たとい死の陰の谷を歩むとも

Verse_-_Psalm_23_4今から3000年前、イスラエルの三代目の王、ソロモンはあの言葉を書き残しました。『祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行く方がよい。そこにはすべての人の終わりがあり、生きている者が、それを心に留めるようになるからだ』(伝道の書7章2節)

祝宴は人生のただ中に起きるものです。その祝宴は婚宴かもしれないし、喜寿のお祝いかもしれない、誕生日を祝う時かもしれない。それらは大いに喜ぶべき時です。しかし、その祝宴は私達のフィナーレではない。その後がある。その宴を心待ちにする時あり、その宴を楽しむ時あり、そしてその宴が終わる時がある。しかし、人生はその後も続く。どこに向かってか、そう死に向かってです。祝宴を楽しむ前に、私達は人の終わりについて心を留め、その時に何が私達を待ち受けているのかということを心に留めることはとても大切です。

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ロズウエル事件

79368831907469095ecce80b89f3608aニューメキシコには何の変哲もないロズウエルという小さな町があります。しかし、この町は知る人ぞ知るロズウエル事件が起きた場所なのです。そう、そこは世界で一番有名なUFOの町なのです(映画にもなっています)。

詳細は上記のリンクを見ていただければと思いますが、そう言われてみれば町のあちこちに緑色のエイリアンがいました。

町の目抜き通りにはUFO博物館なるものもあり、話の種になればと立ち寄って、当時の事件のタイムライン等の説明を見て回りました。全米のみならず、世界中から訪問客が来ているようで、その日もなかなかの盛況。さすがにエイリアン饅頭とかエイリアン団扇なるものは売られていませんでしたが、このようなことは箱根もロズウエルも同じで、エイリアンに便乗しようという町の人達のしたたかさを感じました(人間はたくましい)。

この事件が起きたという1947年7月、ロズウエルに住んでいた子供達の夏休みが退屈ではなかったということ、これだけは確かなようです。

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追伸:今、UFOなるものが飛んでいたら、直後にソシャルメディアにアップされるでしょうね。でもそんな映像、見たことないなー(笑)。少なくとも政府が隠蔽することなどはできないですね。

 

 

 

なんぼ

your-ministry先日、ある日本のニュースを見ていましたら日本では学校の副校長が不足しているということが伝えらえていました(ちょっと日本を留守にしている間に「教頭」は「副校長」と呼ばれるようになったようです。まさしく浦島太郎)。なぜなら、その副校長の職務が教員よりもはるかに多いからとのこと。副校長は実際に教壇に立つことがほとんどなく、対外的なことや教師の相談を受けたり、また多くの報告書を書かなければならないということで割に会わないということです。その番組では校庭の砂が舞い、洗濯物が汚れるという近所の苦情に対処すべく、スプリンクラーをまく作業に奔走する副校長の姿がありました。そんな目まぐるしい一日の勤務を追いかけるカメラに向かって副校長が一言。

「教師は教えてなんぼです」。

一か月のサバティカルが終わり、今日から復帰しました。終わりに近づくにつれて、現場に帰ることに渇きを感じてきました。そう「牧師は伝道牧会をしてなんぼ」ですから。そして、現場に帰ると想像していたように色々なことが待ち受けていました。「ここで生きてなんぼ」の生活がまた始まりました。

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追伸:現場に戻ることに渇きを感じるということ、これがサバティカルをとることの目的の一つなのだと思います。

 

血肉

680145fb283fd8de79ebdcb9f980ace0ニューメキシコに出発する朝のフライトは7時半でした。そのために余裕をもって5時半に家を出るべく、さぁ、スーツケースをトランクに積もうという時にそのスーツケースの取っ手の一つがボキッと折れてしまいました。中身を他のスーツケースに詰め直す時間もないので、取っ手を失ったトランクを抱きかかえ(笑)、私達は空港に向かいました。

夏休みの空港は長蛇の列でしたが遅れることなく搭乗し、時間通りにニューメキシコ、アルバーカーキーに到着しました。預けていた二つのスーツケースとカバンをバッケージ・クレームで待つこと数分、荷物は速やかにでてきました。しかしながらあのスーツケースを取り出そうとしたとき、残された最後の取っ手もボキッと取れてしまい、さらにはその晩、そのスーツケースが閉まらなくなっていることが判明しました。そこで私達はそのスーツケースと旅先でお別れすることにしました。

車であっても飛行機であっても、私達は家族で旅行に行く時は炊飯器と米、レトルトパック、カップラーメンを忘れません(これで食費はそうとうに節約できます)。さいわい壊れたスーツケースの中身はほとんどが食材でした。ですから私達がすべきことは、とにかく食べて減らすということで、そうすることにより荷物がどんどん減って心身ともに身軽になっていく自分を知ることは楽しいことでした。

