人生観の確立(3):労働観

教会ではこれまであまり「労働」ということに目を向けることがありませんでした。それは私達の心のどこかに、聖と俗とを区別する意識があって、「労働」を「霊的な事がら」として結びつけることがなく、端っこに置いてきてしまったからなのかもしれません。

しかし、今日、私達の置かれている社会環境を見ます時に、仕事によるストレスや生きがいの喪失、疎外感を感じている人達が多くいることに気がつきます。この度のコロナ下において私達は働き方の変化ということに向き合わされています。これらの現状を見るにつけ、私達は労働について聖書が何を言っているのかということに目を向ける必要があるのではないかと思わされています。

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人生観の確立(2):家族観

私達の家族は何によって結ばれているのでしょうか。結婚当初の「情熱」が今も続いていますか。家族が共有する「夢」や「ビジョン」でしょうか。「金の切れ目が縁の切れ目」「子はかすがい」と色々なことが言われますが、いかがでしょうか。

扇子は一か所の「要」が固定されている限り、バラバラになることはありません。私達の「要」は何でしょうか。

夫と妻は向き合うものではないと言われます。互いに向き合い、その距離が近ければ近いほど、互いの欠点が見えてきます。そうではなく、夫と妻は共に手を取り合って、神に向き合って共に立つものだと。家族もそうです。家族は神の前に立ち、神を見上げて生きるのです。

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人生観の確立(1):神観

コロナパンデミックとなり一年以上が過ぎました。このパンデミックを通して、私はあらためて、この世界には色々な考え方、物の見方があるということを知りました。自分が暮らす国で考えられていることが、他国においては意も介さないというようなことがある、ある国地域で大騒ぎしているトピックに関して、この国では話題にもならないということが、少なからずあるのだということを知りました。大きな国に住んでいても、小さな国に住んでいても、どうやら、そこは世界の片隅のようです。

これからも私達が今、経験しているようなウイルス感染というようなことや、人間が生み出す紛争や分断というようなことがこの世界には起きることでしょう。さらには個人的には重度の病にかかったり、諸々の理不尽な問題にぶつかったり、最終的にはこの地上での別れの日を迎えることでしょう。その時に私達が自分の人生をどのように観ているのかということは、とても大切なことに思われるのです。これらのことをおぼえ、これからしばらく、私達はどのようにこの人生を観ていけばいいのかということを聖書から見ていきたいと願っております。

今日はその最初として、とても大切なことを考えていきたいと思います。それはこのことに取り組むために必要な、最初のボタンのようなトピックです。それは私達が「神」という存在をどのように見ているのかということです。全てはここから始まります。

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御翼の陰に生きた女性達

五年前、教会の方達とイスラエルを訪れました時、死海の目の前に建つホテルに宿泊しました。窓から眺める死海の対岸はヨルダン領土となり、その場所は古代にはモアブと呼ばれていた土地でした。そんなモアブの山を眺めながら、その時、ある女性に思いを寄せました。「あの場所が彼女の故郷、こんなに近くまで来たのだなー」とその時、感慨にふけたのを忘れることができません。

その女性とはルツであり、彼女の名前は聖書のルツ記の名前となりました。彼女はイスラエル人ではなく異国モアブ出身の女性だったのです。ルツが生きた時代は今から3000年も前でしたが、今を生きる私達に彼女の生涯はとても大切なことを語りかけます。今日は「母の日」、ルツの物語が私達の物語となりますように祈ります。

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愛で始まり、愛の中を生き、愛で終わる

ある映画監督が言いました「人生のバッターボックスに立ったら、見送りの三振だけはするな」。

サンディエゴ・パドレスのゲームを観ている私の姿を見て、家族は笑います。スクリーンに向かって私が声をあげるからです。どんな時に私は声を上げるのでしょうか。「なんで、そこで見送るの!どうせアウトになるのなら、思いきり振って、三振しようよ!」バッターとして一番悔しいのは空振り三振をすることではなく、見送り三振をすることだと私は思うのです。

自分で選んだのではない、神に愛され与えられた人生、その人生の道すがらも私達に注がれる神の愛、そして、その人生の最後、もろ手をあげて私達の帰りを待っていてくださる神の愛、人生のバッターボックスに立っている私達がもし、このことを知っているのなら、主にある兄弟姉妹、見送りの三振だけはやめようではありませんか。このご愛に思いきり応えるべく、打席に立ち続けようではありませんか。

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