バリア・フリー

Crash」という映画があった。ロスを舞台とした多種多様な人達の日常生活を描いたもので、後々まで深く考えさせられる映画だ。その中で、ある若者が見るからに裕福そうな家のドアの鍵をつけ変えるシーンがある。彼は鍵修理業者からその家に派遣されてきた者で、彼の体に刻まれた刺青から、明らかにかつてのギャングメンバーだったということが一目瞭然でうかがえる。その彼が鍵を直しているのを、その家の夫人は気になって仕方がない(直している場所がまた場所だけに・・・)。

転じてカメラはこの若者の日常生活を映す。その家庭には妻があり、幼い娘が共に暮らす。小さな家だけれど、確かにそこには互いに寄り添って暮らす温かい家庭があることが分かる。かつては悪さもしたのだろう、しかし、今は足を洗い、家族を守るためにまじめに一生懸命に生きる様がその映像から分かる・・・。

毎日、教会改築工事のために色々な人間が教会にやってくる。昨日から来ているお兄さん、坊主頭、手首までびっちり刺青、首回りにも何かしらの言葉が刻まれ、目頭には涙の刺青・・・。でも手を休めずに、雨降る中、今日も一日、一生懸命にコンクリートが打たれた部分をきれいにやすりでなめらかにしてくれていた。彼が研いでくれたコンクリートに触れながら、そこを通る人はこれから教会に入っていくのだ。

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心のバリア・フリー。

マック

光の教会

私には気になる人が大勢いる。その一人が建築家の安藤忠雄さん。安藤さんは大学での専門的な建築教育を受けていない。しかし、独学で資格をとり、その後、世界各国に四年もの間、放浪の旅にでる(これは“人間込み込み大学”、“視野無限大学”および“どこでも眠れます大学”の博士コースです)。かつてはプロボクサーでもあり、ファイティング原田の圧倒的な練習風景を見て、その道を諦めたというのだから面白い。諸々のアイビーリーグで客員教授を勤め、現在、東京大学特別栄誉教授という異色の方。

昨日に続き、前置きが長いのですが、かねてから噂に聞いており、しかしながら、出会うことはないだろうなと諦めていました平松剛さんという方が書いたレア本、「光の教会・安藤忠雄の現場」(建築資料研究社発行)をブックオフの一ドルセクションでゲットしました!(SD店、グッド・ジョブ!)。秋の夜長は緑茶でもすすりながら、この「光の教会」を読みながら過ごしましょう。読了後は私達の教会の建築家、Kさんに謹んで贈呈させていただきましょう。

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マック

追伸:「光の教会」とは安藤氏が大阪で建築された茨木春日丘教会のことです。

 

 

巨峰

唐突な主張となりますが「日本のフルーツはうまい!」と思います。特に日本の桃、梨、葡萄といった果実には圧倒的な美味さがあります。

それはアメリカのPEACHやPEARやGRAPEがダメだと言うのではなくて、それらも十分に満足できるものなのですが、ある時、ひょんなことから日本の一品を口にする機会などがありますと「あ~、やっぱりこれだよな~」ということになるのです。

長い前置きですが、先日、私達の教会のUさん宅にて、子供達が葡萄狩りをさせていただきました。毎年、そのシーズンになるとお声をかけていただくのです。このブドウ、少し小粒ながら、正真正銘の巨峰の味なのです。そのジューシーな味わいと聖書の言葉をかみしめながらいただいています。

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わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。 聖書:ヨハネ15章5節

マック

逆転進行中、その時あなたは?!

私達はその信仰生涯において、よくよく心にとどめておかなければならないことがあります。それは万人が評価すること、正しいとすることであっても、神の前ではそれは意味のないもの、否、時に災いでしかないということがあるということです。

マック

今日、礼拝でお話したメッセージです。本日の礼拝の映像はこちら

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世間様

朝6時すぎ、北上。RJC (Reaching Japanese for Christ)セミナーへ。国籍を超えて、日本へのパッションをもつ方々が多く集まる。色々な方々とネットワークが築けて嬉しい。

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一コマ、SEKEN SAMA(世間様)について、お話しさせていただく。以下、一部抜粋。

この世間様はすごい力をもって日本人社会に君臨しているのです。多くの親達が戦々恐々「これでは世間に顔向けできない」と狼狽し、大企業の社長もいつもこのお方の前ではふかぶかと頭を下げるのです。このように考えるなら、このお方は日本人社会の影の支配者です。このお方はその姿を見せずに時に総理大臣をも震え上がらせ、屈強なスポーツ選手達も恐れをなしてしまうのです。大抵の日本人にとって「世間(世の中)が許しません」と言われることは「人間として許されることではありません」とほぼ同義語となっており、これはもうお手上げなのです。

“SEKEN SAMA” has enormous power and reigns over the people in Japan.  Many parents are flustered and worry in great fear saying, 「これでは世間に顔向けできない」We can't face SEKEN anymore”.  Even a president of a big company bows down his head to SEKEN SAMA.  This means that Society is a hidden ruler in the culture of Japan. It even terrifies the prime minister although its figure is unseen.  Strong athletes are also frightened by it.  For many Japanese, being told that SEKENSAMA can't forgive you, means that you are unacceptable as a person. We can only surrender to this SEKEN SAMA.

