訪問

IMG_20131130_143852_033今日は妻は賛美チームの練習と食事会、私は数日前に米寿のお誕生日をむかえたHさんを子供達と訪問しました。お元気そうで「まぁ~大きくなったね~」と子供達を優しくむかえてくださいました。Hさんを訪ねさせていただく者は皆、その信仰心に心励まされます。新しい一年も神様のお守りと祝福がありますように皆でお祈りしました。

マック

追伸:子供達を乗せ、ハンドルを握りながら、牧師だった母の自転車のうしろに座りながら、幼い時に教会の方達の家や病院を訪問したことを思い出しました。ある時は千葉の利根川の土手沿いを、ある時は栃木の山々を眺めながら・・・。子供達が巣立つ前に親がいつも何をしているのか、見せておきたいと思いました。

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2013 Thanksgiving Day

IMG_20131128_164910_272昨日はサンクスギビングディーでした。この日は日本の元旦のようにアメリカは静かな朝を迎えます。私達ものんびりとターキーやその他の料理を作りつつ(といっても98%、妻頼みですが)、つまみつつ、今年は夕方からM家に向かいました。

IMG_20131128_170454_823子供から大人まで多くの方達が集い、感謝の祈りを捧げ、持ち寄った食事を楽しみ、会話を楽しみ、大いに笑いました。家に帰った頃は三時ちかく、ということは、ほぼ米国から日本の飛行時間と等しい12時間弱を食べ、話し、笑い続けていたことになります(笑)。

今朝は普段のように目覚め、日常に戻りましたが、特に疲れもなく、悔いなく?楽しんだためでしょう、すっきりした清々しい気持ちでした。さぁー、Count His Blessing、今年もあと一月、元気にまいりましょう!

マック

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常に感謝と共にあるもの

カナリヤ(西條八十)

歌を忘れたカナリヤは 後ろのお山に棄てましょか いえいえそれはなりませぬ
歌を忘れたカナリヤは 背戸の小藪に埋け(埋め)ましょか いえいえそれもなりませぬ
歌を忘れたカナリヤは 柳の鞭でぶちましょか いえいえそれは可哀相
歌を忘れたカナリヤは 象牙の舟に銀の櫂 月夜の海に浮かべれば忘れた歌を思い出す

最近、あなたは歌いましたか。あなたの暮らしに歌がありますか。歌を忘れたカナリヤは自分の居場所を見つけた時、再び歌いだしたのです。私達がいるべき場所、それが聖書には記されています。

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本日、礼拝でお話した「日英両語礼拝メッセージ原稿」および「本日のおもちかえり」はこちら↓から。本日の礼拝プログラムはこちらから。

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この世界に犬がいなかったら・・・

doggy-in-the-window楽しい話を聞いたことがあります。最初の人、アダムのもとに動物達がやってきました。名前をつけてもらうためです。何日も日をかけて最後にやってきたのは犬でした。アダムはこの犬に特別な願いをもってGODの反対のDOGという名前をつけました(英語圏だけに通じる話ですが)。

先日もある方と話しました。犬は飼い主が家に帰ってくると尾がちぎれんばかりに喜ぶ。それに反して人間ときたら・・・(ご想像にお任せします)。その様を見れば犬が愛される意味が分かります。色々と考えてみてもやはり犬ほどに人間に近い動物はなく、近頃は病院や学校などでしっかりとライセンスをもってTherapy Dogとして活躍している犬も多くいるといいます(人間顔負け。やっぱり人間はあれこれ話しすぎるのでしょうか)。

この世界に犬がいなかったら・・・。

マック

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躓き

images (23)「あの人に躓きました」という言葉を聞くことがあります。それは人の心の本質を伝えきれていない私(preacher)の責任です。

聖書を紐解いていけば、おのずと「これでもか!」というような人間の醜い姿をお話することになり、そんな人の赤裸々な心を日頃から包み隠さずに聞いているのなら、どんな人間に出会っても「さもありなん、聖書に書いているとおりだ、これが人間だ」という理解にいたるはずだからです。そして、この人間理解こそ神の私達に対する愛の大きさを知らしめるものなのです。

『しかし、罪の増し加わったところには、恵みもますます満ちあふれた』ローマ5章20節。

ナイーブにならず・・・、人の本当の姿を見つめよう。

マック

 

 

