PRECIOUS

ディオフ。

Precious_3 家内と映画「PRECIOUS」を観にいく。80年代、NYのハーレムにすむ16歳の少女の物語。目をそむけたくなるような、吐き気をもよおすような世界。その壮絶な内容に、さっきまでこの映画のことはブログには書かないほうがいいなと思っていた。

しかし色々と思いめぐらすうちに、これは聖書の中の出来事ではないかと思わされた。昨日もある方々とそんなことを話したのだけれど、この映画に描かれているようなことは、聖書にも書かれている。そのような意味において、もし聖書全てを画像にしたら、その多くはR指定になるだろう。聖書は人間のきれいごとを書いているのではなく、人間の赤裸々な姿を容赦なく記しているのだから。

この映画の主人公の名前が「PRECIOUS」というところに救われる。聖書が記しているように、一皮向けば鬼のような人間を「PRECIOUS ONE」と呼んでくださる存在がいるということに希望を見出すように。

マック

公式サイト

祖国へ

J0438892 今日は安藤秀世先生が礼拝メッセージを取り次いでくださった。先生ご夫妻は来年二月から愛知県春日井市にある教会に遣わされる。

こちらで長い間、牧会をなさった後に牧師がいない日本の教会へと出て行かれる師が、身近なところに何名かいる。ウン十年前に太平洋を超えてこられた方々が、また太平洋を越えていく・・・。

昨日、安藤先生は、眉間に青筋立ててがんばる信仰生活ではなく、良い加減でイエス様と共に歩むことが大切だということをお話しくださった。大陸的な広さをもった先生が日本で新しい風を吹かせてくださることを信じています。

マック

感謝によるとてつもない効用

Ll サンクスギヴングも終わり、今日は何ヶ月ぶりかのシトシト雨。去る水曜日のサンクスギヴングイブでお話したことなどを思い返しながら、独りオフィスにて静まっています・・・。

聖書の中にイエスが数千人もの空腹の人達を前にしていた時のことが書かれています(ヨハネ6章1節-15節)。その時、そこには子供が持っていた五つのパンと二匹の魚しかありませんでした(おそらく、母親から渡されたその子のお弁当だったのでしょう)。弟子達はその弁当をもって「こんなものしかありません。これが何になりましょう」とイエスのもとにやってきたのです。しかし、イエスはそれを受け取り、感謝をしますと、そこにいた人たちが十分、満足するほどの食事となったというのです。

こんなもの」が「とてつもないもの」に変えられたのです。そして、その間には「こんなもの」に対するイエスの「感謝」がありました。

テモテ第一の手紙4章4節、5節にはこんな聖書の言葉があります「神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何一つ捨てるべきものはない。それらは、神の言葉と祈りとによって、きよめられるのである

「こんなもの」と思われるものを神に感謝するならば、それは「とてつもない」ものに変えられます。なぜなら、それらは「神の言葉と祈りにとによって、きよめられているからです」。「感謝して受ける」ことは、誰彼ではない私達の意志です。神様が関わる「とてつもない」ことはいつも、私達の継続された心の構えから始まります

マック

参考↓ ヨハネ6章1節-15節

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食笑浪漫

予告どおり

中国人のお肉屋の親父さんに一歩も引かず交渉し、やっと手にいれた豚骨により何時間も煮込まれたQちゃん亭の秘伝のスープ、厳選された麺と時間をかけて味がしみ込んだチャーシュー・・・。五臓六腑に染み渡りました。

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基本素材は全て入れました。最後はタコ切れ、ちくわにきざみキムチ投入で急場をしのぎましたが、それもまたうまか。

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日本の心はAにも引き継がれ、手際よく美味しい日米合作のタコ焼きができました。ラーメン、たこ焼きと、諸々のおかず、ケーキ、さながら日本にあるフードコートのようでした。

