牧師になりまして18年になります。あっという間でした。牧師は人間と向き合うことが課せられます。ですから人間についてこの年月に学んだことは多いのです。自分の浅はかな人間理解から多くの失敗もしました。「あの時は、ああしておけばよかった、こうすればよかった」ということがたくさんあります。その中で一つのことを学びました。それは私達は互いについて、そう簡単には知りえないということです。特に夫婦のこと、家庭のことはその本人達とその身内以外の者はほぼ何も知らないということです。たとえ夫婦円満、家庭円満のように見えたとしても、必ずしもその通りとは限らないということです。そこには人には見えない課題があり、皆がそれぞれ、その課題を背負っているということです。そして、その様々な課題の背後には他者には知りえない、そこに至るまでの様々な経緯があるということです。その経緯は樹木の根っこのようなもので、今、見えている枝や幹だけで全てをジャッジすることは到底、できないということです。
私達は私達の住む地域社会や会社の中では自らを隠すことができます。朝、出勤し、夕になって時間が来れば帰宅すればいいのですから。たとえ職場で嫌な思いをしても、ぐっとこらえて帰宅時間を待ちます。しかし、帰宅してからはそのような気持ちを抑えることはなくなります。そこにいる者達は八時間を共有して給料をもらっている人達ではなく、健やかな時も病める時も共に暮らしている人達です。互いに全てを見せ合う人達です。一国を代表するリーダが隣国との貿易交渉を成功に導いたとしても、選挙において多くの有権者の支持を得たとしても、その人が家庭に戻った時に、同じように家庭をまとめ、家族から尊敬されて、支持を受けているとは限りません。
Video streaming by Ustream 本日、礼拝でお話した「日英両語礼拝メッセージ原稿」および「本日のおもちかえり」は☟から。本日の礼拝プログラムはこちらから。