黄昏の感覚

場所を移して、某所に投宿。

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夕の空気が心地よか。明日に備えませう。

マック

追伸:北カリフォルニアから来られた委員の方と共にいますが、安さと、このモーテルの駐車場がやたら空いていることにハリウッド映画の映像が思い浮かぶのでしょうか、「ここはなんといってもLAだから・・・」と心配しております。ご心配なく、この空気ならまず何も問題ありません。

Pastors

月曜日から明日の昼まで東西南北、海の彼方から集まったパスターズとリトリートをもっています。これは先ほど撮りました毎年恒例の全体集合写真。ついこの間までは新人だったのですが、あれよあれよと今は古株となりました。

OMS Pastors 2013

今日はタルボット神学校の教授が来てくださり、有意義なレクチャーをしてくださいました。明日から場所が変わり、週末は第二ラウンドです。

マック

追伸:手前右端のキルボルン先生、奥様のようこさんは三月より宣教師として日本に一年間、行きます。お年は93歳。日本に行ったら中古車を買って自ら運転すると言っていました。ちなみに先生は毎年、フロリダからカリフォルニアまで車を運転して来ます。93歳ですよ、93歳!古株なんて言っている場合じゃないですね。 

棟方志功 

Ms名前は以前から聞いていたのですが、先日、稀有の彫刻家、棟方志功の人生を綴ったドラマを観て楽しくて椅子から落ちそうになりました(笑)。一日を200パーセント燃焼し切って「ワダば、ゴッホになる」という、その一途な思いで作品に向き合う氏。あまりにも真っ直ぐで、花畑に咲く花に気がつくことがないばかりか、それらを踏みつけて猛進していく人柄。氏もすごいけど、彼を支え続けた奥様もすごい!

この方の生涯は「空気はあえて読みません」という自覚のもとにあるのではなくて「そんな空気のことは何も知りません」という自由闊達な天然ものであり、それゆえに、これぞ棟方!というような一度、見たら忘れられないような作品を世に残していったのでしょう。

マック

追伸:版画に向き合うことを「板行」と自らの修行と位置づけ、「ぼくぁ~、自分で責任がとれるような仕事はしない」と言い、その心は「一人でとれる責任はたかが知れている。神、仏が責任をとれるような仕事をしたい」ということだそう。なんとも、すごい境地で木目に向き合っていたのだなと思います。何か通じるものがあります。

能力によらず、権勢によらず

私達の人生の長いスパンを天から見つめる視点と、自らの心にはたらきかける神の御手の細やかさを、どちらも大切なものとして見ることができる、そんな霊的な洞察力が与えられますように。

 

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本日礼拝でお話した日英両語の「礼拝メッセージ原稿」、および「本日のおもちかえり」です↓。本日の礼拝プログラムはこちらから。

マック

 

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ハガイ書:現状をもう一度考えよ。

わたし達はよく「God bless you」と言います。この言葉から気がつくことがありませんか。この言葉の主語は誰ですか。その主語は神様なのです。神様が私達を祝福してくださるということです。私達はこれまで何度もこの「God bless you」と言う言葉を聞いてきましたが、さすがに「You bless yourself」とか「I bless myself」という言葉を聞いたことがないのです。しかしです、そのような言葉を聞いたことはないのですが、あたかもそのように私達は生きていることはありませんか。すなわち、私達は「I try to bless myself」というようにして毎日を過ごしていませんか。「なんということか、そう言われてみたらそうだ」と思われる方いませんか。

主にある兄弟姉妹、どうか覚えてください、全てのブレッシング、祝福は神様から私達に注がれるのです。もし天に扉があり、そこから私達に祝福が注がれるのであるならば、その扉を開閉するのは私達ではなく神様なのです。こちらからこじあけるなどということはできないのです。

 

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本日礼拝でお話した日英両語の「礼拝メッセージ原稿」、および「本日のおもちかえり」です↓。本日の礼拝プログラムはこちらから。

マック

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道が閉ざされる時

Pink今日から北カリフォルニアでもたれるユースのためのバイブル・キャンプに私達の教会から13名の子供達が参加しています。昨年、初めてこのキャンプに参加した長男がサンディエゴに戻り、彼をピックアップして帰宅途中、どんなにそのキャンプが素晴らしかったかと興奮して話してくれたことを覚えています。

