃つ側にいてこれだけ恐怖感があるのに、銃口を向けられたりしたら、どうだろうかと考えます。全身に残るこの衝撃と恐怖を心に刻んで、決して忘れてはいけないと思わされました。
日夜、私達の秩序と安全のために、仕事として銃を携行している方々を思いながら、祈りつつ、家路につきました。
マック
追伸:銃を撃つ時にはしかるべきルールに従わなければなりません。この射撃場でもしっかりとルールを理解しているか、テストを受け、許可証にサインをしてから撃ちました。
高校時代の悪友達からメールが届く。我らの母校が高校野球夏の大会で準決勝まで進んだというのだ(一喜一憂して、職場で隠れるように試合経過をチェックしている彼らの姿が目に浮かんでくる)。
でも結果は、レッドソックスのあのピッチャーを輩出した名門校に負けたとのこと。激戦地の神奈川で、しかも県立高校でベスト4まで進んだことは快挙といってもいいだろう。よく、がんばったぞ!
母校ホームページで見つけた写真
勉強は何もしなかったけど、思えば自由な学び舎でした。名も知らぬ後輩たちがあの映画の台詞をでっかく廊下一面に貼っているなんて、今も昔も変わらない校風なんじゃないかな。感無量です。
マック
今日、日本に帰国されるMさんと共に昨晩の集会をもちました。
これまで教会において、多くの方々のために祈り、サポートしてくださった方です。そんなMさんを日本に送りますことは私達にとって寂しいことでありますが、日本でもMさんは神様が与えてくださる使命に生きていかれると確信しています。
米国日本人教会は送り出す教会です。これまでいったいどれだけの人達を日本や他州、諸外国に送り出してきたことでしょうか。それぞれが色々な場所で暮らしていても、皆がジーザスにあって繋がっているということ、それが私達の喜びです。
マック
追伸:世界各地からこの地へと入国してくる方々が今日もいます。当地でジーザスとの出会いを提供する私達のはたらきが止むことはありません。