わたしは命である

cucumber_facial_mask私達は「オリーブオイル」がいいとか「フラックスシード」がいいなんてことを聞きますと試してみます。「しじみ」は肝臓にいいとか、「ニンジン」は目にいいとか私達はそんな情報を大切にしています。口に入るもののみならず、薬草と呼ばれる草が無数にあります。皆さんの中にもビワの葉っぱをお腹に貼りつけた人とか、火傷の後に庭のアロエを患部に当てたという方がいますでしょう。おでこや目の上にきゅうりを貼りつけたことがある方もいるかもしれません。預言者イザヤはヒゼキヤに対して、彼の腫れ物に干しイチジクをつけるように勧めましたし(列王記下20章7節)、パウロは日夜のストレスのためでしょうか、キリキリと胃に痛みを感じていた愛弟子テモテに対して、痛みを和らげるために少量のブドウ酒を用いなさいと言っています(Ⅰテモテ5章23節)。

天の父なる神は私達のからだに必要なものを知っておられ、ゆえにその私達のからだに益となるものを私達の周りに与えてくださっています。この世界に生きる動植物には人間の体を支えるものが神によって予め備えられているのです。

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TAMIYA

小学生の頃、「TAMIYA」の戦車や歩兵のプラモデルに熱中した時期がありました。同時期、学校から家に帰ると「コンバット」が放映されており、そのテーマソングを歌いながら、勉強そっちのけで黙々と兵士の眼球に白黒をつけたり、戦車をカモフラージュしていました。部屋の中には同社のペイントとシンナーの匂いが蔓延し、行きついた先はベニヤ板の上に石膏を流し、戦場のジオラマまで作っていました。

以来35年、そんなプラモとは遠ざかっていたのですが、先日、地元のとある店で「こんな所に君たちはいたのかい」と感動の再会を果たしたのです!驚いたのはそのパッケージの表紙のイラスト、昔とな~んにも変わっていないのですよ!しかも「土嚢シリーズ」、「兵器シリーズ」までもあり、これらは全てかつて作ったもので思い入れがあり、当時の思い出がよみがえってきました。

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おそらく現在、アラフォーの方達とはこんなTAMIYAの話でしばらく盛り上がるかと思います。お心あたりのある方、「サンダース軍曹、TAMIYAのプラモの話ですが・・・」と声をかけてくださいな(笑)。

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追伸:そうそう、これです、これ。アメリカ人のフルネームで一番、最初に覚えたのはVic Morrowでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

不思議に満ちた人生

I-belive-in-the-GOD-of-Abraham-Isaac-Jacob米国はメモリアルディーのウィークエンドとなり、今日は毎年恒例の野外礼拝でした。

聖書の中には度々「わたしはアブラハム、イサク、ヤコブの神である」という言葉が出てきます。このことが意味することは私達の神は私達の父母の神でもあり、私達の子達の神でもあるということで、その父母と子達の関係は私達が決めたのではなく、神が決めたということです・・・。

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お知らせ

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明日は毎年恒例の野外礼拝ですので、当教会での礼拝はありません。その代わりに朝10時より以下の場所で礼拝がもたれます。飛び入り歓迎、どなたもどうぞ! Admiral Baker Field: 2400 Admiral Baker Rd., SD, CA 92120

明日のUstreamでのライブ放送はありませんのでご注意ください。

マック

追伸:BBQのために今日は大量にハンバーガー、ホットドックを仕入れました。心の糧、体の糧、共にお楽しみください!

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Mad Max: Fury Road

Mデイ・オフ。現在、公開されている『Mad Max: Fury Road』を観てきました。舞台はヒューマニティーが完全に失われた滅茶苦茶な狂気の世界。よくぞここまでグチャグチャな人間を描写したなと思わされる映画でした。目に飛び込んでくる無残なシーン、聞こえてくる不快な爆音、どこかで聞いた話だなと思いましたら、なんと思い起こされたのは身近にある聖書の中の一節でした。

『イスラエルの人々よ、主の言葉を聞け。主はこの地に住む者と争われる。この地には真実がなく、愛情がなく、また神を知ることもないからである。ただのろいと、偽りと、人殺しと、盗みと、姦淫することのみで、人々は皆荒れ狂い、殺害に殺害が続いている』(ホセア4章1節ー2節)。

『Mad Max』が完全にR指定なように、『聖書』もR指定とされうる書物です。聖書が包み隠さずに人間の姿を描いているからです。ですから、この人間に対するイエス・キリストのパッション、すなわち映画、『The Passion of the Christ』はPGではなく、R指定にならざるをえないのです(この意味が分かった時に私達はキリストの十字架の意味が分かります)。

『われわれはみな羊のように迷って、おのおの自分の道に向かって行った。主はわれわれすべての者の不義を、彼の上におかれた』(イザヤ53章6節)

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追伸:関連作品

 

 

 

わたしは真理である

waytruthlife私達が暮らすアメリカにおいて「自由」というのは、まず全てのことの先にあるべきもので、最も価値あるものなのです。自由を守るために法律はあり、この自由を守るために時に殉教者が生まれます。この自由をもって各々の価値判断を真理として生きるということ、これがまさしく私達の世界であり、そのように生きることが推奨される世界に私達は暮らしています。しかし、聖書を読んでいきますと、イエス・キリストは全く異なったことを言っていることに気がつかされます。

31イエスは自分を信じたユダヤ人たちに言われた、「もしわたしの言葉のうちにとどまっておるなら、あなたがたは、ほんとうにわたしの弟子なのである。32また真理を知るであろう。そして真理は、あなたがたに自由を得させるであろう(ヨハネ8章31節ー32節)。

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わたしは道である

interstate-the-way私達日本人は道が大好きです。茶道、剣道、柔道、華道・・・。これらの作法や競技を私達は道として受け止めています。日本人のみならず人はいつの時代も道について語ってきました。しかし、ここでイエス・キリストは自分自身が道なのだと言われました。

分け登る麓の道は多けれど、同じ高嶺の月を見るかな」という歌があります。読んでお分かりのように、山頂にいたる道はたくさんあるけれど、高嶺で見る月はみな同じだということで、いかなる宗教も同じ高嶺に通じており、そこで見る月は同じだということです。

しかし、この言葉に対してイエス様がここで言われたことはご自身の独自性でした。すなわちイエス様は「わたしは道である」と言われ、続く言葉ではさらに「誰でもわたしによらないでは父のみもと、すなわち神のもとに行くことはできない」とまで言われたのです。しかし、それにしても「絶対的なものはない」と信じる者にとりまして、「誰でもわたしによらないでは」というような発言は耳触りとなります。そして、ため息をつきながら「あぁ~、なんて排他的な言葉なのだろう」と思うのです。

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寄留者として生きる

15587_20418_4・・・その時に私達はこの地上では理解できなかったことが分かるでしょう。なぜ、あのような時に、あの事が起きたのか、寄留者であった時に保留されていた疑問が全て解き明かされるのです。それはあたかも私達がこの地上で生きた、それぞれの年月の出来事が詰まった部屋を一つ一つ、イエス様に案内されて歩くようなものです。あの年は今でも忘れない、辛い年だった。しかし、そんな年の扉を開ける時に私達は「なんということでしょう!」と喜び叫ぶのです。そして、その喜びが取り去られることはないのです。その時に私達はもはやイエス様に問いかえすことはなにもないのです・・・。

 

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