「スーパーボール」よりも大切なこと 2

去る日曜日のスーパーボールはシアトル・シーホークスがタイトルを獲得しました。その彼らのビデオ第二弾です

『兄弟たちよ。わたしはすでに捕えたとは思っていない。ただこの一事を努めている。すなわち、後のものを忘れ、前のものに向かってからだを伸ばしつつ、目標を目ざして走り、キリスト・イエスにおいて上に召して下さる神の賞与を得ようと努めているのである』(ピリピ3章13節-14節)。

彼らが本当に願い求めている賞与はチャンピオンリングではないようだ。

マック

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半沢直樹が問うたこと

半沢直樹米国西海岸と日本の間を飛ぶ時、気流により、行きと帰りでは飛行時間が異なり、行きは約12時間、帰りは10時間弱(この2時間の差はとても大きいものです)かかります。

一話で完結する映画とは異なり、テレビ・ドラマというのは連続して観なければならず、それが億劫で私は普段はほとんどドラマを観ないのですが、この度は話題になっている「半沢直樹」を、これはいい機会と離陸から着陸までの12時間の間に最初から最後まで全て観ました(対抗する相手に向けられる堺雅人の「鬼の形相」と妻に対する「への字笑顔」がしばらく頭から離れませんでした 笑)。

きっと多くの人達は日常生活の中であの人、この人の顔を思い浮かべながら半沢が自分に代わって臆することなく真実を語り、最後には「倍返しだ!」と叫んでくれることによって心の鬱憤をはらしたのではないでしょうか(笑)。

職業柄でしょうか、話題となっているドラマを見る時に、いつも心にある思いは「なぜこのドラマが多くの人を惹きつけたのか」ということで、人それぞれこのドラマに対して思い浮かぶ色々なテーマがあるでしょうが、私が思わされたことは「責任」ということでした。

すなわち半沢がしたことは単純に「さぁ、あなたがしてしまったことに対して、あなたが責任をとりましょう!」ということだったのではないかということです。 半沢はやっていないことを捏造して相手を追い詰めません。しかし、自分がしたことについて責任を取らずにいる人に対して、そのことを明るみにし、その責任を問うているのです(先にも書きましたように、このドラマが人気を得たということは、しかるべき責任をとらない人がこの世界には大勢いるということなのかもしれません)。

自分自身について、社会について、教会について、牧師について、「責任」ということを以後、思いめぐらしています。

マック

追伸:キリスト教界においてこの「責任」というものはどう取り扱われるものなのか、この辺りはけっこうあやふやで、聖書に照らし合わせて、これから注意深く検討しなければならない大切な課題なのではないかと思います。

断片を集める

ORG_20090622000101録画しておいた「プロフェッショナル 仕事の流儀 特別編」を観ました。この度は「ドラえもん」の生みの親である 藤子・F・不二雄こと藤本弘さんです。

私は小さい頃、漫画はよく読みましたが(「まことちゃん」、「リングにかけろ」、「魔太郎がとおる」、「おろち」、「暴力大将」、「男組」、「漂流教室」・・・けっこう、怪しいジャンルです 笑)、最近はほとんど読みません。しかし、漫画家という仕事には興味があります。なぜなら、

1)毎週、締切りがあるということの共感。
2)毎週、白紙から作業に取りかかることの共感。
3)毎週、頭と心にあるアイデアをアウトプットしなければならないことの共感。

1)について。やはり藤本氏は天賦の才能があるのだと思いました。幼少の頃に「めばえ」から始まり「小学一年生、二年生、三年生」・・・という月刊の教育雑誌がありましたが、氏はその全てに年齢にあわせたドラえもんを毎月、投稿していたというのですから・・・。

2)と3)について。1)のような絶え間ないアウトプットがありますと、アイデアは必ず枯渇するものです。そのところをどう補っているのかということが一番興味がありましたが、この番組は見事にその疑問に藤本さんの言葉をもって答えてくれました。

『漫画ってものを分解してみますと、結局は小さな断片の寄せ集めなんでありますね。本を読んだりテレビや映画を見たり、新聞を読んだり人と話したり見たり聞いたり。絶えずピッピと感性に訴えるものがあって、あれが使えそう、これが使えそうと捨てたり組み合わせ直したりそういう作業の結果、1つのアイデアがまとまってくるんです。なるべくおもしろい断片を数多く持ってた方が「価値」ということになるわけです』

藤本さんの書斎には膨大な落語のテープ、古今東西の映画のビデオ、ジャンルを問わないあらゆる種類の本が積み上げられていました。藤本さんはこれらのものを内に取り入れ、そこに自らの感性や経験を混ぜ合わせ、皆に愛される作品を次々に世に生み出したのでしょう。

