優しい日本語

images (6)去る水曜の晩、日本の岩手で被災地のグリーフケアーをしていらっしゃるアメリカ人のニールセン宣教師ご夫妻が教会に来てくださって、その活動の報告してくださいました。先生ご夫妻はあの311までは愛知県で教会を牧会していたのですが、311後すぐに現地に入り、以来、かの地でそのはたらきを続けてこられました。また来年三月には岩手に戻るということです。

また先日訪れたカナダでは札幌で40年あまりも宣教活動をしておられた南アフリカご出身のシュミット宣教師ご夫妻に出会い、最後の晩はご自宅に泊めていただきました。南アフリカと北海道に共通点を見つけることは簡単なことではなく、しかしながら先生ご夫妻は文化風習が全く異なる札幌を愛し、ご自身の人生をかの地に注いでくださいました。

ニールセンご夫妻もシュミットご夫妻も日本語がほんとうに上手で、その一言一言がなんとも優しく、とても丁寧であることに驚きました。あらためて自分の日本語はなんて雑で、ぶっきらぼうなのかと頭が下がりました。

先生ご夫妻はきっと数えきれないほどの御苦労を経験されたと思います。しかしながら、そのお顔にそのような影は微塵もなく、いつも笑みを浮かべながらお話くださった穏やかなお顔が心に残っています。

マック

追伸:先生方は何か手にとって触れる物を売り込むためにその地に生涯を捧げたのではなく、見えないお方を人々に示し、そのお方を伝えるためにその地に住んだのです。こんなとんでもないことを可能にしてしまうこと、それを私達は信仰と呼んでいます。

 

 

 

御霊の実:柔和と自制

去る25日の礼拝映像をアップさせていただきます。サンディエゴを留守にする時にはいつも吹上信一先生がメッセージを取り次いでくださり、一同が恵まれています。先生は御霊の八つの実をこれまで、分かりやすくお話くださり、いよいよその最後の実についてお話くださいました。

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『御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない』(ガラテヤ5章22節、23節)。

25日の礼拝プログラムはこちらから。

マック

一粒の麦

images (5)1987年から91年まで私はテネシー州、グリーンビルという南部の町で過ごしました。ラジオ・ステーションはどのチャンネルもカントリーミュージックを流し、ジーンズの後ろポケットには噛みタバコのパッケージ跡がくっきりと残っている、そんな男達をあちこちで見かけるような土地です。

アジア人の私は町中では一目で分かる外部者で、日本車がハンマーで壊されていた時代ですから、冷ややかな言葉を投げかけられたり、怪訝な態度を示されてもなんらおかしくなかったと今、振り返れば、そう思います。

しかし、不思議なことですが、私はかの地で過ごした四年の間に一度たりとも差別的な言葉を浴びせられたり、そのような待遇を受けたことがないのです。思い起こされる思い出は良きものばかりで、友達や地元の方達のホスピタリティーに包まれた四年間でした。

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1963年8月28日、今日からちょうど50年前にマーチン・ルーサー・キング牧師はあの有名な「I have a dream」というメッセージをリンカーン記念堂において語りました。

“Let freedom ring from Lookout Mountain of Tennessee!”
私はあの時、確かにこの鐘の音を聞いていたのだと思います。

「一粒の麦もし地に落ちて死なずば、ただ一つにてあらん、死なば多くの実を結ぶべし」聖書 ヨハネ12章24節

一粒の麦として生きたキング牧師に思いをよせて・・・
マック

夏の夜

nightサンデイェゴに戻って来ましたら熱帯夜でした。日本の猛暑のニュースを見聞きしていたので、なかなか書けなかったのですが、今年の南カリフォルニアはとても涼しい夏でした。しかし、やはりこのまま秋になることはなく、あの暑さが戻ってきたようです。

こうなりますと我が家では皆が家の中で一番、涼しい場所を見つけるべく、あちこちを徘徊し、気に入った場所に布団を敷き、ゴロンと横になり、眠ります。時には皆が一室に集まり、プロレス技をかけながらの雑魚寝となります。そこに気持ちのいい夜風などが窓から入ってきますと、これはもう最高です。帝国ホテルのスィートもかないません(あえて言うまでもなく、泊まったことなどありませんが 笑)。なんの変哲もない日常ですが、人生の晩年に思い起こされる日というのは、まさしくこんな夜なのではないかと思います。

さて、今晩はどこで寝ようか。

マック

北の国から

週末から日曜日にかけてバンクーバー日系人福音教会主催のチャーチキャンプに呼んでいただきました。国が異なりバンクーバーという土地も初めてでしたが、どの方達も以前から知っているような親しみやすさを感じ、とても楽しく有意義な時をもつことができました。discipleship-copy

バンクーバー教会は福迫先生ご夫妻を中心にどの年代にも行き届くチームミニストリーをなさっており、幼子もご高齢の方達もいつも笑顔で満ちておられたことが印象的でした。他の教会を訪問させていただくと、いつも新しい発見や気づきが与えられ、収穫が多い旅となりました。北の国境の街、南の国境の街とそれぞれ暮らす場所は異なりますが、これからも力いっぱい主を喜んでいきましょう!

