数週間前に「Lakeview Terrace」という映画を観た。
偏狭的なポリスマンをサムエル・ジャクソンが好演している。プロットは書かないけど、彼の隣に引っ越してきた新婚夫婦に対する人種偏見がテーマで、アメリカの深部を取り扱ったものだ。
その中でジャクソンが、いつも「Whatever・・・」と話を終えようとする隣人に怒りをあらわす場面がある。個人的に、この場面はこの映画の一つの大切なメッセージだと思っている。
「Whatever・・・」。これこそ、現代の米国を表現する言葉。「まぁ、なんでもいいさ、どうであってもいいさ」というような寛容をふくんだ言葉でありながら、実はそこに「どうにでもなれ」というような諦めが含まれているようなグレイな言葉。巷でいつでもよく聞く言葉だ。
でも本当に「Whatever・・・」なのか。そう言いつつ、私達は不安を心にため込んでいる。不安は恐れと変わり、恐怖は常に怒りとなって爆発する。何気ない言葉であるけど、言葉が生き方となり、その生き方は後になってジワリジワリと効いてくる。
「Heavenly Dictionay」によると、この言葉は現在、使用禁止用語となっています。
マック