そういえば同じようなことを 黒澤明監督も言っていました。監督は映像を作り上げている要素は「創造」ではなく「記憶」だと言っています。

『創造というのは記憶ですね。自分の経験や色々なものを読んで記憶に残っていたものが足がかりになって、何かが創れるんで、無から創造できるはずがない』

黒澤監督ともなれば、自分の作品は全て前例のない無からの創造によるものだと言うことができたでしょうし、そのように言われれば周りにいる者達もそう認めたことでしょう。しかし、監督はしっかりと人間の創造というものの本質を見抜いておられました。明日から始まるメッセージシリーズ、「箴言」の著者ソロモンはこう記しています。

『先にあったことは、また後にもある、先になされた事は、また後にもなされる。日の下には新しいものはない。「見よ、これはあたらしいものだ」と言われるものがあるか、それは我々の前にあった世々に既にあったものである』(聖書:伝道の書一章9節-10節)

既に先にあったものを取り入れ、それを己が状況に適応・応用する。これが知恵なのでしょう。

マック

追伸:やっぱり最後は「感性」なんだと思います。一つのものを見ていても何も感じない人もいれば、そこから10のことをイメージすることができる人もいます。感性は育つもの(育ち続けるもの)だと信じています。

オバマ少年の家

IMG_20130906_082437_447この度、お世話になりましたハワイ、マノアにあるホノルル教会が2006年に購入した家が教会の裏通りにあります。購入して分かったことはその家はかつてオバマ大統領が幼少時代を暮した家であったということで、地元の新聞にも取り上げられました。

それはなんの変哲もない普通の家で、今は人に貸しているそうです。前回、ホノルル教会を訪ねた時、夕暮れ時にその家の前を通りましたらドアが開いており、中には小さな子供達がいて、食卓が見えました。その時、その子供達とかつての大統領の姿が重なりました。

写真の右側、白い家の奥にその家はあります。個人宅ですので写真はひかえましたが、オバマ少年はこの路地裏を歩いて学校に通ったことでしょう。この道の先にホワイトハウスがあるなんてことは、当時、誰も考えもしなかったことでしょう。問題が山積みのアメリカですが、その解決のヒントはオバマ氏が通った小学校の教室や友達と歩いて通った道端にひっそりと隠れているのかもしれません。問題の中心には常に人間がいるのですから。

マック

 

優しい日本語

images (6)去る水曜の晩、日本の岩手で被災地のグリーフケアーをしていらっしゃるアメリカ人のニールセン宣教師ご夫妻が教会に来てくださって、その活動の報告してくださいました。先生ご夫妻はあの311までは愛知県で教会を牧会していたのですが、311後すぐに現地に入り、以来、かの地でそのはたらきを続けてこられました。また来年三月には岩手に戻るということです。

また先日訪れたカナダでは札幌で40年あまりも宣教活動をしておられた南アフリカご出身のシュミット宣教師ご夫妻に出会い、最後の晩はご自宅に泊めていただきました。南アフリカと北海道に共通点を見つけることは簡単なことではなく、しかしながら先生ご夫妻は文化風習が全く異なる札幌を愛し、ご自身の人生をかの地に注いでくださいました。

ニールセンご夫妻もシュミットご夫妻も日本語がほんとうに上手で、その一言一言がなんとも優しく、とても丁寧であることに驚きました。あらためて自分の日本語はなんて雑で、ぶっきらぼうなのかと頭が下がりました。

先生ご夫妻はきっと数えきれないほどの御苦労を経験されたと思います。しかしながら、そのお顔にそのような影は微塵もなく、いつも笑みを浮かべながらお話くださった穏やかなお顔が心に残っています。

マック

追伸:先生方は何か手にとって触れる物を売り込むためにその地に生涯を捧げたのではなく、見えないお方を人々に示し、そのお方を伝えるためにその地に住んだのです。こんなとんでもないことを可能にしてしまうこと、それを私達は信仰と呼んでいます。

 

 

 

ワンピース

IMG_20130807_172318_049 - Copy最近、教会ではAさんの指導のもと、子供達が「ヨナ物語」のモザイクを制作しています。見ていてつくづくなんと大変な作業なのかと思います。一つ一つピースをはめこんでいき、特に細かいところになると、そのかたちに合うタイルをこれまた一つ一つ切るなんてことIMG_20130807_172310_221 - Copyは気が遠くなるようなことです。

このモザイクは子供達用にと作りやすくシンプルなものにしてくださっているのですが、Aさんがご自身の作品として作っていらっしゃるものはヨーロッパにも出展される芸術作品。まさしく天父からAさんに与えられている無二のギフトなんだなと思います。この間、来てくださったバイオリンの高瀬さんの巧みな指と同様に、Aさんの作品を見ながら、わたしはじっと自分の五本の指を見つめました。同じ指なのに・・・私の指はミミズを釣り針につけるぐらいで精いっぱい(笑)。

こちらがAさんの作品です。やっぱりため息ですよね~!

