こうして教会は(26):神の物語の中に生きる

私達の教会のファウンダー達は1940年に最初の教会堂をサンディエゴに購入します。しかし、時、同じくして第二次世界大戦が勃発します。そのことゆえにカリフォルニアに在住している日系人は強制収容キャンプに入れられます。それはサンディエゴ日本人教会に集っている者達も例外ではなく、彼らは1942年から3年間、日系人収容所に入れられます。

想像してみてください。新しい教会堂が与えられ、さぁ、これからという時にもはや自分ではどうすることもできない世界の荒波に飲み込まれ、自由を失い、キャンプに収容される。自分の力の及ばない力によって願ってもいない場所に移される。

手に入れたばかりの教会の玄関には鍵と鎖がつけられ、いつ、その鍵と鎖が再び、解かれるのかも分からない。生活環境の厳しい収容所にいる自分達の行く末も分からない。この教会に通っていた兄弟姉妹はそのようなところを通りました。そして、そのことはあのエジプトでのイスラエルの民の日々を思い起こさせるのです。

そして、終戦を迎えます。その時、沖本牧師が当地で伝道を再開します。その年1945年、沖本牧師はキャンプから帰ってきた3人の教会メンバーと再び、この教会の灯を掲げたのです・・・。

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こうして教会は(25):足元に目を向ける

もし私達が遠くのものばかりを見て自らの足元に目を向けることがないのなら、そこに問題が生じていてもそれはそのまま放置されます。しばらくは何も問題はないでしょうが、足元がおぼつかなくなると転倒します。そして、転倒しますと体の各部位は大きなダメージを受けます。

車のタイヤのことを「車の足回り」と呼ぶことがあります。私はいつもその車のタイヤを気にかけています。釘が刺さっていないかとか、空気圧は大丈夫かと、その足回りに注意し、異変を感じたら、すぐに対処しています。なぜ?簡単です。フリーウエイで家族を乗せている車のタイヤがバーストして、激しくスピンしている光景を想像してみてください・・・。

*不覚にもインフルエンザにかかりまして、礼拝に行ける状態ではなく、今日は妻が私のメッセージ原稿を代読しました。

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回心にいたる道

皆さんはきっと多忙な毎日を送っていると思います。しかし、そんな皆さんにも時に内なる声が聞こえてくることがありませんか。「このままでいいのか」。「このことに手をつけないでいいのか」「この人との関係をどうするのか」・・・と。

家の中で、ちょっとカビ臭い匂いがします。車を運転すると気になる音がします。心臓の不整脈を感じる時があります。どれも、常に感じているものではなく、ある時、フッと感じるものです。内なる声も常に聞こえているのではなくて折に触れて、心に語りかけてくるものなのかもしれません。

そして、私達はしばしば、その内なる声をそのまま放置してしまいます。理由は色々あります。「忙しいから」。「今はまだ大丈夫だから」「面倒だから」・・・。

しかし、私達は知っています。家や車や自分の体について違和感を感じた方達が後々になって口々に言うことを。「あの時によく見ておけばよかった」「あの時に直しておけばよかった」・・・。

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