飲み食いで終わらない人生

私達は「さて、今晩の夕飯はどうしようか」とか「この子を友達の誕生パーティーに連れて行かなくては」とか「今日は歯医者のチェックアップがある」というような忙しない日々を毎日、暮らしており、実際にそんな一週間を過ごして私達は今朝この礼拝に集っているのではないかと思います。

 しかし、そんな私達に毎年一度、イエス・キリストが十字架につけられ、葬られ、そして死から甦ったという、とんでもないことを記念するイースターという日がめぐってきます。「とんでもない」というのは、これまたとんでもない言葉ですが、実際に「死からの復活」ということは今に限ったことでなく、イエス・キリストの時代もその後、今日にいたるまで、やはりとんでもない話で、誰も信じなかったのです。ですから「そんなこと信じられっかい!」と思われることは当然のことです。



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今日はイースター礼拝でした。大人と子供のゴスペル・フラ、子供達のスキットムービー、洗礼式と盛りだくさんでした。

礼拝でお話した日英両語の「礼拝メッセージ原稿」は ↓ から。本日の礼拝プログラムはこちらから。 

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兄弟

韓国の空港に着き、外界へドアが開くと、それが1974年の金浦であっても、2013年の仁川であっても待っていてくれる人がいる。先週、土曜日、ドアを出た先にいた兄はいつものように私を抱きしめ、満面の笑みで私の頬をつねった。40を過ぎた男が、誰かに頬をつねられることはまず、ない。しかし、兄だけは別なのだ。

私には親のような年齢の三人の兄と一人の姉がいる。そのうち二人の兄は韓国、一人は南米パラグアイ、姉はロサンゼルスに住んでいる。訪韓の最後の夜はこの二人の兄達と過ごした。共に食事をし、片言の韓国語と英語を取り混ぜ、パラグアイの兄とも電話をつなぎ、15年の間に積もった話をした。韓国を発つ日も出発時刻まで時を過ごした。

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血がつながっているというのは不思議です。国が異なり、一緒に暮らしているわけではないのに、顔立ちや細かい仕草、考え方までもが似ていることに驚きました。

韓国に行くと必ず兄達に連れていかれる仁川港の市場。ここにある食堂でいつも食事をします。次回はいつ会えるのでしょうか。今度は兄弟姉妹五人、地球のとこかで集まることを約束しました。

兄さん、二人の風貌はこの市場の元締めそのものだって(笑)!なぜ、仁川に宮崎駿(本人はロバート・デニーロだと言っていますが)と大木金太郎がいるのだろう?

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祖父について

3月27日 韓国 002あまり祖父のことを書いたことはありません。韓国教会史において大切なはたらきをした牧師であったということは聞いておりましたが、これまで心のどこかで祖父は祖父、自分は自分と思っていました。

誰しもがそうであるように、孫として私が祖父を選んだのでなければ、祖父が私を孫として選んだのでもありません。ただただ、そこには神の摂理があるのみです。

祖父はその昔、私の母校、東京聖書学院で中田重治、笹尾鉄三郎により教訓を受け、同じく共に留学していた韓国人留学生と共に韓国に帰国し、今日の韓国聖潔教団が始まりました(この二人で始まったこの団体には現在3000の教会があり、60万人の信徒がいます)。特に祖父はこの教団の土台となったホーリネス神学の礎を築いた人で、今日でも韓国で祖父に対する敬愛には圧倒されるばかりです。この度、神学校を訪ねた時も祖父の神学について学者達のフォーラムが開催されていました。

今回の旅の中で初めて知りました。祖父はかつて聖書信仰を禁じる日本政府の弾圧に対して、声をあげて反対したことから、投獄されていたということを。その祖父の息子と日本人の母が信仰により海を越え、結婚し私は生まれました。日本国に対する辛い過去をもちつつも、日本人女性を息子の嫁とすることをよしとした祖父の心に感動しました。

父母は日本で結婚し、母は日本国籍を離脱し、韓国に骨を埋めるべく海を渡りました。しかし、渡韓して幸せな新生活が始まって間もなく、父が肝硬変にかかっていることが分かり、父は私の誕生100日後、母の誕生日に天に召されます。葬儀の中で読まれた『わたしのしていることは今、あなたには分からないだろう。しかし、後になって分かるようになる』(聖書・ヨハネ13章7節)という聖書の約束と共に、母は赤子の私を連れて帰国します。以来、私は日本で育ち、そして今、アメリカ人としてアメリカに住んでいます。

