今から3000年前、イスラエルの三代目の王、ソロモンはあの言葉を書き残しました。『祝宴の家に行くよりは、喪中の家に行く方がよい。そこにはすべての人の終わりがあり、生きている者が、それを心に留めるようになるからだ』(伝道の書7章2節)
祝宴は人生のただ中に起きるものです。その祝宴は婚宴かもしれないし、喜寿のお祝いかもしれない、誕生日を祝う時かもしれない。それらは大いに喜ぶべき時です。しかし、その祝宴は私達のフィナーレではない。その後がある。その宴を心待ちにする時あり、その宴を楽しむ時あり、そしてその宴が終わる時がある。しかし、人生はその後も続く。どこに向かってか、そう死に向かってです。祝宴を楽しむ前に、私達は人の終わりについて心を留め、その時に何が私達を待ち受けているのかということを心に留めることはとても大切です。
マック
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