雪は白く

サンディエゴもここ最近は冷え込み、近くの山では雪が積もりました。これは、ここではとても珍しいことなので、雪に戯れようという人達で山に向かうフリーウェイは渋滞。ポリスカーが何台も出て交通規制がなされている中、それでも昨日午後は、子供達と数年ぶりに雪を楽しみました。

ヨッパ最終日 雪山へ子供と 099 

吸い込まれるような青空、白銀の世界、とても気持ちいい一時でした。そう考えると、雪が白く、空が青いというのも私達にとって、大切なBenefitですな。もし雪が黄色で、空がピンクだったら頭がおかしくなるでしょ(笑)。

マック 

証言

イエスが道をとおっておられるとき、生れつきの盲人を見られた。弟子たちはイエスに尋ねて言った、「先生、この人が生れつき盲人なのは、だれが罪を犯したためですか。本人ですか、それともその両親ですか」。イエスは答えられた、「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである」 ヨハネ9章1節-4節


 

ありがとう、Nick、もう一度、原点に立ち返りました。

マック

Forget not all His benefits!

今日の礼拝は地元のロックチャーチへ。ちょうど一度、お会いしたかったNick Vujicicがゲストスピーカーでとても恵まれ、また大きなチャレンジを受けた。彼はいくつかの聖書箇所から話をしてくれたのだが、詩篇103篇2節が心に残っている。

わがたましいよ、主をほめたたえよ。主のよくしてくださったことを何一つ忘れるな。                              Praise the LORD, O my soul, and forget not all his benefits– (NIV)

主が与えてくださっているBenefitsを思いめぐらしています。Nickは輝いた顔で、確信もって、この言葉を会衆に語りかけるんだから、もうそれだけでこみあげてきましたよ。栄光在主!

 

 

マック

 

イスラエル食浪漫紀行

まだ記憶が新しいうちにイスラエルの旅について重要なことをアップしておきます(笑)。この旅の日程の2/3はユースホステルにお世話になりました。イスラエルは物価がアメリカよりも高いように思われ、その中でユースは他の宿泊施設に比べるとリーズナブルで清潔だったと思います。何よりも助かったのがユースの全ての宿泊にはバフェの朝食がついてくるということ。計4つの異なるユースにお世話になり、ほぼ皆、同じメニューでしたが、毎朝、まさしくパワーブレックファースト、野菜と魚とチーズをしっかりとり、昼は朝のゆで卵を二つ確保しておいて、歩きながら食べるという日が続きました。

2011年2月12日(土) 001 2011年2月14日(月) 295

晩についてはコンビニのサンドウィッチですますことも多く、振り返ればそれでもあまり空腹を感じなかったと思います。あらためて食事というのは精神的なもので、食べる相手がいなければ、特に何かを食べたいという気持もうすれるということを確認しました。

エルサレム、ダマスカス門側のアラブ人地区で食べた魚料理。マスだったと思いますが黒焦げで、やはり日本の焼き魚にはかないません。それでもガリラヤ湖畔のピータースフィシュはからっと揚げてあり、美味しくいただきました。

2011年2月11日(金) 031 2011年2月14日(月) 402

イスラエル滞在中に一番のご馳走だったのはルツ先生に連れていっていただいた地元の中近東料理の食堂のような店。ここの肉はやわらかく美味でした。ちなみに右のスープはレンズ豆のスープだそうで、これでエサウは長子の権利を失ったということで(創世記25章29節‐34節)、なんとも感情移入していただきました。

Israel day 1,2, 089 Israel day 1,2, 087

屋台のような店でも何度かお世話になりました。

2011年2月22日(火) 001 2011年2月22日(火) 130

一度だけ食べたエルサレムのJレストラン、「さくら」のピータースフィッシュの刺身と(これはオーナーがサービスしてくださいました)エルサレムロール。中の三種類の魚の具はキリスト教、ユダヤ教、イスラム教をあらわしているとか。さすがエルサレム!