マック

追伸:私達の今日はワンピース。明日もワンピース。いつかオリジナルの作品ができあがる。「なんで黒ばっかよ」と思っていても、それは主役のクジラができあがるため。完成の暁には互いに見せ合いましょうよ!

スクワット

森光子
『それだから、あなたがたのなえた手と、弱くなっているひざとを、まっすぐにしなさい』
へブル12章12節

森光子さん、黒柳徹子さんに共通していることをご存知でしょうか。森さんはスクワットを朝晩75回づつ、毎日150回されていました。黒柳さんはかつて「徹子の部屋」に出演されたプロレスラーのジャイアント馬場さんから100歳まで舞台に立ちたいのなら、スクワット50回を毎日、続ければ大丈夫ですと言われ、以来、毎日欠かさず続けているそうです。このお二人の身の軽さと朗らかさを見れば、その効果というものが分かります。

下半身を鍛えることの効果は、言われてみれば確かなことで、土台がしっかりしているのなら、そこには体全体の安定があります。最近、読んだ本では下半身が鍛えられると体全体に行き巡る血流もよくなり、血圧も安定するそうです。ということで、数か月前からできるかぎり毎日、私もスクワットをしています。まだ短い期間ですが、かつてよりも一日の疲労感が減り、体全体のバランスが整えられているように感じています。

『それで、わたしのこれらの言葉を聞いて行うものを、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけても、倒れることはない。岩を土台としているからである。また、わたしのこれらの言葉を聞いても行わない者を、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができよう。雨が降り、洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまう。そしてその倒れ方はひどいのである』(聖書:マタイ7章24節-27節)。

何事も土台が大切であるということは、私達の体だけではなくて多くのことに共通しているようです。信仰生活の土台はどのようにして強化されるのでしょうか。ちょっとやそっとじゃ動かされないこちらの土台もこつこつと堅固に築きたいものです。

マック

 

 

回心

聖書、使徒行伝9章は「脅迫、殺害の息をはずませながら」、教会を荒らしまわっていた男の回心が書かれています。

『さてサウロは、なおも主の弟子たちに対する脅迫、殺害の息をはずませながら、大祭司のところに行って、ダマスコの諸会堂あての添書を求めた。それは、この道の者を見つけ次第、男女の別なく縛りあげて、エルサレムにひっぱって来るためであった。ところが、道を急いでダマスコの近くにきたとき、突然、天から光がさして、彼をめぐり照した。彼は地に倒れたが、その時「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。そこで彼は「主よ、あなたは、どなたですか」と尋ねた。すると答があった、「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。さあ立って、町にはいって行きなさい。そうすれば、そこであなたのなすべき事が告げられるであろう」。サウロの同行者たちは物も言えずに立っていて、声だけは聞えたが、だれも見えなかった。サウロは地から起き上がって目を開いてみたが、何も見えなかった。そこで人々は、彼の手を引いてダマスコへ連れて行った。彼は三日間、目が見えず、また食べることも飲むこともしなかった』(使徒行伝9章1節-9節)。

この男、サウロ、後のパウロに対して「どの面さげてお前は伝道しているのか。お前のようなものが偉そうな手紙をいくつも書いて何様のつもりか」というようなことが言われ、彼の宣教がかき消されていたのなら(実際、そのような言動はたくさんあったことでしょう)、今日のクリスチャニティーはありません。「回心」というものが人に神が直接介入されて起こることならば、その人の回心後の生き方について、人が「こうあらねばならない」と制限を設けることではないと私は思います。

以下、大日本正義団元会長、かつて大阪戦争を引き起こした吉田芳幸さんの回心です。

『「キリスト・イエスは、罪人を救うためにこの世に来てくださった」という言葉は確実で、そのまま受け入れるに足るものである。わたしはその罪人の頭なのである』 パウロ(テモテ第一の手紙1章15節)

マック

追伸:「いくらなんでも、この人に神の言葉は届かないのではないだろうか」という思いが私の頭をよぎる時、いつも心に思い浮かぶのがこの吉田さんです。