あまり祖父のことを書いたことはありません。韓国教会史において大切なはたらきをした牧師であったということは聞いておりましたが、これまで心のどこかで祖父は祖父、自分は自分と思っていました。
誰しもがそうであるように、孫として私が祖父を選んだのでなければ、祖父が私を孫として選んだのでもありません。ただただ、そこには神の摂理があるのみです。
祖父はその昔、私の母校、東京聖書学院で中田重治、笹尾鉄三郎により教訓を受け、同じく共に留学していた韓国人留学生と共に韓国に帰国し、今日の韓国聖潔教団が始まりました(この二人で始まったこの団体には現在3000の教会があり、60万人の信徒がいます)。特に祖父はこの教団の土台となったホーリネス神学の礎を築いた人で、今日でも韓国で祖父に対する敬愛には圧倒されるばかりです。この度、神学校を訪ねた時も祖父の神学について学者達のフォーラムが開催されていました。
今回の旅の中で初めて知りました。祖父はかつて聖書信仰を禁じる日本政府の弾圧に対して、声をあげて反対したことから、投獄されていたということを。その祖父の息子と日本人の母が信仰により海を越え、結婚し私は生まれました。日本国に対する辛い過去をもちつつも、日本人女性を息子の嫁とすることをよしとした祖父の心に感動しました。
父母は日本で結婚し、母は日本国籍を離脱し、韓国に骨を埋めるべく海を渡りました。しかし、渡韓して幸せな新生活が始まって間もなく、父が肝硬変にかかっていることが分かり、父は私の誕生100日後、母の誕生日に天に召されます。葬儀の中で読まれた『わたしのしていることは今、あなたには分からないだろう。しかし、後になって分かるようになる』(聖書・ヨハネ13章7節)という聖書の約束と共に、母は赤子の私を連れて帰国します。以来、私は日本で育ち、そして今、アメリカ人としてアメリカに住んでいます。
ここ数年、わたしは神様の計画というのは一年、二年で考えてはいけないということを肝に銘じています。否、その計画は自分に与えられている生の中だけで収めきれるようなちっぽけなものではなく、次の代、そして、そのまた次の代へと引き継がれつつ、少しづつその全容が見えてくるものだと信じています。
この度、祖父の全集16巻が発行され、後で全巻をサンディエゴに郵送してくれるということです。しかし、悲しいかな、私には全く読めない全文ハングルです(この全集は明らかに私のオフィスで積ん読(つんどく)となるでしょう 笑)。
父と母は韓国の架け橋となるべく日韓の海を渡ったのに、その子ときたら反対側にある海を渡り、米国大陸に来てしまいました(祖父も父も天国で苦笑いしているかもしれません)。でも、もしかしたら、この者が成し遂げられないことを私の子達や孫達が引き継いでくれるのかもしれません。彼らが再び太平洋を渡り、日本に行き、さらに父母が超えた海を越え韓国にいたり、キリストに仕え、この祖父の全集を読んでくれる日がくるかもしれません。その時のためにこの全集は大切にとっておきます。
聖書は神の言葉として「わたしはアブラハムだけの神」とは言っていません。『わたしはアブラハム、イサク、ヤコブの神』なのです。今まで気がつきませんでしたが、この言葉の意味がはじめて心に沁みました。
『わたしは、あなたの先祖の神、アブラハムの神、イサクの神、ヤコブの神である』(出エジプト記3章6節)
マック
追伸:昨晩、訪ねたソウル市内の教会の集会後に母と同年代の女性が来て、私にこう言いました「わたしは1969年1月20日、あなたがソウルで生れた日、同じ病院で男の子を産み、あなたのお母さんと同じ病室にいました。それ以来、あなたを知っており、祈っています・・・」。生きるということはいつも驚きで満ちています。