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最後はYさん持参のゲーム。

Ooo

神学的、個人之性格的、自己中心的、意味不明的、強行突破的発言が飛び交い、親父が叫び、御夫人が笑い、童が講義し、西洋鼠が走り回りました。

以上、予告の事後報告終了

マック

色々魂

サンクスギヴングディー。雲ひとつない青空。そして、暑い。冬よ、どこいった。

家内は昨晩からターキーの下準備。今年はL教会のA牧師夫人からスタッフィング(ターキーのお腹に詰めるもの)として「中華風おこわ」を伝授される。

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アメリカ魂とアジア魂がうまく溶け合っているようで、これがなかなかいける!今晩はCさん、Rちゃんも来てくださって、楽しいひと時をもちました。

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明晩はたこ焼き、ラーメンとコテコテ日本魂直球勝負です。

マック

今日一日、もろもろ

長男の三日間のベースボールキャンプも終了。

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「終わってしまったことが寂しい、でも、今晩は教会でサンクス・ギヴングイブ・サービスがあるから、寂しさがまぎれる」とのこと。それぐらい楽しかったらしい。よかった、よかった。

夜はそのサンクス・ギヴングイブ・サービス。

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今年は礼拝堂ではなく、大人も子供も、皆でまるくなって聖書の言葉に聞き、一年の感謝を分かち合い、祈り合いました。

マック

イエスとは

イエスとはどんなお方なのか。その説明は幾百もある。その中で「いいな~これっ」ていう説明を以前、見つけたのだが、その後、それがどこに書かれていたのか忘れてしまい、悔しい思いをしていた。

ところが先日、引用した工藤信夫師の著書の中にその言葉を見つけた!

「お前はこれから、イエスというこのお方について、様々に異なった意見を聞くだろう。けれども、イエスが実際にどんな方であるかについては、教会の聖職者たちも含めて、知る人は非常に少ない。父さんがこれまで読んだり、聞いたりしたところでは、イエスを知ってこれを好きにならない人はおそらくいない。冗談を言うのがとてもお好きで、一緒にいるのがとても楽しい方だ。イエスは愛をくださり、愛が必要だと言う人々の声にこたえて、彼らと交際された。イエスは、あるがままに人々を受け入れ、また人々の方も、本来の自分を少しも窮屈な目に合わせずに「受け容れられた」ことを感ずるのだった。イエスが近くにおいでになった時も、人々はいい子のふりをしたり、いつもとは違う行いをする必要がなかった。彼らにとってイエスは友達だった。 工藤信夫著「信仰による人間疎外」(いのちのことば社、P16)より。

マック

追伸:「父さんがこれまで読んだり、聞いたりしたところでは、イエスを知ってこれを好きにならない人はおそらくいない。冗談を言うのがとてもお好きで、一緒にいるのがとても楽しい方だ」 

私も同感。イエスを紹介する時、小難しいことを言い、こんな視点をすっかり忘れている自分に反省。

アヒルの子

J0313754 ディオフ。

米国は今週からサンクスギヴィング・ウィークということで、子供達の学校は一週間、おやすみです(しょっちゅう、やすんでいます、この子達)。

長男はあの日の感動が風化することなく今も持続しており、このやすみを利用して、自分から三日間のベースボール・キャンプ参加を志願しました。

初日の今朝、彼を連れてフィールドに行ってみますと、そこには20名ほどの子供達がユニホームにスパイクを履き、グラブ、バット持参で集まっているではありませんか。どう見ても、皆、生え抜きのリトルリーグの選手達。それに対して、長男はTシャツ、ジーパンにスニーカー。

なんとも場違いのように感じましたが、ここはアメリカ、こういうところは大らかなものです。白鳥にまぎれながら一人、アヒルの子がジョグするのを見届け(実際、アジア人も彼だけです)、息子にとって良い一日となるように祈りつつ帰宅しました。

六時間後、迎えにいけば、そこには充実顔の彼。帰り道、明日のために練習用野球パンツを二人で選び、帰宅。これで、ちょっとは白鳥に見えるかな?

明日もがんばれよ!

マック