ごめんちゃい

110810-A-3108M-020 「クリスチャンは品行方正な人がなれるのですか」。時々、聞かれる質問です。「そうです、品行方正になるまでクリスチャンにはなれません」「じゃー私、がんばります」(何をがんばるの?)。「そうです、歯を食いしばって、がんばってください」ということなのでしょうか。

そもそも私達は自分の努力で神に近づくことができるのでしょうか。私達を土から造られた神様は「100回、滝に打たれれば私はあなたを救おう」と言われるのでしょうか。「いや、あなたが浴びた滝の水は冷たさが足りないから、別のところでやり直しだ」と言われるでしょうか。自分の修練で神に近づこうとすることは、ノミが自分の力で太陽に触れようとするようなものです。

クリスチャン作家のフィリップ・ヤンシーはこんな言葉を残しています「天国に行くには何をしなければならないかと聞けば、たいていの人は「良いことをしなさい」と答える。イエスの話はその答えと矛盾する。私達がしなければならないことは「赦して、助けて」と叫ぶ事である・・・。

また次男坊の話になりますが、彼がまだ三、四歳の頃のことです。ある夜、私は自宅のコンピューターの前に座って仕事をしていました。その横では次男坊が何かをしていました。特に気にとめることなく仕事をしていると、突然、スクリーンの画面が真っ暗になりました。どうやら彼がコンピューターの電源を切ったようです。「こらー!」と叫ぶ私の声を聞くなり、彼は一目散に逃げ去りました。しかし、逃げた先で妻に捕まり、私の元に連行されてきました。その時に妻はおそらく世界中で一日に何千回と親の口から語られるであろう言葉を彼に言いました「パパに何て言うの・・・・。ごめんなさいでしょ」。

彼の口は“へ”の字となり、頑として「ごめんなさい(彼の場合はごめんちゃい)」とは言いません。妻と私はここで妥協してはならぬと、何度も彼の口から「ごめんちゃい」という言葉がでるのを辛抱強く待ちました・・・。しかし、彼の口からその言葉が出てくることはなく、やがて頬からは涙がこぼれてきます。その時、私は内心、思っているのです「おい、息子よ、言っちゃえよ。パパはお前を思いきり抱きしめたいと思っているんだ・・・」。

こんな日常の出来事の中に私達は父なる神様の思いをうかがい知ります。私は父として、「赦して欲しかったら腕立て伏せ20回しろ」と言う気持ちは全くありません。ただ「パパ、ごめんね」という言葉だけが聞きたいのです・・・。

神よ、あなたは砕けた悔いた心をかろしめられません」(詩篇51篇17節)

マック

 

スティーブ!

IMG_20150125_220318266_HDR今週は月曜日から土曜日までミーティングと会議で缶詰状態ですので、ちょっと息抜きを・・・。

月曜の朝、「バ~イ、スティーブ」と次男坊を学校に送り出し、ロスにやってきました。彼はその日、「スティーブ・ジョブスの生涯」について発表をする予定となっており、随分と前からその準備をしていました。しかし、彼の場合、レポートの準備以上にスティーブ・ジョブスがプレゼンをする時の“あのスタイル”にこだわり、ブルージーンズに黒のシャツ(ほんとうは長袖ですが)、そして私の老眼鏡をたずさえて学校に行きました・・・。

先日、家内に電話で発表はどうだったかと聞くと、せっかくスティーブの格好を真似たのに、自分が思っていたほどの評価はもらえず不満のようだとのこと・・・。

スティーブはまだ気がついていないようです。そう、成績は“どれだけその人に似ているか”で決まるのではなくて、“レポートの内容”で決まるのだということを・・・。この教訓を無駄にせずに、次にいかしてもらいたいと心から願っています。

マック

追伸:彼には周りの人達を憩わせる人になってほしいと願っています。

祭りが終わる時

多くの人達がそうするように私と妻は結婚式のために一年も前からその準備をしましたが、結婚式は数時間で終わりました。その日だけは、参列してくださった方達の視線は私達だけに、いいえ、私達というよりもそのほとんどは新婦に向けられます(それでいいのです!)。式が終わり、レセプションも祝福され終わりました。しかし結婚式やレセプションが終わったことによって、私と妻の関係も終わりかといいますと、そうではなくてそこから全てが始まりました・・・。

マック

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悪評を受けても、好評を博しても

私達とて人間、どうせ評価されるのなら、いい評価を得たいものです。しかし、そうではないことが現実で、その度に心が揺さぶられるというのが私達の人生です。その極みの中でイエス様は「私がもっている平安をあなたたちに残していく、与える」と言われたのです。「わたしが与える平安は世が与えるようなものとは異なる」とも言われたのです。「世が与える平安」とは「私達が世にあって与えられるよき評価」のようなものです。それは私達に一時的な平安を与えてくれるでしょう。しかし、そのような評価は明日にはどうなるか分からないもので、そのようなものに一喜一憂しているのなら、本当の平安など得られるはずがありません。

マック

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キリストと私の関係とは?

Muddy feet「イエス・キリストと私達の関係」は、私達がキリストのためにどれだけ良いことをしたのかとか、きよい生活を送っているとか、どれだけイエスについて学んでいるかということで築きあげられるものではありません。これまで何度、「牧師さん、少しはましな人になったら教会に来たいと思います」という言葉を聞いてきたことでしょうか。それは言い方を変えれば「自分の今の足の汚れをきれいに洗って、さらには足が汚れるような生き方をしなくなったら教会に来ます」ということで、そんな言葉を聞くたびに私は心の中で思います、「おそらく、わたしはあなたに再び、会うことはないでしょう」と・・・。

『もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる』 (イエス・キリスト:13章1節ー8節)。

マック

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あなたを突き動かしているものは何ですか?

時に人は恐れ、罪悪感、物、人の目などによってその言動が突き動かされることがありますが、あなたはいかがですか。このことを確認してから、新しい年を歩み始めませんか。


マック

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日本の心

「やはりサンデイェゴで食べるメキシカンが最高ですね」とよく聞きます。そりゃそうでしょう、ここは半分、メキシコのような場所。味はその食材だけで決まるのではなくて、その土地の気候や風土によってさらにうまくなるものです。サンディエゴにお越しの際は英語ではなく、スパニッシュで看板を出している店でそんな本場の味を堪能してみてください。

当地で私達はメキシカンにかぎらずに、普段からコリアン、イタリアン、チャイニーズ、インディアン、ベトナミーズ、タイ、ブラジリアン、ミドルイースト、モンゴリアン、グリーク・・・そしてアメリカン(ホッドドック&マカロニチーズ?)等、まさしく多国籍のものを胃袋におさめていますが、正月だけは別です。

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その日だけは日本人として、日本の伝統料理を子供達に体験させるということがここ数年の慣わしとなっており、妻もそのことにはこだわりがあるようで、今年もそんな料理で元旦の食卓を囲みました。今は目下、娘にもこの日本の伝統を引き継ごうとしておりますが、どうなることでしょうか。

マック

追伸:どの国の人も自国の食事を最高と思っていることでしょうが、私もいつも日本の食事を前に子供達に言います、「君たちは日本人として生まれてきたことを神様に感謝しなくちゃね」と。