ここ数年、わたしは神様の計画というのは一年、二年で考えてはいけないということを肝に銘じています。否、その計画は自分に与えられている生の中だけで収めきれるようなちっぽけなものではなく、次の代、そして、そのまた次の代へと引き継がれつつ、少しづつその全容が見えてくるものだと信じています。

この度、祖父の全集16巻が発行され、後で全巻をサンディエゴに郵送してくれるということです。しかし、悲しいかな、私には全く読めない全文ハングルです(この全集は明らかに私のオフィスで積ん読(つんどく)となるでしょう 笑)。

父と母は韓国の架け橋となるべく日韓の海を渡ったのに、その子ときたら反対側にある海を渡り、米国大陸に来てしまいました(祖父も父も天国で苦笑いしているかもしれません)。でも、もしかしたら、この者が成し遂げられないことを私の子達や孫達が引き継いでくれるのかもしれません。彼らが再び太平洋を渡り、日本に行き、さらに父母が超えた海を越え韓国にいたり、キリストに仕え、この祖父の全集を読んでくれる日がくるかもしれません。その時のためにこの全集は大切にとっておきます。

聖書は神の言葉として「わたしはアブラハムだけの神」とは言っていません。『わたしはアブラハム、イサク、ヤコブの神』なのです。今まで気がつきませんでしたが、この言葉の意味がはじめて心に沁みました。

『わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』(出エジプト記3章6節)

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追伸:昨晩、訪ねたソウル市内の教会の集会後に母と同年代の女性が来て、私にこう言いました「わたしは1969年1月20日、あなたがソウルで生れた日、同じ病院で男の子を産み、あなたのお母さんと同じ病室にいました。それ以来、あなたを知っており、祈っています・・・」。生きるということはいつも驚きで満ちています。

ルーツ

韓国カメラ 土、日、月 042こちらに来て、毎朝四時に目覚めています。私にとってこれはとても都合のいいことで、一日が始まる前の貴重な一人の静かな時間を楽しんでいます。

火曜日はソウルから車で二時間ほど南にある扶餘(ぶーよ)という町のいくつかの教会に行きました。ここは今から1400年前に栄えた百済の最後の王都とされたところで、今もその時代の面影を残す町です。

 

韓国カメラ 土、日、月 017この町の教会でもたれる地域牧師の会に行きましたところ、その教会が私の父がかつて牧会をしていた教会であるということを知りました(現地に行って初めて分かるというのがこの旅行の特徴です 笑)。このことはまた追々、書こうと思っていますが、私の父は私が生れてすぐに亡くなりましたので、私は父のことを何も覚えていません。しかし、父がこの町のこの教会にいたのだということを思う時にとても不思議な気持ちがしました。

そして、この父の教会から少し離れたところに韓国聖潔教団で三番目にできた教会があり、そこでは祖父がかつて牧会をしていたということも聞きました。教会内には博物館があり、そこに祖父の写真がありました。

この町の路地裏を歩いていた時、父と祖父が肩を並べて歩いている姿が目に浮かびました。

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郷に入ったので、郷に従っています。

韓国カメラ 土、日、月 013日曜日は朝七時に集合、ソウル駅でうどんをすすり、電車にのって郊外の教会へ。私は韓国語が全く分からないので、とにかく後をついていくだけです。

そこはこれから五万人の人達が入居するマンション建設予定地で、まだ開発中ということで何もないのですが、そのど真ん中にドカーンとモールのような教会が建っていました(写真背後が教会)。しかも、その教会から見渡せば周りには三つの教会が既に建てられており・・・(韓国のキリス教徒は人口の三割といわれています。ゆえに教会が多く、100メートル四方に三つ、四つの教会があちこちにあり、中には隣り合わせにある教会もあります。大丈夫?)

