イスラエル紀行(1):フルコース

IMG_7286私達の教会では15名の者達が2月15日から26日までイスラエル旅行に行きました。少々、遅れましたがそのレポートです。

出発の朝、私達はサンディエゴ市内のミツワ・スーパーマーケットの駐車場に集合し、貸切バスに乗り、ロサンゼルス空港に向かいました。渋滞もなく初夏のようなロスを発ち、雪降る東海岸、ニューワークに到着。軽く夕食をすませ、予定されていた搭乗時間にテルアビブ行きの飛行機に搭乗。10時間ほどの搭乗、どんな映画を観ようかと離陸を待ち・・・。

しかし、時間がきても飛行機が動くことはなく、そのまま機内で3時間が経過し、最終的には欠航のアナウンス。この間、状況の説明もボトル一本の水も配られることなし。とにかく「飛行機を出てカウンターに並べ」と告げられ・・・。並べと言われても既に数百人の長蛇の列。この時点で既に夜中の二時を回っており、状況を説明するアナウンスはなく、それから数時間の間にも色々なアンビリーバブルなことが続き、結局、外が明るくなり、やっとたどりついたカウンターで言われたことは、その日に提供できるホテルはなし、ホテルが欲しければ11時にまた戻ってこいとのこと・・・(この一言を聞くために夜通し並んでいたのかと・・・)。

機内で欠航という言葉を聞いた時、正直これからどうなるのだろうかと思いました。私達のツアーは予定通りにイスラエルに到着することを前提として予定が組まれており、空港ではイスラエル側のガイドであるイスラエルにいるR先生とも何度もやりとりがなされました。結局、航空会社のウエブサイトにて分かったことはその日の晩の九時に臨時便を飛ばすということ(この肝心な情報が一度もアナウンスされなかったのです!)。

まさしくその時の私達の姿は聖書に記されているような荒野をさ迷うイスラエルの民。とりあえず朝食だけは食べましょうと航空会社から唯一配布された食事券で朝食を食べ、さてこれから夜9時までどうしたらいいのか考えていた時、Kご夫妻が空港側のホテルの二部屋を確保してくださり、そこで私達は夕方までしばしの休息をとることができたのです(この休息がなければ私達は皆、倒れていたことでしょう)。

しかしながらこのような状況の中、せっかくニューヨークに来ているのだから、時間もあることだしマンハッタンに繰り出そうという者達もおり(笑)、自由の女神・ウォール街、ワールドトレードセンター跡地、タイムズ・スクエアーをめぐる不眠不休弾丸ハトバス・NYツアーを決行し、NY初体験の者達は大いにエンジョイしました(ただでは転びません、私達)。

そして、その晩に搭乗した23時間遅れの臨時便は一時間遅れで離陸し、かくして我々はやっと機上の人となったのです(しかしながら、到着先のテルアビブでは荷物が届いていない、またスーツケースの中が濡れているというとんでもない事態が発生し・・・・)。

私はこれまで何度も飛行機に乗ってきましたが、ここまでトラブルが続いたケースは初めてでした。まさしくトラブルのフルコースです。しかし、心から感謝していることはこのような厳しい状況に追い込まれながらも、私達のチームの面々は次から次へと降りかかる問題を前にしても実に頼もしく、次の一手を常に考え動き、心配になるほどに前向きな精紳を持ち続け(笑)、終始、笑いとジョークが絶えず、この荒野を踏破したのでした。こうして我々の旅は普通なら書き記す必要などない(笑)離陸前の長いイントロダクションを経てイスラエルへと突入していくのです。

つづく・・・。

マック

追伸:このハプニングのためにこのツアーの名称は変わりました。題して『2016・ SDJCC・イスラエルツアー(ニューアーク空港・放浪の民体験 & NY観光つき)』

 

 

搾りかす

jYUDEN『さて使徒たちはイエスのもとに集まって来て、自分たちのしたこと、教えたことを残らずイエスに報告した。そこでイエスは彼らに「さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい」と言われた。人々の出入りが多くて、ゆっくり食事する時間さえなかったからである。そこで彼らは、舟に乗って、自分たちだけで寂しい所へ行った』(マルコの福音書 6章30節ー32節)

しばらくご無沙汰しておりました。先月の28日からサバティカルをいただき、この一月、充電にあてており、いよいよ今日からの復帰となりました。

仕事がらいつも内なるものを外に出さなければならない日々を送っていますゆえに、私達の属する教団から「五年ごとに二か月のサバティカルをとらなければならない」というお勧めをいただいています(多くの日本人牧師はその習性からか、この取り決めに躊躇し、「そう言われてもね~」と従わずにいましたので数年前からはいよいよ「取らなければならないもの」となりました)。

確かに五年間、入れて出して、入れて出してということを繰り返していると、やがて枯渇してくるということは自分でも気がついていることで、その状態でミニストリーを続けていくということは、そのうちに「搾りかす」しか出てこない状態になるという危機感が確かにあります。そしてそうなりますとこのことで一番、害を与えてしまう方達というのは教会にいらっしゃっている方達となってしまうわけで、最近になって教団の言っていることも間違ってはいないなと思い始めています(上記の御言葉においてイエス様は弟子達の「したこと」「教えたこと」という彼らから出ていったことの報告を受け、彼らに主の前に静まることを勧めたのではないかと思います)。

ということでこの一月、「出す、出る」ということから距離をおいておりましたので、このブログからも遠ざかっておりましたが、またここから発信していくことができたらと願っております。

この間、同労の牧師達に講壇の御用を助けていただきましたこと、教会の兄弟姉妹が留守の教会をしっかりと守ってくださったこと、ありがとうございました。また今日から主にあって、よろしくお願いします。

静かな武者震いと共に・・・

マック