2011年2月12日(土) 036 2011年2月12日(土) 037

エルサレム旧市街では時々、路地裏のカフェでやすみました。これはアラブ地区のカフェ。男達が水タバコを吸いながら、カードをしていました。コーヒーはなぜか生姜味。なんとも言えぬ男だけの世界です。

2011年2月13日(日土) 094

我らがキッコーマンがなんとも凛々しく、頼もしく見えました(笑)。

2011年2月13日(日土) 074

以上、体調をくずすこともなく日々、守られました。感謝!

マック

 

 

 

睡眠と戦友

眠っていた本人が言うのも変ですが、昨晩は五感が完全に機能を停止して、朝まで深い眠りにつき、すっきりと目覚めました。うまい具合に初日からこちらの睡眠パターンに変わりましたので、おそらく時差ボケは克服したのではないかと勝手に信じています、というより、そう信じたいのです (時々、数日してから突然、夜中に目覚めて眠れなくなるということもありますので、まだ「時差克服宣言」はひかえます 笑)。

今日は洗濯したり、荷物の整理、二千枚にもおよぶ写真の整理に明け暮れました。

マック

追伸:共に過ごしたキャノンのデジカメは傷だらけ。これを握ったままこけたり、タイマー設置して撮っていたら、突風で落っこちたり、まさしく苦楽を共にした戦友でもあり、愛着がわいています。

 

適応中

無事に帰還しました。お祈りをありがとうございました。

アメリカ合衆国、カリフォルニア州、サンデイェゴ、日本人家庭に適応中・・・(笑)。明日はどこに行くのか、ルートはどうするのか、何を食べ、どこで眠るのかということを考えないでいいことに感謝、がふとうたた寝すると、まだそんな思いに心が反応している(笑)。

とりあえず今日は眠り、アジャストしていきます。

マック

旅を終えるにあたり

さてべエルシバを立って、ハランへ向かったが、一つの所に着いた時、日が暮れたので、そこに一夜を過ごし、その所の石を取ってまくらとし、そこに伏して寝た。・・・ヤコブは眠りからさめて言った、「まことに主がこの所におられるのに、わたしは知らなかった」 聖書:創世記28章

「いつか」は大抵やってこない。

いつの頃からか、自分の心の中にいつも引っかかっていた言葉です。なぜなら、自分はいつも真っ先に「行けない理由」というものを考えるからです。そして「行けない、行かない理由」というのは「いつでも」何かしらあるので、そこだけに目を向けているならば、やはり「その時」はやってこないのです。私はそんな「いつかイスラエル」を15年以上、抱えていました。特に私はどうしても一人でイスラエルを回りたいという思いがありましたので、諸々のことを考えるといくらでも「行けない理由」というものは出てきました。

しかし、この度、サバティカルをいただき、覚悟を決め、イスラエルという国を回ることができたことは、私の生涯の何にも代え難い財産となりました。実際に、この旅を終えるにあたって、しみじみ思うことは、このような旅は五年後には気力面、体力面で無理だったろうなという実感です(アラフォーおやじがバックパックを背負ってっていうのは街でもうきます・・・笑)。後にも先にもまさしく最もよい時に神様は導いてくださいました。

旅の前半には先輩の柿内ルツ先生に貴重なアドバイスをいただき、バプテスマのヨハネの故郷、ベツレヘムに連れていっていただいたことは、この旅の大きな収穫でした。さくらレストランで食べました「エルサレム・ロール」の味は忘れられません。これからも当地でのミニストリーを主が祝福してくださいますように。本当にお世話になり、ありがとうございました。

このために敬愛しますサンディエゴ教会の兄弟姉妹のご理解と祈りと支えをいただきましたことに心よりお礼を申し上げます。「先生が行かれると聞いて、喜んでいます」という言葉は私の背中を押してくれました。皆さんの祈りがなければ、この旅を続けることはできなかったと思います。留守の間も執事、理事をはじめ、いつものように真実にその任に当たってくださっているリーダーが与えられていること、何の心配もなく、日夜歩き回ることができました。また吹上先生をはじめ、留守の間、メッセージを取り次いでくださいました中川師、大谷師、本多師、中島師に心より感謝します。主がそれぞれの先生をお用い下さって、教会の方々はいつもとは違うメッセージに大きな祝福を受けたこと(受けることを)確信しています。