誘惑から守られるために

Bruegel08a「すべて鳥の目の前で網を張るのはむだである」(箴言1章17節)。

鳥を捕まえるのに、その時になって、鳥を前にして網を張っても意味がない。鳥を捕まえるのなら、事前にしっかりと準備しておかなければならない。それがいかなる誘いであっても、それに打ち勝つためには事前に知恵を蓄え、蓄えるのみならず、しっかりとそれを心に刻んでおかなければならない。その時になってからはどうすることもできないからです。それ以前にいつも心備えをしておかなければ、私達はこの誘惑に足をすくわれます。ですからソロモンは何度も書いているのです。

1わが子よ、わたしの言葉を守り、わたしの戒めをあなたの心にたくわえよ。2わたしの戒めを守って命を得よ、わたしの教を守ること、ひとみを守るようにせよ。3これをあなたの指にむすび、これをあなたの心の碑にしるせ。4知恵に向かって、「あなたはわが姉妹だ」と言い、悟りに向かっては、あなたの友と呼べ。5そうすれば、これはあなたを守って遊女に迷わせず、言葉巧みな、みだらな女に近づかせない。(箴言7章1節-5節)。

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同窓会

50866_P1050774藤沢市立明治中学校。私が三年を過ごした中学校です。去る土曜日、その中学校時代の同窓会がもたれました。私がその話を聞いたのは訪日の日程を決めてチケットをとった後、ちょうど同窓会の日程が帰国日となってしまい、こちらの予定もあり泣く泣く断念。

でもこのために事前に交流サイトが開かれて同窓生たちの近況が分かり、先日アップされた同窓会当日の写真も見させていただき、なんとも懐かしい気持ちになりました(108名の参加者でそのうち104名が二次会にも行ったというのですからたいそう盛り上がったのでしょう)。男子の顔には昔の面影があり、皆、貫禄ある優しいオジサンになっていました。女子のほとんどは分からず(涙)、名札を見てかろうじて身元が判明し・・・、でも、皆素敵な笑顔でした。

私が中学、高校を過ごした藤沢市辻堂、思えば高校を出てすぐに故郷は出てしまったので、それ以降、級友とは会っていません。でもこの度、28年ぶりに面々の顔を拝見させていただいて、いつかゆっくり会って話したいなと思いました。積もる話、互いに話し出せば瞬く間に朝がやってくることでしょう。そんな日を楽しみにしています。

マック

追伸:写真を見ながら、もし再会できたら一気に当時の気持ちに戻るんだろうなと思いました。私達の教会に安倍首相と同級生でこの秋、同窓会で首相に会ったという方がいますが、たとえ級友が首相であっても、きっと今の役職なんて忘れて「ちゃんづけ」で呼んで、肩組んで一緒にマイク握るだろうな。

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半沢直樹が問うたこと

半沢直樹米国西海岸と日本の間を飛ぶ時、気流により、行きと帰りでは飛行時間が異なり、行きは約12時間、帰りは10時間弱(この2時間の差はとても大きいものです)かかります。

一話で完結する映画とは異なり、テレビ・ドラマというのは連続して観なければならず、それが億劫で私は普段はほとんどドラマを観ないのですが、この度は話題になっている「半沢直樹」を、これはいい機会と離陸から着陸までの12時間の間に最初から最後まで全て観ました(対抗する相手に向けられる堺雅人の「鬼の形相」と妻に対する「への字笑顔」がしばらく頭から離れませんでした 笑)。

きっと多くの人達は日常生活の中であの人、この人の顔を思い浮かべながら半沢が自分に代わって臆することなく真実を語り、最後には「倍返しだ!」と叫んでくれることによって心の鬱憤をはらしたのではないでしょうか(笑)。

職業柄でしょうか、話題となっているドラマを見る時に、いつも心にある思いは「なぜこのドラマが多くの人を惹きつけたのか」ということで、人それぞれこのドラマに対して思い浮かぶ色々なテーマがあるでしょうが、私が思わされたことは「責任」ということでした。

すなわち半沢がしたことは単純に「さぁ、あなたがしてしまったことに対して、あなたが責任をとりましょう!」ということだったのではないかということです。 半沢はやっていないことを捏造して相手を追い詰めません。しかし、自分がしたことについて責任を取らずにいる人に対して、そのことを明るみにし、その責任を問うているのです(先にも書きましたように、このドラマが人気を得たということは、しかるべき責任をとらない人がこの世界には大勢いるということなのかもしれません)。

自分自身について、社会について、教会について、牧師について、「責任」ということを以後、思いめぐらしています。

マック

追伸:キリスト教界においてこの「責任」というものはどう取り扱われるものなのか、この辺りはけっこうあやふやで、聖書に照らし合わせて、これから注意深く検討しなければならない大切な課題なのではないかと思います。