2011年4月24日、サンライズ礼拝にてお話したメッセージ・・・
イスラエル、ガリラヤ湖畔にミグダルという小さな町があります。このミグダルは聖書に出てくるある女性の出身地なのです。彼女の名前はマリアといい(イエスの母ではありません)、彼女はかつて七つの悪霊に取りつかれていました。聖書は彼女の名前の前にその出身地をつけて「マグダラのマリア」と呼んでいます。
私は今年二月、このミグダルの町から車で二分ほどの所にあるユースホステルに数日滞在していました。夜になるとガリラヤ湖からのそよ風を感じ、蛙の鳴き声が聞こえるなんとも素朴な場所です。このミグダルは何もない本当に小さな町です。この町の外れではマリアも住んでいたであろうというイエス様の時代のミグダルの町の発掘がなされており、その集落の目と鼻の先にはガリラヤ湖がありました。
何もない場所ですので、夜になるとこの辺りは真っ暗となります。そんな中、私はこのミグダルにポツンとあるガソリンスタンドに夕飯のサンドイッチを買いに何度か行きました。そこでは地元の若い青年が店番をしていて、私が何度か来るものですから、顔見知りとなり片言の英語で話をしました。「アメリカからアイパッドを送ったらいくらかかるのか」とか、若者らしいことを尋ねてきました。そんな彼がポツリとこんなことを言っていました「ここにいても将来はないよ。おもしろいことなんて、何もないんだ」。
時々、彼の友達なのでしょうか、仲間がスタンドにたむろしてタバコを吸っていました。きっと小さい頃からの馴染みの間柄なのでしょう、何をするでもなく、田舎町の夜、ガリラヤ湖からのそよ風に吹かれて、スタンド外にある外灯の下で彼らはいつまでもたむろしていました。
おそらくこの町は2000年前もたいして変わらなかったのではないかと想像します。マグダラのマリアはそんな町で生まれ育ったのです。一人静かにそんな彼女の人生というものを想像しますと、彼女に対する親しみを感じました。そんな小さな町ですから、彼女が七つの悪霊につかれていたということを知らない人は誰もいなかったでしょう。
実際にガリラヤ湖にいって分かったのですが、このミグダルの対岸には、墓場を住処にしていた、これまた悪霊に取りつかれたレギオンがいた場所があるのです。天気がよければその対岸がミグダルからも見えるのです。まさしく当時、ガリラヤ湖畔に住む人達はこちらには狂人レギオン、あちらには悪霊に憑かれたマリアと、恐れていたのかもしれません・・・。
・・・イスラエルでは幾つかの発見があったのですが、新鮮だったのはヒッチハイクをする若者が多いということでした。あちこちでその合図を送る若者達を見ました。それでもさすがにそんな若者の多くは男性で、女性は見かけませんでした。しかし、そんなある日、このマグダルを通る何もない一本の幹線道路を夕刻、ドライブしていましたら、一人の10代ぐらいの若い女の子がヒッチハイクをしていたのです。私はハッとして、その横を通り過ぎたのですが、その時に一瞬、マグダラのマリアの姿が思い起こされました。彼女はこれからどこに行くのだろうか。その先には何もない、あえてあると言えば、カペナウムという遺跡が残っているだけです。
カペナウム:そこはイエスがガリラヤ伝道の拠点とした場所であり、ペテロも姑の家という遺跡が今日も残っています。マグダルからこのカペナウムまで徒歩で30分ぐらいかかるでしょうか、歩けない距離ではありません。聖書は詳細を記していませんがこのマリアはこのイエスと出会い、イエスによってこの七つの悪霊を追い出してもらうのです。ルカ8章2節が「七つの悪霊を追い出してもらったマグダラのマリヤ」と記しているとおりです。
悪霊を追い出していただいた彼女はガリラヤの片田舎を離れ、エルサレムにまで出て行き、イエスのはたらきを助けたようです。エルサレムでは目立ってしまうようなガリラヤ訛りの言葉を使いながら、それでも嬉々としてイエスに従っていった彼女の姿が目に浮かびます。と、ここまでならマリアのことは深く私達の印象には残りません。しかし、彼女のことを全世界の人が心に刻まなければならない出来事が起こりました。
マリアが慕っていた命の恩人、イエスが十字架にかけられて殺されてしまったのです。マルコ15章40節はこのマリアが他の女性達と共に遠くからその十字架を見ていたと記録しており、ヨハネ19章25節には、イエスの母と共に、彼女が十字架の側にいたということを記録しています。
このイエスは十字架上で息を引き取られました。主の母マリアはイエスの愛弟子ヨハネに伴われてそこを立ち去りました。しかし、彼女は離れません。最終的にイエスの体はアリマタヤのヨセフによって墓に運び込まれました(ヨハネ19章)。しかし、マリアはなおもその後に従い、イエスの墓の前に座っていたとマタイは記しています(マタイ27章61節)。
そして三日目の朝、彼女は夜の明けるのを待ちかねて、この墓に向かいます。行ってみるとその墓は空になっています。驚いた彼女は走ってペテロとヨハネにそれを告げにいきます。二人は急いで墓にやってきてその有様を見て、自分の家に帰ります。しかし、マリアはここでもそこを離れません。
その時です、イエスはこのマリアに姿を現したのです。この時の出来事を記したマルコの一行の言葉があるために、彼女の名前は私達の心に刻まれるようになったのです。
「イエスはよみがえって、まずマグダラのマリアにご自身をあらわされた」マルコ16章9節
復活されたイエスがその姿を一番、先に誰に現すか、その選択はイエス様の側に与えられていました。イエスはローマの皇帝カイザルの前に姿をあらわすことができましたし、ピラトの前に出ることもできましたし、ペテロの前に出ることもできました。もっと想像力を膨らませるなら、パウロの前にその姿を現すことができたはずです。このパウロの場合、もしそうであるならば、色々な手間が省けてよかったかもしれません。殉教してしまったステパノの人生も変わっていたかもしれません。
しかし、イエスはミグダルのマリアにまず最初に姿をあらわしました。それがどのような意味をもつかご存知ですか。私はこの問いかけに対して、この度、彼女の故郷を訪ねることにより、一つの答えをいただいたように思います。 それはイエスは今もあのミグダルのガソリンスタンドで悶々として日々を過ごしている若者に、あのミグダルの幹線道路でヒッチハイクをしていた少女に、まず出会いたいと願っておられるということであり、ひいては私達に誰よりも出会いたいと願っているということなのです。
主はここにはおられない。よみがえったのです。今日、この静かな朝、あのエルサレムにある墓にその遺骨がないお方がどこにいるかご存知ですか。今、私達と共にここに主はおられるのです。
マック