旅に出るということは、見ること、聞くこと、触れることをムシャムシャと食べることかと思います。カタチあるものは必ず壊れて失われますが、心に貯えられているものはいつまでも消えることはなく、その人の血肉となっていきます。

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オニムシGO!

b0033112_2240348朝五時。自転車から飛び降りた一人の少年が田んぼのあぜ道を一本の木を目指して走り出す。その木は田んぼの横を流れる小川の傍に立っている。

そこにいたるまで腰まで伸びた草におりた露で靴もズボンもびしょびしょ。でも、それはまだその日に誰も来ていないという証拠。期待がふくらむ。

お目当ての木を見上げる。潤沢な樹蜜が流れる場所に黒光りしたオニムシがうようよいる。抑えきれない興奮と共に、その木を思い切り蹴飛ばす(スズメバチもいるので要注意!)。そうするとやつらはボトボトと落ちてくる。一匹も残らず拾い上げ、持参したタッパーウエアーに入れていく。一匹一匹を愛おしむように、おがくずの入ったケースに入れ、「よく来たな。よろしく!」とスイカやメロンを振る舞う。やつらはうまそうにその果汁を吸う。やつらがいない夏休みなんて想像もできない。こうして、ひと夏を共に過ごした仲間達は新学期が始まる頃、その命を終え、土に返っていく・・・。

狩猟者としての興奮、からみつく手足、茶色で輝く甲羅の感触、命の終わり・・・。何にも代えがたい夏休みの思い出、オニムシGO!

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追伸:今は分かりませんが70年代の栃木県矢板市界隈ではくわがたをオニムシと呼んでいました。ちなみにミヤマクワガタはヘイタイ、ノコギリクワガタはワニ、コクワガタはドロボウと呼ばれていました。

 

 

 

 

 

 

 

新天新地-新しい神の世界: 大川道雄師

o6月27日から7月27日までサバティカルをいただいております。その間の日曜日は大川道雄師と中島光成師が取り次いでくださいました。今日はその最後の日曜日で大川道雄師が礼拝&バイブルスタディーを導いてくださいました。

大川先生、中島先生、そして主にある兄弟姉妹、四回の日曜礼拝をありがとうございました。この間、地元の三つの教会の礼拝に出席させていただき、多くのことを学ばせていただきました。今週木曜日の集会から復帰します。ウォームアップを始めながら、皆さんにお目にかかれますことを待ち望んでいます。

メッセージタイトルを掲示しながらも、今日は映像が録画できなかったようです。申し訳ございませんでした。

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人の世界

コロラドの州境にあるタオスという小さな町。ここにはタオス・プエブロという世界遺産があります。1000年以上、使用されてきたネイティブ・アメリカンのブエブロ族の住居です。今日のマンションの発祥の地です(笑)。

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この様式の住居はニューメキシコのいたるところで見られます(新築であっても、このような家が建てられています)。この外壁はこの土地の土から造られているので、家と大地の色が同じで独特の雰囲気があります(完璧なエコ住宅ですね)。青空と雄大な雲をバックにこの茶色がはえます。そして軒先にかけられた赤唐辛子の赤、ドアの青がまた際立って最高です(ブエブロ族にはアートのギフトが与えられているのでしょうか)。

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2016-07-22 14.29.17今でもこの世界遺産に住んでいる方達がおり、生活の営みがなされていました。この度は「白い世界」、「深い世界」、そしてこの「人の世界」を見てきましたが、どこも他にはないユニークなものを持ち合わせており、収穫の多い旅行となりました。当地にはあちこちに温泉も湧いており、次回は温泉郷ツアーを企画したいものです。

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追伸:それにしても暑かった。ここに来る途中、華氏115度、摂氏にすると46度というのを体験しました。これでカラカラに乾燥しているから水分をとらないと危険です。

闇の世界

darkness昨日はカールスバッドの洞窟ツアーに参加し、ガイドさんが「王の宮殿」というところに連れて行ってくれました。その名のとおり、そこは天然の荘厳な宮殿。その美しさたるや言葉ではいいあらわせません。

通常、洞窟内のトレイルには明かりがありますが、この度、ガイドさんがその明かりを全て消してくれました。その瞬間、目の前に見えていたものが完全に消え、完ぺきな闇に包まれました(そりゃそうでしょう、地中230メートルなのですから)。

私は毎晩、闇夜の中で眠りますが、それは本当の闇ではないということがこの度、分かりました。その闇の深さは一センチ前に自分の手を置いても見えないほどで、一瞬にして私は自由を全く失いました(このような闇を経験することができないのが現代の私達の日常生活なのですね。ガイドさん曰く、この闇の中では目が慣れるということもないそうです)。

しかし、再び照明がつくと目の前には荘厳な風景が再び映し出されたのです。そう、全く見えないけれど、それは確かに目の前に存在しているという、それはそれはとても不思議な体験でした。「目が閉ざされて見えなくなっている」というのは、こういうことを言うのでしょうか、そんなことを考えました。

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