Focus on the PLANNER!

Dont-Seek-Gods-Planある賢明な老説教者が、ある大学の卒業式に臨席して説教をした。彼は説教が終わった後、卒業するクラスの学生たちと語り合うため構内をぶらついた。そして、ロバートという才気すぐれた年若い卒業式に話しかけた。

「君の将来にたいする計画は何かね」「ぼくはすぐ法学部の大学院に行くつもりです」「それからどうするかね、ロバート君」「はい、結婚して家庭生活を始める計画です。その上でぼくは弁護士を開業し安定した生活をたてます」「ロバート君、それから?」「率直に申し上げねばなりませんね。ぼくは弁護士業によって莫大な金を儲け、それをもって、多少早めに引退し、多くの時間を世界各地への旅行に使いたいと思っています。そういうことが、ぼくのいつもしたいと考えていることです」。

しかし、説教師はさらにほとんどうるさいほどの追及を加えた。

「それからどうなるのかね、ロバート君」「はぁ、これがぼくの計画の全部です」

説教者はあわれみの気持ちと父親のような思いやりのこもった面持ちで言った、

「君、君の計画はあまりにも小さすぎる。それはせいぜい七十五年か百年の範囲でしかない。君は、神を含むほど大きく、永遠を抱合するほど遠大に人生の計画を立てなければならい」。

M Lキング著 新教出版社 『汝の敵を愛せよ』より

『あなたの若い日に、あなたの造り主を覚えよ。悪しき日がきたり、年が寄って、「わたしにはなんの楽しみもない」と言うようにならない前に・・・』 聖書:伝道の書12章1節

ただいま、南カリフォルニアでEquipper Conferenceがもたれ、多くの学生がバイブルの言葉に心の耳を傾けています。主の御声を聴き、己が生涯で目指すべきこと、神が一人一人に与えている使命を見出す者が起こされますようにお祈りください。

マック

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Soli Deo Gloria!

『主をほめたたえよ。その聖所で神をほめたたえよ。その力のあらわれる大空で主をほめたたえよ。その大能のはたらきのゆえに主をほめたたえよ。そのすぐれて大いなることのゆえに主をほめたたえよ。ラッパの声をもって主をほめたたえよ。立琴と琴とをもって主をほめたたえよ。鼓と踊りとをもって主をほめたたえよ。緒琴と笛とをもって主をほめたたえよ音の高いシンバルをもって主をほめたたえよ。鳴りひびくシンバルをもって主をほめたたえよ。息のあるすべてのものに主をほめたたえさせよ。主をほめたたえよ』(聖書:詩篇150篇1節-6節)

Soli Deo Gloria!

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約束

OLYMPUS DIGITAL CAMERA昨日のクリスマスは家族で近くの山に登りました。このハイキングは近年、クリスマス前後によくしている年中行事となっています。さいわい温かいというよりも、暑い一日で、楽しくいい汗をかきました。

帰宅後、息子達と「The Day After Tomorthe-day-after-tomorrowrow」を観ました。子供と観る映画というのは一本一本が貴重なものです(私は今でも幼少時代に母と観た映画を全て言うことができます)。

この映画は地球に再び氷河期がやってくるというもので、ワシントンDCにいた父親が息子のいるニューヨークまで凍りついた道なき道を命がけで助けにいくという物語です。誰もが不可能と思いつつも、息子は父の約束を疑うことなく信じ、父も息子にした約束を守ります。

ごろりと胸元で横になった寝ぐせのついた息子達の頭を眺めながら、彼らとした約束は必ず守ろうと心に誓いました。

『それはあなたがわたしを愛してくださったその愛が彼らのうちにあり、またわたしも彼らのうちにおるためです』 ヨハネ17章26節

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Merry Christmas!

Merry Christmas!
Jesus Christ is the only reason for this season!

1981年12月23日、米国民に向けてこのようなクリスマス・メッセージをした大統領がいました。この国にもこんなリーダーがいて、こんなメッセージを国民に語っていた時代があったんだなと感動しました。

Thank you, Mr. President for your leadership under God !

