雨雲も・・・

20150222_150736 当地、サンディエゴはほとんど雨が降らず、たいてい毎日、青空が広がっています。ですから普段、天気予報を気にとめることはないのですが、去る日曜日には雨になるという予報があり、週末は繰り返し天気予報を確認しながら過ごしました(日曜日の一時間ごとの降水確率を全て記憶してしまったほどです 笑)。

なぜ日曜日の天気を気にしたかといいますと、その日には海にハマグリ狩りに行く予定をしていたからです。海に入る者はどうせ濡れるからいいのですが、せっかく来てくださった方達が雨に打たれてしまうことは忍びないと思ったからです。そんなことを案じながら、礼拝が始まったのですが、その最中、私の心にあのヨブ記の言葉がわいてきました。

『われわれは神から幸いを受けるのだから、災いをも受けるべきではないか』  (ヨブ2章10節)

20150222_162341そして、その時に「われわれは毎日快晴を受けているのだから、雨雲をも喜んで受けるべきではないか」ということに目が開かれたのです。

さいわい浜にいる間はほとんど雨も降らず、時折、陽もさしていました。そして、おひらきのために最後のお祈りを天を仰いで捧げましたところ、その直後から雨が強く降り始め、皆で急きょ、撤退したのです。その時、体には横殴りの冷たい雨が降りかかってきたのですが、どういうわけか心の中からは喜びが溢れてきました。それはその時まで雨が降らなかったことに対する喜びではなく、雨をも降らすことができる神様はなんと素晴らしいお方なのだろうか!という喜びであり、感謝でした。ハレルヤ!

マック

追伸:どういうわけか今年はあまり収穫はありませんでした。でも、獲れたものをチョップして、クラムチャウダーにして皆で食べました。寒さの中でフーフーいって食べる、それは三ツ星レストランが束になかってもかなわない味でした(言うまでもありませんが、三ツ星レストランには行ったことがないので想像です・・・笑)。

 

見えると言い張る問題

「あなたがたが盲人であったなら、罪はなかったであろう。しかし、今あなたがたが「見える」と言い張るところに、あなたがたの罪がある」(ヨハネ9章41節)

私達が「盲人」であるということは現実。しかし、問題は「見えていない」のに、あたかも「見えている」かのように生きている、そのことが問題なのだ、罪なのだとイエス様は言いました。考えてみましょう、何も見えない人が、あたかも全て見えているかのようにして歩いたらどうなりますか。走り出したらどうなりますか。転びますでしょう。ぶつかりますでしょう。穴に落ちますでしょう。問題が前方にありながらも、それが見えず、そこに衝突しますでしょう。「見えない」のに「見える」と言い張り、見えるかのごとくに生きるのなら、私達は諸々の問題を抱えることになります・・・。

マック

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祟りでも先祖の怒りでもなく

聖書の中に生まれつき目が見えない人に対して「この人が生まれつき目が見えないのは、この人が罪を犯したのですか、それともこの人の親が罪を犯したためですか」とイエス様が問われる場面があります。このことは今日もこんな言葉をもって私達に問われています。「それはあなたの前世のせいよ」「先祖が悲しんでいます」「それはこの土地の祟りよ」「運命と思ってあきらめなさい」「罪を償って生きなさい」・・・。この問いかけに対してイエス・キリストはどう答えたのでしょうか。

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真理の帯と共に

若者は自由を求めます。そして時が来れば彼らはそれを得ます。待ちにまった日です。早速、彼らはその自由を行使します。しかし、やがて彼らは気がつきます。その自由が色々なかたちで自分を不自由にしていることに。時に自由とは魔物で、それがいつの間にかがんじがらめの不自由に行きつくことがあるのです。当然、このことは若者だけに起こることではありません。私達は自分の自由を思いのままに行使して、そう、存分にその自由を使って、そして・・・、不自由になっていませんか。なぜ、そうなるのでしょうか。私達の自由の中に潜んでいるのは何なのでしょうか・・・。

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今年は行きまっか!

winter vision clamming 086冷た~い海水が体にこたえるために、それなりの覚悟が必要なのが冬のはまぐり狩りです(笑)。ということで昨年は諸事情により、行くことができませんでしたが今年は行きます!

2月22日(日)午後、コロナドの海です。もし、興味がある方がおりましたらご連絡を。今年は収穫したものをそのままクラムチャウダーにしてその場でいただきたく願っています。

どうもだめなのです、幼い時から生き物を捕えるということになると、周りが見えなくなります・・・。狩猟の血が流れているのでしょうね。でもね、鍬で砂を突き、ゴツンとくる手ごたえは何にも代えがたいのですよ・・・。そして、この光景はたまらないでしょ、父なる神の海の恵み、海の芋ほり!

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マック

絶対絶命、しかり・・・

2012-04-11_00017白内障の手術を受けてクリアーなビジョンが与えられた方達が口々に言いますことは、目がよく見えるようになってこんなに家が汚れていたのか分かりましたということです。それまで見えなかった埃が見えたというのです。同じようにそれまで光が照らされていないそのところに光が照らされましたらそこにある汚れが見えるのです。真っ暗な屋根裏に行き、そこで懐中電灯をつけますと、宙に浮いている埃が全て光に照らされます。その埃はいつもそこにあるのです。ただ光がないから見えないだけです。「私は世の光です」と言われたイエスに近づいた時に明らかなことは、自分の罪が見えるということです。これは私達がイエスに近づいているという証拠です。


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