その教会の礼拝でメッセージをさせていただき、すぐに別の教会へ移動。その移動の最中、隙間時間が一時間ほどあったので、どうするのだろうかと車に乗っていると「24〇×〇×〇×」と24を筆頭にハングルの看板がかかげてある大きな施設。車を降りて中に入ると、あれま、そこは地元庶民の公衆浴場。牧師達はさっさと服を脱ぎ、垢すりでからだを洗い、天井見上げて目を閉じて(祈っているのか!)風呂につかっています。そして、さっさとまた着替えて(ネクタイしめて)、何事もなかったかのように次の教会へ。教会へ着くとすかさず夕食。そして、そのまま夕拝が始まっている礼拝堂の講壇へ直行。

1364195508454メッセージを終えるとそのまま20畳もあるような会議室へ(これ、よく日本の閣僚が総理を中心に座るあの部屋に似ています)。そこに入っていきますと私達が座るソファーの前にほどよく温まった栄養ドリンクが一本づつ置かれていました!(部屋の隅にはこの栄養ドリンクを保温するコンビニにあるようなボックスがあり、中にはドリンクがびっしり)。皆で一気に飲み干し・・・、また移動・・・(昔、時任三郎がやっていた「24時間、戦えますか」のユンケルのCMを思い出しました)。

いやー、郷に入りましたので、郷に従った一日でしたが、所が変われば全てが変わります。自分の住んでいる場所は地球の片隅であることをあらためて実感しました。完全アウェイの環境で、アンテナはって色々なことを吸収して、米国に還元させていただきます(取り急ぎ、執事会の後に栄養ドリンクを一本!笑)

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中風の者の癒し

今日は私達の教会から日本へ宣教師として送り出していますロイ藤間師が礼拝メッセージを取り次いでくださいました。師は家族と共に311の震災直後に沖縄から仙台に居を移し、二年余り、世界中からやってくるボランティアに家を開放して宣教と震災復興にあたりました。この度、初めて自ら日本語によるメッセージをしてくださいました。また五月には日本に帰ります。覚えてお祈りくださいましたらさいわいです。



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本日礼拝でお話した日英両語の「礼拝メッセージ原稿」、および「本日のおもちかえり」です↓。本日の礼拝プログラムはこちらから。 

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アンニョンハセヨ

金曜日の朝、サンディエゴで目覚めてから、24時間が経ちました。こちらはソウルの土曜日、夜九時過ぎです。太平洋上では長男にダウンロードしてもらっていた「とんび」を七話までぶっ続けで観、笑い、泣きました。そして到着した仁川空港の大きいこと、大きいこと!アジアにおけるハブ空港のポジションについて、成田空港が脅威に感じているのも当然だと思います。

2013-03-23_02-50-50_684この度は大韓聖潔教団が祖父の40周年の記念会を持つということで招待してくださいました。こちらについたら詳しい予定を教えてくれるということで、覚悟はしていたのですが、想像していた通り、明日から帰国日まで朝から晩までびっしりでした。数えますと六つの教会と神学校を三校まわり、メッセージを話すようにとの事。身に余る任ですが、主が共にいてくださるということだけを拠り所とし、 力を抜いて最善を尽くしましょう。通訳は東京聖書学院で共に学んだ金基憲先生がこの一週間、共にいてくださるとのこと。まことに、まことにありがたいことです。

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2013-03-23_02-50-38_124追伸:夕食をとりながら打ち合わせ。一般家庭に上がりこんでしまったような家庭的な雰囲気の路地裏の食堂で、これぞおふくろの味というような本場の韓国料理をいただきました。

ということでもうまぶたは限界。おやすみなさいませ。

もまれてください

Usaこの夏から長男が入学する高校の説明会やらレジストレーションが最近、立て続けにありました。手渡された案内を見ますと彼が行く高校にどんな人種的背景をもった生徒が在校しているのかということがデーターとして示されています。

まさしくその顔ぶれは人種のるつぼ。これぞUnited States of America! 私はこのリストを見て、正直、息子が羨ましくなりました。お主はこの子達の出身国に行かずとも、こんなに多種多様な人間と知り合うことができるのかいと!当然、彼らの育った文化・言語・宗教等は息子のそれとは異なりますが、違いの中にいるからこそ自分を探り、自分を知り、切磋琢磨していくことができるはず。「いいなーお主!」と思わされたわけです。

自分と同じ考えを持っている者たちとの間に、あまりコンフリクトは生まれませんが、違った考えをもつ者たちとの間には考え方の相違があり、時に衝突もあり、それらは大変な苦労につながることもありますが、そこから得る収穫は財産となります。これから、どんな人間と何をしても動じることがないように、しっかりもまれて大きくなってください。

マック

追伸:「Diversity」こそがこの国のダイナモであり、同時に方向を間違えるとアキレス腱となります。