往復書簡

ある日、長女と次男が庭の木に登っているとお隣の庭が柵ごしに見えたそうな。その庭にはいくつものきれいな石が落ちていたそうな。その石が欲しくなってしまった娘は親に内緒で、隣の家に小石に包んだ手紙を投げ入れました。

隣に住む者です。宅にありますきれいな石をいただけませんか

数日後、わが家の庭に手紙に包まれた小石が投げ入れられていました。

わたしは午後7時すぎならいるから、いつでもいらっしゃい

そして、子供達は今日、お隣に行ってきれいな石やら貝をいただいてきました。お隣さんは地元小学校の先生です。何事も諦めてはいけないということを学びました(笑)。

Northmont_church_picnic_067
マック

教会に行こう!

男たちよ、女たちよ、父たちよ、母たちよ、祖父たちよ、祖母たちよ、夫たちよ、妻たちよ、子たちよ、自営業の方たちよ、ビジネスマンたちよ、引退された方たちよ、ニートの方たちよ、旅人たちよ・・・・

ATT00003

 

 

 

 

 

 

 

日曜日は教会に行こうではないか!目の前にある前人未踏の一週間、あなたの手を握っておられる、その力強い御手を確認するために!Googleでは解決できない私達にとって最重要な問いに答えを得るために!

マック

楽しみ

L 021 朝から夕までびっしりの二回目のサドルバック・セミナーディビッド牧師も相変わらず、身振り手振り、お元気そうで、この度も多くのことを教えられました。なにせモデルは全米屈指のメガチャーチ、そのまま取り入れたのでは完全に消化不良となるために、これをいかに私達の教会に適応していけばいいのか、こつこつと課題に取り組んでいくことが楽しみです。

私達の教会からは17名が参加。こういう時間を同じ教会の兄弟姉妹と共有できて、ああでもない、こうでもないと言い合えることは、とてもエキサイティングなことです。さぁ、何から取りかかろうか・・・。

マック

お知らせ: 明日は野外礼拝のために礼拝の放映はありません。

 

オムレツをつくる神

Cajun_omelette2 手元から落ちて割れた卵がもとの殻に戻ることはなく、破れた黄身から目玉焼きを作ることはできない。でも、破れた黄身から最高にうまいオムレツを作ることはできる。

青字はどちらかというと自分の責任。赤字は神がなしてくださること。「卵」「黄身」を「自分の人生」として、しかと受け止め、「目玉焼き」を「思い描いていた人生」とし、「オムレツ」を「予想だにしていなかった最高の人生」と信じるか否かは私達次第。

マック

追伸:「あなたがは主にお会いすることのできるうちに、主を尋ねよ。近くおられるうちに呼び求めよ。悪しき者はその道を捨て、正しからぬ人はその思いを捨てて、主に帰れ。そうすれば、主は彼にあわれみを施される。われわれの神に帰れ、主は豊かにゆるしを与えられる。わが思いは、あなたがたの思いとは異なり、わが道はあなたがたの道とは異なっていると、主は言われる。天が地よりも高いように、わが道は、あなたがたの道よりも高く、わが思いは、あなたがたの思いよりも高い」 聖書:イザヤ55章6節‐9節

神様、落としてしまいました、割れてしまいました、破れてしまいました。助けてください」と祈ればいいのですね。

 

元気どす

DSCF5944

最近、ブログアップがままならない状態で、心配してくださった方達から「お元気ですか?」と優しいお言葉をいただき、恐縮しております。

米国は年度末ということもあり、加えて公私共々、「ほー、こうきたか」「へー、そうくるか」などと(笑)、あれやこれやとあり、朝陽がのぼり一日が始まったと思っているうちに、夜が更けているような毎日を送っております。それでも心身ともに元気にしておりやす。

今日もサンディエゴはブルースカイ。この空のように、一日さわやかにいきたいですな。

マック

追伸:昨晩、建築家のKさんから、教会玄関にこれからなされる植樹についてお話をうかがいました。「梅の木を植えたり、こんな花を植える予定です」と写真を見ながらお話を聞きつつ、アラフォ-牧師の心はお花畑をユラユラ漂っていました。一つ所には「ラベンダーなんかどうかとも考えてます。パスターはそこで疲れた時に心を和ませてください」などという言葉に、机を持ち出してラベンダーの前で仕事をしている自分の姿を想像しました(似合わない!笑)。Kさん、理事会の皆さん、ごくろうさま!