そして、この拙いブログを読んで、祈り、実際に励ましてくださった方々、本当にありがとうございました。不精な髭ずらおやじの顔写真が並び、「まいった!」という方もいらっしゃるかもしれませんが、ご勘弁を。もしクリスチャンでない方達が読んでいてくださったのなら、これを機にバイブルを読んでみてください。この旅では度々、「考古学者は聖書記事を頼りに掘る。すると、そこから出てくる」という言葉を聞きました。聖書は御伽話ではなく、史実であり、今もそのHis Storyの中に私達は生きているということを、現物を見て回ったものとして、私、マック、ネゲブの砂塵をかぶった頭を振って証言します。この聖書には私達が生きる指針が記されています。

そして、愛する家族に感謝します。四十を過ぎてこのような旅をすることを快く受け止め、「あなたは今、行くべきだ」と励ましてくれた妻、時にスカイプで顔を見せ、他愛もない会話をして、とかくストイックになりがちな一人旅に潤いを与えてくれた子供達に心より感謝します(どういうわけかいつも君達は風呂あがりだったね 笑)。

そして、何よりもこの小さき者を最後まで守り導いてくださいました天の父なる神様に感謝します。トラブルが何もなかったという背後には、どれだけあなたの守りの御手と御愛があったことでしょうか。この旅の間中、私はいつもあの放浪したヤコブに注いでおられたあなたの大きな愛を感じていました。右も左も分からない者の旅を見守ってくださいましたことを感謝します。あなたが選んだ人達とその風土をもったこの国で、あなたがなされた数々の御業の跡を見させていただけましたこと、これはまさしく私にとってLife Time Experienceとなりました。この間にすっかりやけ、体重も減りました(最善!笑)。でも、心はあなたにある平安と喜びで満ちています。

この二週間あまりの間だけでもイスラエルの近隣諸国は揺れに揺れています。主が許してくださるのなら、次回、この国を訪れる時、今回と同じような平和がこの国にありますことを祈ります。アブラハム、イサク、ヤコブの神が、これからもこの国と共にあり、この国を祝福してくださいますように。

ヨッパにて                                                               シャローム                                                              マック

追伸;

わたしは山にむかって目をあげる。わが助けは、どこから来るであろうか。わが助けは、天と地を造られた主から来る。詩篇121篇

2011年2月20日(日) 120

旅はこれからも続く・・・。主が名を呼んでくださるその日まで。

ヨッパでわしも考えた

2011年2月22日(火) 169 「神がきよめたものを、きよくないなどと言ってはならない」(使徒行伝10章15節)

ヨッパといえば使徒行伝10章を思い出します。ここにはこの時、ペテロが夢を見た「皮なめしシオンの家」があります。実際に今、その家には地元の人が住んでいて、門には表札がかかげられており、中には入れませんでしたが、外からその屋上の間を想像しました。

この旅の最後がここでしめくくられることに感無量です。思えばここにいたるまでペテロの住んだカペナウムの家、ペテロがイエス様を三度否んだというエルサレムのピラトの官邸、そして、イエス様がペテロにあらわれたガリラヤ2011年2月22日(火) 174 湖畔をめぐってきました。そ の彼がここヨッパで、それまで閉ざされていた異邦人への扉を開いていく夢を見たという、その現場こそがここなのです。ここからクリスチャニティーは世界へと産声をあげたのです。

まさかペテロはあのガリラヤの田舎で、こんな人生を送ることになるとは思いもしなかったことでしょう。彼という人にとてつもない使命とビジョンが与えられたということ、それをよしとされた父なる神様をあがめます!

ただ聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地の果てまで、わたしの証人となるであろう」(使徒行伝1章8節)

マック