時はおりしも米国でフルーが大流行している最中。数日前から何を持っていこうとかと楽しみにパッキングして、このキャンプに初めて参加すべく仲良しの友達の家に前夜から宿泊させていただいていた娘が今朝、発熱。駆けつけるとその時点でも熱があり、やむなく参加を断念。「残念だけど、これじゃ、行けないね」と言うとポロポロと涙を流していましたが、今はベッドの中で静かに眠っているようです。

「心から願っていること」が、かなわない現実に向き合うということ、これは彼女のこれからの人生の序章のようなもので、これからも自分が願うようにならない多くの経験を彼女はしていくことでしょう。でも、そこからきっととても大切なことを学んでいくことでしょう。

数日前から発熱し、パーフェクト・アテンダンスを逃した次男坊は回復し登校、その熱の引継ぎが滞りなく妻になされ、現在、山篭り。そして、そのバトンが娘にも手渡され、プチ・パンデミックの我が家。家に残されるは我一人。「逃げも隠れもしないから、さぁー、どこかからでもかかっていらっしゃい」という気合いをいれつつも(笑)、「主よ、どうかそのあわれみゆえに、日曜という峠は越えさせてください」と子供のように祈っています。

世俗牧師らしく(笑)、この歌のフレーズが心に響いてきました。 元気になったらうまいもん、皆で食べにいこう。

マック

追伸:多くの若者が集まる四日間です。彼らが守られるようにお祈りいただければさいわいです。

友、遠方より来たる

13583167453711987年、私はテネシー州にある小さな町のとある大学(誰も知らないということが誇りです 笑)に在籍していました。そこは町でアジア人を見かけることもないところで、地元の人から「忍者は今、何をしているのだ」というような質問を何度も尋ねられるような土地でした。

「無知」というものは時に、思いがけないきっかけとなるもので、英語が話せない者がアメリカの大学で学ぶということがどういうことなのかということを何も知らない当時18歳の私はロスでもなく、ホノルルでもなく、アパラチャ山脈の裾野にある米国でも最も外に閉ざされた地域の大学に入学してしまったのです(後になって思うに、これが最高の選択でした!)。

今はどこの大学にもESLのクラスがあるのが当たり前ですが、当時、大学のアドミニストレーションにESLのことを聞きましたら「それは何だ?」と聞き返され、最初からまさしく“地元のアメリカ人”と同じクラスを取らなくてはならず、これも今、思えば最善な神様のお取り計らいだったと思います。

その大学では四年間、寮生活をし、学校のカフェで食事をとったのですが(四年間、朝食メニューは変わりませんでした!)、入学したばかりの頃、私の最初の友人となってくれたのが、当時、シニアだったカルロスという幼い頃にコロンビアから移民してきた男でした。彼は生まれて初めてのサンクス・ギビングディーにニュージャージーの家に招いてくれ(テネシーから片道13時間のドライブでした)、今でも大家族一人一人の顔を思い出すことができます。

その時、彼は私をNY・マンハッタンに連れていってくれ、エンパイヤーステイト・ビルデイング、自由の女神を案内してくれました。ただし、その時には現在、彼の奥さんとなっているガールフレンドのナズリーと彼と私という、私は彼らのデートにつきそう怪しい日本人という実に不思議な組み合わせでしたが・・・。

その彼が仕事をかねて先日、ニュージャージーからナズリーとサンディエゴを訪ね、礼拝にも出席してくれ、昨晩は共に食事をしました。彼の卒業式が最後の別れでしたから、この度は25年ぶりの再会ということになり、25年間に互いの身に起きたことを時間を忘れて話しました。

今、彼らにはティーンとなった子供がおり、教会生活をしながら、日々を励んでいるということ。カルロスも牧師の子で「かつて俺達は放蕩息子だったな」ということを確認し(変な確認)、「遠回りしたことが実によかった」とこれまた妙なところで一致し、ただただ「今、あるのは主の恵み」と感謝しました。

最後に「今度はニュージャージーに家族で必ず遊びに来い」と言われたので、いつかテネシーを経由して、今度はアメリカを東西に横断をしなければならないかなと、少々、にやついています。

マック

追伸:私達の大学は1794年創立でテネシー州では一番古いのですが、カルロスが昨晩言うには、1983年、彼の前年に入学した友人が大学初めてのヒスパニックの入学者だったということで、これにはさすがに驚きました(ほんとかね、カルロス?)。