処女降誕を信じますか?

1973年、森繁昇さんはテネシー州のナッシュビルに住んでいました。そんなある日、彼は心に ひとつの問いかけをしたといいます。「万物の造り主は存在するのだろうか? それまでの彼は 「造り主の神がいるなんて、おとぎ話さ。 男一匹死ぬ気になりゃできないことは ないし、自分に正直に生きればいいのさ」 と思っていたといいます。

 しかし、その時、ふとこう思ったというのです「自分が万物の造り主はいない」と信じている根拠はどこにあるのか。その思いに対して出た答えはたった一つ。「幼い頃から家や学校では造り主がいるとは教えてもらわなかった」という事。たった、それだけの理由で「神はいない」と決めつけていた自分に気がついたというのです・・・。


 

今日の礼拝プログラムはこちら。「日本語、英語のメッセージ原稿」、「本日のお持ち帰り」はこちら↓

マック

続きを読む

人間のままで

ただ今、米国西海岸、5月21日、午後6時35分。

当然、最後の審判は起きませんでした。相変わらず、サンデイェゴの空は青く、さわやかな夕暮れです。子供達はいつもように木に登り、キャプテン翼を観ています。これから夕飯の準備が始まります・・・。今日がその日だということを信じて、中には家を売っちゃったりした人もいるというし・・・。あのリーダーは今頃、どこで何をしているのだろう(家を売っちゃっても、まだまだ人生やり直せるから、自暴自棄になっちゃいかんぜよ)。

創世記には神が天地を創造し、その後に人間を土のちりで創り、命の息をその鼻にいれたということが書かれています。そして、この最初の人間はエデンという園に暮らします。神は彼に園のどの木の実から取って食べてもいいという許可を出しますが、その中で一本の木、「善悪を知る木」からは取って食べるなといいます。

このような話を多くの人はおとぎ話のように受け止めますが、そこにはとても大切な真理があります。すなわち、人間は明らかに神ではないということ。人は神によって制限(リミット)が与えられており、その制限の中で私達は生きていくことが定められているということです。

しかし、時に私達は自分は無制限の知恵をもち、力をもっていると誤解します。このところから生じる悲劇・惨劇というものは枚挙にいとまがありません。

皆さん、最後の日まで自信もって(笑)、己の無知を認める、正真正銘の人間でいましょ。

マック

追伸:その正真正銘の人間がなせる最高のわざが、神を礼拝することです。明日の礼拝でお会いしましょう。

 

 

ここ何週か、バイブルスタディーでマルコによる福音書14章1節ー11節から学んでいます。このところで教えられたことは、この女性が「時」というものをしっかりと、とらえていたということです。

映画「ボディーガード」の中で、ボディーガードを演じるケビン・コスナーが「自分が一番、恐れるのは、自分がいるべき時に、その場所にいることができないことだ」というような台詞を言っています。

「いるべき時」「話すべき時」「黙るべき時」「立ち去るべき時」「行くべき時」・・・

同じことを言うにしても、するにしても後にも先にもない最善の「時」というものが必ずあるんだと思います。その「時」が、いつなのかという、その違いによって全てが変わることが多々あります。このようなことは経験等によって、見極めていくのものなのだと考えられるかと思いますが、やはり、自分は祈りの中で静かな声を聞きたいと願っています。

「天が下のすべての事には季節があり、すべてのわざには時がある」 伝道の書3章1節

マック

追伸:一つの季節の終わりと新しい季節の始まりを決める力は私にはありませんゆえに・・・。