マック

 

早寝早起

images『朝はやく、夜の明けるよほど前に、イエスは起きて寂しい所へ出て行き、そこで祈っておられた』(マルコ1章35節)

子供達の学校も始まり、気持ちの中では夏が終わったような思いでいます。この夏は部屋の壁のペンキ塗りから始まり、部屋変え、その他諸々、普段できないことをすることができました。全ては九月からの新学期を万全の環境で始める!という目標に焦点を当てていたと思います。その中のひとつに「早寝早起きへのシフト」ということがありました。

現在、まず試みていることは子供達のネットの接続は夜九時までとすることで、十時には就寝。これは子供のみならず、親も極力そうするように心がけます。自らを省みて、夜十時以降にしていることは、たいしたことではないと分かりました。一日、使い古した体と頭でネットサーフィンをして、どうでもいい情報を見ているいるうちに夜は更け、そろそろ眠ろうかという程度。

これが一日、二日ならいいけど、10年後に実りのなかった年月に愕然としているわが身を想像し、恐ろしくなりました。就寝時間は諸事情により、その日によって異なりますので、とにかく6時間眠ればよしということで、就寝時間から6時間で起きる。朝4時に起きれば正午まで8時間。朝9時までに5時間もあり、その時には諸々、だいたいの課題には目途がつきます。

正午には一日の標準仕事時間は終了となり、正午以降は気持ち的には「おまけ」となります。この精神的余裕は大きく、これを10年続ける意味はとてつもなく大きいはずです。ということで最近、夜9時には眠くなります。一日のうちに適度な運動をすること。これに20分でもいいから太陽を浴びる時間があれば、夜は熟睡です。

マック

追伸:ガラテヤ書の「九つの御霊の実」の最後は何でしょうか。『御霊の実は、愛、喜び、平和、寛容、慈愛、善意、忠実、柔和、自制であって、これらを否定する律法はない』(ガラテヤ5章22節-23節)。そうです、「自制」です。初めが「愛」で〆は「自制」。たまたまこの順番になったというのではなく、ここには深い意味があるように最近、感じています。

ヤコブ:言葉を制する者は人生を制する。                                           

images (4)日常的に口に猿ぐつわをはめている人はいませんから、大抵、私達はいつでも、どこでも言葉を口にすることができます。本を出版する時には何度もその原稿が読まれて、校正されたり、不適切な表現、誤解を招くような表現があれば訂正されてから、人の手に届けられます。誰がどのように調べたか分かりませんが、人が一年間に話す言葉は平均400ページの本、132冊分になるそうです。これら口から出る言葉は簡単に検閲なしに口から飛び出します。この言葉が時に鋭利な剣のように心に突き刺ささり、ある人にとっては、その言葉が死に追い込むことすらあるのです。

私達は今までも、そしてこれからもこの言葉と無関係に生きることはできません。今日は、この誰にとっても人ごとではない私達の言葉について見てまいりましょう。

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本日、礼拝でお話した「日英両語礼拝メッセージ原稿」および「本日のおもちかえり」はこちら↓から。本日の礼拝プログラムはこちらから。

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心の土壌

weeding去る木曜日の集会ではマタイ13章の種まきのたとえ話が開かれました。

イエスは譬で多くの事を語り、こう言われた、「見よ、種まきが種をまきに出て行った。まいているうちに、道ばたに落ちた種があった。すると、鳥がきて食べてしまった。ほかの種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が上ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて、ふさいでしまった。ほかの種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞くがよい」(マタイ13章3節-9節)。

このたとえの「種」とは「聖書の言葉」です。「土壌」は「私達の心」です。畑の地主が自分の土地の管理をするように、自分の土壌の最終的な責任は自分にあります。それをどのようにメインテインするのかは私達次第です。神様はこの土壌の管理を私達に委ねておられるのです。興味深いことはこのたとえ話を話されたイエス様はその最後にこう言われたのです「聞く耳のある者は聞くがよい」。それは「わたしは語るべきことは語った。後はあなた次第だ」ということです。

雑草の種も日ごとに私達の土壌に落ちてきます。草取りをした人ならお分かりになると思います。雑草の成長はとても早いのです。雑草は伸びきってしまったらやっかいなのです。根が強くはり、抜くのに難儀します。引っ張っていたら葉と茎だけが切れてしまって、根が残ってしまったということ、ありますでしょう。成長すべき芽を雑草が覆ってしまう前に、抜きやすいうちに今日も草取りに精を出しておきましょう。

マック

追伸:「責任に対する自由采配を委ねる」ということはその人に対する最大のリスペクトだと思います。