マック

追伸:クリスチャンの帰国者が抱えるお墓に関わる諸々の問題は、宗教的教理の問題ではなく、世間様の問題なのだと思いませぬか。神様にいたるまでに、この世間様が仁王立ちで私達の前に立ちはだかっています。日本にリバイバルがあるとするならば、その時は私達がこの世間様より高く飛躍して神様に近づく時だと信じています。

 

すべて込み!

オーダー入りました!

悪癖、気質、性格、生い立ち、性別、長所、短所、欠点、美点、年齢、慣習、加齢、未熟、成熟、強気、弱気、憐憫、容姿、人種、文化、堅実、誤解、寝言、弱気、寄り道、怪我、希望、失望、好物、苦手、戯言、いびき、寛容、有頂天、短気、水虫(?)、天真爛漫、傷心、慎重、小心、忘却、KY,歯槽膿漏(?)、疑心、自己嫌悪、恐怖、物忘れ、呑気、鈍感、破産、放心、合格、落第、留年、敏感、落胆、身勝手、養毛(?)、配慮、無頓着、悲哀、陽気、臆病、陰気、金欠、更年期(男女)、憂鬱、赤点、放浪癖、満点、発汗、悪寒、腰痛、愚痴、大言壮語、寝言、ずっこけ、四十肩、賞賛、どん底、空腹、満腹、成功、失敗、安定、不安定、気まぐれ、繊細、豪胆、裕福、貧困、天才、秀才、凡才、健康、病気・・・

以上、“全て込み”でお一人様、お願いします!

これら「全て込み」で一人の人間です。このことをしかと承知していこうという覚悟と、一つドアを開けば、また次のドアがあるというように無限に広がる人間理解へのたゆみない努力、それが人に向き合う時の心構えなのだということが、最近になって骨身に沁みて分かってきました。この理解にいたらないと「なんでなんだ?」「どうしてなんだ?」と私達の悩みは果てしなく続きます。

何よりも「全て込み」で受けいれてくれている私の周りの全ての人達に感謝します。特に逃げ場所もなく(苦笑)、上記の多くの事柄に該当する私を「込み」で受け入れていてくれる一つ屋根の下の家内や子供達、毎週、顔を会わせている教会の兄弟姉妹に謹んで、心よりお礼申し上げます。

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頭髪(危険域)+メタボ(改善中)+せっかち(指摘済)+早食い(苦情有)+強引(周知済)+他、上記多数、これら全て込み=私   

これからも何卒、よろしくお願いします。僭越ながら、同じ人間であります皆さんのことも「全て込み」で受け入れられますように(笑)、天来の人知を超えた力をいただきながら精進します。 

 マック

追伸:本当の人の姿を知るには、聖書以上のテキストブックはありませぬ。

夕暮れになっても光がある。

報告が遅れましたが、去る日曜日には敬老祝会があり、80歳以上の方々のお祝いをしました。

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お一人お一人の健康と心を神様が日々、守り支え、祝福してくださいますようにとお祈りしています。多くの方々このために手作りの準備に関わってくださいました。ありがとうございました。

マック

追伸:日本でも母のいる施設で敬老のお祝いをしてきました。その施設のモットーは聖書の言葉から「夕暮れになっても光がある」(ゼカリヤ14章7節)です。職員の方々の優しい心にいつも感銘を受けます。

 

ドンデン返し

ここしばらくイエス・キリストの語られた譬話から礼拝メッセージを準備しているのですが、その話の多くがとてつもないドンデン返しで終わっていることに毎回、驚かされています。

そして、その譬話に従うのなら、我々が神の前に立つ時には、これまたとんでもないドンデン返しが起きるということはきわめて妥当なことではないかと思います。なんといっても聖書の言葉に記されているように「わたしが見るところは人とは異なる。人は外の顔かたちを見、主は心を見る」(サムエル記上16章7節)というのが神の視点だというのですから、私達には全く伺う知ることのないドンデン返しは必ず起こることでしょう。まったくもって、その時に私達は言葉を失うような光景を見ることになるのでしょう(その有様に比べたら、今見ている逆転劇などというのは、ちっちゃなことです)。

 「弔いの家に行くのは酒宴の家に行くのにまさる。そこには人皆の終りがある。命あるものよ、心せよ」(伝道の書7章2節)

マック