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キャロリング

今年も健康上の理由で教会に来ることができない方達のもとに子供から大人まで四つのグループが割り当てられた地域のキャロリングに行かせていただきました。訪問先では「もろびとこぞりて」、「いざもろとも、主を」、「きよしこの夜」を歌い、お祈りをしました。どこに行っても皆さんが喜んでくださり、私達の心も喜びで満たされました。お一人お一人の健康が支えられ、祝福で満ちたクリスマスをお過ごしになられますように!

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さぁ、明日はいよいよクリスマス。よきクリスマス・イブをお過ごしください。

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Being more than Doing

IMG_20131223_080606_935「Being more than Doing」と言われることがあります。「あなたが何をするかよりも、あなたがどうあるべきかの方が大切だ」ということです。

幼少時代、栃木県の矢板というところに住んでいた私は年末になると都内にある実家に行き、そこで年を越していました。田舎の小さな駅で汽車に乗り、まさしく上京という言葉がぴったりの状況です(スルーすべき、おやじギャグ)。東京につくといつもとある地下街を通るのですが、そこにマリモを店頭に並べている店があって、一つ500円の値がついているのです。その緑の球体が魅力的で欲しかったのですが、当時500円は大金で、毎年しばらく眺めて実家に向かいました。

最近、ふとしたことからマリモが通信販売で売っていることを知り、調べてみましたところマレーシアから送ってくれるということが分かりました。小さなマリモが五つ、送料込みで10ドル。幼い頃の思い出がよみがえってきました。そして、実に35年ぶりに当時の夢がかないました。今、私の前には五つのマリモが静かに水に沈んでいます。5分、眺めます。10分、眺めます。彼らは動きません。全く動きません。あらためて思ったのです。なぜ、わたしはこのマリモをマレーシアから取り寄せたのかと・・・(笑)。「Being」について深い黙想をしたい方はマリモがおすすめです。全く動かない、ただそこにあるマリモが大切なことを教えてくれます。

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追伸:もちろん、このマリモ、手はかかりません、な~んにも。

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飼葉桶というしるし

英語圏には人間が持ち得る530もの恐怖症(Phobia)があり、そのひとつひとつに名前がつけられています。その内容は「Katsaridaphobia」、すなわちゴキブリ恐怖症から始まり、時計、お金、鏡、雪、コウモリ、義理の親、自転車、太陽、馬、親指、あしかに対する恐怖症、さらには長く待つことの恐怖症、風呂に入る恐怖症、道を横断する恐怖症、重力に対する恐怖症までいたり、「Homilophobia」という説教恐怖症(幸いなことに私はまだこの恐怖症に取りつかれてはいません)、もう、一切合財、全てのことに対する恐怖症「Panophobia」、はてには恐怖症に対する恐怖症、「Phobiaphobia」 というもう何がなんだか分からない恐怖症まであるのです。すなわち結論を申しますと私達は身の周りにあるほぼ何に対しても恐れをもちうる者だということです。

そのような一覧を眺めながら、ふっと私の心の中に「あれ、もしかしたら」と思わされることがありました。そこでこれら530の恐怖症を最初から最後まで三度、見直しました。しかし、その中にその恐怖症はありませんでした。何に対する恐怖症だと思いますか。

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本日、礼拝でお話した「日英両語礼拝メッセージ原稿」および「本日のおもちかえり」はこちら↓から。本日の礼拝プログラムはこちらから。

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出かけてしまわれた。

images『罪人のこととなると神は黙って立ち、腕を広げて「こちらへ来なさい」というのではない。いや、なくなった息子を待つ父親のように、神はそこに立って待っているが、むしろ進んで探しに出かけられる。いなくなった羊を探す羊飼いのように。なくなった硬貨を探す女のように。神は出て行く・・・。しかし、厳密にいうとそれも違う、神は既に出かけてしまわれた。どんな羊飼いやどんな女よりも果てしなく遠くにいかれた。神は神であることから人間になるほど、事実果てしなく長い距離を行き、そのようにして罪人達を探しに出かけられたのだ』 

ゼーレン・キルケゴール

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